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序章 すべての始まり

「どうか、どうかお許しくださいっ!」



 必死に許しを請う僕の目の前で、華美な服を着た金髪の男が抜き身の剣を弄んでいる。その気持ち悪いほど整った顔には、いかにも酷薄そうな笑みが湛えられている。



「ならぬ。厳しい身分制度こそが政の要。貴族に対する非礼は看過できぬ」



 貴族を名乗るこの男は、グローヴ子爵家の三男エルネスト様だ。彼はここモルトの町を治めるオールストン伯爵家の一人娘パトリシア様の婚約者であり、今日は婿入り前の挨拶として訪問されている。町の人々は、いずれ領主となられるであろうエルネスト様を出迎えようと、その通り道となる町の大通りに詰め掛けていた。


 その群衆の前で僕はエルネスト様に平伏し、その僕の後ろでは小さい犬を抱きかかえた子供が怯え切ってガチガチと歯を鳴らしている。



「この子はエルネスト様に吠え掛かった犬を宥めただけです。それを不敬だなど、とんでもない仰せです」


「私に吠え掛かった犬も不敬。その犬を斬らんとした私を邪魔した小童も不敬。罪は明らかであろう」


「たったそれだけの事で命を取るなど、あまりにも酷過ぎます。何卒ご容赦くださいませ」


「黙れ。これ以上邪魔するなら貴様も斬る」



 なんて言い草だ!民思いの優しい方だと評判だったのに、見ると聞くとでは大違いだ。僕が飛び込んで庇っていなければ、こいつは何の躊躇いもなくこの子と犬を斬って捨てただろう。


 とにかく、僕がなんとかして守ってあげなきゃ。この子のことは良く知ってる。この町の孤児院で暮らすマルクという名の少年で、友達思いの優しい子だ。この子にもしものことがあったら、孤児院の仲間たちがどれほど悲しむことか。



「若様、本日はお嬢様にお目にかかる大事な日。お召し物が血で汚れては……ひっ、も、申し訳ございませぬ」



 流石に見かねたのか、お付きの騎士が仲裁に入ろうとしてくれたが、ヤツにひと睨みされると慌てて引っ込んでしまった。町の人達もこちらを遠巻きに見ているだけで、助けに入ってくれるような気配はない。そりゃそうだ、未来の領主様の前に立ちふさがるような変わり者なんて、僕くらいのものだろう。


 どこからも助けは来ない。話して分かる相手じゃない。逃げ道もない。




 ついに僕は覚悟を決める。




「……分かりました」


「ほう、分かったか。ならばそこを退け」


「いいえ、退きません。この子達を死なせるわけにはいかない」


「ならば、その者どもの不敬をどう償うつもりだ?」



 にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら問うてきたヤツに、僕はきっぱりと答える。



「この子の代わりに、僕をお斬りください」


「ほう……殊勝な心掛けだ」



 ヤツはそう言うと楽しそうに目を細め、ペロリと舌なめずりをする。そして───



「そういう健気な奴を斬って捨てるのは、最高の愉悦よな!」


「うぐっ……!?」



 ヤツの剣が煌めくと、僕の肩口から腹までが深く切り裂かれ、辺りに血飛沫が飛び散った。僕は悲鳴を上げることすらできずその場に膝をつく。



「キャアアアアア!!」


「ひでえ、何てことしやがる」


「くそっ、でも俺には何もしてやれねえ…」



 周りを囲む町の人々から悲鳴や怒号があがるが、それでもヤツに歯向かおうという者は現れない。


 傷口からどくどくと血が流れていき、僕の周囲に赤い水たまりを作っていく。刻一刻と死の足音が近づいてくるのが聞こえ、意識が遠ざかっていく。でも、これでマルクを守れるなら、僕はそれでいい──



「さて、次はその小童の番だな」



 ……なんだと、こいつは何を言っている!?



「……エルネスト様……私がこの子の……身代わりになった筈では……」


「うむ、貴様の心掛けは立派だ。その献身を嘉し、小童どもの罪をひとつ減じてやろう」


「……ならば……何故……」


「さっきも言ったであろう。犬の不敬と小童の不敬。こやつらの罪は二つだ。残念だが、貴様の命だけでは代償がひとつ足りんな」


「な……!?」



 なんて奴だ!こいつは……こいつは最初からそのつもりで……!マルクを見逃すつもりなんてひと欠片も無かったんだ!



「安心しろ。約束通り罪ひとつは免じてやる。おい小童、その犬を放してやれ」



 怯え切ったマルクが言われたままその手を離すと、犬は猛烈な勢いで走り去っていった。それを見て、ヤツは心底愉しそうな、それでいて歪んだ笑みを浮かべる。



「見ろ、貴様の命で犬が一匹助かったぞ。良かったではないか」


「ぐっ………」



 全身を襲う苦痛と大量の出血に、意図せず苦悶の声が漏れる。駄目だ、身体が動かない。あまりの悔しさに涙が溢れてくる。


 そして、ヤツは僕の横を通り過ぎ、血に塗れた剣をマルクに向ける。



「さあ、待たせたな小童よ。自らの罪を悔やみつつ、こやつの後を追うがいい」


「ひっ……」



 ヤツが剣を振りかぶり、マルクが恐怖に息を飲む。



「そうは……させない……ッ!」


「ぬおっ、何をするか、この死に損ないが!」



 僕は死力を振り絞って立ち上がり、ヤツを背後から羽交い絞めにする。胸の傷口から止めどなく流れ出す血がヤツの服に染み込んでいき、耐えがたい激痛に意識を手放しそうになる。でも、絶対にこの手は離さない。マルクを守らなきゃ──



「うぐっ……」



 突然、真っ赤に焼けた鉄を腹にねじ込まれたかのような激しい痛みに襲われる。ヤツが背中越しに突き立てた剣が、僕の横腹から背中までを貫いたのだ。腹の中で溢れ返った血が逆流して喉から溢れ出し、口の中が鉄の味で満たされる。


 僕の中で何かがぷつんと切れるような感覚があった。ああ──僕はここで死ぬんだ。ごめんよマルク、もう守ってやれそうにない。



 力を失った僕の身体を、ヤツは乱雑に振りほどく。僕の身体は激しく地面に叩きつけられたが、もはや痛みすら感じなかった。

 ヤツはさも汚らわしいものを見るかのような目で僕を見下ろすと、その腹に突き立てた剣を一気に引き抜いた。



「ちっ、手間をかけさせおって…………ぐはあッッ!??」



 突然のことだった。いきなりエルネストが剣を取り落として苦しみだしたのだ。



「な、なんだこれは!俺の身体が!身体がァアァアアァァァァァアァ!!」



 地べたをのたうち回って激しく苦しみ悶えるエルネストの身体から、ドス黒い瘴気のようなものが噴出して霧散する。それと共に、その容貌が何か別のものへと変化していく……!


 周囲の人々が瘴気の隙間から垣間見たのは、まさに異形の姿だった。真紅に輝く瞳。青銅色の肌。紫色の髪。そして、両の側頭部からは捻じれた角が伸びている。



「ひいっ、化け物!!」


「なんてことだ、ありゃあ悪魔だ!」


「離れろ!離れるんだ!」



 周囲を取り囲んでいた町の人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。


 しかし、悪魔の側には人間に構う余裕などなかった。全身から吹き出す瘴気と共に力が失われていく。肉体が端から徐々に塵となって消滅していく。事ここに至って、悪魔は漸く自覚した。いま自分は滅ぼされようとしている!!



「ぐぅうぅぅぅう、何故だ!何故俺様がこんなことに!」



 激しい苦痛に苛まれ、変わり身の術を保つことすらできなくなった悪魔は、突然の事態に混乱していた。

 あり得ない。いや、あり得てよい筈がない。何故俺が滅びねばならぬ!?……もしや、この無力な人間の血を浴びたせいか!?だとしたら、こいつは何者なのだ!?



「がああぁぁぁ!!この俺様が人間如きに!こんな!こんなところでェェェエエェェェエェ……」



 断末魔の声だけを残し、エルネストになり代わっていた悪魔は完全に消滅した。




 そしてその時──僕は既に意識を失っていた。

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