復讐者の真実
途中からまた別の人物の視点に切り替わります。
「アンタ……カレン家の、庭師だった……?」
「おや、ずいぶんと意識がはっきりしているね。おかしいなあ、やっぱり麻痺薬が全然効いていないみたいだ。それにしても、ワシのことなぞ十年前にチラリと見かけたきりだろう? よく覚えているね、騎士殿は」
やはりこの男はカレン家の元庭師だった! ヴィヴィアナが処刑されたあと温室の生き物たちを連れていなくなってしまった男だ。ヴィヴィアナを迎えに行ったときに何度か一緒にいるところを見かけたが、人の良さそうなごく普通の老人といった印象だった。
そんな男が何故魔物と一緒にいるのだろう? いったい何が起きているのか、ヴィヴィアナはどうしたのか、混乱して言葉が出てこない。老人はそんな俺を覗き込み、顔の前でしゃがみこんで話しかけてきた。
「騎士殿はお嬢の冤罪を晴らすために尽力してくれていたし、殺すつもりは無かったのになあ。なんで死のうとなんてしたんだね? お嬢のペットたちもアンタは役に立つからと言って見逃していたのに」
「は……? 何を言って……アンタ、何者だ? 人間じゃなかったのか? ヴィヴィアナは、知っていたのか?」
「お嬢は何も知らないよ。ワシはまあ人間じゃないがね、人間界の情報を集めたり、優秀な人材がいないか調べたりするだけで、大人しく暮らしている無害で善良な魔人だよ。
カレン家に勤めたのはたまたま条件が良かったからだが、お嬢と知り合えたのは僥倖だったな。
あの子がいたから、ずっとカレン家の庭師を続けていたんだ。
あの子には生まれつき、生き物を癒す特別な力があるのさ。人間のままではごくわずかな力だから、それほど気づくことは無いだろうが、人間のなかにはそういう特別な能力を持った者が生まれるんだ。
ワシは、魔人には無い特別な力を持った人間を魔界に勧誘する仕事をしている、要はスカウトマンだね。
まあ、あの子は特別な力がなかったとしても、非常に頭もいい、心根も真っ直ぐで優しい。薬師としても優秀だ。こんな優れた人材を放っておく手はないだろう?
お嬢はいずれ家を出て働くと言うから、だったら魔界で働かないかと勧誘するつもりだったのに……くだらない人間どもの陰謀に巻き込まれ、処刑されてしまった。
騎士殿……間に合わなかったワシも悪いが、どうしてあれを止められなかったね? 絶対に冤罪だと分かっていながら、どうしてお嬢を助けようとしなかった?」
老人の瞳がギラリと光る。その姿はもう人間の老人には見えなかった。
「……処刑の決定を覆すだけの力が俺には無かった。長く苦しむ拷問で処刑されるよりは、魔の森に落とされるほうがまだ楽に死ねると思ってしまったんだ。本当に愚かですまない、それに関しては後悔しかない。じゃあ、首謀者たちを殺していったのは、アンタだったのか……?」
「違う。大切なお嬢を殺されたと、生き物たちが憤って復讐を始めたんだ。ワシは彼らに少しだけ魔素を与え、魔物の力を一刻与えてやっただけだ。
人間を殺していたのは生き物と植物たちだよ。それでも、魔の森に落とされたお嬢が生きていると分かったから、殺すのは首謀者だけで済んだんだ。もしお嬢が斬首刑にでもされていたら、彼らはあの国の人間全てを殺すまでとまらなかっただろうね」
老人が事もなげに真実を俺に告げる。
あの怪死の真相はやはり呪いなどではなかった。ヴィヴィアナ本人は本当になにも知らなかったんだ。
俺は、なんてことをしてしまったんだ……。
改めて、ヴィヴィアナを再び傷つけてしまった事を深く後悔する。
「予定とは違ってしまったが、お嬢にはいずれ魔の森に来てもらうつもりだったんだ。もともと魔の森は、人間界の生き物を魔物に変化させるために作られた、魔界の前室なんだよ。そこでゆっくり魔素に馴染んでもらって、魔界に来てもらう計画だったんだ。
それが、人間どもに無理やり森に突き落とされて、ワシが助けに向かう前にオオカミに囲い込まれちまった。事情を話して、お嬢を返してもらおうとしたんだが、断られてしまってね。
仕方がないから巣立ちまで待って、お嬢がオオカミの元から離れた時にまた勧誘しようと思っていたら、勝手に『薬屋』がお嬢を捕まえちまって、交渉もさせてくれない。
森の生き物たちも、ヴィーは森のものだ! と言って放してくれなくてなぁ……。まあお嬢もあんな目に遭って、立ち直るには時間がいると思ったから、そのままにしていたんだが……まさかそのお嬢の元に騎士殿が現れるとは、予想外だったよ」
老人は穏やかな雰囲気に戻り、少しからかうような口調で俺に言った。
対して、ヴィヴィアナの兄は苛立ちを隠すことなく、牙をむき出しにしている。
「ヴィーはお前に復讐をしたいって言うから俺は静観していたが、やっぱりアイツにそんな真似は無理だったんだ。優しいヴィーにつけこんで、誑かして、泣かせやがって。殺すなと言われていなきゃお前なぞひき肉にしてやるのに」
「泣いて……泣いていたのか? お願いだ、ヴィヴィアナに、会わせてくれないか? 俺、とんでもない誤解をして、彼女をまた傷つけてしまった……謝りたいんだ。お願いだ、お兄さん」
「ヤメロ、お兄さんとか呼ぶな。誰が会わせるか。お前とヴィーはもう住む世界が違うんだよ。こうなってしまった以上、もうヴィーを森に置いておけないから、魔界へ連れて行く。
仮にまたお前が森に落ちたとしても今回のような偶然はありえないからな。お前はここで記憶を消されて、森に落ちる前の生活に戻るんだよ。良かったなあ? ヴィーの事もきれいさっぱり忘れさせてやるよ。人間の短い生をまっとうに生きろ」
ヴィヴィアナとよく似た金色の瞳をぎらつかせ、ヴィヴィアナの兄は俺に手をかざしてきた。掌が光り、なにか術をかけられるのだ、と気が付いた。
「嫌だ! 忘れたくない! 止めてくれ……! 人間だった頃のあどけないヴィヴィアナとの思い出も、魔物になったヴィヴィアナと過ごした日々も、全部大切なんだ! 忘れさせないでくれっ……」
金の瞳がわずかに揺れた気がしたが、彼が術を止めることはなかった。深く絶望しながら俺は再び意識を手放した。
***
「さて、イチさん。ワシは騎士殿を人間界に帰してきます。お嬢をよろしくお願いします。きっとまた独りで泣いていますよ」
「ああ、頼む。なあ、爺さんはヴィーに会わなくていいのか? アンタのことや、飼っていた生き物たちが無事だと教えてやれば喜ぶと思うんだ。どうして何も言わないんだ?」
「人間界でも、森に落ちてからもお嬢を助けられなかったワシが、十年も経って今更どの面さげて会えるっていうんですか。
それに、生き物たちが復讐のために人間を殺したと知ったら、お嬢はきっと悲しみます。知らないほうがいいんですよ。どうかお嬢を幸せにしてあげてください。お嬢があなたのお母上に拾われたことは何よりの幸運でした。あの子の心が死なずに済んだのは、お母上の愛情のおかげです」
それでは、と言って庭師の爺さんは男を担いで消えていった。
崖の上から向こうは人間界だ。
完全に隔てられた、あちら側とこちら側。
爺さんが消えていった人間界から、ヴィーは来たんだ……。
俺の知らない昔のヴィーを知る、あの人間の男。
未だにヴィーはあの男を好きなんだろうか。過ごしている時間は俺とのほうがよっぽど長いのに、なんであんな弱くて情けない男を想うのか、納得がいかない。
***
母さんがヴィーを拾ってきた時、俺はまだ幼くて、ただちびっこい弟が家族に増えたとしか思っていなかった。
ちびっこいのはふにゃふにゃと柔らかくていい匂いがする。毛が頭にしか生えていなくて、ほかはつるつるで、甘噛みするとキャッキャッと笑うのが可愛かった。弱くてすぐ死んでしまいそうなそのチビを、特別な気持ちで見るようになったのはいつからだろう。




