第3章 22話 覚醒
悪魔ダンテが巻き起こした爆炎は凄まじいもので、ヴァレリアの街ひとつを破壊し尽くすのに十分なだけの威力を備えていた。
しかし、その爆炎が収まってみると、周囲の様子にはさして変わった様子もない。ただ、街の住人はすでに逃げ散ってしまったようで、付近に人の気配は感じられなかった。
僕とグウェンさんは飛翔の魔法で飛び上がり、天井にぽっかりと空いた大穴から外に出てダンテと対峙する。
今のダンテは身の丈15メートルはあろうかという巨人と化している。街に立ち並ぶ石造りの建物の隙間からにゅっと奴の頭が飛び出ている様子は、まさに異様の一言だ。
しかし、そのダンテの表情は疑問に曇っていた。自らの魔法がなぜ不発に終わったのかを理解できていないようだ。
「貴様、一体何をした?」
「転移門で爆炎を遠くに転移させたんだよ」
「……成程、なかなか機転が利くようだな」
咄嗟に奴の全身を覆うような転移門を作り出して、遥か上空に爆炎を転移させたんだけど、上手くいってくれてよかった。危なく街が全壊するところだった。
しかし離れた場所に巨大な転移門を作るのはやっぱり無理があったようで、今の一度だけで相当の魔力を失ってしまった。同じことができるとしても、あと2回程度がせいぜいか。
「まあ良い。貴様を始末した後で、ゆっくりと蠅どもを退治してやろう」
「できるものならやってみろ!」
「……増長するなよ、小僧!」
ダンテが怒りの声をあげると、地面が爆ぜる轟音とともにその巨体が消え失せた。
「どこを見ている?」
「なっ!?」
不意に後ろからかけられた声に振り向いた時には、既に奴の巨大な拳が僕の上半身を捉えていた。
「ぐはぁっ!?」
上から叩きつけるような打撃をもろに食らった僕は地面に激しく激突した。たった一撃もらっただけなのに、全身の骨がバラバラになったかのようだ。
「シモン!?」
「グウェンさん……こっちに来ちゃ駄目だ……!」
僕は身体を引きずるようにして立ち上がり、悲鳴を上げたグウェンさんが僕に近づこうとするのをどうにか制止する。内臓からせり上がってきた血が口の中に溢れ、もはや声を出すのも一苦労だ。
もはや認めるしかない。ダンテは強い。強すぎる。どう考えても彼女に太刀打ちできるような相手じゃないし、僕にも守ってあげられるような余裕がない。戦いが終わるまで、彼女にはできるだけ離れていてもらわなきゃ。
……いや、太刀打ちできないのは僕も同じじゃないのか?どんなに身体強化をしたところで、今のダンテには届きそうにない。魔法で戦うにも、目にもとまらぬスピードで動く相手をどうやって捉えればいい?
「……妙だな」
その時、ダンテが首をかしげながら呟いた。
「何がおかしい?」
「数百年に一度現れ、我らの王国を幾度となく危殆に陥れてきた忌まわしき存在、それが聖人だ。しかし、それらの伝説に比すると貴様はあまりにも弱すぎる」
「なんだって……!?」
ステラが嘘でもついていない限り、間違いなく僕は聖人だ。それに〝星の銀貨〟によって大幅にステータスも増している。それでも過去の聖人のほうが強かったっていうのなら、一体何が僕と違うんだ?
いや、そんなことを考えている場合じゃない。どうやったらこいつを倒せる?
正直、今の僕の力じゃ傷ひとつだってつけられそうにない。
ならば魔法で?いや、こいつは高度な魔法文明を誇った古代レムリア王国の生き残りだ。そいつにステータスで上回られている以上、魔法で戦いを挑んでも結果は同じだろう。
……いや、諦めるな、考えろ!これまで僕はどうやって悪魔と戦ってきた?
「──ほう、覚悟は決まったか」
僕の雰囲気が変わったことを察知したのか、ダンテは構えを改めた。
僕は身を低く沈めて集中する。これは奇襲だ。恐らくこの手が使えるのは1回限り。外したら2度目は無い。
「ふっ!」
僕は短く息を吐き出すと、ダンテに向かって一気に跳躍する。同時にありったけの魔力を練り上げて拳に集中させていく。
ダンテはそんな僕の動きをまるで意に介した様子もなく、避ける素振りも見せない。
「喰らえぇっ!」
僕の全力を注ぎこんだ拳が奴の眉間を見事に捉えた。周囲に激しい轟音が響き渡り、炸裂した魔力が弾けるように四方へ拡散する。
しかし──ダンテは瞬きひとつすることなく僕の全力の攻撃を受けきって見せた。攻撃を受けた額も全くの無傷だ。まさか……上位の悪魔がこれ程までに強いとは!
「力の差すら分からぬとは、愚かなことよ」
「いや、それくらい分かってたさ」
「むっ!?」
握りこまれた僕の拳から大量の赤い液体が飛び散りダンテに降りかかった。血を浴びた奴の身体からは黒い煙があがり、肉が焦げるような臭いが立ち込める。
「グアァァァァァァァッ!?」
苦しみ悶えるダンテはその巨体でのたうち回り、それに巻き込まれた周辺の建物が次々と倒壊していく。
そう、今のはモルトの街で対峙した悪魔を滅ぼし、パナシエの森林迷宮に現れた悪魔フォルゴーレの片腕を跡形もなく滅却してみせた〝聖人の血〟だ。
今の僕の攻撃が奴に効かないのは分かりきってた。でも、上位とはいえ悪魔は悪魔だ。たとえダンテであろうとも、悪魔が僕の血を浴びて無事でいられるわけがない!
「おのれぇ、小癪な真似をぉぉぉおおッ!」
「がはっ……!」
避けるどころか見えすらしなかった。ダンテが振り回した大木のように太い腕に激しく叩きのめされた僕は、後方へと吹き飛ばされて倒れ伏した。
〝聖人の血〟は間違いなくダンテを苦しめている。しかしそれすらダンテにとっては致命傷にならないようで、奴は動きを止めることなくひたすら悶え、暴れ続けている。暗くなりかけた僕の視界に、奴の巨体とその圧倒的な力が街の建物を次々と瓦礫の山へと変えていく様子が映る。
……駄目だ、こんなところで倒れている場合じゃない。立ち上がれ!このままじゃヴァレリアの街が壊滅してしまう!
しかし、その時僕は自分の体に力が入らなくなっていることに初めて気づき愕然とした。自分の身体が自分のものではないような不思議な感覚……まるで全身が麻痺してしまったかのようだ。
それでも必死に起き上がろうとすると、強烈な電撃を食らったかのような激痛が首のあたりに走った。まさか──首の骨が折れている!?
「貴様ァ!よくもォォッ!よくもこの我に穢れた血など浴びせおったなァァァア!」
全身を苛む苦痛に怒り狂ったダンテが、動けなくなった僕を踏みつぶそうと迫ってくる。くっ、万事休すか!?
「シモン!!」
悲鳴のような声とともに、飛翔で上空から様子を窺っていたグウェンさんが猛烈な速度で飛んでくると、奴の足に踏みつぶされる寸前だった僕の身体を横からかっさらった。
彼女は僕の身体を抱きかかえ、そのまま全速力でダンテから遠ざかっていく。
「シモン!大丈夫!?」
「グウェン…さん……逃げて……」
駄目だ、グウェンさんの力でもアイツには到底敵わない。僕の近くにいたらこの人まで死なせてしまう。
「僕を置いて逃げて……はやく……」
「馬鹿なことを言わないで!!貴方も約束を破るつもり!?」
……ああ、そうだった。僕は彼女を守るだけじゃ駄目なんだ。なんとしても奴を倒して生き残らなければ。
でも──でも、この状況でどうやって!?
その時、この戦いが始まってからずっと気配を断っていたステラの声が頭の中に響いた。
《……シモン様……シモン様……グウェンの傷に触れるの》
《ステラ?》
《時間が無いの!早くグウェンの傷に触れて〝聖人の奇跡〟を発動するの!》
ステラは何を言ってるんだ?今ここでグウェンさんの傷を癒せっていうのか?
でも、この傷を治してしまったら彼女をダンテから守るものがなくなって……いや、ちょっと待て。おかしいぞ。これが彼女の言う通り呪いの傷だとしたら、悪魔の攻撃から彼女を守るなんてことがある筈ないじゃないか。そもそも、これを呪いの傷だと言ったのはグウェンさんじゃなくて悪魔であるダンテの筈。その悪魔にとっての呪いの傷といったら、それは──
「貴様らァァ!逃がさんぞォオッ!」
ダンテは背中から蝙蝠のような羽を生やして空に飛びあがると、猛烈な勢いで僕たちの後を追ってきた。速度は明らかに向こうが上。このままじゃあと数秒もせずに追いつかれる……ええい、もうやるしかない!
「グウェンさん……ごめん……!」
「えっ?」
僕は動かない体に鞭を打ち、グウェンさんの身体に全身を預けるようにしてもたれかかる。その時、僕の額が彼女の頬の傷に触れた。
(神様……その御力を以て彼女の傷を癒し給え!)
僕は〝聖人の奇跡〟を発動させて彼女の傷の治癒を願った。
すると、彼女の傷は神々しい光を放ち輝きだした。その輝きは僕たち二人をすっぽりと包み込んだかと思うと、徐々に彼女の傷に触れている僕の額に集まっていき、そこから僕の体内へと取り込まれていく。神聖で暖かい何かが僕の内側を満たしてゆく……。
その瞬間、追いついてきたダンテが僕たちに向けて猛撃を放った。
「これで終わりだ!死ねぇッ!」
ガッ……!
僕とグウェンさんに強烈な一撃を見舞ったダンテは勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。しかし、その笑みは僅か数瞬後に凍り付く。
「なっ……ば、馬鹿な!なぜ今のを受け止められる!?」
グウェンさんを守るようにして宙に浮かんだ僕は、ダンテの剛拳をなんと片手で受け止めていた。
いつの間にか首の激痛は消え失せている。麻痺していた身体も思い通りに、いや思った以上に軽快に動く。さっきまで捉えることすらできなかったダンテの動きがスローに感じられるほど感覚が研ぎ澄まされている。
「この死にぞこないがァ!」
ダンテがいきり立って攻撃を仕掛けてくるが、僕はその場から1歩も動くことなく全ての拳撃と蹴りを片手で捌き切った。さっきまでとはまるで違う僕の動きにダンテは目を剥いた。
「馬鹿な!馬鹿な馬鹿な馬鹿な!貴様如きが我の攻撃を受けきるなどあり得ん!」
ダンテは飛び退って距離をとると、再び自らの身体に魔力を集めだした。奴の全身がみるみるうちに紫色の輝きに包まれていく。
「破滅の爆──」
「そうはさせないよ」
奴の魔法が発動する直前、僕はダンテに向かって手をかざす。
すると、それだけで奴の膨れ上がった魔力が霧のように四散して消えていった。




