起床点滴
暗いエッセイですが、やがて私に訪れることでしょう。
そう、遠くない未来に……
カーテンから差し込む陽の光に当てられ、私は目覚める。
白い枕に頭を預けたまま、顔を横に向ける。
良い天気だ。
窓から見えるわずかな景色の他は、私の視界に写るものといえば白い壁と白い天井。
それと私のベッドの横にある吊り下げられた点滴。
それが今の私の全てだ。
「点滴お替えしますね〜」
若い看護師が私に向けて笑顔でそう言う。
私は出来る限りの笑顔で答える。
(ありがとう)
言葉には出さない。
まだ、声を出す事は出来るのだが、それがおっくうになるほど私の身体は弱ってしまっている。
テキパキと動く看護師を横目に、私は私を思い浮かべる。
私は昔、建設業のとある企業に勤めていた。
そこで四十年以上働いたのだ。
若い頃は西へ東へと全国を飛び回り。
朝早くから夜遅くまで、毎日汗をかいたものだ。
口やかましい上司と気の良い仲間、私を慕ってくれる部下の中で、それなりの地位にもつく事が出来た。
(社畜か……)
働いている時は考えもしなかった。
そのような言葉が耳に入ったとしても「仕事に対しての覚悟が足りない奴の戯言」と心の中で切り捨てていた。
私は仕事に誇りをもって生きてきたつもりだ。
だが……
(私は何ものであったのだろう)
会社に、社会に貢献してきた。
それは間違いない。
会社から表彰を受けた事もある。
しかし、この病床の上で思い浮かべるものでは。
子供の頃、運動会でもらった画用紙で書かれた表彰状の方が輝かしい。
私は歯車だったのだ。
会社にとっては無くてはならぬ、一つの重要な歯車。
いや、違う。
取り替えのきく、一つの重要な歯車に過ぎない。
そして、社会においては取れて壊れても、何ら問題のない小さな部品の一つ。
それが、私なのだ……
(私は「人」として生きたのだろうか)
朝、早くから起き、 朝食はコンビニで済ませ。
仕事場に着くと汗水流して働き。
昼は仕出しの弁当で済ませ。
疲れた体で帰りにビールとツマミを買って帰り。
洗濯機を回しながら、いつの間にか寝ていた。
そんな生活を何十年と続けてきた。
会社を退職し、第二の人生を歩もうとした矢先に私は病に倒れた。
そして私は今、ここにいる。
(私は意思を持って生きたと言えるだろうか)
そんな事を何回、何十回と繰り返し、繰り返し考えている。
「それじゃあ、何かあったらお呼びくださいね」
看護師は笑顔を向けて病室を出て行く。
私はかろうじて動く右手を上げ、彼女に感謝を送った。
ポタポタと落ちる点滴の滴。
同じ量、同じタイミング、同じ速度でそれは動いている。
そこに意思はあるのだろうか……
あるはずが無い、私は「人間」なのだ。
私は震える手を伸ばす。
上半身はほとんど動かない。
伸ばせるだけ手を伸ばしても、あと数センチが届かない。
泣きたくなる。
私は「人間」なのだ「意思」を持った「人間」なのだ。
だが、このわずかな時間で腕に痺れが走る。
もう、力が入らない。
壊れたおもちゃのように落ちる自分の腕。
(情けない)
自分の無力さに憤りを感じる。
だがそれ以上に情けなさに打ちのめされる。
私は年甲斐も無く涙を浮かべた。
ベッドからダラリと落ちた自分の腕の感覚が戻りつつあるとき、私は指先に何かが触れた感触に気付く。
点滴のコードだ。
私の指先は掴むことさえ出来ない。
だが腕はまだ動く。
私は腕の力を振り絞り、一回、また一回と手首に巻きつけていく。
腕に力をかけすぎた、視界が霞んで見える。
私の腕に巻きつかれた点滴のコードがようやく見えた時、不意に妻の姿が脳裏をよぎる。
妻は結婚したての、若かりし笑顔で微笑んで……いた。
腕が痺れる…… もう限界だ。
私は腕の力を抜く。
霞む視界に、点滴を吊り下げる器具が倒れていく。
カシャンとした音と共に私は目を閉じた。
(これで…… 私は…… )
耳に小さな金属音が入ってくる……
(私は…… 生きているのか…… )
ゆっくりと目蓋を開くと、霞んだ視界の中、いつもの位置に点滴がぶら下がっている。
そして、その横に若い看護師の姿。
「あっ起きました〜」
私は腕を上げようとすると、何かに引っ張られて動かせない。
手に手袋をはめられ、ベッドの柵に紐で固定されているらしい。
(…… ァ)
声を出そうにも、その声が出ない。
「もう〜、ビックリしましたよ。今度から気を付けてくださいね」
霞む視界の中で看護師は言った。
顔が見えない。
のっぺら坊のような化け物のような感じしかしない。
(…… ァッ)
「それじゃあ、失礼しますね〜。後で検温しに来ます〜」
パタンと閉じられた扉の音。
私の世界は、また白い壁と白い天井、そして点滴だけの世界になったのだ。
そして……私は……
「生きた」と言うことも、思うことさえもが出来なくなったのだ…… 永劫に……
感想は頂きたいと思いますが、返信は難しく思います。
私自身が整理出来ていないことなので……




