百目、骸たちの中で魍魎どもに見える話
また噂をしている。
患者のCTとレントゲンのデータをドクターのデスクに提出した俺は、同僚の看護士たちがひそひそと面白半分に話す声を耳にする。
昼も過ぎる頃には外来の患者への診療がひと段落し、ほっと一息つくついでに無駄話も口から滑り出てくるもんだ。だが、その内容はちょいと陰気が過ぎる気がする。
幽霊が出るんだと。
俺の勤務する病院には霊安室がある。それも国内でも有数の受け入れ数を誇るちょいとばかし豪勢な代物だ。死体を保存するためのカプセルがざっと百床、生者の寝床を押し出しかねない有様だ。まあ、病院だって商売である。それが儲け頭ではあるならば当然といえば当然なんだが。
同僚たちが言うにはそこに一週間ほど前から幽霊のやつが住み着き始めたという話なのだ。
俺は耳ざとく話の次第を聞き集める。
聞くところによると、なんでも最近真夜中になると怪しげな物音が霊安室から聞こえる事があるのだとか。宿直の看護士が見回りに向かうと、きりりとか、かりりとか、まるでノコギリで骨でも擦り切っているかの様な音がどこからともなく漏れ出して、不審に思った宿直が霊安室をのぞきこむと不思議と音がぱったり止む。それで当然に誰もいない。だが、見回りを一回りして霊安室に近づくと、また音がする。そして、また霊安室の様子をうかがうとやっぱり誰もいない。
それでつまりこれは幽霊の仕業なのだという事になる。なぜかって、夜勤の仕事もあって忙しいからだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花なんて言うけれど、誰しもが間近によって枯れ尾花を確かめられるわけではない。不思議がそこにあろうとも、みんな自分の用事に忙しいのだ。脇目を振って生きていられるやつはそんなにいない。真実を探求する術を持つわけでもない。そんな時に便利な代物がある。妖の類である。
妖というものは便利なものなのだ。現象に対する認識への待ち針の様なものとして使われるのである。
別に小難しい話じゃない。オカルトでもない。もし仮に雨が降ったとする。そして、仮に俺が雨降りの中に立っていて、びしょ濡れになりながらなぜ雨なんて降るのだろうと疑問に思ったとする。現代においては気圧だの何だのといった科学によってメカニズムが解明されている。真実となる答えがある。だが、俺がそのような科学的な探求の以前の時代に生きていたとするならばどうだろう。答えはどこにもない、でも人間腑に落ちない事があると嫌なもんだから、何かしら納得できる答えは必要だ。そんな時に、一応の答えを用意してくれる概念があるのだ。そう、それが妖なのである。つまり、雨が降るのは、天候を司る神だの妖怪だのが何かやらかしているのだと解釈すれば一応の納得が得られるわけである。いつか人の叡智があまねく世を照らすまで、でもそこに至るまでに空白は確かにある。だから、そんな空白を埋めてくれるのが妖たちというわけなのだ。妖たちは人に目の前の現実に対する「とりあえず」を与えてくれるってわけなのだ。
つまり、妖ってやつは森羅万象の事ごととあくまで認識しうる限りによって構築されたものでしかない人の内的な世界観のずれを橋渡しする文化のような側面があるというわけである。なんてちょいと背伸びして賢ぶってみているが許しておくれ。格好つけてみたくなる事ってあるだろ。
なぜ、こんな一家言があるかというと、俺はこういう怪談がニワカながらに好きだからである。それのついでに仕入れた人の受け売りだって多分にあるが。
同僚たちの話を要約しよう。夜中に霊安室で物音がして何かが行われているようだ。でも、原因は分からないし、調べようもない。だから後の諸々は幽霊殿の仕業で穴埋めって話なわけだ。
怪談話が興に乗ってきた頃合いで、ドクターがやって来てくだらない話に興じている看護士たちに何かと用事を課す。看護士たちは蜘蛛の子散らすように方々に歩いて行ってこの話はこれでおしまいだ。怪談話の舞台に病院が選ばれる事は多いが、ドクターたちからすればいい気分などしないだろう。それはつまり誠心誠意治療にあたった患者たちが化けて出てるって事である。身を粉にして働いたのに恨み事なんか残していられちゃあたまったもんじゃない。
俺もその場を離れようとしたが婦長に呼び止められる。そして、宿直室の鍵を渡される。うっかりとしていたが宿直の当番だったのだ。泊まり込みはキツいなあと思う反面、少し期待感のような感情が胸の内にありもした。怪談話の幽霊に会えるかもしれないなんて思えたからだ。
夜、ナースステーションで患者のバイタルデータなどを一覧してから見回りに出かける。容態の変化を知らせる生体情報はベッドに取り付けられた計測器からリアルタイムに送られ続け、医局の端末に統合されて常に確認できるようになっている。じゃあ、見回りなんか必要ないようにも思えるが、そのようなデータの変化に現れない変化も目で見て確かめよという名目で、この古臭い習慣は今の世になっても続いていた。様々なものが数値化されデータとして集積されるようになったとしても、感性というものへの信頼は案外揺らがないものなのだろう。
廊下は静まり返っている。眠りは肉体の養生であると同時に、病による生苦からの一時的な解放である。ゆえに夜の病院の静けさというやつは楽観的な無である。それに寝付けずに騒ぐ患者の相手なんか面倒臭くって仕方ない。
俺は目玉の暗視機能を起動させ、病室を一つ一つのぞき込んでそこに異常がないかを確かめる。
特になし。目を留める事がないのはいい事だ。
それから俺は院内をいつものように見て回る。異常はない。実に望ましい。
さて、生ける者を一通り確認した俺は、別の我が病院のお客様の元へと向かう。たどり着いたのは霊安室である。扉を開けると霊安室の中はひんやりとしている。そして、がらんと広い空間の中にたくさんの保存用カプセルが整然と並んでいる。ベッドの数は百床を超える。医は仁術という倫理ゆえに声高に言いづらい呼び方だが、このずらりと並んだカプセルたちは我が病院の主力事業の一つである。
ここにある遺体たちは彼らの体内に収まった相続財産の摘出、もしくはそのための解体を待つ遺体たちである。
ちょいと長い話になるが付き合って欲しい。
大昔に高齢者の入れ歯がわりから普及し始めたインプラントは現在ではごく一般的な代物となっている。というよりも、もう既にちょっと古臭い時代遅れの代物ぐらいの立ち位置に収まってすらいる。用途は様々あるもののチップの埋め込みぐらい子どもでもやっているぐらいだ。
だが、人は誰しも天命に従いて死を賜るものである。そして、厳かなる死の後に、生者たちは死という出来事の後始末をするものだ。身もふたもないほどに実に俗々しくである。
インプラントが相続財産の内に含まれる事が最高裁判例として確認されたのは、その実用が本格化してから十年ほど経ってからである。それまではインプラントは遺体の一部として相続財産には含まれなかった。なぜなら、当初のインプラントは前述した入れ歯や心臓のペースメーカーのように人体の機能補助を目的としたものから始まった事もあり、遺体の一部と見る考え方が一般的であったからだ。
だが、インプラント技術が発展するにつれてその用途は、じょじょに人体の機能補助から機能拡張へと概念を広げていく事になった。免許証や保険証なんかの代わりになる各種個人情報の保存や認証なんかの統合処理であったり、買い物した際のクレジットカード代わりになる決済処理などに使える情報端末機能や、スマホよりもさらに携行性の高い通信機器であったり、そんな様々な機能を組み込んだインプラントが一般化し始めたのだ。
その後もインプラントは普及を続け、初めは人と道具の一元化というべきか、単なる物ぐさの極地かはっきりしないような代物だったのが、その内に資産として扱わなければ色々とまずい事になるような状況になったわけである。困った事に遺体の一部として荼毘にふしてしまえなんて言えない代物になってしまったのだ。
では、どのように扱うか。
当初、相続における遺体の所有権についての裁判例にならうという説があった。相続の際、元々の民法の規定においては被相続人の遺体の所有権が誰に帰属されるのかについての規定がない。そのため、裁判例において、遺体は民法八百九十七条に規定される祭具に準ずる物として扱われ、同二項の定めを準用し、祭祀を主催すべき者に承継されるという判断が下され、現在でもこれに基づいた法運用がなされている。このような遺体の所有権について処理を準用しようという事になったのだ。
だが、これでは困った事になる。なぜならば、相続財産に含まれないからだ。実質資産と呼ぶべきものであるのに、財産分与に関する法律の定めが適用されないのである。どういう事かというと、祭祀権者(葬式の喪主の事だ)が総取りしてしまえる事になるわけである。これでは相続人の間で不平等が生まれてしまうし、それどころか祭祀権者の地位が紛争の火種にもなりかねない。
ところが、考えがまとまらなくっても揉め事は待っちゃくれない。インプラントの遺産相続に関する係争はあっちこっちで起きていた。
そこで、困り果てた司法はインプラントを相続財産に含まれるという裁判例を出した。その理屈を大雑把に要約すると、インプラントは人体の一部になる物ではあるものの、生体活動を終え肉体から分離しても機能し、摘出も可能な物であるから遺体の一部と見なさずに相続財産に含めるべきというものだった。
こうして、インプラントは相続財産として利用者の死後取り出されて財産分与される事が一般的になったわけであるが、これまた実に俗な話が顔を出す。で、誰がそれをやんの?、って問題が出てくるわけである。
釣った魚じゃあるまいし、台所で腕まくって出刃包丁で・・・、とはいかないわけである。また、刑法百九十条において、死体を損壊させる行為は刑事罰の対象にもなりうる。
と、いうわけで専門家の出番というわけなのだ。こうして、遺体に埋め込まれたインプラントの摘出は今では生者への救命活動とともに病院の主たる事業の一つになっているというわけだ。
あと、ちょいと横道な話だが、霊安室の遺体保存機能がえらく充実しているのにも理由がある。
古今東西を問わず相続にまつわる財産分与というやつは、これがまた揉める。はたから眺めていてもうんざりするほどに揉める。それで、そうやって揉めている間、財産はどうなるかというと棚上げになってしまうのだ。遺体の扱いが棚上げになるとどうなるかというと、家庭裁判所による保全処分によって遺体を現状で留め置くよう命じられるのである。なまじ取り出してしまうと無断で持ち出されたり散逸するおそれがある為、いっそ遺体の中で一まとめにしておく方が安全だというわけだ。遺体はインプラントの摘出の順番待ちの間病院に留め置かれるため、いっそそのままにしてしまえというわけである。
そんなわけで、インプラントの摘出事業が始まった頃には、引き取り手の都合によって遺体がいつまでも病院の霊安室に留められて、しまいにはミイラ化してしまうなんて笑えない話もあったりした。そして、そのような一般的な事情をかんがみて、長期間遺体を保存できる機能のある霊安室をあっちこっちの病院がビジネスのウリとして売り込み始めたのは、割と当然の帰結というわけなのである。
昔には、四十九日を死者を葬送する上での一つの区切りとする文化があったそうだ。だが、現在は死者の晩葬化は悪化の一途を辿っている。文化とそれにまつわる人の心の在り方の死というものは、こういう風にして訪れるものなのかもしれない。
まあ、長々と俺の生きる現代について語ったが全ては受け売りの話だ。俺の頭骨の補助頭脳がウェブやら何やらから引っ張って来た情報を統合し、俺の思考としてフィードバックしているだけなわけさ。俺自身は頭空っぽに生きているんだがね、思う我は勝手に働いて物知り顔して語りたがるのさ。
ふと、俺の耳は妙な音を拾い上げる。
からり、きりり。からり、きりり。
そんな音だ。暗い廊下のかすかな音だった。
俺は辺りを見回して音の出所を探す。ああ、やはり。
俺は音の出所を見つける。それは霊安室だった。
かすかな興奮が俺の胸に浮かんでいた。少しずつ、少しずつ、人の身近な場所から消えていった不思議な何かがそこにあるのだ。機能を詰め込みすぎて、もう見落とす事も見間違える事も難しくなっちまった俺の目玉には、その現象はどう映るのかとたまらなくワクワクする。
霊安室のロックを開け扉を開く。だが、音は止んでいた。照明を点け、だだっ広い霊安室を見渡す。だが、何もない。
そう、こうだ。こうでなくては。幽霊ってのはこうでなくちゃあ。何か不思議の跡は残すけれど、見つけようとしてもどこにもない。いいじゃないか、実に幽霊だ。
俺は霊安室の隅から隅まで異常を探す。遺体の管理は仕事でもあるのだが、大の大人が必死になってそれでも謎と不思議を残さなければ、ぞっとする事もないからだ。ぞっとしなけりゃ幽霊としちゃ拍子抜けだ。
整然と並ぶ保存用カプセルの間を謎かけを与えられた子どものような気持ちで練り歩いていた俺はカプセルの一つで眠る「ミスター」に会う。
こんばんは、ミスター。そんな風にミスターに敬意を込めたあいさつをするが「ミスター」は一言も返さない。当然だ、「ミスター」は死体であるからだ。
「ミスター」は生者も死者も問わず、我が病院きってのVIPであり、この霊安室の主人足りうると俺が勝手に祭り上げているお方だ。霊安室の見回りの際に「ミスター」に一言あいさつをして礼を示すのが、退屈な見回りに変化を求める俺が自らに勝手に課した習慣であった。
「ミスター」という人を一言で表すならば、金持ちだ。だが、金持ちと言っても色々ある。「ミスター」はそのうちでも、すごい金持ちとか、とんでもない金持ちとか言われる人だ。
「ミスター」はある企業グループの会長をしていた。こういうふわっとした言い方になるのは、その企業グループが大きすぎて、手を出している事業があまりにも多すぎる上に、その事業もそれぞれが業界では大手の部類に数えられるため、もう何が本業なのかはた目には分からなくなっているからである。グループを総計した総資産は少なくともざっと百二十兆円ほどであり、それを統括する創業者一族の当主と言うと少しイメージはしやすいだろうか。
病院というものは人の出入りが多いものだが、恐らくは我が病院が受け入れた患者の中でも彼ほどの金持ちはいなかったであろうというほどのお人だ。ゆえに、我々看護士にも「ミスター」とその関係者に対して、特段の配慮を心がけできる限りのご無礼無きようにと院長から直接お達しが届くほどであった。儲けるにはご贔屓は大事にしなければならないものだ。
ただの金持ちというだけで「ミスター」がこの霊安室の主人足り得るかというとそうでもない。だが、「ミスター」にはそのような有象無象を寄せ付けない点があった。「ミスター」は尊敬されたのだ。尊敬される金持ちだった。
生前の「ミスター」の顔はニュースなどのメディアに度々登場した。その冠にはビジネスリーダーだとかオピニオンリーダーだとかの口上がくっ付いていて、彼のちょっとした言葉の端はしすらもメディアで加速し野を超え海超え巷を走るほどの影響力があった。有名なポップアートのパロディとして、色調を変えた彼の顔をいくつも並べるアートが作られるほどで、まさにビジネスマンのアイコンであり、時代のアイコンでもある、そんな人だったのだ。
そして、「ミスター」が霊安室の主人足る理由その三、「ミスター」はこの霊安室で屈指の古株であるのだ。
「ミスター」がこの霊安室の中で眠り始めてどれだけ経つだろうか、ざっと三年といったところだったか。その間、「ミスター」は新入り達が入っては出てを繰り返す様を物言わぬ心で見送り続けた。先人の威厳とそれへの敬意というやつだ。その冷たくなった体には、ぽっと出の新入りには宿らない哀愁のようなものが帯びているように、俺の目玉に感じさせるわけである。
さて、「ミスター」の遺体がこうまで長く手付かずになった理由、それは実に単純だ。相続で揉めたのである。
妻子もいて順風満帆な人生を送ったであろう「ミスター」であったが、英雄色を好むと言うべきか、人生の贅肉と言うべきか、その晩年近くに若い愛人に入れあげてしまった。当然の事だが、周囲の人間は遺産目当てのロクでもない輩だと忠告したのだが、喝采と注目を浴びる事に慣れきってしまった「ミスター」には、一線を退いた隠居暮らしの寂しさはさぞかしこたえたのだろう。「ミスター」はその若い愛人にどんどんとのめり込んでいった。
そして、「ミスター」は天寿を迎える。彼自身の人生は十分に幸せに満ちたものだったのだろう。事実この霊安室で眠る彼の顔はずいぶんと朗らかなものだ。でも、問題はその後だ。
「ミスター」の遺産分割協議に際して、ある事実が関係者一同に明らかになる。なに、よくある話さ。
死期を悟った「ミスター」は遺言書を密かにしたためていたらしく、その内容は葬儀に参加した人々の前で遺言の執行を任された弁護士によって読み上げられた。その遺言書に書かれていた内容は生前世話になった人々への感謝の言葉や家族の前途を願う言葉だったりで、まあ赤の他人ゆえの情の通わぬ言い方をさせてもらえば有り体な代物だったのだとか。だが、そのような遺言の末尾にとんだ爆弾が仕掛けられていたのさ。
それは遺産分割において、件の若い愛人に妻と同じ相続分を与えよという文言だった。
考えてみても欲しい。亡き夫あるいは父親の不貞を仕方がないなあと笑って許してやれるのはどの程度の金銭的規模までだろうか。十万円ならどうだろう。百万円なら?。一千万、いや一億は?。十億、百億、一千億ならどうなると思う。誰だって柔和な顔が羅刹に変わる、だって俺たちゃ仏じゃないもの。かくして、泥沼の係争が始まったわけである。
さて、この相続争いにおいてに一つの相続財産が焦点になった。それは「ミスター」の遺体である。正確に言えば、遺体に埋め込まれたインプラントである。
「ミスター」は生前こっそりといくらかの個人的な資産を溜め込んでいた。他人名義であったりペーパーカンパニー名義なんかに偽装された、銀行預金、株券など各種有価証券、債権に不動産の権利証などなどである。いわゆるへそくりである。それがどのような目的に使われるのかは当人が亡き今誰にも分からない、いや補助脳に残った記憶のログを辿れば分かるのかもしれないが、そいつも今はこの霊安室の中に納めらている。で、この「ミスター」の隠し資産なのだが、あくまで個人的な用途に使うつもりだったのか、インプラントに搭載された本人認証プロトコルを経なければ一切の処分ができないよう特殊な契約になっていた。小難しい様に見えて理屈はよくあるアレである。相続の際に銀行に行くと言われるだろう、通帳と印鑑持ってきて下さいねというやつだ。
また、「ミスター」の体内に残された資産はこれだけではない。いやむしろ、金や物なんかよりこっちの方が本懐と言えるだろうな。それは「ミスター」の補助脳である。
ことこの手の金持ちの相続においてよくある話。後継者が先代に比べて見劣りするために稼業が傾くって事がある。そのため、ひとかどのビジネスパーソンたちの間で補助脳を埋め込みこれに思考や知識やノウハウを学習させることにより、補助脳の引き継ぎによって事業の継続に支障が出ないようにするって事が一般的になっていた。
金や物は使ってしまえばそれまでだ。だが、「ミスター」たち先人が築き上げた金を生む仕組みはそうではない。将来に渡る繁栄が約束されるのだ。見方を変えれば、それが散逸してしまう事になればあっという間に先祖代々築き上げて来た稼業が失われるなんて事にもなりかねない。機密情報だって山ほど詰まっている。つまり、補助脳はただの資産というべきものでもなく、古来の玉璽あるいは三種の神器と同じく正当な後継たる地位の内外への証明を兼ねるわけである。
愛人側は当然にこれらの「ミスター」の遺体に埋蔵された資産への財産分与を請求した。特に補助脳は物が物だけにかなりふっかけたらしい。だが、親族側はそれを拒否した。もはや、一銭も渡すまいという構えである。そして、どちらが訴え出たのか分からないが、裁判所の仲裁手続きに合わせて「ミスター」の遺体は当病院にて保全処分を請け保存されるという運びになったわけである。
そして、三年が経った。だが、疑問にも思うだろう?裁判所の裁決に三年もかかるのかという事だ。インプラントは相続財産に含まれるのだから、財産分与してしまうしかないだろうと思うだろう。ところがどっこいというやつさ、こうして親族側が一歩も引かずに争えた事にも理由があったのである。先に結論だけ述べておくと、親族側は祭祀権者の地位に基づき、「ミスター」の体内にある全てのインプラントの所有権は祭祀権者である親族側にあると主張したのだ。
訳わかんないだろ?つまり、前置きが必要ってわけだ。
まず語らねばならぬ事、それはインプラント技術の発展である。技術ってのは日進月歩変わって行くもんさ。それによってインプラントは先の裁判例で想定されていた代物とはちょいと様変わりしてしまっていたのである。
どれだけ技術が進歩しても、機械というやつには変わらない道理ってもんがある。性能とサイズは比例するという事だ。
インプラントが普及するにつれて、そこに求められる性能はどんどんと高まって来る。需要があるなら応えましょうというのが世の常であるので、インプラントの性能向上はどんどんと進んだが、そこで一つの壁にぶち当たる。求められる性能が薄皮一枚下に仕込めるような薄型チップごときには手に負えなくなり始めたのだ。小型化の限界に行き着いたのである。
じゃあ、インプラントを大きくすればいいじゃないかとなるのかもしれないが、受精卵から胚へと変わりやがて胎児に至る人の発生の過程ってやつには基本的に遊びがない。生きるに利く形へとまっすぐで、インプラントを埋め込むのに適当な意味のない空洞なんて作りやしない。仮に無理矢理デカブツを埋め込んだにしても、抗体反応や心理的な違和感など肉体との干渉によって発生するもろもろの現象へのケアも必要になる。
そこで我らが文明ってやつはどうやってインプラントを積載するための空間をひねり出したのかというと、それは肉体の換装と呼べるものだった。フィクションでよくあったろう、簡便なサイボーグ化ってやつさ。
理屈は単純。無駄な空間が肉体に無いのなら、既に肉体を占めている器官と取り替えればいいのだ。生体活動においてその器官が担っている役割を作り物がこなせるのなら、後は好きなように余剰機能を付け加えてしまえという事さ。つまり、我らが現代において、人は後頭部で飯を食い、手の平で物を見て、骨で思考をしたっていい。俺たちはそんな自由がまかり通る時代に生きている。
先に話した「ミスター」の補助脳、こいつがどんな形をしているのかは俺は知らない。だが、おおかた頭骨あたりを換装しているのかもしれないね。なんせ「ミスター」は金持ちだ、体をいじる金ならいくらでもある。体の何割ほど生来の代物が残っているのか俺にも分からねえ。だが、体のあっちこっちが商標付きの特注品だって事は調べなくっても分かる。
さて、前置きはこれぐらいにしよう。先に述べたインプラントが遺体でなく相続財産に含まれるとした理由を改めて思い出して欲しい。確かこうだったかな、補助脳殿に聞いてみよう。インプラントは人体の一部になる物ではあるものの、生体活動を終え肉体から分離しても機能し、摘出も可能な物であるから遺体の一部と見なさずに相続財産に含めるべき。そうそうそんな感じだ。
これをセミサイボーグとも言える換装型インプラントに当てはめるとどうなるか。ちょいと事情が変わって来る。
まず、換装型インプラントは生体活動を終えると機能しない。肉体から分離しても同様だ。これは換装型インプラントがA T Pエネルギーなんかの体組織の活動や維持のための栄養で動くようになっているからだ。
次に、摘出も可能なものであるかどうかだ。確かに可能といえば可能である。ただそうなると、取り出された人体は文字通りに骨抜きや腑抜けになってしまうのだ。取り出すにしても死後に限られる上に、摘出後の遺体は身体の完全性を損なわれることになる。当然に、これはさすがに遺体の一部と見なすべきではないかという理屈は出て来るもんだ。
つまり、このようにして換装型インプラントを遺体の一部と見なすべき理屈が立つ訳である。そして、遺体であるならば、その所有権は祭祀権者に委ねられるというのが通例ではないのかとなる訳である。
まあ、そんな訳でお互いが自己の正論を持って、揉めに揉めて三年である。
この問題は国会でも話し合われたらしいが、法論理だの倫理だのにみんな好き勝手に意見するのに振り回されて、未だに明快な結論は出ていない。さしもの法の起草者たちも祖先の身体観ともいうべきものがこうまでゲテモノになっているとは想定してはいないだろうさ。
だが、メディアの報道によるとそろそろ判決が出るらしい。不満や怒りが尽きぬとも、揉め事はこれで一段落である。どちらが勝つのかは知ったことではないが、そうなればとりあえずはこの「ミスター」にもどこか行くあてができるだろう。引き取りに誰が現れるかはさておいて晴れて退院の運びとなるであろうさ。そしてその時に現れるのは得る者か失う者か、施術によって最後の資産を抜き取られた後の「ミスター」を顧みてくれるその人は、さてどちらなんだろうね。
カプセルの中の「ミスター」を眺めていた俺はわずかな違和感を覚える。
目玉が不審を感じるのである。なぜだろう、カプセルの中の「ミスター」が少し温かいように見える。カプセルのハッチ越しに見えるのは遺体を確かめるための顔ぐらいで、他は光の遮断も兼ねて見えないようになっているが、首を横断するように一筋ほんのりと熱のある部分があるようだ。それにどことなくカプセル内の温度が高いようにも見える。
俺はカプセルに触れて他にも異常がないのか確かめる。こじ開けられたような形跡はなく、外侮には目立つ異常は見当たらない。カプセルを開けて調べてみたかったが、それは俺の権限だけではできないようになっている。ドクターたちの立会いも必要であるし、保全処分をした家庭裁判所からの執行官の立会いだって必要だ。つまり、看護士の俺にできる事は見る事だけなのである。
とりあえずドクターに一報を入れる事にしたが、ドクターは通信に応えない。仮眠中なのかもしれない。ログに言伝だけはしておく、仕事をした証は残しておかなくっちゃあ後々大事になったら面倒だ。
仕方がないので、俺は「ミスター」のカプセルを離れる事にする。
で、また妙な物を見つける。パンくずが落ちている。なぜだ。
誰かこんなところで飯を食った奴がいるのだろうか。確かに霊安室は年中寒いくらいに空調が利いていて季節によっちゃあ過ごし易い。遺体も保存用カプセルで密閉されているので腐敗も進行せず特有の死臭というものも臭う事はない。昔には屋上飯や便所飯なんて言葉もあったようで、食事をパーソナルな空間でしたいと思う事はままある事らしい。だが、霊安室である。周りは死人だらけである。遺体によってはきれいに死ねなかったりもする訳で、そんな遺体はエンバーミングもなされていない無修正である。食事が進む場所というにはどうにも辛い。
病院の人間ではない。別に規則で定められている訳ではないが、ごく常識的な話として食べ残しには虫が湧く事だってあるのだから霊安室で食事はしない。遺体の保管は病院の業務であり、ここは仕事場である。
入院患者や来院者の可能性もない。霊安室の扉にはロックがかけてある。遺体の盗難を防ぐためのセキュリティだってしてある。うっかり鍵を閉め忘れたところに誰かが迷い込んだとしても、何かあれば警備員がすっ飛んで来るはずなのだ。
俺は補助脳から警備室の監視カメラの映像記録にアクセスする。何にせよ考える必要はない、見れば済む話である。
ところがである、監視カメラのデータへのアクセスができない。どういうこった。
俺は自分の頭をコツコツ叩く。ガタきてんのかこいつ。いや、自分の頭のもろもろがハイエンドではない事は重々わかっちゃいるけどさ。
しょうがないので俺はパンくずの画像を撮ってこれもドクターに報告する。それから、手ずからに一つ一つパンくずを拾う。夜中に掃除機は使えないのでしょうがない。
そして、グリム童話の登場人物のようにポツポツ落ちていたパンくずを拾っていた俺はこれまた妙な物を見つける。
それは保存用カプセルに入った遺体だ。もちろん、ただの遺体なのだが、妙というのは見慣れない事だった。こんな奴いたっけか。それに妙に思える事がもう一つ。やけに色艶が良いように見えるのだ。俺は覆いかぶさるように保存用カプセルのハッチに手をついて、肉を貪る獣のようにハッチに頬ずりするかのように顔を近づけて遺体を見る。きれいな遺体だ。目をぱちりと開ければそのまま動き出しかねないほどだ。まるでまだ息があるかのようにも見える。
俺はカルテのデータにアクセスする。遺体の名前は山田太郎。年齢は三十二歳、一週間ほど前に急性の心筋梗塞で亡くなりこの霊安室に入院したようだ。カルテのデータを隅々まで見たが特におかしいところはなく、ちゃんとドクターによるデータの認証もされている。つまり、この遺体は当院にてきちんと死んだという証明がされている。されているのだが、何かが変だ。
そう、変といえばこの遺体のカプセルもなぜか妙に温かい。カプセルの温度設定は規定値になっているのだが、俺の目玉にはどうにも規定値よりも温度が高いように見えるのだ。さっきから目玉の調子がどうにもおかしい。
しばらく山田の遺体と一方的ににらめっこしていた俺であったが、あきらめてカプセルから離れる。結局は俺にできる事など見る事だけなのだから、ここでできる事など無駄に時間を潰すことしかないのだ。
俺は霊安室をロックしてナースステーションへ帰る。
ため息が出てくる。一つは、幽霊を見てみたかったがダメだったという事への落胆の意味合いで、もう一つは、目玉のメンテナンスにかかる出費を予想して出たため息だった。
夜は深まる。時計は二度目の見回りの時間を示している。さて、行くかと立ち上がりかけた俺はドクターからのメッセージが補助脳の記憶に届いている事に気がつく。
余計な詮索はせぬように。詳細は後日担当者より説明がある故に、その時に。
それだけだった。
どういうこった、さっぱり分からねえ。
俺は首をかしげながら院内の見回りを行う。暗視機能で見える患者たちの表情は平穏で、見回りはつつがなく進む。これならば、何事もなく夜を明かす事もできるだろう。
そして、また音を聞く。
からり、きりり。からり、きりり。
かすかな音だ。その音はやっぱり霊安室の方から聞こえてくる。
からり、きりり。からり、きりり。
今度は逃すまい。俺は足音を潜め、ゆっくりと霊安室の扉へと近づく。
からり、きりり。からり、きりり。
ゆっくりと、静かに。霊安室の扉のノブに手をかける。
からり、きりり。からり、きりり。
ぼとん。
ぼとん?そう思ったその時に、霊安室の扉が内側から勢いよく開いて飛び出してきた何かに俺は突き飛ばされる。
俺を突き飛ばした何かはよろめいて床に片膝をつく。そいつの顔を俺は知っていた。
山田だ。山田じゃないか。何で死んでないんだ山田。
それよりも、俺は山田が脇に抱えている物に目が行く。「ミスター」だ。切断されて首だけになった「ミスター」の頭部がそこにあった。合金製の頚椎の切断面がわずかな夜光に照らされてぬるついたテカりを帯びている。
山田は立ち上がりざま突き飛ばされて尻餅ついた俺のみぞおちに腰のひねりの効いた蹴りをぶち込んでから、きびすを返して駆けて行く。当座の追跡をさせないように潰しておくのだ。慣れている。山田の奴こういう事に慣れている。
その割に、「ミスター」の頭部の切断に使った丸ノコは放り出してあるのでうかつな山田だとも思う。だが、そのうかつさに協力して痕迹をもみ消してくれる誰かがいる事を、ゲロ吐きながら想起させられる。
分かった。何となくだが分かったぞ。何が分かったって、幽霊の正体だ。
幽霊は山田である。うん、まあそれは見たので分かる。そうじゃなくって、幽霊として噂されていた音の正体だ。山田の奴、生きたまま霊安室に潜り込んで「ミスター」の頭部を持ち去ろうとした。おそらくそこに補助脳があるのだろう。だが、「ミスター」の骨格は大幅な換装にも耐えられるように強化でもされていたのだろう。簡単に切断できるもんでもない。そんなわけで山田の地道な作業が始まり、それが発する音が幽霊の仕業と解釈された訳なのだ。あるいは、事情を通じたドクターたちのそれとない誘導があったのかもしれない。誰に頼まれたって、そりゃ「ミスター」をめぐる裁判で旗色の悪い方に決まっている。
骸の生首を抱えて走る山田の背中に、俺はイメージと現実が重なる瞬間の独特な興奮を覚える。
見たぞ!見てやった!俺は見た!
俺の目玉が、身体中に付け加えた様々な目玉が俺の高ぶりに感応して、一斉に起動する。光学、温感、電磁波、放射線、電子、人が世界の万象を見るために科学を駆使して作り出したたくさんの目玉が、興奮し、いきり立って、その眼をギラギラとたぎらせる。
山田は「ミスター」の頭を持ち帰って何をするつもりか。そんなの決まっている。
貪るのだ。
資産であれ、情報であれ、何であれだ。貪り尽くすのだ。死したる骸を貪るのだ。どいつもこいつも群がって、骸の頭にしゃぶり付くのだ。
そんな妖怪いただろう。一筆絵にもされてたはずだ。死人を貪る妖怪さ。死人の頭にかぶりつくそんな妖怪さ。
何だっけ、そう、何だっけ。そいつの名前は何だっけ。
「魍魎だ!」
俺は叫んでいた。助けを呼ぶためでなく自分自身に確認するために叫んでいた。体のあちこちを換装した目玉はくわりと闇に見開いていた。
化け物見たり!
まあ、俺も他人の事は言えないんだけどさ。