第5章 11話 魔女の決断
その日、マギーさんの話を聞いているうちに、外はすっかり日が暮れていた。
僕とグウェンはマギーさんの厚意に甘え、彼女の家に泊まることになった。
さすがは古代王国の宮廷魔術師というだけのことはあり、彼女の家はその外見に反してとても広かった。ただ、客間の数などは見た感じだとそれほど多くない。僕の師匠である大賢者バルタザールの家に比べれば、少々こじんまりとした印象だった。
その客間のなかの一室で、僕たちは漸く一息ついている。
よく考えてみると、こうして顔を合わせるのは半年ぶりだ。無我夢中で助けに来たのはいいけれど、首尾よく再会できた時にどんな言葉をかければいいのか、まったく考えていなかった。
いったい何から話していいのか迷っていると、グウェンが先に口を開いた。
「色々聞きたいことはあるけれど……シモン、貴方はどうしてここに?」
「どうしてって、グウェンの事が心配になって探しに来たんだよ。半年たっても帰ってこないんだもの」
「半年?嘘よ、私がモルトの街を出てから、まだ1ヶ月程度しか経っていない筈だわ」
冗談を言ってるのかと思ったけど、グウェンは大真面目だ。
「モルトからこの森に辿り着くまでにひと月。森に入ってからは3日程度しか経ってないわ。森の中でこの家に辿り着いて、あのお婆さんと出会って話をして……そして、彼女の指輪が光ったと思ったら、次の瞬間にはもう貴方が目の前にいたってわけ」
マギーさんの指輪か。
そういえば、グウェンが姿を現した時も、彼女の指輪が輝いていた。
これはひょっとすると──
「……多分、グウェンは彼女の指輪の中に封じられていたんだと思う」
「どういうこと?」
「彼女の指輪がこの〝収納の指輪〟と同じようなものだとしたら、グウェンの話にも説明がつく。ただの推測だけどね」
収納の指輪は、時の止まった亜空間に繋がっている。僕らのいるこの空間でどんなに時間が経とうとも、その亜空間の側では一切時間が進まない。
この数か月の間、グウェンがそんな場所に閉じ込められていたと仮定すれば、全ての辻褄が合う。古代魔法王国で時空魔法を極めたマギーさんであれば、その程度の芸当は軽くやってのけるだろう。
「そういえば、彼女は私を〝匿う〟とか言ってた気がする」
「匿うって、森の悪魔から?」
「分からない。あと、私の敵ではないとも言ってたわ。この森のエルフ一族とも、何か関わりがあったみたい」
グウェンの一族と関わりが?
古代王国の魔術師とエルフとの間に、一体どんな関係があるっていうんだろう。
とにかく、この半年もの間、グウェンから連絡ひとつなかった理由は分かった。
僕はほっと安堵の息をつく。
「まあいいや。とにかく、無事で良かったよ」
「ごめんなさい……また心配させちゃったわね」
「いや、いいんだ。グウェンの気持ちは分かるから」
「気持ち?」
「自分の手で両親の無念を晴らして、故郷の森を救いたかったんだよね?僕の方こそごめん。グウェンのその気持ちを尊重しなきゃって思ってたんだけど、万一のことを考えたら、居てもたってもいられなくなってさ」
「…………」
すると、グウェンは唐突に押し黙って目を伏せる。
何か間違ったことでも言ってしまっただろうか?
「……確かに、両親の仇を討ちたいとは思ってるわ。でも、正直にいうとそれだけじゃない。私がここに来たのは〝力〟を手に入れるためなのよ」
「力……?どうして?グウェンは十分に強いじゃないか」
「普通の人に比べればね。でもシモン、貴方にはとても敵わない。そして、貴方が立ち向かう敵にもまるで太刀打ちできていないわ」
「それは……」
何も言い返せなかった。
なにしろ、僕が聖人になってから戦った相手といったら、吸血鬼、悪魔、古竜と、規格外の相手ばかりだ。古竜ユリシーズと対峙した時など、グウェンは古竜が放つ強大な精霊力にあてられてしまい、近づくことすらできなかったくらいだ。
勿論、銀級冒険者である彼女が弱いわけなどないのだが、とにかく相手が悪すぎた。
「私は、シモンに助けられるだけの存在でいたくない」
「そんなことないよ。これまで、僕が助けられたことだって──」
言いかけて、グウェンの真剣な眼差しに気付いた僕は、思わず言葉を飲み込んだ。それがただの気休めでしかないことを、僕自身も分かっていたからだ。
「私はいつも誰かに守られてきたわ。この森で暮らしていた頃の私は、両親や同胞たちに。そして、この森を追われた後はエルマー兄さんに。でも──みんな私を残して死んでしまった。そして、私はその誰一人として助けることができなかったわ」
「グウェン……」
「一方的に守られるだけの足手まといなんて、もう真っ平。私だって、大事な仲間を守りたいし、困ったときには頼って欲しいと思う。でも、そのためには、どうしても今のままじゃ駄目なのよ」
ようやくグウェンの気持ちが理解できた気がした。
僕とお互いに支え合い、共に戦うことのできる真の仲間。
彼女が目指しているのはそれだろう。
でも、それってつまり、彼女が僕と近いレベルの強さを手に入れるってことだけど、そんなことが可能なのだろうか?今の僕のステータスは、常人の4千万倍にも達しているというのに……。
「それについては、この森を悪魔の呪縛から解放した後で、改めて話すわ」
グウェンは最後にそう言うと、ベッドに潜り込んだ。
彼女はこの森に古くから棲んでいたというエルフ一族の末裔だ。彼女とこの森の間には、僕には量り知ることのできない何かがあるのだろう。森を救った後で話してくれるというのなら、それでいい。僕は彼女に協力し、はた迷惑な悪魔を退治するだけだ。
僕はそう結論づけ、もうひとつのベッドに横になった。
(そういえば、あのダンテとかいう悪魔が『私は人間だった』って言ってたっけ。今日マギーさんの話を聞いて、あいつの言葉の意味がやっと理解できた気がする……)
ダンテとの戦いの記憶が、脳裏に思い浮かんでは消えていく。
そして、旅の疲れのせいか、間もなく僕の意識は暗闇へと落ちていった。
その頃、マギーことマグダレーナ・オルドリーニは、何やら思いつめた様子で、暖炉の火を見つめていた。
(まさか、聖人と守り人が同時に現れるとはね。コルネリオ、お前の仕業かい?)
マグダレーナの脳裏に懐かしい顔が浮かんでくる。
誠実な友コルネリオ。
今はもういない彼が、あの二人をここに連れてきてくれた──
マギーには、そんな気がしてならなかった。
彼女の胸に、遠い日の思い出が蘇る……。
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新世界計画が実行に移され、王国上層部の大部分は新しい世界へと移住していった。
一方、こちらの世界に残ったマグダレーナと召使のコルネリオは、住み慣れた屋敷を引き払い、ここ精霊の森の中に居を構えた。俗世との関わりを持たず静かに暮らしたいというマグダレーナ気持ちもあったが、それよりも大事な理由があった。
新しい家のこじんまりとした居間で、マグダレーナとコルネリオの二人が深刻そうに語り合っている。
「あっちの世界はもって数十年。厳しい現実を突きつけられた連中は、必ずこちらの世界に戻ろうとするはずよ」
「しかし、戻れるものなのでしょうか?マグダレーナ様が向こうにいれば、それも可能だったでしょうが……」
「人間としては腐った連中だけど、魔術師としての能力は折り紙付きよ。向こうで世界間転移の術式構築を成し遂げる可能性は十分にあるわ。そして、連中が戻ってきたら、こっちの世界は再び彼らの支配下に置かれることになる。平民達は、彼らの圧政と収奪に再び晒されることになる。大量の魔素を失ったことで、この世界はより貧しくなってしまったというのに……」
それは、この世の地獄になるだろう。
大量の魔素を失ったことで、この世界はより貧しくなってしまった。そこに圧政者が戻ってきて収奪の限りを尽くせばどのようなことになるか。マグダレーナはもはや想像すらしたくなかった。
「マグダレーナ様には、何かお考えがお在りですか?」
「彼らがこちらに戻るには、世界間転移の術式を再び発動させる必要がある。でも、それには大量の魔素が必要になるわ。移住していった全ての人々をこちらに戻すほどの大規模転移となると、向こうの世界にある魔素をかき集めたくらいじゃ到底足りない筈よ」
「足りないなら、他所の世界から持ってくるしかありませんね。しかし、世界間転移が不可能となると、他所の世界になど行きようがない。八方塞がりに思えますが……」
「大規模な転移は無理でも、少人数の転移術式なら発動できるはず。恐らく、連中は少人数の選りすぐりを先兵としてこちらに送り込んでくると思う。こちらの世界の魔素を向こうの世界に送るための算段をつけるためにね」
「それを防ぐ手は?」
「こちらに転移してきた連中が魔素を持ちだす前に叩くしかないわ。強力な魔術師が相手であっても、それが少人数であれば、こちらの備え次第では対抗できると思う」
腕利きの戦士たちを集めて待ち構え、転移してきたところを大勢で取り囲んで叩く。
こちら側にも多数の犠牲者が出るのは避けられないが、強力な魔術師を相手に勝利を得るにはこれしかない。
「成程……しかし、それには問題がひとつあります。いつ何処に彼らが転移してくるのか、こちらには分かりません。大勢で取り囲むことなどできますまい」
「それを監視するのが私の役目よ」
マグダレーナは懐から水晶球を取り出してみせた。
コルネリオがその中を覗き込むと、緑豊かな平原が延々と広がっている。耳を澄ませると、草原に吹き渡る風の音までもが聞こえてくる。
「マグダレーナ様、これは一体……?」
「これは〝遠見の水晶球〟よ」
「……まさか、これは〝向こうの世界〟なのですか!?」
「その通りよ。私はこの水晶球を通して、向こうの世界の様子を知ることができる。たとえどんな場所であっても──そう、それが国王の私室であろうとね」
「なんと……」
「移住のために設置された転移門は既に閉じられ、誰も行き来することはできない。でも、監視用の伝達経路だけは残しておいたの。これさえあれば、向こうの連中がどんな悪だくみをしようとも、事前に察知できる筈よ」
「感服いたしました。流石はマグダレーナ様でございます。あとは、魔術師達を迎え撃つ戦士達を集める手段ですが……」
「それはまだ無理ね。王国が突然消滅したことで、こちらの世界は混乱の極みにある。私の話なんかに取り合う余裕のある人なんて一人もいないわ」
マグダレーナの言う通り、この世界は大いに荒れ果てていた。
長い繁栄を誇ったレムリア王国は一夜にして消滅し、圧政の下で喘いできた平民達は自由を手に入れた。しかし、王国のお偉方は、この世界を去る前に、平民達から財産や食料を奪い尽くしていったのだ。全てを失った平民達は途方に暮れ、やがて僅かに残された食糧を巡って相争うようになった。
「嘆かわしい事です。このままでは自滅するしかありません」
「大丈夫よ。平民達だって、そんなに馬鹿ばかりじゃない。この荒み切った世を治め、民衆をまとめ上げて王となる者がきっと現れる筈よ。私が協力を持ち掛けるのはその後ね」
「気の長い話になりそうですな」
「もとより覚悟の上よ。さあ、難しい話は後回し。まずは私たちの隣人に挨拶をしに行きましょう」
コルネリオは恭しく一礼すると、外出の支度をするために部屋を出ていった。
ここ精霊の森には、数多くのエルフ族と獣人族が居を構えている。
マグダレーナは手始めとして、彼らの協力を得るつもりだった。
(連中は、いつか必ずこの世界に手を伸ばしてくる。でも……私がいる限り、そうはさせないわ)
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自嘲じみた思いが、マギーの回想を途切れさせる。
あの頃の私は、自分なら連中の魔手を払い除けられると、本気で考えていた。
今思えば、見通しが甘すぎた。そのせいで、大事なコルネリオを失った。
連中の手は、既にこちらの世界に掛けられているが、
もはや私にはどうすることもできない。そう思っていた。
でも、あの二人がいれば、ひょっとしたら……。
(私もいい加減長く生き過ぎた。そろそろ、過去の因縁に決着をつけようじゃないか)
時折パチパチと爆ぜる暖炉の炎が、森の魔女の顔を橙色に染めている。