31 昭和戦前期日本の国力(6)
ここまで資源や鉄鋼業、製油業などの基礎的な工業分野について言及してきたが、では各種兵器生産についてはどうだったのか、という点を最後に見ていきたいと思う。
正直、比較するだけ絶望的な気分になることは判りきっているが、それでも架空戦記という小説を執筆するための資料として目を通すことは避けて通れない道であろう。
なお、兵器の性能差などについても見ていこうとすると煩雑になるので、ここではあくまで生産量という観点に絞っていきたい。
まず、一番基礎的とも言える火薬・爆薬(化学工業)について見ていこう。
槍や剣、弓で戦っている時代ではないのだから、火薬・爆薬は戦争には必須である。
拙作「秋津皇国興亡記」の時代設定は19世紀中頃から後半にかけてで、時代考証的に火薬は硝石由来のものを使用している。
一方、第二次世界大戦期になるとハーバー・ボッシュ法の確立によって硝石に依らずとも爆薬を生産出来るようになった。
ただし当たり前だが、ハーバー・ボッシュ法は元々肥料を製造するための技術であり、それを軍事用に転用すれば当然ながら民需(肥料生産)に影響を及ぼさずにはいられない。
同じ枢軸国のドイツでは窒素生産の農業割当を大戦末期まで高い水準に保っていたが、日本は当然と言うべきか軍需優先の体制がとられた。
1941年時点で日本の化学工業においてアメリカに生産量で勝っていたのは、硫安と炭化カルシウムのみであり、硫酸や硝酸などその他化学薬品の生産では軒並み劣っていた。
さらに化学工場の設備は海外からの輸入に頼っており、戦時中の部品交換はほとんど不可能に近かった。ステンレスが入手出来ず、普通鋼を用いたために生産能力の著しい低下を引き起こしている。
無煙火薬1トンを生産するために必要な労働力は日本が1012人、アメリカが5.5人、時間は日本11時間、アメリカ40分と、根本的な差が存在していた。
結果として、大戦期間中には有機火薬の生産量について次のような格差が生じることとなった。
1940年 日:2万6000トン 米:2万1000トン
1941年 日:3万7000トン 米:10万3000トン
1942年 日:4万4000トン 米:62万5000トン
1943年 日:4万5000トン 米:97万8000トン
1944年 日:4万4000トン 米:114万3000トン
1945年 日:9000トン 米:55万1000トン
出典:アメリカ合衆国戦略爆撃調査団(正木千冬訳)『日本戦争経済の崩壊』(日本評論社、1950年)221頁
日本側が弾薬不足に陥り、アメリカ側が地形が変わるほどの爆撃や砲撃を行えた理由が、火薬の生産量からも判る。もちろん、銃弾・砲弾・薬莢の原料となる鉛、亜鉛、銅などについての格差は(3)で述べた通りである。
その他、航空機や自動車、艦船の生産量についても見ていこう。
下記に記したのは、アメリカの生産量の推移である。
航空機(グライダーを除く)
1940年 1万2813機
1941年 2万6289機
1942年 4万7626機
1943年 8万5433機
1944年 9万5272機
1945年 4万8912機
自動車
1940年 乗用車:317万7300台 トラック等:75万4900台
1941年 乗用車:377万9600台 トラック等:106万800台
1942年 乗用車:22万2800台 トラック等:81万8600台
1943年 乗用車:100台 トラック等:69万9600台
1944年 乗用車:600台 トラック等:73万7500台
1945年 乗用車:6万9500台 トラック等:65万5600台
艦船(商船は2000グロストン以上のもののみ)
1940年 商船:44万5000トン 艦艇:9万1000トン
1941年 商船:74万9000トン 艦艇:16万トン
1942年 商船:539万3000トン 艦艇:53万1000トン
1943年 商船:1250万トン 艦艇:156万6000トン
1944年 商船:1104万400トン 艦艇:148万1000トン
1945年 商船:766万3000トン 艦艇:83万4000トン
出典:堀一郎「第2次大戦期におけるアメリカ戦時生産の実態について」(2)(『経済学研究』第30巻第2号、1980年)
アメリカは1941年から45年の間にかけて、航空機29万5959機(爆撃機9万7800機、戦闘機10万機、輸送機2万3900機など)、戦艦8隻、空母27隻、巡洋艦48隻、駆逐艦349隻、護衛駆逐艦412隻、上陸用舟艇7万9308隻、リバティ船2695隻、戦車8万8410台、軍用トラック270万台、機関車7500両、貨車9万5000両、迫撃砲10万門、野砲40万門、ライフル銃650万挺、カービン銃610万挺、その他銃500万挺、鉄かぶと2200万個などを生産したとされ、44年には連合国の軍需生産の60パーセントを担っていた。
しかも、これら膨大な軍需生産を民需をほとんど圧迫せずに行い、大戦期間を通じて個人消費も伸びていた。家庭から金属類を回収し、配給制によって国民生活を統制せざるを得なかった日本とは雲泥の差である。
一方、日本の自動車生産量は、1941年から45年にかけて2トン貨物自動車12万4354台、5トン貨物自動車8536台で約13万台と、アメリカの1年分の生産量にも及ばない。まして大戦期間を通して軍用トラック270万台という数字と比べれば、まさしく雲泥の差である。
しかも日本の自動車生産は、1938年までかなりの部分を輸入に頼っていた。
航空機生産も1941年から45年にかけて11万66機と、やはり2倍以上の差が開いている。しかも、日本の数字にはグライダーも含まれており、発動機を搭載した航空機生産という意味ではさらに差が開いているのは明白である。
商船については海上護衛の項でも語ったが、戦時中は新規建造や拿捕等で新たに363万総トン増えただけである。その内、戦時標準設計型船、いわゆる戦標船の数は1340隻、338万トンであったことも、前に述べた通りである。
この差をどうにかして縮めない限り、やはり対米戦争を遂行する上でかなりの困難が伴う。
戦前期からの歴史の改変を行うとして、いったいどの分野から手を付けるべきなのか、かなりの難問である。
そして、日本が今も昔も無資源国であることを忘れてはならない。
戦前とは比べものにならない工業力を持つ現代日本ですら、海外からの資源の輸入が止まってしまえばどうにもならない。
戦前期日本の貿易の実態についても、見ていく必要があるだろう。
ひとまず、昭和戦前期日本の国力について見ていくのはこのあたりまでといたします。
結局、アメリカと日本の国力差を思い知らされるだけの調査結果となってしまいましたが、やはり思うのは日本の後進性だけでなく日米の国土の地理的条件の差です。
各種資源が豊富に採れる大陸をほとんど丸々一つ国土にしているアメリカと、大陸の端に浮かぶ小さな島国とでは前提条件があまりに違い過ぎます。
アメリカで自給が難しい資源と言えば錫と生ゴムくらいでしょうが、錫は大東亜共栄圏の項でも述べたようにボリビアを確保しています。生ゴムについてもアメリカでは1930年代から合成ゴムの量産化が始まっていますから、本項で見た自動車生産数から考える限り、東南アジアからの生ゴム輸入が途絶えてもそれほど痛痒を感じていなかったと言えるでしょう。
大東亜共栄圏の項でも愚痴のように書きましたが、イギリスのように早くから海外進出を行って資源地帯を確保していれば、少なくとも日本はまったく違う歴史を辿ることになったのでしょうが。




