3 日米避戦の選択肢
仮にも架空“戦記”小説というジャンルである以上、戦争の描写をしなければ物語の盛り上がりも何もあったものではないことは理解しているが、それでもやはり史実の太平洋戦争に至らない可能性を掴み取れるのが、大日本帝国にとって最大の勝利であろう。
日米開戦外交の研究は、日本国際政治学会による『太平洋戦争への道』(全七巻+資料編)を始めとして多くの研究成果が存在している。
このテーマはすでに研究し尽くされてしまったのか、ここ数年、『史学雑誌』の「回顧と展望」号で日米開戦外交に関する新たな研究成果は管見の限り、見つけることが出来なかった。
もちろん、山本文史『日英開戦への道』(中央公論新社、2015年)、森山優『日米開戦と情報戦』(講談社、2016年)、佐藤元英『経済制裁と戦争決断』(日本経済評論社、2017年)、同「東条内閣の対米開戦経緯 ―日米交渉と南方施策のパラレル外交の矛盾―」(『中央大学文学部研究紀要 史学』第62号、2017年)、宮杉浩泰「オートメドン号事件とマレー・シンガポール戦への日本軍の情勢判断」(『日本史研究』第653号、2017年)、牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』(新潮社、2018年)、小磯隆広『日本海軍と東アジア国際政治』(錦正社、2020年)など、周辺領域に関する研究成果は盛んに発表されており、未だこの分野が研究者にとって重要な問題であることを示している。
しかし一方で、日米交渉過程そのものをテーマとした研究は、前掲佐藤論文である「東条内閣の対米開戦経緯」くらいなものであり、この分野で先行研究を超える新たな成果を出すのは困難になってきているのだろう。
さて、日米開戦外交といえば、必ずと言って良いほどに「ルーズベルト陰謀論」が出てくる。
はっきり言って私は陰謀論に否定的な人間である。物語として登場人物たちが陰謀を張り巡らせるのは面白いかもしれないが、現実世界が陰謀によって動かされているとは信じがたいと思っている。
現実世界にあるのは人と人、組織と組織、国と国との間の駆け引きであり、そこにあるのは生々しい互いの主張のぶつかり合いである。
陰謀で世界を動かすことが出来るのならば、むしろ世界は今より平和だろうと思っている。だいたい、陰謀を巡らせる人間が二人以上になった段階で、陰謀を巡らせる者同士の利害関係が衝突して、結局、陰謀で世界を意のままに動かすどころではなくなる。
「陰謀」だけですべてを動かせるほど、世界は単純ではないのだ。
確かに日米開戦外交の末期、日本側がアメリカに譲歩した甲案、乙案を提示しながらアメリカが原則論に固執して非妥協的な態度に立っていたことは事実である。
このあたりが「ルーズベルト陰謀論」が叫ばれる所以なのだろうが、所詮はそれも交渉上の駆け引きの一種であり、単にアメリカが「妥協しない」という態度を取っているに過ぎない。
もちろん、非妥協的な態度に対する是非はあるだろうが、陰謀というほどのものではない。
また一方で1941年4月18日の日米諒解案を潰してしまったのは日本側、さらに言えば外相の松岡洋右であった。日米間に諒解案についての解釈の食い違いがあったことは事実であるが、その認識の違いを埋めていくことで、妥協に辿り着くことも不可能ではなかっただろう。
また、それこそが外交というべきものだろう。
近衛・ルーズベルト首脳会談が結局実現しなかったのも、ルーズベルト側から7月、仏印中立化提案がなされていたにもかかわらず日本がそれを無視する形で南部仏印に進駐してしまったことに原因があるといえよう。
このあたりの部分で日本に避戦の選択肢を取らせることが出来れば、少なくとも日米開戦は避けられたであろう。
もちろん、それ以前の日中戦争の和平工作にも様々なIFが考えられる。
最近では蔣介石の日記の解析が進んだことで蔣介石の世界戦略も明らかにされつつあるが、それも蔣介石による陰謀というよりは、日中間のアメリカを巡る駆け引きと言うべきだろう。
このあたりは、鹿錫俊『蔣介石の「国際的解決」戦略:1937~1941』(東方書店、2016年)、段瑞聡『蔣介石の戦時外交と戦後構想』(慶応大学出版会、2021年)を読んでみると面白い。
この他、2021年8月15日にNHKスペシャルにて蔣介石日記の記述を中心にした特集番組「開戦 太平洋戦争 ~日中米英 知られざる攻防~」が放映された。
日米開戦外交における日米避戦の選択肢は調べてみると意外に多く存在し、歴史改変小説としては十分に成立するテーマであろう。
問題はそのためにどのような人物を配置し、あるいは史実の人物に史実とは違った選択肢を選ばせるのか、ということと、そもそも日米避戦が成立してしまったらそこで物語的には終わってしまい、架空戦記小説としての面白さがなくなってしまうことだろう。
私としても、日米避戦の選択肢こそ最善だと考えつつも、やはり史実を知っている身としてはアメリカをボコボコにしたいという誘惑はある。
そのあたりの葛藤をどうつけるのかという、作者側の問題も存在するだろう。
主要参考文献・論文
大杉一雄『日中戦争への道』(講談社、2007年)
大杉一雄『日米開戦への道』上下(講談社、2008年)
小磯隆広『日本海軍と東アジア国際政治』(錦正社、2020年)
佐藤元英『経済制裁と戦争決断』(日本経済評論社、2017年)
佐藤元英「東条内閣の対米開戦経緯 ―日米交渉と南方施策のパラレル外交の矛盾―」(『中央大学文学部研究紀要 史学』第62号、2017年)
牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』(新潮社、2018年)
宮杉浩泰「オートメドン号事件とマレー・シンガポール戦への日本軍の情勢判断」(『日本史研究』第653号、2017年)
森山優『日米開戦の政治過程』(吉川弘文館、1998年)
森山優『日本はなぜ開戦に踏み切ったか 「両論併記」と「非決定」』(新潮社、2012年)
森山優『日米開戦と情報戦』(講談社、2016年)
山本文史『日英開戦への道』(中央公論新社、2015年)
私の人生を変えた二つ目の本は、大杉一雄先生の『日米開戦への道』でした。
『不沈戦艦紀伊』の時と同じように、下巻の帯に書かれたキャッチコピーに惹かれたのです。
「仏印中立化提案を拒否し行き詰まる対米交渉 合理的選択肢が消えてゆく」
この言葉が、強く私の印象の中に残りました。
そして、この本を読み込めば読み込むほどに、日本が負けてしまった歴史が悔やまれたのです。「大日本帝国には、あの無残な敗戦を経験しない歴史の可能性もあったのではないか」という疑問は、この本との出会いとともに生まれたといえます。
私が日本近現代史の研究を志し、今に至る原点となった本なのです。
ですが、研究すればするほどに、歴史は最早変えることが出来ないという無力感にぶつかってしまいます。
史料を読んでも、その向こうにいる歴史上の人物たちに今を生きる私たちが何かを伝えることは出来ません。
だから私は、創作にも手を伸してしまったと言えます。
それは一種の現実逃避とも言えるでしょう。
異世界の日本風国家でアメリカ風国家をボコボコにすることを目指した拙作「秋津皇国興亡記」は、その最たるものといえます。
ただ、それでもやはり歴史を研究することは楽しいですし、そこで得た成果は創作活動にも大いに役立っています。