第5章 04話 生き残った男
転移門であっという間に王都へとやって来た僕は、師匠の家に向かった。
これが家だとは思いもつかない程に小さい立方体の建物に、ちんまりとした扉がひとつだけ。これが大陸にその名を轟かせる金級冒険者、大賢者バルタザールの屋敷だ。
僕がその扉をノックすると、中から既に耳慣れた感のある師匠の声が返ってくる。
「どなたじゃな?」
「師匠、お久しぶりです」
「なんじゃシモン、またお主か」
呆れたような師匠の声とともに、扉がひとりでに開かれた。
家の中には、その外見に反して広々とした空間が広がっている。空間魔術の権威として知られる師匠が、室内の空間を魔法で引き伸ばしているのだ。一時ここで暮らしていた僕ですら、一度も足を踏み入れたことのない場所が沢山ある。以前、部屋の数がいくつあるのか師匠に尋ねたことがあるけど、返ってきたのは「そんなのワシも覚えとらん」の一言だった。
師匠は応接室で僕を出迎えた。
「お元気そうで何よりです、師匠」
《大賢者の爺ちゃん、こんにちはなの》
「おお、天使様もおいでじゃったか」
師匠はそう言って相好を崩したが、すぐに深刻そうな顔になった。
「それで……今度は一体どんな騒ぎを持ち込んできたんじゃ?」
「そんな、疫病神みたいに言わないでくださいよ」
「悪魔やら吸血鬼やら守護竜やら、お主には色々と前例があるからのう」
「うっ……い、いや、今回はそんなんじゃないですって。僕らはただ、グウェンの消息を追ってるだけです」
「グウェン?そういえば今日は一緒にいないようじゃが、どうしたんじゃ?」
「実は……」
これまでの経緯を語って聞かせると、師匠はさもありなんという表情で頷いた。
「成程のう。お主の話を聞いて、グウェンの行先にはなんとなく予想がついたわい」
「本当ですか!?」
「シモンよ、グウェンが遥か西の森の出身だということは知っておるな。恐らく、彼女が向かったのはそこじゃろうと思う」
「生まれ故郷の森に……でも、彼女の一族は災厄によって滅んだと聞いていますが」
「いや、彼女の一族だけではない。森そのものが滅んだのじゃ」
「森そのもの……?」
「そうじゃ。かつて〝精霊の森〟と呼ばれておったあの森は、生命に満ち溢れた、それはそれは美しい森じゃった。しかし、今のあの森には獣どころか虫の一匹すらおらん。豊かな緑を湛えていた木々も悉く枯れ果て、地域の者も誰一人として寄り付かない魔境と化してしまっておる」
僕は師匠の話に首をひねった。そんなことが起こり得るのだろうか?
僕がまだ両親と暮らしていた頃、家の近くの森で山火事が起こった。木々だけでなく大地までも黒く焼き焦がすほどの猛火で、僕ら家族も慌てて森の外へと避難したものだ。
山火事がどうにか収まった後で僕たちは森に戻ったが、焼け跡には何ひとつとして残っていなかった。ところどころに焼け焦げた木々の燃えかすが点在しているだけで、虫の鳴き声ひとつ聞こえてこない。異様なほどの静寂に包まれたその光景に、幼かった僕は恐ろしくなってわんわん泣いたものだ。
でも、時が経つとともに、焼け焦げた大地を再び緑が覆っていき、それと共に虫や獣たちも戻りだす。10年も経った頃には、山火事の痕跡など殆ど見当たらなくなっていた。
『これが生命の力だ。どんな災難に遭おうとも、こうして再び立ち上がり、力強く広がっていく』
『貴方もこの森のように強く生きるのよ、シモン』
そう語ってくれた両親の顔を、僕は今でもくっきりと思い出すことができる。
しかし、グウェンの森には、未だにその生命の力が及んでいないという。これは一体何を意味しているのか?
「ひょっとして……グウェンの森を襲ったという災厄は今もなお続いている、ということですか?」
その問いかけに、師匠は深く頷いた。
「それに相違あるまい。その災厄の軛から故郷の森を救うことこそが、グウェンの目的であろう」
「師匠、その災厄っていうのは、一体何なんです?」
「ワシも知らん。その質問に答えられるのは、当時あの森に棲み暮らしていた者どもだけじゃろう」
「でも、災厄を生き延びた森の住人なんて、それこそグウェンくらいしか……」
肩を落として消沈する僕に、思いがけない言葉が返ってきた。
「いや、生き残った森の住人なら他にもおるぞ。会ってみるか?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
師匠が示した場所は、王都の城壁の外だった。そこには、まるで掘立小屋のような粗末でみすぼらしい住居が密集して立ち並んでいる。俗にいう貧民街というやつだ。ここに住んでいる人の多くは、地方で食い詰めて王都にやってきた貧しい人々だ。通行税すら払えない彼らは、定職にありつくどころか街の中に入ることすら許されず、城外で旅の商人や冒険者を相手にケチな商売をすることでどうにか食いつないでいる。貧しい生活に耐えかね、犯罪に走る者も後を絶たないという。
僕が貧民街の中にさしかかると、饐えた臭いがどこからともなく漂ってきた。よそ者が街の中まで入り込んでくるのが珍しいのか、街の人々は遠慮のない視線を僕に向けてくる。
「本当にこんな所に森の生き残りがいるのかな?」
《知らないのー》
ステラはそう言って惚けるが、そんな筈はない。天界にあるという、過去と未来の全てが記録されている森羅万象の記憶。それを自由に閲覧できる彼女に、知らないことなんか無い筈だ。
でも、ステラを当てにするつもりなど、僕には毛頭なかった。
古竜ユリシーズに殺されそうになった僕を救ったことで、彼女はその姿が透けてしまうほど消耗したという。彼女は何も語ろうとしないけど、天使の力を行使するのは、彼女にとってひどく危険なことに違いない。それを思うと、軽々しく彼女に頼るわけにはいかなかった。
いつも一言多いし大食いだしめんどくさいし、守護天使というわりに手がかかって仕方ない子なんだけど、聖人になってからずっと一緒に行動してきたことで、すっかり情が移ってしまったようだ。もはや僕には、ステラを失う事なんて考えられない。
そんなことを考えながら歩いていると、ステラがぽっと頬を赤らめて
《唐突な愛の告白なの……心の準備が……》
「そういう意味のアレじゃないよ!っていうか、心を読むな!」
急に大声をあげた僕をみて、街の人々がひそひそと囁きを交わしだした。
(なんだアイツ?いきなり一人で騒ぎだしやがって)
(変なクスリでもやってるんじゃねえか)
(おい、目を合わせるな。陽気がいいと、ああいうのが増えるんだ)
僕はがっくりと肩を落とした。人外レベルの聴覚が憎い……。
周囲の視線をどうにか避けながら街の中を歩いていき、やっと目的の家に辿り着いた。他の家よりも少し大きいその家には、ドアすらついていなかった。家の中からは妙に嗅ぎ慣れた匂いが漂ってくる。狩人時代に慣れ親しんだ、獣の匂いだ。
「ごめんくださーい、こちらにダリオさんはいらっしゃいますか?」
「……誰だ?」
僕の呼びかけに答えたのは、野太い男の声だった。
「僕は冒険者のシモンといいます。実は、精霊の森を襲った災厄の話を伺いたくて──」
そう言った途端、家の中から何かをひっくり返したような物音が響いてきた。
「うわっ、だ、大丈夫ですか!?」
「……入れ」
「いいんですか?それじゃ、失礼します」
声に促されて家の中に入っていくと、そこで待っていたのは人間ではなかった。
まず、首から上は狼そのものだ。銀色の毛皮に瑠璃色の瞳。口の端からは獰猛そうな牙が覗いている。全身も毛皮で覆われているように見える、決して狼そのものではない。人の言葉を話し、人間と同じ服を着て、両の足で立っている。こんな狼などいるわけがない。スボンの尻の辺りから、ふさふさとした尻尾が顔を出しているのは、御愛嬌といったところか。
「我が師である大賢者バルタザールより、貴方のことを伺いました。貴方がダリオさんですね?」
「……そうだ」
そう、この家の住人は獣人。それも、人狼族の男であったのだ。