第5章 08話 魔女と魔人
「レムリア王国……って、あのレムリア王国ですか?」
マギーさんは頷いた。
レムリア王国とは、何百年も昔に滅んだという、古代の魔法王国のこと。
この老婆は、その宮廷魔術師だったという。
「ええと、マグダレーナさん」
「マギーでいいよ」
「じゃあ、マギーさん。貴女はいったい何歳なんですか?」
「さあねえ。700歳を越えた辺りで、数えるのをやめちまったよ」
僕とグウェンは顔を見合わせた。
マギーさんがエルフだというのであれば、まだ分かる。でも、彼女の耳は尖っていない。
ただの人間が700年以上も生き続けることができるのだろうか?
「何も不思議なことは無いさ。私はあの魔法王国の中でも最上位の魔術師だったんだからね」
そう言いながら、マギーさんは皺くちゃの手を広げてみせる。
するとどうだろう、その手の皺が見る見るうちに消え去っていくではないか!
呆気にとられる僕の目の前で、彼女の手はさらに白く瑞々しくなっていき、遂には10代の少女のような綺麗な手になってしまった。
「これは一体……」
「私は時空を操るのが専門でね。こうして自分の時を巻き戻すくらい、朝飯前なのさ」
「時空って、操作できるものなんですか!?」
俄かには信じがたい話だけど、それが本当なら、マギーさんが数百年の間生き続けていることや、この一帯に大規模な結界を作り上げたことにも、きちんと説明がつく。
しかし、あまりにも出鱈目な話だ。古代レムリア王国の魔法文明は、現代人の想像を遥かに超えている。
僕らの魂消た様子に、マギーさんは含み笑いを漏らす。
ふと見ると、その手はいつの間にか元の皺くちゃな手に戻っていた。
「さて、お嬢ちゃんの名はグウェンといったね。お前さんがここに来た目的は、森から災厄を払いのけて世界樹を取り戻すこと。それに間違いないね?」
「……ええ」
グウェンは警戒心も露に、固い表情で答えた。
「そう構えなくてもいいんだよ。前にも言った通り、私はお嬢ちゃんの敵じゃないんだから」
「それなら、なぜ貴女は災厄の正体を知っていたんですか?」
「えっ……グウェン、それってどういうこと?」
「私はこの人から聞いたのよ。この森を襲った災厄の正体を」
グウェンの意外な言葉に、僕は思わず目を見張ってしまう。
改めて考えると、この老婆には謎が多すぎる。
この老婆はこの家の周りを結界で守っていた。そのお陰で、この付近は災厄の影響を受けていない。
それはつまり、この森を襲う災厄のことを、この老婆は前もって知っていたという事だ。
そもそも、古代レムリア王国の宮廷魔術師が、なぜこんな森の中に独りで住んでいるんだ?
そんな僕の視線などまるで意に介する様子もなく、老婆はぽつぽつと語りだした。
「それじゃ、話を始めようかね。まず、この森を襲った災厄だが……」
「あれは〝呪い〟ですよね?」
「おや、よく分かったね。あれの正体は〝呪いの霧〟という高位の呪詛魔法だ。大昔の──レムリア時代の上級魔術師達が何十人も束になって儀式をすることで、ようやく発動できるってくらいの大魔法さ。この呪いにかかった者は、その魂を永遠に支配され、肉体が朽ちることも許されない。いかにもあの連中の好みそうな、陰湿な魔法さね」
過去の魔術師達に話が及んだ時、マギーさんが浮かべたのは、意外なことに明らかな侮蔑の表情だった。
「では、誰が何のためにそんな大それた魔法を行使したのか?それを語るには遥か昔、レムリア王国の時代に遡らなければならない──」
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レムリア王国の王城レ・デラクィーラ。高度な魔法文明により栄華を極めた王国における権力の象徴ともいえるその城は、広大さと豪奢さにおいて他に並びないものであった。
その王城の中でもひと際煌びやかに飾り立てられた謁見の間で、濃緑色のローブに身を包んだ女性が、玉座の前に傅いている。
「陛下、魔人ニコラスを排除しました」
「……損害は?」
「幸いにして死者はありませんでしたが、負傷者は多数。また、王都の貴族居住区が大きな被害を受けています。アマル伯爵の屋敷を含め、家屋の4割が倒壊、破損。命を落とした兵達への見舞金に、逃亡した奴隷どもや損壊した魔道具の価値なども合算すると……概算ですが、4千5百億ディール程度かと」
玉座にある男は、怒りに任せ、酒杯を床に叩きつけた。
4千5百億ディール。レムリア王国の国家予算の3割程度に相当する損失だ。
彼が王位を継いでからの10年間で、魔人が出現するのは今回で既に4度目。その度に、王国は甚大な被害を被っている。
「なんという忌まわしき奴らだ!毎度毎度、我が国に破壊と災厄を運んできおるわ」
「しかし、奴隷の者どもからは大変な人気です」
「魔法を使えぬ奴隷どもなど、家畜にも劣る、非力で愚かな連中ではないか。そうであろう、マグダレーナよ」
「……」
マグダレーナと呼ばれた女は、さらに深く頭を垂れて表情を隠す。
レムリア王国は、徹底的な選民思想の上に成り立っている国だ。そこでは魔法の力を持つ王族と貴族達が絶対的な支配者であり、彼らは自らを〝神に選ばれし者〟と称して憚らない。そして、魔法の力とは無縁である平民達は、彼らからの過酷な収奪により、常に貧困に喘いでいたのである。
オルドリーニ子爵家の三女として生を受けたマグダレーナもまた〝選ばれし者〟の側だった。貴族として何不自由なく暮らし、幼くして王城に出仕した彼女は、その優れた魔術の才能により出世の階梯を一段飛びに駆け上がり、今や宮廷魔術師の筆頭格として、王からの信任を一身に集める身となっている。今回の魔人討伐においても、主たる役割を果たしたのは彼女であった。
「……陛下。私は魔人ニコラスと対峙した際、あの者から興味深いことを聞きました」
「ふん、どうせ世迷言であろう」
「あの者は、自らを魔人ではなく〝聖人〟だと……苦しむ人々を救うのが使命だと、そう申しておりました。そして、もし自分が斃れたとしても、救いを求める人々が世に溢れている限り、また必ず新たな聖人が生まれてくる、と」
「それを恐れるなら、愚民どもを虐げるのを止めよ、とでも言うのか?馬鹿馬鹿しい。犬どもを厳しく躾けることこそ、神に選ばれた我々の使命であろうが」
「しかし陛下、この言葉が真実であれば、また同じような災いが──」
「案ずるには及ばん。新世界計画さえ成れば、そのような心配は無用になるからな。マグダレーナよ、お主の働きには期待しておるぞ」
新世界計画──王の口からその言葉を聞いたマグダレーナは、表情を消すのに苦労した。
彼女には魔人ニコラスの言葉が虚言とは思えなかった。
もしあの者が神の加護を受けた聖人であるならば、我々のほうこそ神に逆らう悪鬼のようなものではないのか?神から選ばれたという大義名分のもと支配者として君臨している我々が、神の意思に反する存在であったなら……?
かつて〝選ばれし者〟たちの希望そのものであった新世界計画も、今の彼女には神をも恐れぬ無謀で不遜な計画としか思えない。そして、自らもその計画の片棒を担がされていることに、マグダレーナは心の底から嫌悪感を覚えていたのである。