第4章 12話 古竜ユリシーズ
新しい称号〝竜脅し〟は思いのほか役に立った。僕の行く手に立ち塞がる下位種の竜達が、戦わずして悉く道を空けてくれるのだ。ステラの説明によると、この称号には竜が恐慌を起こしやすくなる効果があるとのこと。おかげで無駄な戦いをせずに古竜のもとまで辿り着けそう……なんだけど……。
(ギャヒィィイイイィィィィ!)
「またか……ただの人間を相手に、そんなに怖がること無いのに……」
真っ黒な鱗の闇竜が真っ赤な瞳から涙を流しながら這いつくばる姿に、思わずため息が漏れてしまう。
《ぷーくすくす。シモン様がただの人間とか、笑えない冗談なのー》
「しっかり笑ってるじゃないか!」
何故だろう。体力は温存できてるけど、その代わりに精神力をごっそり持っていかれてるような気がする……。
怯える竜は全て放置し、たまに出くわす蜥蜴人の斥候はしっかり殲滅しつつ、僕はさらに竜の巣奥深くへと進んでいく。
そして、遂に古竜の気配をすぐ近くに感じられるところまで辿り着いた。
しかし、いざ踏み込もうとした僕の前に、いつになく真剣な表情のステラが立ち塞がった。
「どうしたの?」
《シモン様、古竜と会う前にひとつだけ約束してほしいの》
「いいよ」
《……話を聞く前に約束しちゃっていいの?》
「ステラにそんな真面目な顔をされたら、何を言われても断れないよ」
《シモン様……》
ステラは何かを堪えるような顔で押し黙ってしまった。
「で、その約束ってのは何?」
《もし古竜と戦いになったら、何を差し置いてでも逃げてほしいの》
「なんだ、そんなことか。大丈夫、無謀な戦いを挑むつもりはないよ」
《……》
僕はステラの横をすり抜けて前に踏み出す。すると、僕の前に巨大な空間が開けた。
その広さは向かい側の壁や天井が見えないほどだ。まさか、霊峰ヘルラト山の地下深くにこんな空間があるなんて。
「明るい……」
空間の内部は、夜光石の明るさだけでは説明のしようがない光に満ちていた。そしてその光は、空間の中央部に鎮座している巨大な塊から発せられている。
この広大な空間と比しても、その光の塊はあまりにも巨大に見えた。これまで遭遇した下位種の竜などとは比較にならない。恐らく、彼らの3~4倍程度はあるだろうか。
探知スキルなど使わなくても、その光が迸る魔力によるものであることが肌で感じられる。神聖さすら感じる白く神々しい輝き。
でも、僕はその光の中に何か妙な違和感も感じていた。以前どこかで感じたことがあるような、不吉さを伴う嫌な感覚……これは一体?
いや、ここまで来て思い悩んでいても仕方ない。
微動だにしないその塊に向かい、僕は声を張り上げて語りかけた。
「お休みのところ失礼します。この山に住まうという古竜ユリシーズとは、貴方ですか?」
聞くまでもない事だった。この山に棲む何者をも圧倒する強大な存在感と威圧感。これが古竜でなくてなんだというのか。
すると、光の塊が動いてこちらに目を向ける。古竜の瞳はオパールのような光彩に満ちており、こちらの魂の底までも見通されそうな深みをも併せ持っていた。
それにしても、なんという大きさだろう。ただ首をもたげただけなのに、その頭部はもはや王城の尖塔ほどの高さに達している。
《む……またエルムの末裔が贄となりに来たか》
不意に、僕の頭に声が直接が響いてきた。そうか、古竜は念話を使えるのか!
「いえ、私はシモンというただの冒険者です。貴方と話をしたくて罷り越しました」
《我の側には話すことなどない》
古竜は興味なさげに僕から視線を外すと、首を折りたたんで元の姿勢に戻ろうとする。
「お待ち下さい!お休みになる前に、どうかひとつだけ教えて欲しい」
《申せ》
「貴方と建国王エルムの間で交わされた盟約──その内容を教えていただきたいのです」
そう。僕はただそれを知りたくてここに来た。
古竜ほどの偉大な存在が、ちっぽけな人間ごときを相手に何を約束したのか?
そして、王家のものを贄に求めるのは何故なのか?
この謎を解かない限り、贄を捧げることなく事を丸く収める方策など考えつきようもない。
そもそも、エルム王国の歴史をいくら辿っても、古竜が王国に直接関与したような事跡は一切なかった。建国伝説にある〝守護の盟約〟なんてものはまやかしに過ぎず、ただ古竜が一方的に贄を要求しているだけのようにすら思える。
それなのに、この国は建国以来この古竜を守護竜として崇め奉ってきた。
それらの謎の発端が、古竜ユリシーズと建国王エルムⅠ世の間に交わされたという〝盟約〟にあるのは間違いない。だからこそ、僕はそれを知りたかった。
《人の子よ、我にそれを語らせて何とする?》
「今、王家は断絶の危機にあります。私は貴方と王家が共存する道を探りたいのです」
《……そうか、遂にエルムの血が絶えるか》
そう語った一瞬、古竜の輝く瞳が曇ったように見えた。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに冷たい声が脳裏に響いてくる。
《ならば、エルムが成した国もその血とともに滅びることになる。それが定めゆえな》
「なっ……」
ある程度は予想していたつもりだったけど、それでも古竜の言葉は衝撃だった。
『たとえ王家が途絶えようとも贄を絶やしてはならぬ
その結果王家が絶えて贄を出せなくなれば、その国も滅ぼす』
この竜はそう言っているのだ。
そして、それは〝盟約〟ではなく〝定め〟だと。
「……最初から盟約など存在しなかったのですね」
僕はゆっくりと言葉を選んで古竜に語り掛ける。
「貴方の側から建国王に対して義務を課しただけなんですね。『滅ぼされたくなければ、王家の直系から贄を出し続けよ』と……」
《……》
古竜は沈黙したままだったが、否定しないという事実が僕の指摘の正しさを裏付けているように思えた。
でも、この古竜は何故そのような義務を建国王に負わせたんだろう?
王家の人間を贄にしたところで、古竜の側に得るものがあるとは思えない。一体、どんな理由があってそんな事をしたんだろうか。
その時、僕を見つめる竜の瞳が一際強い輝きを放った。
《ほう……人の子よ、貴様は〝聖人〟だったのか》
「なぜそれを!?」
いきなり指摘されて思わず身構えたが、考えてみれば相手は神に近しい存在とされる古竜。
である以上、僕の正体くらい見破って当然かもしれない。
そうやって僕が戸惑っていると、古竜は急に身を起こし、その身に濃密な殺気を漂わせ始めた。
それと共に、古竜の身体から迸る魔力の奔流がさらにその勢いを増し、殺気とともに周囲へと伝播していく。
これは……ちょっとマズい雰囲気かもしれない。
《貴様が聖人であるならば、ここで殺さねばならぬ》
「な、何故ですか!?」
古竜は僕の質問に答える素振りも見せず、徐に大きく息を吸い込みだした。
すると、あれほど濃密だった周囲の魔素が急激に薄れていく。よく見ると、古竜の牙の間からはちろちろと炎が漏れて見えている。
これは……拙い!
《シモン様逃げて!息が来るの!》
ステラの悲鳴のような警告に重なるようにして、古竜の口から猛烈な炎の息が放射された。いや、息なんて生易しいものじゃない。それは青白い輝きを放つ超高温の熱線の束だった。直撃を受けた地面や壁はあっという間に赤熱化して溶け出し、さらには気化していく。この目で見てもなお信じられないほどの高温だ。
ブレスを吐き終えた古竜は、背後を振り返り、少々意外そうな声をあげた。
《……ほう、転移魔法か》
古竜の視線は、とっさに転移門で古竜の背後に回り込み、すんでのところで息の直撃を避けた僕を確実に捉えていた。
「待ってくれ!僕に貴方と戦うつもりはない!」
《貴様の意思も我の意思も関係ない》
必死に呼びかける僕にそう冷たく言い放つと、古竜は周囲の空間に波紋のような魔力を放った。
空間全体に放射状に広がった波紋は僕の身体も通り抜けていったけど、特に影響を受けた様子はない。どうやら攻撃的な魔法ではないようだ。
でも、何か嫌な雰囲気だ。この空間そのものに何らかの強制力が働いたかのような、不思議な感覚。
《いけない!シモン様、すぐに逃げるの!》
ステラが大声で警告してくる。
彼女の必死の形相に尋常ならざる気配を感じ、僕はすぐさま転移門を開いてこの部屋から逃れようとした。しかし──
「転移門を開けない!?」
《我の力でこの空間を固定した。空間に干渉する魔法は無効化される》
空間を固定しただって!?古竜ともなるとそんな事までできるのか!?
拙い、いま転移魔法を封じられたら、あれを避ける手段が──!
想定外の事態に愕然として一瞬固まってしまった僕に向かい、古竜は再び大きく息を吸い込み始めた。




