2 架空戦記に見る歴史のIFの選ばせ方
さて、こうして架空戦記小説という分野を見てみると、そこには二つの潮流があることが判る。
一つ目は、荒巻義雄先生の作品群に代表される「タイムスリップもの」。
二つ目は、佐藤大輔先生や横山信義先生の作品群に見られるようにタイムスリップなどのSF的要素の登場しない「同時代人もの」。
昨今のWeb小説における架空戦記でよく目にするのは、前者のタイムスリップものから派生したと思われる「逆行転生もの」である。
その意味では、架空戦記という分野における流行が一回りしてきたといえる。
タイムスリップもの、逆行転生ものの強みは、未来知識による破滅・悲劇の回避と時代を先取りした技術・兵器を登場させられることだろう。
もちろん、同時代人ものでも史実の人物たちの選択肢を変えれば実現可能な描写ではあるが、どう選択肢を変えさせるのかという部分での設定のしやすさはタイムスリップもの、逆行転生ものには敵わない。
私個人としては設定や史実の知識がしっかりとしていればどちらの分野でも楽しめるのだが、ここで問題とすべきは、いかにして史実では選べなかった歴史の可能性を大日本帝国に掴み取らせるか、という点である。
たとえ昨今流行りの逆行転生ものであっても、未来からやってきたその人物の知識を活かせるような環境が整っていなければ意味がない。
内容の是非は置いておくにしても、タイムスリップ系架空戦記の大作が荒巻義雄先生の『紺碧の艦隊』シリーズであること異論がある方は少ないのではないかと思う。
アニメ「ストライクウィッチーズ」やカルロ・ゼン先生の『幼女戦記』、安里アサト先生の『86-エイティシックス-』のようなライトノベル系戦記作品と違い、純粋な(?)架空戦記としてアニメ化、ゲーム化された作品など、このシリーズくらいなものであろう。
『紺碧の艦隊』シリーズでタイムスリップ(実態としては逆行転生と言った方が正しいのかもしれないが)した人物たちは、概ね、国家の枢要な地位を占めている。
だからこそ、大胆な歴史改変が可能となったといえる。
Web小説における逆行転生系架空戦記小説も、多くは逆行転生した先が非常に高い地位であることが多い。
もちろん、同時代人ものであれば、政策・作戦決定過程に関与出来る地位にある者たちが物語の中心的人物となるなど、どのような形式であっても歴史の可能性を選択させる以上、主要登場人物の地位は高くなければ物語を展開させることは出来ない。
その意味では、どちらの系統であっても物語の中心に据えるべき人物の地位は限られたものとなってしまわざるを得ないと言えよう。
もちろん、サラエボで運転手が道を間違えなかった、という国家の重鎮でない人間の些細な行動の違いによって、歴史の潮流を変えることは出来る。
しかし、それは偶然の産物とでもいうべきものであり、そうした要素も架空戦記小説には取り入れるべきだが、主要登場人物たちが苦心惨憺の末にある選択肢を選び取る、という展開に比べれば描写は軽く済んでしまうだろう。
そうした史実とのちょっとした違いを物語の中に入れるのは面白いが、そればかりでは架空戦記小説の醍醐味は味わえない。
その意味では、逆行転生ものの場合、主人公をどのような地位・環境にある人物に転生させるかという点は非常に重要になってくると考える。
また、それによってその作品に独自性を出すことが出来よう。
問題は、歴史改変を国家単位で行おうとすると様々な場所・分野に多大な影響が予想されることである。
私がこれまでに書いた架空戦記小説「蒼海決戦」シリーズと「暁のミッドウェー」は、どちらも太平洋戦争中の海戦の結果を改変したものだ。
それだけでも戦局全般に多大な影響が及び、史実から考えて妥当な落としどころを探るのが困難であるというのに、それを戦前期から国策単位で行おうとするともっと執筆は困難となる。
諸先生方には大変恐縮ではあるし、私自身もまだまだ未熟であるのでこのようなことを言うのは僭越ではあるのだが、私が読んで完成度が高いと思った架空戦記であっても、ある部分に関しては考察が足りていないのではないか、あるいはそもそも影響を無視しているのではないかと思われる箇所がある。
私はそうした部分まで描き切る自信がないからこそ、日本風の異世界で筆者の側が好き勝手に描写出来る「秋津皇国興亡記」という作品に逃げ込んでしまったのだと思う。
果敢に歴史のIFに挑戦されている諸先生方には、改めて敬意を表したいと思う。
それだけ、歴史のIFを選ばせ、それによる影響まで考察して物語に落とし込んでいくのは大変な作業なのだから。
子竜螢先生の『不沈戦艦紀伊』シリーズの後、私は田中光二先生や荒巻義雄先生、横山信義先生、三木原慧一先生などの諸先生方の作品を読みました。
高校時代には田中芳樹先生の『銀河英雄伝説』なども読みましたが、佐藤大輔先生の作品との出会いは意外と遅く、高校3年の3月、つまり受験が終わった後でした。
大学1年の時にはジャック・ヒギンズ氏の『鷲は舞い降りた』など海外の戦争冒険小説などとも出会い、楽しい読書生活を送った記憶があります。
一方、ライトノベルとの出会いは中学3年の時であり(架空戦記との出会いが先でラノベが後とか、順序が逆な気もいたしますが)、最初に読んだ作品は結城光流先生の『少年陰陽師』シリーズでした。その次が支倉凍砂先生の『狼と香辛料』で、和風ファンタジーとケモミミ少女好きとなった原因はこのあたりにあります。
日本をモデルとした異世界国家・秋津皇国を舞台とした拙作「秋津皇国興亡記」は、「あの無残な敗戦を経験しない大日本帝国の可能性」を異世界に仮託して探るとともに、私のそうしたライトノベルの嗜好が表れたものだと言えます。