人間の少女だった頃の話
私の名前はヴィヴィアナ・カレン。
いや、そういう名前だった、というのが正しいだろうか。もうその名で呼ぶものはいないし、魔の森では『ヴィー』と呼ばれている。森に落とされた時点で、ヴィヴィアナという人間は死んだのだ。実際、今の私はもう人間じゃない。ここで暮らすうちに、たぶん魔物寄りの生態になってしまった。
ここへ来る前は、私は所謂貴族と呼ばれる人間だった。
その中でもきっと割と上のほう、国政に関わる立場にある家の娘だった。
歳の離れた兄がひとり。もう子供など出来ないだろうと言われる年齢になった両親のもとに思いがけず授かったのが、この私だ。家はもう兄が継ぐことが決まっており、家督問題に全く影響しない娘の私は随分と自由に育てられたと思う。
老いた両親からすれば、ただただ可愛いだけの余計者の娘だ。今更政治の駒にするつもりもないので、まあ貴族として最低限のマナーや勉強は叩き込まれたが基本的には私の気持ちややりたい事を優先してくれた。
私は幼い頃からあまり社交的な性格ではなく、お喋りに興じるより庭の蟻の巣を観察するほうが好きというようなタイプだった。
良家の子女であれば幼い頃からお茶会やら園遊会やらなんやかんや理由をつけて他家の貴族らと交流を図るのが一般的なのだが、兄はもう成人して父の右腕として働いているし、母は高齢出産で私を産んだせいで産後の肥立ちが悪く一年の半分を床で過ごすような生活をしていた。そのため私もそういった貴族の集いに顔を出すこともほとんどなかった。
そんなんだから私は友達のひとりも出来ず、勉強が終われば日がな一日庭で過ごすような子ども時代を送っていた。広い庭には手入れの行き届いた花園はもちろん、小さな小川や池、父が趣味で作った温室まで揃っていた。庭は隣の小さな森につながっており、幼い私からみればそこはとこまでも無限に続く宇宙のようだった。この頃の私の世界は屋敷と庭だけで完璧に完結していた。
暇さえあれば老年の庭師について回って色々質問して、庭仕事の手伝いと称して庭師の邪魔ばかりしていたが、彼は私を邪険にすることなく、穏やかに接していろんなことを教えてくれた。
「この葉っぱは切り傷に貼るといいんだよ」
「お腹が痛い時はこの葉を噛むといい」
「この実を潰して洗髪に使うと髪がさらさらになるんだ」
庭師のおじいさんは花や木の種類を教えてくれるついでに庶民の生活の知恵を教えてくれた。ただの葉っぱやなんてことない木の実にそんな力があるなんてとても不思議で面白く、知れば知るほどもっと興味が尽きる事は無い。字が読めるようになると私は図書室にある本を読み漁るようになっていった。家にある本だけでは物足りなくなると、父にねだって色々な本を買ってもらった。父はそんな私を咎めることもなく、植物学の専門書から薬学の教本まで、薬師の国家試験でも受けるのかというくらいの蔵書をそろえてくれた。
女性が薬師になるのは珍しいことではないが、貴族の娘となれば話は別だ。変人の謗りは免れないだろうし、そんな女を娶ろうという貴族は居ないだろうから、いずれは貴族籍を捨て平民の職業婦人として生きていくしかなくなる。それでも父は『ヴィヴィの好きな事を優先すればいい』と言ってくれて好きなようにさせてくれた。
私に色々な知識を授けてくれた庭師のおじいさんも、私が薬師になる! というともろ手を挙げて賛成してくれた。国家資格としての薬師の免状は専門書を全て暗記するくらいの知識が無いと取ることが難しい。そのため正式な資格を持った薬師というのは数が少ないそうだ。
いずれ貴族籍を捨ててどこかで薬屋をやるなら是非薬師の居ない自分の故郷に来てほしいと割と本気で勧誘してくれたので、調子に乗った私は本気で薬師を目指すことにした。
そして十歳の時に力試しとして試験を受けたらなんと合格してしまったのだ。両親はただすごいすごいと私を誉めそやし、庭師のおじいさんや使用人の人たちもお嬢は天才だ! と全力で褒めたたえてくれた。本当は、淑女のすることではない、恥を知れと試験会場でも言われていたらしいのだが、皆におだてられて調子に乗っていた私はそんな声に気付くことはなかった。
そうやって私は周りの人間が甘やかされ、屋敷にいる使用人ももちろん私の奇行を止めるわけもなく、変人で恥知らずの令嬢とますますまともな貴族たちからは距離を置かれていた。
社交界や貴族のお茶会に参加したいとも思っていなかったので、距離を置かれていることになど気づきもしない私は、成長するにつれ庭から森へと行動範囲を広げますます動植物とだけ交流を深めていった。
森には庭と違い多くの見知らぬ生き物で満ちていた。
動物も、鳥も、虫も、何もかもが面白い。私は夢中になって毎日森に通って色々な生き物の生活する姿を追いかけた。噛まれたり引っかかれたり突かれたり刺されたり、貴族の淑女としては有りえない生傷を毎日こさえていたけれど、毎日が充実していた。
そんな私が初めて飼った生き物は、蝶々だった。
森を歩いている時、ちょうど羽化をする瞬間のさなぎを見つけワクワクしながらその様子を眺めていたのだけれど、なんとその蝶は羽化に失敗してしまったのだ。どれだけ待っても羽が片方だけちゃんと開かず、飛び立とうとして地面に落ちてしまった。自然の摂理からすれば手を出すべきではないのだろうが、幼かった私はその蝶が死んでいくのを見ていられなかった。
そっと拾い上げ、庭の温室に連れて行く。咲いている花の上においてやると蝶はぎこちなく口吻を延ばし、蜜を吸い始めた。
その光景を見た時、なんとも言えない充足感が胸の内から湧き上がるのを今でも鮮明に覚えている。蝶は飛ぶことはできないままだったが、温室の花々を足で渡り歩いて蜜を吸い、冬が近づくころまで生きて寿命を全うした。
蝶が死んでしまって埋葬してからしばらく、果たしてこの蝶はこの一生で幸せだったのかと悩んで落ち込んだ時期があった。
私が拾わなければ蝶はあのまま死んでいただろう。その運命を捻じ曲げて、私の温室で本来の自然とはかけ離れた不自然な世界で生涯を過ごさせてしまったことは蝶にとっては不幸せだったんじゃないかと、それからずっと悩んで結局庭師のおじいさんに考えを吐露した。
おじいさんは私の悩みを聞くと『お嬢は苦労性だなあ』と私の頭を撫でてこう言った。
「蝶からしたら、何が自然で何が不自然かなんて考えちゃいねえよ。生き物はな、与えられた環境でただ精一杯生きるだけさ。正しいだの正しくないだのぐちゃぐちゃ考えるのは人間だけだ。生き物は、命がつきるまでただ生きるだけさ。お嬢は保護した蝶をたくさんスケッチして体の造りや生態を詳しく調べられたんだろう?その調べた事が今後他の蝶の役に立つかもしれないじゃないか。それでいんじゃないか?」
ただ精一杯生きるだけ。
おじいさんの言葉はすとんと私の中に落ちてきた。ああ、そうだなと素直に思えて、不自然だのなんだの言うのは傲慢な考えだったと反省した。
そして確かにおじいさんの言うとおり飼っていた蝶をここぞとばかりにスケッチしまくって、蝶の体はこんな風に出来ているのか! ととても感動した。生きている姿を見るだけでわくわくしたし蝶を飼っていた時間は楽しいことばかりだった。
これをきっかけに、私は生き物を飼う喜びに目覚めてしまったのだ。
もともと植物であふれかえっていた温室に、あちこちから保護した生き物が住まうようになり、温室だけでは場所が足りなくなって庭の片隅に動物小屋を作ってもらってしまった。飼う生き物は、怪我をしたり弱い個体で親に育児放棄されたりしてそのままでは死んでしまうだろうと判断したものだけと決めていたにもかかわらず、どんどん増えてしまうからだ。
安定した衣食住に味を占めた動物たちは、怪我が治ったので森におかえり、と生息地に返してきても気が付くとまた素知らぬ顔をしてウチに戻って来てしまうようになった。
ある程度意思疎通の出来る動物ならともかく、なんなら虫すらつがいを連れて戻ってきて温室や庭で巣作りをしようとするから、必然的に生き物は増えていきどんどんウチの庭はカオスと化していった。
庭が生き物で飽和状態になった頃、両親もさすがにこのままじゃいくらなんでもまずいと思ったらしく、そろそろ貴族の集いにも参加するように言ってきた。
人間と接するよりも人語を解さない動植物と過ごす時間のほうが圧倒的に長くなっていたため、会話の仕方も忘れ気味になっていた私に危機感を覚えたらしい。別に貴族として生きなくてもいいけど人間辞めるのは親として看過できないと穏やかに説得されてしまった。
庭の生き物たちの面倒は庭師のおじいさんに手伝ってもらうことにして、私は人間社会への復帰を果たすこととなった。
この男と初めて出会ったのもそういえばこの頃だったな、と私は思い返す。