きのこオムレツ
午前中の仕事が一段落して、弁当は出先の車の中で食べた。冷凍ブロッコリーをそのまま詰めたのはよくなかったようだ。水が出てた。弁当箱がきっちり閉まるやつなおかげで、漏れてはなかったが、千切りキャベツまで水っぽくなってた。冷凍ブロッコリーはレンチンして、水を切ってから入れないとだめみたいだ。凍ったままだと保冷材代わりになるかと思ったんだけど。弁当箱の底に、乾燥ワカメを一つまみ入れたら、よかったかな? それ以外はまあまあだった。
携帯を見ると、妹から返信が来てた。
『何よー、今さら。照れるー(/ω\) お弁当、美味しそう』
珍しく絵文字も入ってた。本当に照れてるらしい。
おかずをあれこれ少量ずつ入れるために、食材をどう使いまわしていいのかわからない、と相談したら、『今晩行くわー』と返事が来た。助かる。妹が弁当を作ってくれていた頃は、まだ収入が少なくて、冷凍食品は高くつくからという理由で使えなくて、どうしても食材に制限があった。その状態で毎日弁当を作ってくれたんだから、妹は本当に大変だったんだと、自分で作ってみて、つくづく思った。
おじから電話がかかってきた。おじと言っても、母方の祖母の兄の息子なんで、遠縁のおじ、というやつだが。
『なんで連絡してこない。叔母さんはずいぶん老け込んだんだぞ。さんざん世話になっておいて、恩知らずな』
連絡したいような相手ならちゃんと連絡してる。
「仕事が忙しくて」
『電話一本かけられないほどか。たまには叔母さんに電話しろ。それで、妹のことなんだが、先方はまだ待ってくださってるそうだ』
「はい?」
先方? 待ってる?
「何のことですか?」
『結婚だ、結婚!』
ちょっと考えて、思い当たった。
「元地主という人ですか? 前に妹を嫁にくれと言った」
『そうだ。他に誰がいる』
「その話はお断りしましたよね」
『先方はそれでも待ってくださってるんだ』
…なんで勝手に待ってるんだ。そもそも縁談といっても、妹が小学生の時に、将来嫁にもらってやるとか、アラフォー男が、親につれられて、菓子折りを持ってやってきたという非常識だ。十数年前の話だ。あまりに強烈なので、覚えていたが、そんな昔の話は普通忘れている。
「お断りしてそれで終わりの話です」
『地主だぞ。いい話なのに、断るなんて失礼なことができるか。まさか妹がどこの馬の骨ともしれない男とつきあったりしてないだろうな?』
元、地主だろうが。地所を切り売りした挙句、今じゃ残ったのは値がつかない山林ばかりの。祖父母の家は田舎だったが、祖母の実家、伯父が住んでいるあたりはド田舎だ。そんなところの元地主なんて、ちっともありがたくない。
「改めてお断りします」
どうせ、あちこちつてを頼んでも、嫁が見つからなくて、また妹に声をかけてきたってことだろう。一回くらい結婚して、バツがついたあとかもしれない。そりゃあ、田舎の元地主の、プライドばかり高い一家の、うるさいジジババつきの、五十越えの男のところに、嫁なんか来るわけない。
『何を言ってる。地主と親戚になれるのがどれだけありがたいことか、わかってないな!』
インターフォンが鳴って、妹が来たんだろうと思った。
「すみませんが、お客さんが来たようなので」
『妹に電話して、ちゃんと言い聞かせろ。妹の番号をこっちに知らせないから、お前にかけているんだ。嫁入り先は、保護者が決めてやるものだ。お前がしっかりしないから』
「あー、お客さんが…」
言いながら玄関を開けて、口の前に指を立てると、妹がうなずいた。
『看護婦になるっていうから、待ってやったんだ。年増になる前に結婚しないでどうする。いや、もう二十四か、五か? 売れ残りだろう。立派な年増じゃないか』
売れ残りでも年増でもねーよ!
『中学を出てすぐ、働きながら看護婦の資格を取ればよかったのに、看護学校なんかに何年も通ったって聞いたぞ』
「はい。授業料が払えなくて借金しました」
奨学金と言うと、都合よく受け取られそうなので、借金と言った。実際、借金だし。
『なんだと! 借金って、い、いくらだ?』
「えーと、何百万円だったかなあ? 妹の名義なので、私にはよくわかりません」
『お前が肩代わりしろ! 兄だろう。保護者が払うもんだ。でないと妹が嫁に行けないぞ!』
誰? と妹が口の動きだけで訊いたので、おじ、とこちらも口の動きだけで応えた。空気を読んだ妹は、もう一回インターフォンを鳴らした。グッジョブだ、妹よ!
「すみません、お客さんが…。じゃあ」
妹に向かって親指を上げつつ、強引に電話を切って、そのまんま電源も切ってしまう。
「はー、面倒くせえ」
妹を家に入れて、ため息ついた。
「おじ? どのおじ?」
「ばーちゃんの兄さんの長男」
「あー、あの人。なんの用?」
「元地主がお前と結婚したいんだってさ」
「うわあ…」
妹は吐く真似をした。それからふと気づいた様子で、顔を上げる。
「って、それ、むかーしむかし、子供の私を嫁によこせって言った、あの元地主?」
俺はうなずく。
「なんでまた今さら。とっくに断ったじゃないの」
「嫁が見つからないんだろ」
「あのときで四十近かったから、もう五十過ぎじゃない? そんな歳でまだ結婚する気? 初婚の二十代と?」
「そりゃ、アラフォーで小学生を許嫁にしようとした男だから、常識が一般と違うんだろ」
「うわあ…」
更に吐く真似をする。
「キモッ! あー、キモッ!」
「キモいよな」
「お兄ちゃん、お弁当を作ってたくらいで、私にお礼を言うことないよ。あんなキモ男と結婚させられるのを阻止してくれたんだもの。私の方こそお礼を言わなくちゃ」
「…いや。妹が、親子ほど歳の違うクズと結婚させられるなんて、俺だって嫌だったからな。高校生の俺に、義理の弟がアラフォーって、なんだそれ」
「あー、お兄ちゃんがいてくれてよかった。ジジババは何気にのり気だったんだんだもん。すぐに養女にして中学を卒業したら嫁にすればいい、とか言ったよね。向こうが、中学を出るまでに家事を仕込んでおけ、だのなんだの言って、話がまとまらなかったけど、あのまま田舎にいたら、嫁にやられてたよ。あー、思い出した。みなしごを嫁にもらってやるからありがたいと思え、とか言われたよね。一応生きてるんだけど。無責任な親しかいないせいで、菓子折り一つで、奴隷みたいに嫁に売られるとこだった。ほんと、お兄ちゃん、ありがとう。私も一緒に田舎から脱出させてくれて」
「いやいや…」
「あー、もう、あいつら、脳内江戸時代のくせに、電話なんか使いやがって。飛脚で連絡してこい」
「…佐川で手紙を送ってきたりして」
妹がぷっとふき出した。険しい表情が消えて、ほっとする。
「でも、あのド田舎には佐川どころか、どこの宅配便の営業所もないよ。飛脚に手紙を託しに行くだけで、軽く旅行。あと、どっちにしろ、佐川で親書は送れないじゃん」
それから妹は俺にふんわり微笑んだ。
「ねえ、お兄ちゃん、お弁当作るよ。なんなら毎朝通いでも」
「お前の仕事に差し支えるだろうが」
「それくらい感謝してる。ありがとう。今日買ってきた食材は私のおごりです」
マイバッグを掲げる。
「いや、半分払うから」
笑って、その話は終わりにした。
「高校の時、前の夜に、お弁当の絵を描いてた子がいたよ。明日はこんなの作るんだーって。冷蔵庫の中を見て、材料が何があるか確認して、あらかじめ計画しておくんだって」
「すごいな」
「うん。お弁当を作るのが大好きって、お母さんまかせじゃなくて自分で作ってた。その子、調理師免許を取って、飲食店に就職したよ」
「向いた道に進んでよかったな」
「まあ、その子はレアケースとして。前の夜のうちにお弁当の大体のメニューを考えるのと、下ごしらえをしておくのは大事だよ。それくらいは私もしてた。朝の五分は夜の三十分と同じ価値があるもの」
言いながら、五日分の弁当のメニューと食材の使いまわし例を紙に書いてくれた。
「とりあえずこんな感じで、ローテを回してみて。あんまり頑張りすぎないほうがいいよ。毎日作らなきゃとか思ってると、疲れてきて、二度とやりたくなくなるから。一日とか二日とか作ったら、その次の日は買ってきて済ませてもいいよ。あと、冷凍食品を買っておくと、寝坊した日に便利だし。適度に手抜きするのが、結局長続きするから」
使い勝手がいい冷凍食品をいくつか挙げて、メモしてくれる。
「お前は毎日作ってくれたよなあ」
「寝坊して、おにぎりだけの日もあったよ」
「そうだったかな。あんまりそんな日はなかったような」
「お兄ちゃんは料理に文句を言わない人だから、私も助かってたんだよ」
「俺の給料でやりくりしてくれて、食べられるだけでありがたかったからなあ」
「おかずの卵焼き率高かったよね。安いし、手早く作れるし」
「うまかったから、別に毎日でもよかったよ」
「…卵焼きでもバリエーションを変えてね」
ちょっと赤面しつつ、きのこを加熱して、冷凍してくれた。
しめじ、まいたけ、えのきを、ほぐしたり、切ったりしてから、少量の水で、蒸し煮にする。きのこ1パックにつきコーヒースプーン1、2杯分くらいの水。蒸気が出てくるまでは中火で、その後は焦げないように火を弱くする。きのこは、エリンギでもひらたけでも、なんでもいいが、なめこは合わない気がする。冷ましてから、平べったくして冷凍庫へ。きのこはそのままでも冷凍できるものがあるが、加熱してから冷凍したほうが、食感が変わらない。適当な量を割りとって、卵、塩コショウと混ぜて、きのこオムレツにできる。他に、きのこパスタにしたり、野菜炒めに入れたりできる。
明日の弁当はきのこオムレツ入りだ。ただし弁当用は中までしっかり火を通す。
きのこオムレツを作って、おかず入れで冷ましているあいだに、ウインナー入りの野菜炒めを作る。というか、ウインナー率が高くて、ウインナーのついでに野菜も炒めた感じ。キャベツ一枚分とピーマン一個、人参2センチ分は前夜のうちに洗って切っておいた。妹の言うとおり、夜のうちに下ごしらえをしておくと、焦らなくていい。
よし、二日目も弁当を作れたぞ。SNSにアップするような立派なものじゃないし、見た目はグダグダ感があるが、着々と弁当男子への道を歩んでる。
「きのこオムレツ」
きのこミックス カレースプーン2杯くらい
卵 一個
塩 一振り
コショウ 一振り