豚肉のハチミツ味噌焼き
図書館の料理本コーナーで、初心者向けの弁当の本を物色してみた。ビニ弁ばかり食べているのはよくないという自覚はある。料理はそれなりにするが、一人分の弁当を作るのは面倒だ。白飯に冷凍食品を詰めただけだと、ビニ弁とあまりかわらない気がする。おかずを何種類か用意するときの、材料のやりくりとかがわからない。何か参考になる本はないかと思ったんだ。
初めてのお弁当づくり、とかいう感じの本を何冊かパラパラしていたら、隣りに女の人が来た。料理本コーナーに男がいるのって、なんか恥ずかしい。そーっと距離を置いたところで、
「あ」
という声がした。
あれ。なんかデジャヴ。
思わず声の方を見やると、自転車の鍵のときの女性がいた。
「こ、こんにちは」
軽く会釈した。図書館の本の返却期限は二週間だから、同じようなペースで図書館に通っているのだったら、また会うのも当然なのかも。
「先日はどうもありがとうございました」
「いえ、そんな」
彼女の視線が、俺の手の中の本に向けられていた。
あ、しまった。弁当を買っているところを目撃されているのに、弁当の本を持っているところを目撃されてしまった。
「料理本って、意外と不親切じゃないですか?」
彼女が眉を寄せ気味に言う。
「え?」
「適量ってどのくらい? とか、乱切りってどんな切り方? とか、わからなくて、本を見ても、全然料理ができなくて、困ったことがあります」
「あー! わかります。あいまいな書き方の部分が多いですよね。もっと具体的に書いてほしいというか」
「そうなんです。誰が見てもわかるように、客観的な数値で書いてほしいんです。総重量の何パーセントとか、三センチ角の立方体とか」
……それは、誰が見てもわかるか、なあ?
「…多分、じゃがいもとかの形が不ぞろいなのに、全部を三センチ角にそろえろというのは無理だから、でしょうか」
「ええ。でも、一口大とか、男性と女性では一口の大きさが違うし、そうなると煮る時間にも違いが出るんですから、やはり三センチ角にそろえることを目標にして、そこから外れた分は、マッシュポテトにすることにして、別の利用法を考えるとか、対処法は色々…」
言葉の途中で、はっとして、彼女が黙った。
「…す、すみません。おかしなことを言って。私、あいまいなのが苦手で、融通がきかないんです」
「いえ。几帳面なんですね」
こういうタイプは女性より男性に多いかもしれない。
「几帳面じゃないです。本当に融通がきかなくて。感覚や経験で覚えるようなことが苦手なんです。手順が細かく決まっていればいいんですけど。…あ、その作家! お好きなんですか?」
俺が持っていたミステリー本に気づいて、目が輝いた。
「最近この作家の本を読み始めたんです。面白いです。どんでん返しがいくつもあって」
「はい。多作なんですけど、なかなかパターンを読ませなくて、すごいと思います。どの本を読まれたんですか?」
タイトルを言うと、うんうん頷いている。
「シリーズものを続けて読まれているんですか?」
「はい。これは4作目なのかな」
「1作目が映画化されているのはご存知ですか?」
「え? そうなんですか? レンタルにあるかな?」
他の人が本を見に来て、邪魔になっているのに気づいて、わきへよけた。そして、話の流れで、人妻とメアド交換してしまった。
豚肉を塊で買うと、少し割安だ。3センチ角くらいに切って(3センチ角からはずれたとしても、そのまんま使う。大体でいいんだ、大体で)、ビニール袋に入れて、ハチミツと味噌を揉みこんだ。
ちなみに、まずコーヒースプーンで味噌をすくい、ビニール袋の内側で拭うようにして、そのあと、ハチミツをチューブからスプーンに出すと、洗うことなくスプーン一本ですむ。瓶入りのハチミツの場合は、潔く途中でスプーンを洗う。でなければ、ハチミツ、味噌の順にすくって、ハチミツ入りの味噌容器を必要悪と耐える。味噌入りハチミツ瓶よりまし。
400グラムを少しこえるくらいの塊だったので、目分量で四分の一ずつに小分けして、一つは冷蔵室、三つは冷凍室に入れた。明日の朝、一つを焼いて、弁当に入れるつもりだ。残りも別の日に弁当に使うか、夕飯にする。凍ったまま焼けるよう、平べったくして冷凍室に入れる。味付きで冷凍しておくと、別の日に使えて便利なだけじゃなく、肉に味がしみこむ。冷凍してる間に、肉の組織が壊れて調味料が入り込んでどうとか、という理屈らしい。焼くときは、日本酒と一緒にフライパンで、蓋をして、味噌を焦がさないよう弱めの火にする。弁当に入れる分は、運転することを考えて、水で蒸し焼きにする。加熱でアルコール分はとぶが、残ることがあるから、念のため。日本酒じゃない分、塩昆布を2、3本足して、旨みを加える。
夕飯の後、彼女からメールが来た。
ミステリー本の内容についてで、あの結末は実現可能なのか、とか、謎解きをどう思ったか、とか、ミステリーの技術的な部分について。昼間話したときに感じたけれど、女性というより、男友達と話している感覚が近い。妹が本の話をするときは、どのキャラクターが好きとか、セリフで感動したとか言う。
この時間なら、旦那さんも家にいるだろうけど、メールを咎められたりはしないようだ。人妻とか、変な心配をして馬鹿みたいだった。全然怪しい雰囲気になりそうにないので、ほっとして、返信した。読書友達ができたみたいだ。
弁当を作ってみた。タイマーで炊いてあったごはんを詰めて、冷ます。とにかく何もかも冷ましてから弁当のふたをしろと、弁当づくりの本に書いてあったんだ。ごはんは一番量が多いんだから、冷めるのに一番時間がかかる。それから卵焼き。普通のフライパンで作ったので、ちゃんと巻けずに、スクランブルエッグと卵焼きの中間みたいなやつ。そのあと同じフライパンで、豚肉のハチミツ味噌焼きを作った。ちなみに、順番を逆にすると、味噌味の卵焼きになってしまう。味の薄いものから調理していくのが、洗い物を減らすコツだ。フライパンに蓋をして、蒸し焼きにしてる間に、キャベツ一枚分を千切り、ミニトマトを三個洗った。おかず入れで卵焼きが冷めたころ、キャベツの千切りを敷き、フライパンで冷ました豚肉を載せる。白ごまをパラパラする。すき間にミニトマト、冷凍のブロッコリーを二切れ詰めた。詰め切れなかったおかずは朝食代わりに、ごはんとつまんだ。
よし。男の弁当としてはこんなもんだろう。毎日できるとは思えないが、なんとか今日は作れた。妹が同居してた頃、作ってくれてた弁当が本当にありがたいものだったと思い知る。今度お礼を言っておかなくては。
というか、弁当の写メを妹に送った。
直接言うとこっ恥ずかしいから、メールで、『弁当を作ってみた。一緒に住んでた時は、こんな面倒なことを毎日してくれてたんだな。遅いかもしれないけど、ありがとう』と書いた。
返信が来る前に、出勤した。
「豚肉のハチミツ味噌焼き」
豚肉の角切り 100グラム分くらい
味噌 コーヒースプーン1杯分くらい
ハチミツ コーヒースプーン1杯分くらい
日本酒 コップ五分の一杯くらい
(日本酒でない場合、同量の水と、塩昆布2、3本)