こうして二人はすれ違う
誤字報告いつもありがとうございます。とても助かっております。
評価、ブクマ、感想をくださる皆様、本当にありがとうございます。全てが書く力になっています。
足が治ってきた頃、薬屋の仕事で大量の発注が入った、と魔物の美女が言った。
かなりイレギュラーの仕事らしく、珍しく慌てていて、俺に店番を頼んで急いで森へ出かけてしまった。
杖を貰ったので自分で移動できるし、店番と言ってもお客が来るわけでもないのでただ座っているだけだ。
椅子に腰かけ、不思議な薬屋の店内をただぼんやりと眺める。
魔物の美女はこの家を『意思ある生き物』だと言っていた。家が生き物だなんて、ただの人間だった俺には到底理解が及ばないことだが、この家が結界を張ってくれているから、危険な生き物が敷地に侵入しないのだと言われて、だから外に出てはいけないと注意されていた。
彼女が出かけてからどれくらい経ったのだろうか。これほど長く留守にしたことがないので少し不安になってくる。
落ち着かない気持ちでいると、店のドアが開いて誰かが入って来た。お客が来るとは思っていなかったから驚いて、慌てて彼女に言われた通り頭からフードをかぶって顔を隠す。
入って来たのは……彼女の兄だという魔物の男だった。クンクン、と匂いを嗅ぐ仕草をして、俺に向かって声をかけてきた。
「なんで人間が店に出ているんだ。あるじはどこだ?」
「あ……大量の発注が入ったので、材料の採集に、森へ出ています」
ふうん、と男は言ってじろりと俺を睨む。強烈な圧を感じて思わず身がすくむ。
「じゃあ人間、傷は治ったってことなんだろ? ……アイツが居ないのも好都合かもな……よし、俺が人間界にお前を帰してやる。まあ森の記憶は消させてもらうがな。森から五体満足で帰れるなんてお前は幸運な人間だな」
そういって魔物は俺の腕を掴む。
「えっ? ちょ、ちょっと待ってくれ。今ですか? 彼女に何も言わずになんて……そんな訳にいかない。あれだけ世話になったのに、俺は薬代も返せていない。せめてお礼をさせてからにしてほしいんだ。そ、それに今は彼女に店番を頼まれている。無責任にいなくなるわけにいかない」
突然現れた男は、今から俺を人間界に帰すという。いつまでもここに居られるとは思っていなかったけれど、今だなんて。
ごねる俺に魔物の男は苛立ったように眉をひそめる。
「お前、アイツがただ優しさでお前を助けたと思っていたのか? 人間てのは随分と楽観的なんだな。アイツの意思を尊重してやりたいと思って静観していたが、やはりアイツの性格じゃあ、結局自分が傷つきそうだからな……何も知らないうちにひき離したほうがいいんだ。お前は余計なことを考えなくていい。それともこの場で殺されたいか?」
男の金色の瞳がギラリと光って殺気が室内に満ちる。ぞっと肌が粟立って、思わず後ろにさがる。
男が俺に手を延ばした瞬間、後ろにあった薬瓶が男に向かって飛んでいった。
男は冷静にそれを避け、薬瓶は後ろの扉に当たってくだけた。
「店のなかで止めろって? うるせえな……殺さねえよ、だからヴィーに言うなよ」
男は誰かと会話をしているようだったが、俺には相手の声はきこえない。
「チッ、薬屋がうるさいから今日は止めておく。だがな、人間のお前がこのままアイツと暮らしたいなんて絶対に無理だからな」
そういって魔物の男は扉を開けて帰って行った。
割れた薬瓶を片づけながら、そういえばこの家は『意思ある生き物』だと言っていたなと思い出す。俺を助けてくれたのか……と一瞬思うが、単に店を荒らされたくないだけだったんだろう。
魔物の男が言っていたことが頭をよぎる。
“アイツがただ優しさでお前を助けたと思っていたのか?”
魔物の道楽で飼われているのかと思っていた。でも、それが本当の理由じゃない? もっと違う意図があった? でもあの彼女にそんな裏があるようにはどうしても思えない。
でも、俺はなにも彼女のことを知らない。名前さえも明かしてはもらえない。
彼女のことを訊こうとするといつもはぐらかされた。訊かれたくない何かがあったのだろうか。教えたくない事情があったのか。
落ち着かない気持ちになって、店の扉を開けて外に出る。
森へとつながる門までくると、敷地の外が見えてくる。内側と全く違う異形の生き物がうごめく世界だ。出るなと言われていたが、そんな危険な場所に、彼女は独りでどうして大丈夫なのだろう?
入口でしばらく佇んで彼女の帰りを待つが、深い森は光もささず奥の方は見えない。長い時間、そうして森を見つめていたが、彼女が戻ってくる様子はない。
時間ばかりが過ぎていき、心が焦れて耐えられなくなって、つい一歩、二歩と門の外へと足を踏み出す。
少しだけ、彼女を迎えに出るだけだ。少しだけ……。不安な気持ちに押し出されるように、うかつにも俺は魔の森へ歩き出してしまった。
それが、あんなことになるなんて、俺はなんて馬鹿だったんだ。
『オリヴァーさんッ!』
彼女が、知らないはずの俺の名を呼んだ。その瞬間、俺の名を呼ぶ声で気が付いてしまったんだ。
あれはヴィヴィアナの声だった。
むしろ何故いままで気づかなかったんだ。髪の色が違っても、瞳の色が違っても、容貌がいくら違っていても、あの俺の名を呼ぶ声はヴィヴィアナに間違いない。
一緒に過ごしていた、彼女がヴィヴィアナだったなんて。
何故君は生きているんだ?
どうして魔物になってしまったんだ?
ただの人間の少女だった彼女が、人知を超えた存在に変貌を遂げていた。
“アイツがただ優しさでお前を助けたと思っていたのか?”
魔物の男が言っていた言葉。そうだ、彼女がヴィヴィアナならば、人間に親切にする理由なんて何一つない。むしろ人間全てを憎んでいてもおかしくはない。
悪霊の仕業としか考えられない異常な死の数々が脳裏に蘇る。人間には到底不可能な方法で殺されているからこそ、呪いのせいだと悪霊の仕業だと言われていたのだ。
そう、人間には無理な所業だからこそ……。
でも、魔物であれば?
人にはない不思議な力を魔物は持っているという。それを使って、本当にヴィヴィアナが自分を陥れた人々に復讐をしていたとしたら?
“憎しみは人を変えるものじゃないか?”
殿下の言った言葉が耳元で蘇る。
まさか、ヴィヴィアナがそんな非道なことをするわけがないと、俺はずっと否定してきたが……人でなくなってしまったのなら魔物の考え方になっていてもおかしくはない。
本当にヴィヴィアナが彼らを殺したのもしれないと思うと、心臓がギリギリと痛んだ。
一緒に暮らしていた時の彼女は、昔のヴィヴィアナのように優しくて温かくて、一緒にいると心が和むような、そんな人柄だった。
そうだ、まだ何の確証もない。本当に彼女がヴィヴィアナなのかも……。やっぱり彼女がそんなことをできるとは思えない。
俺を先に逃がした彼女が戻ってくるのを、森と薬屋の門の境目ギリギリで待つ。
俺のうかつな行動で彼女に迷惑をかけてしまった。
ボロボロになった彼女を連れてきたのは、なんとあの白と赤の水玉模様の食人花だった。
一瞬彼女が食われかけているのかと思ったが、そうではない、あの食人花は彼女を大切そうに運んできて、気遣いながら門のこちら側に降ろしていた。彼女もあの気色悪い植物と会話を交わし、最後にはなんと抱きしめていた。
あの植物を、ヴィヴィアナは使役している。
俺を食い殺そうとした、あの不気味な食人花を……。
頭に浮かんだ考えにゾッと肌が粟立つ。
(ヴィヴィアナが、俺をあの食人花に襲わせた?)
いや、そんなわけないと頭を振って否定する。それでは死にかけた俺を治療する理由がない。それに殺すならこの十年いくらでも機会はあったはずだ。
第三騎士団の人間が次々死んでいく中、どうして直接手を下したお前が呪われないんだと何度も言われた。だからこそこうして自分から死ぬ道を選んだというのに……。
彼女に『君はヴィヴィアナなのか?』と問うと、もう誤魔化すことなく『そうだ』と答えた。そして、『あの時私がどれだけ辛かったかあなたに聞かせてやりたいと思った』と言った。
……ああ、そうか。自ら死んで楽になろうなんて許されないことだったんだ。最後まで残されたのも、俺が一番憎まれていたからなんだ。




