第2章 11話 吸血鬼ファウスト・モンタネリ伯爵
いよいよ迷宮の最深部に足を踏み入れる。そこにはこれまでの階層と全く違う空間が広がっていた。
床にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。壁には漆喰で豪華な模様が浮き彫りにされており、その所々には金箔までもがあしらわれている。天井には等間隔にシャンデリアが並んでおり、魔法の光が空間を隅々まで明るく照らしている。更には高級そうな彫像や絵画なども至る所に飾られており、それらの全てが埃ひとつないほどの清潔さを保っている。
《まるで貴族様のお屋敷だな》
《こういうゴテゴテした成金趣味は好きじゃないの》
ここの主は古代に栄えたレムリア王国の死霊術師にして伯爵という地位にあった人物。彼が生前に暮らしていた家と同じ雰囲気を、この迷宮内に再現したのだろうか。
この階層は不気味なほど静まり返っていた。通路を歩き回って見つけたドアを片っ端から開けて回るが、魔物の気配ひとつ感じられない。第9階層までの魔物の密度を考えると、どうにも不自然に感じられてならない。しかし、念のため気配探知を発動させてみても、感じられるのは階層奥の空間から感じられるたったひとつの気配だけだ。
《やっぱりこの階層には伯爵しかいないみたいだね。もっとガチガチに身の回りを固めてるかと思ったけど》
《当たり前なの。自分より弱い魔物に護衛させても意味ないの》
《伯爵ってそんなに強いの?》
《相手は真祖なの。これまでの吸血鬼達とは比べ物にならない強さなの》
ステラの説明によると、吸血鬼には2種類あるとのこと。
暗黒魔法によって邪神の力を肉体に取り入れ、自らを吸血鬼と化した〝真祖〟
吸血鬼に噛まれ呪いを受けたことで、自らも吸血鬼と化した〝眷属〟
真祖の力は眷属どもとは比べ物にならないほど強力であり、特に魔法に関わる能力においては全ての魔物の中でも最上級に位置するという。
《えっ、そんなに!?じゃあ、もしかすると今の僕の力じゃ倒せないとか?》
《それは無いの。シモン様ならむしろ楽勝だと思うの》
《あ、そうですか……》
全ての魔物の中でも最上位の強敵相手に楽勝とか、もはや喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない。あれ、おかしいな。目から汗が出てきたぞ……。
これ以上他の部屋を回っても無意味そうなので、伯爵のもとへと真っすぐ向かうことにした。しっかり探索すれば古代王国の宝物が見つかるかもしれないが、なんだか主人のいる家で泥棒を働くようで落ち着かないので、探索の前にまずは伯爵を倒してしまおうということになったのだ。
《泥棒よりも強盗殺人の方が重罪だと思うの》
《うっさいな!こういうのは気分の問題なの!》
伯爵と思われる気配を感じる部屋の前に辿り着くと、両開きの巨大な扉が僕たちを出迎える。扉の材質は樫の木だろうか。貴族の館をイメージしたと思われるこの階層の雰囲気には似合わない、武骨で飾り気のない扉だ。
扉に手をかけて押し開けると、蝶番の軋む音と共に室内の様子が露になる。そこには想像していた通り、貴族風の服を着こんだ男の姿があった。
男の肌は抜けるような白さで、男性ながら艶めかしさすら感じさせるほどだ。髪も真っ白だが、年寄りのくたびれ切った白髪とは違い、不思議な透明感を感じさせる。男はこちらを振り返ると、その真紅の瞳で僕たちを見やる。
「お前がファウスト・モンタネリ伯爵か?」
「下民ずれが、高貴な我が名を軽々しく口にするでない」
男は不機嫌そうな表情を浮かべる。
やっぱり、こいつが──トマ村の人々に吸血鬼の呪いを与えた張本人か!
「我が棲み処を荒らしまわっているのは貴様らだな?」
「人聞きが悪いな。僕らははた迷惑な魔物を退治しているだけさ、亡国の伯爵様」
「ほう……よほど死にたいと見える」
伯爵は亡国のという言葉に過剰な反応を示した。
「数百年も昔に滅びた国を亡国と言って何が悪い?」
「黙れ!貴様ら下民に何が分かる!」
「黙るのはお前の方だ!人の生き血を啜る化け物のくせに、何を貴族ぶってるんだ!」
「人の……?何を言っているのか知らぬが、私は人の血など啜ってはおらんぞ」
伯爵はきょとんとした表情を浮かべている。まるで思い当たることがないとでも言いたげな様子だ。
こいつ……あれだけの人々を死なせておきながら、罪の意識ひとつ感じてないのか?
「白々しい嘘をつくな!村の人たちが何十人も殺されてるんだ!」
「あれが人だと?貴様は何を言っておるのだ?ろくに魔法を使えぬ下民など馬や牛と同列であろうが」
「この野郎……!」
伯爵の表情で理解した。こいつは嘘を言っている訳でもなければ僕たちを煽ろうとしている訳でもない。
〝ろくに魔法を使えぬ下民など馬や牛と同列〟
多分、こいつが生きていた世界では、これが常識だったんだ。
大陸全体を支配し、繁栄の限りを尽くしたという魔法王国レムリア。しかし、その恩恵に与っていたのは魔法の才能を持つ一部の者だけに限られ、それ以外の人々は〝下民〟と呼ばれて家畜のように扱われていた──恐らく、そういうことなんだろう。
「……よく分かった」
「ほう、それは何より。下民にしてはなかなか物分かりがいい」
「ああ、話が通じない相手ってことがよく分かったよ!」
僕はこれまでの戦いと同じように瞬時に距離を詰めて伯爵に触れようとする。しかし、その手は空しく空を切った。
「なっ!?」
『やれやれ、いつの時代も下民どもは野蛮で困るな』
一瞬のうちに、伯爵の姿は気配ごと忽然と消え失せていた。そんな馬鹿な、さっきまで間違いなく気配もここにあったのに!それに、この声はどこから聞こえてくるんだ!?
《まだ部屋の中にいるの。真祖は身体を霧に変えることができるの》
ステラの警告を受け、僕は気配探知だけでなく危険探知も発動して部屋の中の様子を窺う。
……確かにいる。部屋の中の空気に混じり込むように薄く引き伸ばされた伯爵の気配を感じる。でも、霧になった相手をどうやって倒せばいいんだ?触れることができなければ祝福の力も使えない!
『ファッハハハ!まさか、真祖たるこの私を倒せるつもりでおったのか?この身の程知らずめが!』
伯爵の笑い声が聞こえたかと思うと、空間の一角に大量の魔力が集まりだす。まさか、霧の状態のまま魔法を!?
『影牙!』
伯爵は呪文を詠唱することもなく魔法を行使する。すると、集まった魔力が無数の黒い牙と化し、一斉にこちらへ襲い掛かってくる。
「防御結界!」
黒い牙が僕の身体に突き立つよりも一瞬早く魔法の防護壁が展開され、その壁に阻まれた牙は空しく空中に霧散していった。
「無詠唱で魔法を使えるのか!?」
『何を驚くことがある?魔法を使うのにいちいち呪文を詠唱するなど、下民の呪い師くらいのものであろうが』
……なんてこった、古代魔法王国では無詠唱がデフォルトか。
しかしこれは拙いな。相手は霧になってしまい触れることすらできず、こっちだけが一方的に無詠唱魔法の猛威に晒されるなんて。
……くっ、何か突破口はないのか?さっきステラは楽勝とか言ってたのに、これじゃ話が違うじゃないか!




