思ってもみない展開(過去)
少しの躊躇いもなかった……。
その事に深く絶望しながら私は宙を舞う。
ゆっくりと遠のいていく彼の姿。
オリヴァーが私を担ぎ上げ投げ飛ばすその瞬間まで、彼は私を助けてくれるんじゃないかと淡い期待を捨てきれずにいた。だが、現実は無情だった。
彼は私を担ぎ上げてから一瞬もためらう素振りを見せずに力いっぱい放り投げた。フリでもいいからもうちょっとためらって見せても罰は当たらなかったと思うんだが……いや、むしろ私など早く捨ててしまいたいような存在だったのかな……オリヴァーさんにとって。
時間が間延びしたようにゆっくりと私は谷から魔の森へ落ちていった。
「あ、あ、あ、あ――――」
底なしに見えた崖の高さから落ちたらまず助からないだろうなと、どこか他人事のように落下しながら私は考えていた。
家族のこと、残してきたペットたちのこと、言葉を残す時間すら与えられなかったからどうしようもなかったが、後悔ばかりが目に浮かんで消えていく。シロ、クロ、ツッチー、マメ、コロコロ、チビ、モモ、ムギ、ハナ、ゴマ、ソラ、カメ、パン、チョーチョ……ごめん……飼い主の責任を果たせないまま突然いなくなってしまって、ごめん。彼らはどうなるんだろう? こんな無理のある冤罪をかぶせられたのだ、その無理を押し通せるだけの権力をもった人々が企てたことならば、我が家そのものも危ないかもしれない。私の処刑は単なる足がかりで、本当の目的はカレン家の取り潰しということも有りうる。
証拠の捜索と称してあの温室が滅茶苦茶にされるだろう。私は薬となる植物も栽培していたので、それを『毒物を所持していた証拠』とされる可能性がある。ちゃんと調べれば毒となるような効果の強い植物はひとつもないのだが、正しい調査が行われるとは思えない。
温室のみんなやペットたちが蹂躙される前に逃してもらえるといいが……せめて庭師のおじいさんに一言でも伝えられれば。ごめん、みんな。もうどうにもできない。ごめん、不甲斐ない飼い主でごめん。ぎゅっと目を瞑ると楽しかった日々が鮮明に蘇る。彼らとの幸せだった時間がコマ送りのように頭をよぎっていく。
まさしくこれが走馬灯かと感慨深く思いながら涙が滲む瞼をぎゅっと瞑ると、突然何かにボフン!とぶつかる感触がした。
あ、死んだ、と思ったが、柔らかい何かの上に落ちて無事だったと気付く。妙に獣くさくてもふもふしている。
ん??? と疑問に思って目を開けると、茶色い毛皮の上に私はいた。
どっしーん、どっしーん、とゆっくり動くこの毛皮の全貌をみようと首を巡らせた。
……うん、どうやらこれは巨大な動物のようだ。特徴的な角が目に入る。
「……ヘラジカ、の怪獣みたい」
それは巨大な、いや、もともとヘラジカは大きいが、ちょっとした山のような大きさのヘラジカだった。どうやらその巨ヘラジカの上に落ちて、大きい背中と毛皮がクッションになったらしく、私は無傷で生きている。
こんな生き物が魔の森にはいるのかー……すごい。すごすぎる。すごすぎて思考力が死んだ。
しばらく背中の上で、体育座りで呆然としていたが、そうしていても仕方がないので毛に掴まりながらよじよじとなんとか下へと降りた。
巨大なヘラジカは私が上に落ちてきたことも毛に掴まって降りたことも全く頓着せず、ずしーんずしーんと優雅に歩きながら遠ざかっていった。
それを見送り、ふと冷静になって周りを見回してみると、そこは異形の生き物がはびこる魔の森だった。どこかで見た事がある木々や植物が有りえない大きさになっていて、しかもそれらは自由奔放に歩き回っていた。たまに顔がついていて私をちろっと見るので、ヒエッと飛び上がって驚く。
魔の森はもともと普通の森だったらしいが、魔界から漏れ出る魔素で生き物が変質したのだろう。ならば魔界にいけばどんな生き物も更なる進化が見込めるということか。
魔素にはいったい何が含まれているのか調べてみたい衝動にかられたが、私の視線の先には『明らかに肉食ですよね?』ていう見た目の巨大なネズミが私を捕食せんと狙いを定めている。
そんなわけでもうすぐ私の生は終わるだろう。
魔の森に堕ちて巨ネズミに捕食されて死ぬなんて、一昨日の私は想像もしていなかった。一寸先は闇とはよく言ったものだ。この格言を最初に言った人はどんな目に遭ったのか。
……まあ最後に不思議なものをたくさん見られたので良しとするかあ……。とそっと目を瞑ってさっそく諦めの境地に入ったところ、飛び掛かってきたネズミがいきなりもっと大きな何かに一瞬にしてバクッ! と食われた。
そのままバリバリゴリゴリゴキゴキとえげつない捕食音が聞こえ、恐る恐る見上げると、そこには白銀にかがやく、これまた巨大な銀色オオカミが端然と座してネズミをごっくんするところだった。
オオカミはネズミを食べ終わると、口の周りをひと舐めして私のほうへ顔を向けた。
なんとまあ綺麗な毛並みなのだろう。
恐怖も忘れてほれぼれとオオカミを見ていると、オオカミはのそのそと近づいてきて、その真っ赤な口を開いて私の胴体をパクッと咥えた。
あらら……食われる、と思ったらオオカミは私を咥えたまま移動を始めた。
なるほど、家に持って帰ってゆっくり食べるんですね。抵抗しても無駄なので私は大人しく運ばれるがままにされていた。
ほどなく大きな洞穴が見えてきて、オオカミが近づくと穴の中から小さなオオカミがコロコロと転がるようにして駆け寄ってきた。どうやらオオカミは母親だったらしい。
ということは……私は子オオカミのご飯になるのか。三匹の子オオカミたちは母親にじゃれついてとても可愛い。巣穴の中に入るとようやく私は解放された。よだれでベタベタです。
銀色オオカミの幼少期はまだ銀色ではなく黄土色の土とよく似たはちみつ色をしている。なるほど、書物で見た通り、土の色に合わせた保護色なのだろう。
いつ食われるのだろうかとドキドキしていると、母親オオカミが私の傍でよっこらしょっと体を横たえた。すると、すぐさま子オオカミたちは母親のおっぱいに群がって乳を吸い始めた。
あれ……子どもたちはまだおっぱいなの……?じゃあ私は? 肉は別腹? 保存食かしら?
じゅうじゅうちゅっぱちゅっぱと夢中で乳を飲む彼らをただ眺めていたら、母オオカミが私をグイグイと前足で押してくる。そしてなぜか私も母オオカミの空いている乳首の前に座らされた。
「???」
疑問いっぱいの顔で母オオカミを見ると、『おい、はよ飲めなくなるぞ』と言わんばかりに鼻を鳴らしてくる。あれ?これは飲めってこと? ご相伴に与っていい? ということ?
「えっと、えっと、じゃあ、い、いただきまーす……?」
なるようになれと半ば自暴自棄になりながら、他の子オオカミに交じって母オオカミの乳首に吸い付いてみる。遠慮がちに吸っていると溢れんばかりに乳が出てきたので零さないよう一生懸命飲み下した。お腹がはちきれそうになって口を離すと、母オオカミは私をペロペロ舐めて毛繕いをしてくれた。
子オオカミたちも順番に舐めてもらうと、私を巻き込んでじゃれ合いを始めてもみくちゃにされる。
まだ歯も生えていない子どもたちの甘噛みがくすぐったくてゲラゲラ笑っていたら、さらにテンションの上がった子どもたちでわちゃわちゃになってしまった。
やがて疲れた子どもたちはそのまま団子状態で寝てしまった。
突然寝落ちした子オオカミたちに挟まれ、私は『???』と疑問でいっぱいだった。
完全にオオカミの子扱いされてますけど、いんですかね? ていうかどういう状況???
ふと、隣に寝る子オオカミを見ると、私の長い髪の毛が前足に絡まっていた。そういえば幼少期のオオカミの毛色と私の髪は全く同じ色をしている。銀色オオカミは幼い頃ははちみつ色の体毛をしていて、成長とともに銀色に生え変わっていく。
「髪色が同じだから? 自分の子どもだと思われたのかしら???」
利口な銀色オオカミがそんな間違いするかなあと思うが、とりあえず今すぐ食われることはないようで少しホッとする。いずれ『お前やっぱ偽物だな』と気づかれて食料にされてしまうかもしれないが、それまで生きながらえるならそれでいい。
私にくっついてふがふがと鼻を鳴らして寝ている子オオカミたちに頬ずりして、流れに身を任せて私も一緒に寝た。