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26 昭和戦前期日本の国力(1)

 ここまで主に1941年12月8日以降の問題について見てきたが、やはり史実通りの状況で日米開戦に至ってしまった場合、どうしても日本が有利な条件で対米講和に持ち込める可能性は低いと言わざるをえない。

 たとえ戦術的に善戦し続けてアメリカに膨大な人的被害を強要出来、それが米国民の厭戦気分に繋がったとしても、少なくとも戦前の状態に復帰するような形での講和は望めないだろう。


 第一の関門として、連合国陣営が無条件降伏を迫ってきている以上、まずそれを撤回させる必要がある。もちろん史実カサブランカ会談前に何とか講和に持ち込める可能性を架空戦記として模索すべきではあるが、はっきり言って開戦一年以内でアメリカが講和を申し込んでくるとは考えにくい。

 何故ならば、1943年以降、続々と新鋭艦が竣工するアメリカにとって、一時的に耐え忍べば確実に戦力で日本を圧倒出来ると判っているからだ。


 史実よりも積極的なインド洋作戦を行ったとしても、イギリスが半年や一年といった短期間で連合国陣営から脱落するとも考えにくい。アメリカが全力で支援を行うだろうからだ。


 そうなると、やはりどこかで無条件降伏の要求が出てくる。

 仮にトルーマン政権となって条件が緩和されたとしても、日本の領土縮小は免れないだろう。

 それでも史実よりはマシな結果ではあったろうが。


 第二に、戦術的な勝利を重ねたとして、日本側が講和に向けた積極的な外交工作を行っていなければ、そもそも連合国側から一方的な要求を突き付けられる状況は変わらないということだ。

 史実でも徹底抗戦派が宮城事件などを起こしている以上、戦術的に勝っている状況で日本側が大幅な譲歩を行って講和にこぎ着けようとすることは、非常に難しい。


 このあたりの講和問題に関してはまだまだ自分の中で説得力のあるIFを導き出せていないので、ここまでとさせてもらう。


 結局のところ、対米戦争そのものが日本にとって壮大な負け戦なのだ。

 そうしないためにはそもそも対米開戦をしないIFを考えるか、戦前期から歴史の改変を行って日本の国力の底上げをしなければならない。


 ただし、そのためには史実日本の国力を把握し、どの点に改変を加えるべきなのかということを理解しておく必要があるだろう。

 私も戦前期日本のすべてを調査し切れているわけではないが、ひとまず、ここでは戦前期日本の国力について見ていくことにしたい。


 さて、そもそもの問題として、「国力」とは何を指すのかという定義付けが必要となる。

 教科書的に言えば、それは「GDP(国内総生産)」ということになるだろう。もちろん、GDPは2000年代になって広く用いられ始めた数値であるので、それ以前は「GNP(国民総生産)」ということになる。

 ただし、一つの数値だけでその国のすべてが判るというわけでもない。

 GDPもGNPもあくまで、一つの目安に過ぎない。

 他にも、国土面積、人口、植民地、産出する資源、工業力、技術力、貿易など様々な要素から「国力」は構成される。

 これを書いている2023年1月現在、GDPにおいて日本の約3分の1程度しかないロシアがウクライナにおいて消耗を強いられつつも戦争を継続出来ていること、そしてロシアの軍事的脅威を依然として日本は感じざるを得ないことなどからも、それは明らかだろう。


 とはいえ、ひとまずは最も判りやすいGNPから見ていくことにしよう。


 世界恐慌のあった1929(昭和4)年から日米開戦の1941(昭和16)年までのGNPは、以下の通りである。

 最初の数値が名目GNP、二つ目の数値が実質GNP(名目GNPから物価変動分を取り除いたもの)である。


1929年……162億8600万円:137億3500万円

1930年……146億7100万円:138億8200万円

1931年……133億900万円:139億4100万円

1932年……136億6000万円:145億5700万円

1933年……153億4700万円:160億2500万円

1934年……169億6600万円:174億2200万円

1935年……182億9800万円:183億3600万円

1936年……193億2400万円:187億6300万円

1937年……228億2300万円:199億4900万円

1938年……263億9400万円:201億7400万円

1939年……312億3000万円:219億5400万円

1940年……368億5100万円:228億4800万円

1941年……448億9600万円:211億3000万円


出典:三和良一ほか編『近現代日本経済史要覧』(東京大学出版会、2007年)


 GDPの場合でもそうだが、デフレーターという指標が存在する。

 これは「名目÷実質」の計算を行い、1以上であれば物価の上昇、つまりインフレが起こっており、1未満であれば物価の下落、つまりデフレが起こっていることを示すものである。

 一つ一つの計算が面倒なので簡単に言ってしまえば「名目>実質」ならばインフレ、「名目<実質」ならばデフレということになる。

 名目の数値が実質よりも大きければインフレ、小さければデフレということである。


 上記の数値を見ると、日本では1937年の日中戦争勃発以降、年々物価の上昇が続いていたことが判る。

 1941年のデフレーターの数値は約2.12となり、日中戦争の長期化による極端なインフレが進んでいたということになる。

 戦争によって日本の国民生活がかなり圧迫されていたことが、数字の上からも判るのだ。


 一方、アメリカ側の数値がOECDによるドル換算かつ実質GDPだけになってしまうので単純な比較にはならないが、次のような数値になる。


1929年……8443億2000万ドル

1930年……7692億2000万ドル

1931年……7101億6000万ドル

1932年……6164億1000万ドル

1933年……6034億6000万ドル

1934年……6500億8000万ドル

1935年……6998億1000万ドル

1936年……7992億6000万ドル

1937年……8334億5000万ドル

1938年……8003億ドル

1939年……8640億1000万ドル

1940年……9308億3000万ドル

1941年……1兆1002億1000万ドル


出典:Angus Maddison, Monitoring the World Economy, 1820-1992, Development Centre of the Organisation for Economic Co-operation and Development, 1995.


 1930年代のアメリカのGDPは、OECDが1990年ドル基準購買力平均換算という計算方式で出しており、同じ基準でOECDが出している日本のGDPと比較すると、基本的に常に5倍以上の差があった。

 世界恐慌によりアメリカの実質GDPは35パーセントも下落したと言われているが、それでも日本が差を縮めることは出来なかったのである(OECD換算のGDPだとそうなっていないので、どのような基準でどの時期を比較して35パーセントなのかは不明)。


 そして第二次世界大戦期には、アメリカ1国で枢軸国全体(つまり、ブルガリアやハンガリーなども含む)のGDPを上回るほどの隔絶した国力差が生じていた。


 ちなみに、アメリカドル換算の現代のGDPランキングを比較しても、2021年段階でアメリカは日本の4倍以上の数値を誇っており、過去も現在も日米の国力差は解消していない(まあ、1980年代の一時期、2倍未満に迫ったことはあるが)。


  主要参考文献・論文

小野圭司『日本戦争経済史』(日本経済新聞出版、2021年)

関野満夫「第2次世界大戦期の戦争財政 ―米、英、独と日本の比較―」(『経済学論纂』第59巻第1・2号合併号、2018年)

深尾京司ほか編『岩波講座 日本経済の歴史4 近代2』(岩波書店、2017年)

堀一郎「第2次大戦期におけるアメリカ戦時生産の実態について」(1)(『経済学研究』第29巻第3号、1979年)

堀一郎「第2次大戦期におけるアメリカ戦時生産の実態について」(2)(『経済学研究』第30巻第2号、1980年)

三井啓策「旧海軍燃料廠におけるベルギウス法の研究と成果」(『燃料協会誌』第54巻第582号、1975年)

三輪宗弘「ドイツの石炭液化成功物語と海軍の技術選択の失敗」(『経済史研究』第12号、2009年)

J・B・コーヘン(大内兵衛訳)『戦時戦後の日本経済』上下(岩波書店、1950年)

アメリカ合衆国戦略爆撃調査団(正木千冬訳)『日本戦争経済の崩壊』(日本評論社、1950年)

 講和問題などを巡る日本の戦争指導体制の問題は、突き詰めれば明治憲法体制の欠陥にまで行き着きます。明治憲法体制を巡る問題については、またどこかで論じるつもりです。

 もちろん、東條英機を初め当時の日本の指導者たちが明確な戦争終結構想を描けないままに開戦を決意してしまったことにも問題がありますので、片方の歴史を改変すればそれで良いというものでもないでしょうが、少なくとも制度と指導者の双方に問題があるよりはマシでしょう。


 さて、今回からのテーマである歴史改変小説における日本の国力の底上げというのは、佐藤大輔先生の『レッドサンブラッククロス』などでも行われており、近年、Web上で発表されている歴史改変小説・架空戦記小説もこうした戦前期からの日本の国力底上げに取り組んでいる作品が見受けられます。

 その意味では、史実1942年から歴史改変を始めた拙作「蒼海決戦」シリーズと「暁のミッドウェー」は、物語の結末を構想するに当たっての限界があると言えます。

 私自身、結局はバットエンドに終わらざるを得ない物語を、どう少しでもマシなバッドエンドで終わらせるかという点に苦労しており、また史実の終戦過程を調べれば調べるほど気分が塞いでいくので、精神的にもかなり辛いものがあります。

 リアルでも満洲からの引き揚げ関係の史料調査に携わることもたびたびあり、そのあまりの悲惨さに二重の意味で苦しくなります。


 だからこそ、「戦国時代末期あたりから歴史改変を行ったらどうなったのか」という疑問を異世界和風ファンタジー戦記に落とし込んだ「秋津皇国興亡記」に逃げ込んでしまったといえます。

 とはいえ、その「秋津皇国興亡記」も結局は史実日本をモデルとしている以上、資料を収集する過程で大日本帝国への幻滅を感じるようなことがありますので、やはり完全な逃げにはなっていません。

 大日本帝国への哀惜と幻滅という複雑な感情は、未だ整理されることなく私の中にあります。

 それをどう歴史研究や創作への意欲に繋げていくかが、恐らく私の課題なのだと思います。

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