魔の森にいきます
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それから月日は流れ、殿下が成人なされた頃には貴族院の改革もほぼ完了していた。国民の要望を受け入れ、今まで貴族のみしか入る事の出来なかった国政の場に平民の枠を設けることになり、殿下が望んでいた開かれた国政への一歩を踏み出していた。
いつのまにか十年の月日が経っていた。
ヴィヴィアナの呪いは終わる事は無く、確実に事件に関わったものを殺していった。
あの毒見役の男はもちろん、調理場で口を噤んだ者、牢に入れられたヴィヴィアナに食事を与えなかったという牢番までも、余すことなく皆、死んだ。
誰も彼も、常識では考えられない不気味な死に方をしているので、もうヴィヴィアナという悪霊の存在を疑う者はいなくなっていた。
あの事件の関係者で生きている者は、恐らく今では俺と殿下だけだ。
ヴィヴィアナの名は今では呪いの言葉と同義だ。口にすると呪われると言われ、墓に近づくと呪いをもらうと囁かれるようになったので、訪れる者もいない。
ヴィヴィアナの月命日に俺は花を持って彼女の墓へ行く。
そこにはいつも先月俺が手向けた花が枯れたままになっている。俺以外誰もここに訪れたりしないからだ。
「なあ、君はこんなこと望んでいたのか? どうしてこんなことになってしまったんだろうな……」
事件の首謀者の家族は、自分たちも呪い殺されるのではないかと怯え、それだけでなく周囲からの差別に苦しんでいた。無垢な少女を悪霊にしたと、首謀者たちの遺族がその怒りをぶつけられている。
「この復讐は誰がおこなっているんだろう? 世間はヴィヴィアナの悪霊のしわざだと疑ってもいないけれど、本当の復讐者は何者なんだろう。君の汚名がそそがれれば、復讐も終わるかと思っていたけれど、復讐者の怒りはそれだけでは収まらなかった。
これだけの人間が死んでもまだこの復讐劇は終わらないのだろうか? 一番罪深い俺がまだ生きているから?」
未だにヴィヴィアナが悪霊になったなんて信じられない。それでも彼女を殺した俺が死ねば、彼女は満足してくれるんじゃないかと思う自分もいた。
この十年で殿下に対する反乱分子は一掃された。あの方はきっと賢王になられるだろう。ヴィヴィアナの冤罪も晴らせた。もう俺が死ねない理由は無くなった。
崖でヴィヴィアナを投げ落とした時に立てた誓いを、今果たすときなのかもしれない。
ここ最近、俺はもう強い薬がないと眠ることができないし、食事をしても砂を噛むようで何の味も感じられない。この時の俺はもう生き続ける意味が見いだせなくなっていた。自ら死を選ぶことが正しいことのように感じていた。
殿下に言えば絶対に止められると分かっていたので、適当な調査の仕事をでっち上げ、単独で魔の森へ向かう。
十年前、俺がヴィヴィアナを投げ落とした崖の上に独りで立つ。見下ろすと底が見えないくらい深い崖の先に暗い森の姿が見える。
あの下にはまだヴィヴィアナの骨が残っているかな。
それとも魔獣に食べられ何も残っていないか。
どれほど絶望しただろう。どれほど痛かっただろう。
おなじ苦しみを俺も受けるから、どうかヴィヴィアナの魂が天に召されますように。
ようやく、十年前に誓った約束を果たせる。
そのことに安堵しながら、俺は崖から身を投じた。
***
一瞬が永遠のような時間をかけて俺の体は崖を落ちていった。森の緑が視界いっぱいに広がったと思った瞬間、叩きつけられるような衝撃を感じて、意識はそこで途切れた。
ああ、死んだんだなと最後に思ったのだが、ガサガサと葉っぱの感触がして目が覚めた。
周りを見渡すと、大きな木の上に俺はいるらしいと気が付いた。
生きていることに驚いて身を起こすと、引っかかっていた体がバランスを崩し、木から滑り落ちてしまった。
「うわわわわわわっ!」
受け身もとれず地面に叩きつけられて一瞬息が止まる。痛みで動けず、呆然と仰向けになったままでいると、異様な植物がはびこる森が目に入った。
「うわ……なんだここ」
巨大な植物。顔の付いた木々。異様な動きをする蔓。
魔の森に俺はいるんだ。
そう認識したが身体が動かない。さっき落ちた衝撃で骨が折れたのかもしれない。とはいえあの崖から落ちて即死でないほうが奇跡だ。ぼんやりそんなことを思っていると、派手な色の生き物が近づいてくるのが視界の端に映った。
赤と白の水玉の、巨大な花のような植物がビタタタタタッと触手(蔓?)を足のように動かしながらこちらに向かっていている。
「……っ気持ちわる!?」
魔の森に関する書物でみたことがある、食人花に違いない! あんなもの眉唾だと思っていたが、本当に実在したんだ!
あまりの気持ち悪さに、動かないと思っていた体が跳ね起きて全力で逃げ出す。
死ぬ気でいたのだから、わが身がどうなってもいいと思っていたけど、あれは嫌だ。生理的に無理だ。あれに食われて死ぬのだけは御免だ。もつれる足で必死に走るがすぐに追いつかれて、足に蔓が巻きついた。
「うわあっ! 離せぇっ! いやだむりやめ……ぎゃあああ!」
異形の植物は軽々と俺を持ち上げると、クッパァ……と歯の生えた口を開いて……俺を丸のみした。
死ぬつもりだったけれど、さすがにこれは想定していなかった……と最後に思いながら俺の意識は暗転した。
気色の悪いバケモノに食われるという恐ろしい死に方をしたにもかかわらず、死の微睡みはとても穏やかで、ゆりかごの上にいるようだった。
ずっと薬を使わなくては眠れない日々をおくっていた俺は、こんなに心地良い眠りのような感覚が『死』だと言うのなら、死ぬのも悪くないと思いながら夢のなかを揺蕩っていた。
ヴィヴィアナが、俺のそばで微笑んでくれている。ここはすでに死の世界なのか。昔と変わらない姿で笑う彼女に手を伸ばしかけたその瞬間、白と赤の水玉が目の前に現れた! 俺を食った水玉野郎は、よだれをダラダラ垂らしながら、口をパッカーーッと開け、再び俺を捕食しようとして……『ぎゃああああああー!』
自分の叫び声で目が覚めると、目の前に女神のような美女が立っていた。
銀色の髪に金色の瞳をしていて、ぞっとするほど美しい。人間では有りえない色味をしている。恐らく魔物だろう。恐ろしい存在のはずなのに、顔立ちがどこかヴィヴィアナに似ている気がして、思わず見惚れてしまった。
どうやら食人花に食われかけていた俺を彼女が助けてくれたらしい。
俺はあんな目に遭ってなお、死ななかったらしい。
美女は死にかけてボロボロだった俺を拾って来て、手当をしてくれた上に、なんと治るまで面倒をみてくれるという。
「はい、あーん」
(あーんて……いい歳した男に言うものでは……ああでも魔物からすれば人間の年齢も性別もどうでもいいことか。にしてもあーんとは……)
魔の森に落ちて食人花に食われかけて死にかけて、魔物の美女に拾われ手当されて、スープをあーんされている。うん、何言ってるのか自分でもわからん。
戸惑っているうちに匙を口に突っ込まれる。
透き通った黄金色のスープは舌の上にとろりと広がり、うま味がじんわりと感じられる。
(うまい……)
色々な野菜の味が感じられてとても美味い。料理のことなんて分からないが、とても丁寧に手間をかけて作った優しい味がした。
ずっと何を食べても味がしなかったのに、このスープはちゃんと美味しいと感じられた。
久しぶりに満たされた気持ちになって、気持ちが緩んで油断していたところで、いきなり後ろから抱きしめられて、胃からスープが飛び出るかと思った。
びっくりしている俺の口に、彼女は容赦なく殺人的にマズイ薬を瓶ごと突っ込んでくる。
そのまま抱きしめられながら苦くてエグくて辛くてマズイ薬を飲み下すと、『はい、お薬の飲めましたね。いい子いい子』と頭を撫でてくれた。
な に こ れ ?
とんでもない美女に後ろからぎゅっと抱きしめられて頭を撫でられている俺。
や、柔らかかったな……。
いや、そうじゃなくて、そういえばそもそもなんで魔物が人間を助けるんだ? あんな魔法のような薬も相当高価な筈だ。それを惜しげも無く使ってしまって、そんなことをしてあの魔物に何の得があるというのだろう。むしろ大損害だ。
これまで調査に入った人間が生きて帰ってきたことなどない。魔物は人間の敵だと思っていたので、わざわざ死にかけている俺を助けるなんて信じられなかった。
何か隠された意図があるとしか思えない。そうやって若干疑ってかかっていたのだが、どうやら彼女は人間も野生動物も同じ感覚だったらしい……。ただ死にかけていたから保護した、とごく当たり前のように言った。
そして彼女は『たまには毛色の違うペットを飼うのもいいかな』と、俺をペット扱いしてきた。
ペット……。魔物から見れば人間も珍しい動物と同じなのか……。
死ぬ予定が、魔物に助けられ、道楽で飼われることになってしまった。
……どうしてこうなった。




