兄は逡巡する
それからじいさんは定期的に森に訪れるようになり、ヴィーの近況を俺に訊ねてくる。そのついでなのかもしれないが、魔人になった俺が今後どうすべきかを教えてくれた。
「イチさんは魔人になりたてとはいえとても魔力が強い。すでに魔の森の管理者のひとりに任命されております。ですが、魔人となったあなたにはこの森では魔素が薄すぎます。魔術を学ぶには魔界に行かねばなりません。恐らくあなたは高位の魔人にお成りになる。そうなれば魔界の住民として、あちらで職に就くことになるでしょう」
魔人として魔界で認められれば、ヴィーの後見にもなれるかもしれない。そうすれば薬屋からヴィーを取り戻せる。そう言われて俺は俄然やる気になった。
そうして俺は、爺さんに魔界への道を教わり、魔の森と行き来しながらあちらで魔術を習って、魔人としての力をつけていった。
俺が森に居ない時は、母さんや兄弟たちがヴィーの様子を確認していたが、いつの間にか森で味方を作って、俺たちの心配をよそにものすごく平和で充実した暮らしをしていた。ヴィーの作る薬は魔人たちに『高品質・低価格』としてかなり高く評価されている。もともと人間界で学んでいた知識のおかげだと言うが、ヴィーの治癒能力が薬にも影響していることに本人は気づいていない。
そのせいでヴィーは、とんでもない効果を持つ薬をいくつも作ってしまっている。薬屋に『そろそろ後任を探せ』と散々言っているのだが、あの薬がなくなると困るという顧客がいるので無理だ、と断る口実になってしまっている。
俺も魔界で色々な仕事を請け負ったりしてお互い忙しく過ごしているうちに、あっという間に月日は流れてしまった。
俺も魔人としてそれなりの地位と力をつけたので、そろそろヴィーを魔界へ連れて行ってもいい頃だと考えていたのに、薬屋も森の生き物も俺に『ヴィーを連れていくな』と、とにかくうるさい。
ヴィーは相変わらず気づいていないが、アイツは皆に必要とされていて、森になくてはならない存在となっていた。
本当にヴィーは自分の足で立って生きていた。
時々薬屋を訪れてヴィーに会いに行くが、毎日充実して楽しそうだ。
俺や母さんが守らなければ生きていけないと思っていたのに、ヴィーは本当に自分の力でこの森を生き抜いていた。
早くヴィーをこの薬屋の腹から連れ出したいと思っていたのだが、ヴィーが努力して作り上げた日々を無にしてしまうのは酷な気がする。
毎日生き生きと働いているアイツを見るとどうにも言いだしにくい。そうやってためらっているうちに、あの人間の男が現れた。
***
兄弟から、森に異物が紛れ込んでいるようだと報告を受け、魔界から戻って調査をすることになった。
確かに森がざわついて落ち着かない雰囲気がある。また人間が落ちてきたのかと、言葉を交わせる個体になにか知らないかと聞いて回るが、なにか隠しているようでどうにも歯切れが悪い。
「お前ら何を隠してんだ? まさかヴィーと関わりがあるのか?」
ヴィーと特別仲が良い食人花を捕まえて問い詰めるが、ぶんぶんと首を振るだけで何も話そうとしない。
「……なんかお前臭くないか? 人間でも食ったのか?」
「クッテナイ。ペッ、シタ」
「ちょっと食ったんじゃねーか! おい、その食べ残しはどうした? まさかまだ生きてんじゃないだろうな? っおい! コラ、逃げんなー!」
食人花は俺の隙をついてスタコラと逃げて行った。嫌な予感がして、俺はヴィーの住む薬屋へ向かう。
薬屋の門をくぐるとすぐ、『くすりや』が話しかけてくる。
『ヴィーは食料採集にでかけていて留守だよ。帰れ』
「いや、それくらい待たせろよ。別に、まだヴィーを連れて行こうなんてしてないだろ。態度悪いんだよお前」
薬屋は俺がヴィーを魔界へ連れ去るつもりだろうと言って、ここに訪れるといつも帰れ帰れとうるさい。ヴィーはまだ直接薬屋と会話ができないので、家まるごとが生きた魔物だと理解していないが、話ができる俺からすると魔物の体内に住むなど正直気持ち悪い。
コイツはヴィーが知らないのをいいことに、生活を四六時中監視している変態だ。こんな場所にヴィーを置いておきたくないのだが、薬屋のほうが俺より格上なので力では勝てないのだ。
ごちゃごちゃと薬屋に文句を言われながら待っていると、野菜をたくさん背負ってヴィーが戻ってきた。
森に人間が落ちてきたみたいだが何か知らないか、と問うと、なんと『私が拾いました』と白状した。昔の知り合いの男だと聞いて怒りで我を忘れそうになったが、自分を殺した仇だから、復讐をしてやりたいと言うヴィーの言葉を聞いて、ああ、こいつにもそんな感情があったんだなぁと驚いた。
ヴィーはあまり自分のことを大切にしていない、と以前から感じていた。死に直面しても『弱い自分が悪いのだからしょうがない』といってすぐに諦める。生きようと必死にもがいたりしない。生への執着もなければ、自分が傷つくことにもあまり頓着しないのだ。
嬉しいとか楽しいとかは口にするが、辛いとか悲しいとかヴィーが言うのを聞いたことが無い。そういう感情を置き忘れてきてしまったような不自然さが気になっていた。
負の感情を閉じ込めないと、生きていけなかったのかもしれない。夢でうなされる時以外、ヴィーが泣いた姿をみたことがない。こんなにも心は傷ついているのに、ヴィーは夢の中でしか苦しい気持ちを出すことができなかった。
そのヴィーが『復讐したい』というのなら、したいようにやらせてやろうと俺はその時思った。
それに、薬屋の敷地内ならばヴィーの安全は保障されている。男と暮らしているという事実が気に食わないが、薬屋が『あれは去勢された犬のようなものだ』というので信用することにした。
こうして俺はこの時人間を見逃すことにしたのだが、それがあんな結果になるとは。
***
その日俺は森と人間界の境界線に来ていた。
人間界で暮らしている魔人のじいさんと落ち合うためだ。
じいさんが魔素を与えて一時的に魔物の力を得ていたヴィーのペットたちは、復讐を終えるとそのほとんどは寿命が尽きて死んでいった。が、数種の動植物が魔素によって魔物に進化し、いまでも生き長らえたため、魔界へ連れて行くことになったのだ。
人間達への復讐を終えたヴィーのペットたちは、生きる意義をなくしていて、このまま人間界においておけば消えてしまう。少ない魔素でも魔物に進化できた個体は優良株なのでこのまま死なせてしまうのは惜しいとじいさんは言って、魔界へ連れて行くために色々と手配したらしい。
引き渡しで久々にじいさんに会ったので、ヴィーの知り合いだという男について聞いてみた。
「お嬢を殺した人間の男? ……ああ、オリヴァーという騎士の男ですかね。確かに処刑の執行人ですが、あれもまた陥れられた人間でして、お嬢の冤罪を晴らすために働いてくれたので彼らも見逃していたんです。少し前に、死ぬと置手紙を残して行方不明になっていたようですが、まさか森に飛び降りたとは……本当に救われない男ですなぁ」
「ヴィーがそいつを拾って助けたんだが、アレは自分の仇だから復讐をしたいと言うんだ」
「お嬢が? 復讐だなんて、らしくないですねえ……あの男になにか特別な思い入れでもあったんですかね。イチさん、それはやめさせるようお嬢を説得したほうがいいですよ。あの騎士の男が森に落ちてきた理由を知ってしまったらお嬢は苦しむと思います。復讐しても、結局はお嬢が傷つく結果になるんじゃないですかね?」
あの男の素性と、人間界で何が起きたのかを聞いて、じいさんの言う通りあの人間をこのままヴィーのそばに置いておくのはアイツにとってよくない結果になりそうだ、と思った。
「あの男は俺がヴィーから引き離す。森のためにならないと言えばヴィーも諦めるだろう」
「その時はワシがその男を受け取りましょう。記憶を消して、どこか別の土地で別の名を与えます。あの男もこの十年、ずいぶんと苦しんでいましたしね、もうお嬢のことを忘れて生き直したほうがいい」




