第4章 13話 聖人の敗北
古竜の口から再び灼熱の熱線が放射された。
「くっ、身体強化最大!」
僕は身体能力を最大まで高めて横に飛び退いた。そのすぐ背後を青白く輝く光の束が通り過ぎていく。
避けきった……と安堵した瞬間、僕の身体は灼熱の炎に包まれた。
「ぐああああああっ!?」
《シモン様!!》
甘かった。岩をも蒸散させる超高温の熱線だ。たとえ直撃を避けたとしても、その放射熱を喰らっただけで人間の身体なんかあっという間に消し炭にされてしまう。そう、今の僕のように……。
《ほう、まだ息があるか》
「ぐ……」
普通の人間なら即死に至るほどの酷い火傷だ。身体のところどころで皮膚が炭化し、その隙間から皮膚の下に隠れていた筋肉が露出している。
そんな状態でも、〝聖人の奇跡〟の治癒力によって、僕はどうにか生命を保っていた。
《貴様、名をなんという》
「……それを知って……どう…する?」
《これまで何人もの聖人を屠ってきたが、我が息を2度受けて生き残った者はいない。殺す前に、貴様の名を我が記憶に刻もう》
「……なら覚えて…おけ……。僕の名は…シモン。貴方の息に耐え……そして……傷を負わせた人間だ…!」
身体が動かなくても、頭さえ無事なら魔法は使える!
僕は全身の魔力を振り絞って空中に巨大な槍を作り上げると、その槍の先端にさらに魔力を集中させていく。巨大な魔力が集約された槍の穂先は激しい輝きを放ち、周囲の空気をびりびりと震わせる。
出し惜しみなしの全身全霊。あの悪魔ダンテすら、この槍の一撃を喰らえば一瞬でその身を消滅させたに違いない。
「喰らえ……聖槍!」
僕がありったけの魔力を注ぎ込んだ光の槍が、古竜の鱗を貫くべく唸りを上げて飛んでいく。
しかし、古竜の瞳が一際輝いたかと思うと、僕の全てを注ぎ込んだ槍は空中で溶けるように消えてしまった。
「なっ……」
《ダメ!古竜にシモン様の魔法は通用しないの!イメージの構築力に差があり過ぎるの!》
ステラの声も焦燥に煽られて震えている。
僕の全身は焼けただれ、全ての痛覚神経が金切り声を上げている。
魔法も通じない。その上、全ての魔力を使い果たしてしまった。
転移門で逃げることもできない。
万事休すか……!
しかし古竜は僕にとどめを刺そうとせず、感心したような眼差しを向けてくる。
《今の槍は見事。人の子とは思えぬ程の魔力量だ》
でも、今の僕には皮肉にしか聞こえなかった。
いくら魔力量が多くても、こっちの魔法を無効化されるんじゃ意味がない。
《貴様の魔力があれば、我も……いや、駄目だ。我は貴様を殺さねばならぬ》
古竜は何かを言いかけたが、思い直したように口調を変えると、再び大きく息を吸い込み始めた。
最大の攻撃である息で、僕に止めを刺すつもりだろう。
流石にもう避けられない……僕は覚悟を決めて目を閉じた。
《シモン様を死なせるわけにはいかないの!!》
古竜の口から光芒が走る直前、ステラの叫びと同時に、僕の身体は神々しい光に包まれた。
そして──僕はその光の中で意識を失った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
モルトにあるシモンの家。
そのリビングにあるソファに深く腰掛け物思いに耽っていたグウェンの目の前に、いきなりそれは現れた。
「きゃあああああ!?」
転移門が開いた様子もなく、いきなりグウェンの目の前に出現したそれは、ボロボロに傷ついたシモンとステラの二人だった。
グウェンが離脱した後に一体何があったというのか、シモンの全身は見るも無残に焼けただれており、その指一本すら動く様子はない。
一緒にいるステラも明らかに様子がおかしい。今は実体化している筈なのに、その体の向こうが透けて見えるほどに存在が薄れている。
「な、何があったの!?シモン、ステラ、しっかりして!」
《グウェン……急患なの。シモン様を……頼むの》
「とにかくベッドに運ぶわ!」
グウェンは身体強化を発動すると、ボロ雑巾のような姿のシモンを軽々と担いで寝室へと運び込んだ。ステラは弱々しくふらつきながらもその後についていく。
「酷い火傷……すぐに治癒院から人を呼んでこなきゃ!」
《シモン様は大丈夫……なの。1日も寝かせておけば……〝聖人の奇跡〟で回復するの》
ステラの言う通り、グウェンの見ている前でシモンの傷は少しずつ回復し始めていた。
「そう言う貴女は大丈夫なの?明らかに様子がおかしいわよ?」
《んー……正直ちょっと……危ないの。回復するまで……天界に戻らなきゃならないの》
「天界に戻る?」
「シモン様が起きたら……伝えてほしいの……古竜の言葉に全ての答えがあるって」
「ちょっと、ステラ!?」
呼び止める間もなく、ステラの姿は薄れて消えてしまった。
「古竜の言葉……ってことは、古竜と会えたのね。だとすると、この火傷は……まさか古竜の息を受けたの……!?」
推測に過ぎないが、恐らく間違いないだろう。シモンと古竜との間で何らかの会話があり、その後で戦いになったに違いない。何故そんなことになったのかは分からないけど、ステラの言葉からいって、古竜から何か重要な事実を知らされたに違いない。
「……考え事は後回しね。とにかくこの火傷をどうにかしなきゃ」
グウェンは水の精霊の力で冷水を作り出すと、それで手元の布巾を濡らし、火傷の酷い部分にあてがった。
「う……」
低く苦悶の声をあげたシモンの頬にそっと右手を添えると、火照った肌がじっとりと汗ばんでいる。意識を失った今も、火傷の苦痛に酷く責め苛まれているに違いない。
「古竜と戦うなんて、いくらなんでも無謀過ぎるわよ……」
古竜はこの世界で最も神に近しいとされる生物。いくら聖人とはいえ、そんな相手に戦いを挑んでよく生きて帰れたものだと思う。
「ひょっとして、シモンは死ぬのが怖くないのかしら?」
……いや、それは違う。
この人はきっと、自分の生命よりも大切なもののために戦ってるんだ。
オーレリア姫のため。ロデリックのため。そしてこの国で暮らす人々を守るため。
この人は、他人を救うためならどのような危険にも立ち向かっていくのだろう。
それに比べて自分はどうだろう。
成さねばならない使命を抱えながら、行く手に待ち受ける障害を恐れて逡巡するばかり。
ディアボロを恐れて一歩も踏み込めずにいた頃とまるで同じだ。
エルマー兄さんにもシモンにも守られる一方で、何の助けにもなれていない。
(このままじゃ駄目……しっかりしなさい!覚悟を決める時よ、グウェン)
グウェンは何かを決意したような表情を浮かべると、シモンの頬からそっと手を離し、新しい布巾を探しに部屋から出て行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
裸身の美しい女性が、天界の泉にその身を浸している。
「ステラエルよ、久しいのう」
「これは創造神様、ご無沙汰しておりました」
歩み寄ってきた白髪白髯の老人に、裸身の美女は恥ずかしがる様子もなく最敬礼で応える。
ここは天界の深奥にある癒やしの泉。戦いに傷ついた天界の戦乙女達が、その身を癒やしに訪れる場所。
「今回は随分と危ない橋を渡ったようじゃな」
「禁を破ったこと、申し訳なく思っております」
「ほっほ、心にもないことを言うものじゃな」
神妙そうな様子のステラエルに、創造神は笑い声を上げた。
「シモンの為であれば、今後も禁を破ることに躊躇いなどあるまい。違うかの?」
「……あの者こそ、私の希望の全てなれば」
「よいよい。ただ、くれぐれも度を過ぎぬことじゃ。禁を破って下界に直接関与するごとに、お主は神力を失うことになるのじゃからな」
「はい。弁えております」
ステラは思う。そのようなくだらない制約がなければ、こんな苦労はしていなかった。
わざわざシモンを古竜の元に旅立たせることだってなかった筈だ。エルム王国と古竜との関係も、古竜の思惑も、私がシモンに教えてあげれば済んだ話なのに。それだけじゃない、この先に待ち受ける大いなる危機のことだって──
でも、それはできない。天界の者は下界に直接関与することを許されていないのだ。
もし禁を破って下界の未来を大きく変えてしまった場合、私は全ての神力を失うことになる。
そうなれば、神力によって保たれている〝ステラエル〟という存在は消滅してしまうだろう。
実際、古竜からシモンを救い出したことによって、ステラエルはその神力を大きく損なっていた。危うくその存在すら薄れかかった程に。
今この泉で自らを癒やしているのも、失った神力を少しでも補うためだ。
「しかし、よく神力が尽きなかったものじゃな」
「私自身の力のみで事を為したのであれば、とうに私は消えていたでしょう」
「ほう、どこぞから力を借りたか」
「これまで相当量の供物を受けておりましたので、そちらから……」
「供物……?もしや、シモンから日々供されておる食事のことか!?」
「仰せの通りです」
「ふぉっふぉ!流石は熾天使ステラエル、抜け目がないのう」
創造神は楽しげな笑い声を上げた。
天界の者が下界の者から供物を受けると、それに相応した量の神力を得ることができる。この供物によって生じる神力を理外の神力と呼ばれる。
通常の神力と比べればほんの僅かな力だが、天界の掟に一切縛られることなく自由に行使することができる、という特徴がある。天上の神がその信徒に加護を与えられるのも、この理外の神力があってこそだ。
ステラはシモンが自分に作ってくれた料理をこっそり供物扱いにすることにより、この理外の神力を得ていた。そのお陰で、禁を破ってもなお自らの存在を保てる程度の神力を残すことができたのだ。
「そうかそうか、外界でのお主は妙に大食いであったが、そういう目論見があったのじゃな」
「勿論、それもありますが……」
「ん?それ以外にも何かあるのか?」
「普通に美味しかったので、つい食べ過ぎました」
「ほっほっほ!そうかそうか、シモンの美味い飯で生命を繋いだか」
創造神は呵々大笑し、ステラエルは恥ずかしげに頬を赤く染めて俯いた。




