第4章 15話 獣笛
翌朝、目が覚めると体の痛みはすっかり引いていた。さしもの火傷も〝聖人の奇跡〟で完全に治癒しきったらしい。
「……とりあえず、朝ご飯にするか」
パンと目玉焼きとサラダという簡単な朝食を作り、がらんとした食堂でゆっくりと食事を済ませる。
窓からは朝日の光が差し込み、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
気持ちのいい朝のはずなのに、とても爽やかとは言えない気分だ。
「僕はこれからどうすればいいんだろう」
本来なら、オーレリア姫とロデリック様に会ったことをグローヴ子爵に報告するべきなのだろう。でも、オーレリア姫の安全が保証されない限り、たとえ依頼主であってもその居場所を教えるのは憚られる。
でも、オーレリア姫の安全を保証するなんてことが可能なのだろうか?彼女を贄として古竜に差し出さない限り、その古竜によって国が滅ぼされてしまう。姫ひとりを救おうとすれば、エルム竜王国の全国民が生命の危機に晒されることになる。
国王陛下も、そして僕たちが訪ねていった時の反応からいって恐らく師匠も、この事実を知っているに違いない。
恐らく、陛下は酷く悩んでおいでだろう。たった一人の娘と全国民の生命を天秤にかけなければならないのだから。姫を連れて失踪したロデリック様が罪に問われていないのも、「彼らが逃げ続けている限り、ひとまず娘を贄に出さずに済む」という国王陛下の親心が働いているのではないだろうか。
駄目だ、いくら悩んでも答えが見つからない。ステラが言うには〝古竜の言葉に全ての答えがある〟ってことなんだけど、僕を聖人と知っただけで殺そうとしてきた相手の言葉から一体どんな答えを探せというんだろう。
「……悩んでいても仕方ないや。今日は気晴らしに狩りでもするか」
僕は転移門を開いて住み慣れた森の小屋に移動すると、放ったらかしになっていた狩りの道具を身に着ける。弓矢に水筒にナイフ、獲物を運ぶための麻袋……は要らないか。収納の指輪があるもんな。あ、そうそうこれを忘れちゃいけない。獲物を呼び寄せるための獣笛だ。
「この森で狩りをするのも久しぶりだな。腕が落ちてなきゃいいんだけど」
準備を終えた僕は、早速森の中に繰り出した。
するとどうだろう、四方から獲物の気配がひしひしと伝わってくる。
いや、気配を感じるなどというレベルではない。頭の中に森全体の地形が立体的な映像として映し出され、そこに潜んでいる獲物達の居場所やら種類やらが鮮明に浮かび上がってくる感じ。
「くっ……僕の気配探知技能がえぐ過ぎる……」
最後に確認した時点で、技能レベルが既に200を超えてたもんなあ。
気配探知だけじゃなく、隠密技能もかなりのレベルに達していた筈。ひょっとして、今の僕なら獲物に一切気づかれることなく簡単に近づけちゃうんじゃないか?
「……うん、技能は封印だな。今日は昔と同じやり方で狩りをしよう」
今の僕が技能をフル活用したら、森じゅうの獲物を狩り尽くしてしまいそうで怖い。森の生態系を破壊する聖人とかシャレにならない。
僕は気配探知技能を遮断し、待ち伏せに徹することにした。
待ち伏せ狩りには獣笛を使う。これは獣の鳴き声を擬態するための笛で、この笛の音を仲間の鳴き声と勘違いした獣が寄ってくるのだ。獣笛には色々な種類があるけど、僕が愛用しているのは繁殖期の牝鹿の鳴き声を真似するための笛だ。
『ブォォォ~~』
息を吹き込まれた笛がくぐもった音を立てる。僕は茂みの中に身を隠して周囲に注意を払いながら、何度か繰り返し笛を吹いた。
そうやって待ち伏せを始めてからどれだけの時が経っただろうか。近くからガサゴソと茂みを書き分けるような音が聞こえてくる。注意深く聞き耳を立てると、物音の中に鹿の鼻息らしき音が混じっているのが分かる。
僕は音をたてないようにゆっくりと弓に矢をつがえる。そのまま呼吸の音を殺して待っていると、僕が隠れている茂みの前に立派な牡鹿が現れた。頭に立派な角を生やしたその牡鹿は、牝鹿の姿を探すかのように足を止めて周囲を見回している。
(今だ!)
僕が満を持して放った矢は、見事に鹿の首の急所に突き立った。鹿は驚いたかのように一瞬身を硬直させた後、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
「うわ、まさか一撃で仕留められるなんて……」
これだけ立派な鹿をたった1本の矢で仕留めるなんて、熟練の狩人でも至難の業だ。矢で手傷を負わせた後、逃げる鹿の血痕を根気強く追跡し、次第に弱っていく鹿を追いつめて止めを刺す。これが普通のやり方だ。
「やっぱりステータスのせいだよな、これ……」
僕の人間離れしたステータスによって、弓矢の狙いが極限まで研ぎ澄まされているに違いない。昔だったら、こうも簡単に鹿の急所を射抜けたわけがないんだから。
あまりの簡単さに気が抜けてしまった僕は、仕留めた鹿を収納の指輪にしまい込むと、早々に狩りを切り上げてモルトの街に戻った。
冒険者ギルドは相変わらず盛況だった。昼間から酒を飲んでとぐろを巻いている冒険者だけでなく、ギルドに依頼を出しに来た一般客や素材の買取にやってきた商人風の男など、ギルド内は雑多な人々で溢れかえっている。
「誰かと思えば、英雄様のお越しじゃねえか」
「その呼び方はやめてくださいよ、アーロンさん……」
受付のカウンターには相変わらずギルドマスターのアーロンさんが居座っていて、周囲に目を光らせていた。こうして顔を合わせるごとに冷やかしてくるのは困りものだけど、僕が銀級冒険者になった今も態度を変えずにいてくれる、得難い人だ。
「どうした、なんか凄い魔物でも仕留めてきたのか?」
「いえ、鹿を1頭狩ったので、買い取ってもらおうかと」
「し、鹿だと……なんで今更そんなモンを狩ってるんだ?」
「ははは……ちょ、ちょっと初心に戻ろうかなって」
苦しい弁解をしつつ、収納の指輪から鹿を取り出してアーロンさんに引き渡す。
「どれどれ……おお、急所を一撃とはえげつねえな。致命傷以外には目立った傷もねえし、これなら買値に色を付けてやれそうだ。そうだな……解体費を差し引いて、金貨2枚出してやろう」
「それでお願いします」
アーロンさんはギルドの職員らしき男の人に鹿を引き渡すと、僕に金貨を2枚差し出した。
「ひょっとしてお前、狩人に戻るのか?」
「いや、ただの気分転換ですよ。今は冒険者としての依頼も残ってますし……それが何か?」
「いやな、実は最近、獣笛を作るのに凝ってんだ。お前が狩人をやるなら、新作を一度試してもらえねえかと思ってよ」
「へえ~、どんなのを作ったんです?」
「おっ、見てみるか?」
僕がそう尋ねると、アーロンさんは嬉しそうにいくつかの獣笛をカウンターに並べてみせた。
「まずはこいつだがな、牡鹿が縄張りを主張する鳴き声を真似た笛だ。こいつを吹けば、縄張り荒らしに怒り狂った別の牡鹿がすっ飛んでくるって寸法よ」
「……それ、危険なんじゃないですか?」
「まあな。鹿に襲われて大怪我させられたらたまらんってんで、他の狩人達からは総スカンを食ってよ」
「それは僕もパスで」
一瞬落胆した表情を浮かべたアーロンさんだったが、すぐに気を取り直してもう一つの獣笛を勧めてきた。
「じゃあコイツはどうだ?鳥を呼び寄せるための笛でな、これ1つでカモだろうとキジだろうとわさわさ集まってくる優れもんだ」
「凄いじゃないですか。それなら高く売れるんじゃないですか?」
「だろ、だろ!?だが1つだけ欠点があってな、こいつを吹くとハーピーまで集まってきちまうらしいんだ。この笛を試しに使ったやつが襲われたらしくて、後で散々文句を言われたっけな」
「危険過ぎる……」
ハーピーは人間の女性の上半身に鳥の下半身と翼を併せ持った魔物で、繁殖期になると人間の男を襲って交配するという。しかも、することを済ませてしまうとその人間をエサとして食べてしまうという、非常にはた迷惑な連中だ。そんなのにわさわさと集まられたらたまったもんじゃない。
「じゃ、じゃあ最後のこれはどうだ?これは最新の自信作だぞ!」
そう言ってアーロンさんが取り出したのは、妙に丸っこい不思議な形の笛だった。
「それはどういう笛なんです?」
「こいつはな、弱った赤猪の子供の鳴き声を真似た笛だ」
「赤猪……って、魔物ですよね。まさかこれ、魔物を呼ぶ笛なんですか?」
まともな笛がひとつもないじゃないか……。
僕は頭を抱えたくなった。
「そ、そりゃその通りだが……でもほら、小さめの赤猪ならギリギリ普通の狩人でも狩れるだろ?」
「うーん……確かに、死んだ父さんはたまに仕留めてましたけど……」
普通、魔物を仕留めるのは冒険者の仕事なんだけど、赤猪はそれほど強い魔物ではないし、良質の肉と毛皮を取れることもあって、一般の狩人が獲物として狙うこともある。でも、相当の腕前の狩人でない限り、とても仕留めきれるようなものではない。
「赤猪ってのは同族意識の強い魔物だ。弱った子供の声を聞いたら必ず助けに来る」
「そう言われると、確かに呼び寄せ効果は高そうですけど」
「お前もそう思うだろ!?どうだ、こいつは使えるんじゃないか?」
「うーん……」
弱々しい子供の鳴き声を聞いて駆けつけた大人の赤猪を狩る……か。確かに使えそうなんだけど、相手の良心を利用するみたいで気が引けるなあ。
…………ん?
弱い者を助けにきたところを狩る……?
相手の良心を利用する……?
「ああああああああっ!!!!」
「うおっ、い、いきなりどうした!?」
「分かった!やっとあの古竜の思惑が分かった!アーロンさんのお陰だ!」
「古竜?おいおい、一体何を言って──」
「こうしちゃいられない、すぐにグローヴ子爵に知らせなきゃ!」
そう言うが早いか、僕はその場から駆け出して冒険者ギルドを後にした。
早くこれを伝えなきゃ!グローヴ子爵だけじゃない。オーレリア姫、ロデリック様、オールストン伯爵に国王陛下、それから師匠にも!
「一体何だってんだ、あいつ……」
ひとり後に残されたギルドマスターは、ぽかんとした顔で、自信作の獣笛をなんとなしに弄んでいた。




