鶏ムネ肉とししとうのポン酢煮
出先で大型ドラッグストアに行った。昨日、妹に買い置きの貝ひもを使い切ったと言われたからだ。乾きものが安い量販店で、いつもまとめ買いしてる。弁当も安い。うちから自転車で行くにはちょっと遠くて面倒なので、仕事で車で出てるときに、昼休みの時間に重なったら寄ることにしてる。
妹と住んでいたときは弁当を作ってもらっていたが、一人暮らしになってからは、コンビニ弁当を食べていることが多い。おにぎりくらいなら、朝食にご飯を炊いた残りで作ることがあるが。
そんなわけで、会社近くのコンビニの弁当は食べ飽きつつある。量販店の弁当をたまに食べると、目先がかわっていい。
乾きものと弁当、仕事が遅くなった時に夕食までのつなぎにする携帯食をいくつか、かごに入れ、レジに並んでいると、キャッシャーの女性にふと目がとまった。
「いらっしゃいませ」
相手も俺に気づいた。
「あ、昨日はどうも」
「あ、あの、ありがとうございました」
俺の後ろに列をついている人がいるので、言葉を交わしたのはそれだけで、商品のバーコードを読み取り機にかざし始めた。値段を読み上げる声が小さい。
昨日と同じような服装の上に、店のエプロンをかけ、薄く化粧をしている。化粧の分、昨日より若く見えたが、俺よりちょっと上くらい。パート勤めかな。家計を補うために働いているんだろうか。自転車に子供椅子がついていたから、将来の教育費を溜めてるとかかも。昨夜友達と結婚の話をしたあとなので、そんなことを考えた。
会計を済ませ、お互いにちょっと会釈した。
こんなところで会ったりするんだな。
家に帰ったのは夜十時。遅番だと大体これくらい。一人分を、この時間から料理する元気はないけど、何も食べずに寝るのは体に良くない。
安売りのときに買っておいた鶏のムネ肉を冷凍室から取り出した。あらかじめ一口大に切って、冷凍してあった。
それと、野菜室からししとうを出す。近所のスーパーで、大きさは無選別のまま、その分安く売られているもので、昨日妹が買っておいてくれた。俺がよく買うのを知っている。無選別のはずなのに、大きさがそろっているのは、妹が小さいものだけ半量、持っていったからだ。俺が取り分けるときは、逆に妹に大きい方を持たせる。こういうのは兄妹だなあと思う。大きさで味は変わらないが、小さいと、洗ってへたを取って、という作業が面倒なんだ。早く火が通る点では小さい方がいいのかもしれないが。
ししとうは時々、とんでもなく辛いのが混じってる。ししとうの近くに、とうがらしが植えてあると、花粉が飛んで、交配するらしい。実が辛いのではなく、種が辛いんだ。だから、実に縦に切り目を入れて、菜箸で種をかきだしてしまえばいいのだが、面倒くさくって、毎回ロシアンルーレットをすることになる。まあ、辛ければ、チーズとか牛乳とか、乳製品を口に入れればいいだけだ。
ホーロー鍋にポン酢を注ぎ、ムネ肉を入れ、蓋をして火にかけた。最初は中火、沸騰したら弱火にする。今はIHだが、ガスを使っていたときは、鍋底にかろうじて火が届くくらいが弱火、鍋底からはみ出す手前くらいに火が当たるのが強火、その中間が中火だった。途中で一、二度肉をひっくり返して、解凍されているのを確かめ、まんべんなく火が通るようにする。十分くらいでムネ肉に大体火が通ったら、ししとうを入れ、火を強くして再沸騰したら、火を止めて、余熱で完全に火が通るようにする。
酢を加熱するときには普通の金属鍋では傷んでしまうので、ホーロー鍋が必須だ。うちには15センチほどの小さいやつだが、ホーロー鍋がある。一人暮らしだとこのサイズでも大丈夫。
ホーロー鍋がない場合は、レンチンでもなんとかなる。材料を耐熱容器に入れて、レンジまかせ。真夏の暑くて暑くてたまらないときには、レンチンで料理をすませるという手もある。まあ、鳥皮がはじけて庫内が汚れるという欠点はあるが。
鶏肉が煮える間に、四分の一のキャベツを洗い、ざるにあげておく。
熱々のを食べる気がなかったので、冷ます間にシャワーを浴びる。ゆっくり冷めると、味が染みるし。
月曜なので明日から頑張るために、と言い訳して、チューハイと一緒に、ムネ肉とししとうのポン酢煮、ざく切りキャベツをマヨネーズしょうゆで食べて、晩酌兼夕食にした。
鶏肉は冷めても他の肉ほど脂身がかたまらないので、気温の高い時期はよく食べる。
ポン酢で煮ると出汁いらずだし、加熱で酸味がとんで、味がマイルドになる。ししとうじゃなく、ピーマンでもインゲンでもいいし、玉ねぎとエリンギで煮ても美味しい。
食べてる途中で、「今、電話してもいい?」と元同僚からメールが入った。「OK。飯食ってるけど」と返事すると、すぐに電話がかかってきた。
『わかるような、わかんないような、理由を聞かされた』
昨日の話の続きがいきなり始まった。
「お断りの? 相談所の人が聞いといてくれたんだ」
『うん。合わないと思いますだけじゃ、全然理解できなかったし』
「なんて?」
食事を続けながら訊く。行儀悪いが、帰りが遅いのは相手も知っているし、男同士なのでお互い気にしない。
『俺が無理してるのがバレバレだったからだって。イタリアンとか恋愛映画とか、無理してつきあってるって。無理してつきあって、無理して結婚しても、ずーっと無理してられないから、結婚しても続かないって。あ、結婚指輪をしたくないとか言いそう、とかまで言われてたぞ』
「うーん、それはそうだなあ。指輪は相手の想像として」
『結婚指輪はするよ、女って夫に指輪をはめときたいんだろ。だけどさあ! 無理しないでつきあえる相手なんて、そうそういないだろ。結婚前なんてそんなもんだろ。結婚した後もイタリアンとか、恋愛映画とか行く男なんているか?』
「そういう男と結婚したい人だったんだろう。やめとけって。一度会っただけで断ってくれてよかったよ。何か月もつきあった後にそんなこと言われたらたまらないよ」
『そりゃ、何か月も引っ張られなくてよかったけどさあ。じゃあ、結婚後はラーメン屋しか行く気がないからって、いきなりラーメン屋に連れてけばいいわけ? それでいいって女なんかいるのかな』
「いきなりラーメン屋はまずいだろ。一応イタリアンには行って、こういうところは普段来ないから苦手だって言って、私もです、って相手とは二回目のデートをすればいいんじゃない? 女の人だってみんなイタリアンが好きってわけじゃないだろうし。ただ、結婚してからも、たまにはおしゃれして食事する店には行きたいんじゃないか? 誕生日とか」
『あー、妹がいると、女心がわかるわけね。ちくしょう、弟しかいないと、ラーメン屋しかいかなくて当たり前になるんだよ』
「どちらにしろ、婚活相手とラーメン屋はまずいよ。食べるためじゃなくて、話をして、お互いを知るのが目的なんだから。ラーメン屋じゃ落ち着いて話ができないだろうし」
『話をするなら居酒屋の方がいいなあ』
「だよなあ」
『居酒屋オッケーの相手を紹介してくれたらいいのに』
「もう、結婚相談所じゃなくて、街コンとか行けば? あれって居酒屋とか行くんだろう?」
『街コンだと真面目に結婚したい子がいなさそうでさ』
「でも、気楽に話せる場の方が、よく知り合えそうじゃないか? 緊張しながらイタリアンより」
『ゆっくり恋愛して結婚じゃなくて、最初から結婚を考えてつきあって、早く結婚したいんだよ。早く子供欲しいし。保育所に入るくらいになったら、キャッチボールとかできるかな。あー、結婚してえ! 子供欲しい!』
「でもさ、…うわっ!」
ロシアンルーレットに当たってしまった。
『どうした?』
「ごめ、ちょっ…」
ごほごほせきこみながら、台所へ牛乳を取りに行く。よーく口の中でなじむようにして飲むと、火がついたみたいに痛かった舌が、ちょっとましになる。たまに辛いししとうに当たるが、これはいつになく辛い。近くにジョロキアでも生えていたのか。
はーっと息をつきながら、電話に戻った。
「悪い。辛いししとうに当たった」
『ぶほっ! なんだ、ししとうかよ。お前、辛いもの苦手なのに、ししとうなんか食ってるから』
「ししとうは普通辛くないんだ。たまに辛いのが混じってるんだ」
『たまに当たるんだから、当たらないものを食えばいいだろ』
「ししとうは旨い」
『まあ、旨いのは同意だが。自分で料理したやつ? どうやったの?』
「鶏肉と煮た」
『あー、料理できるの、ほんと羨ましいわ。女にアピールポイントになる? 俺も少しは料理を覚えようかな』
「料理はできたほうがいいだろ」
『何から始めればいい? ラーメンは作れる。カップじゃないやつ』
「卵料理じゃないか? 目玉焼きとか卵焼きとか。とりあえず、お母さんに米のとぎ方から習えば?」
『あー、今夜はもう無理だから、明日な』
「そう言って、明日もやらないだろ」
『ははは』
自分で料理しなくても食べられる環境を羨ましいと思ったのは過去のことだ。今は、やむをえず料理しなくてはならなかった経験が役立ってる。
料理だけじゃない。洗濯も、掃除も。家事全般を。
結婚って、イタリアンや恋愛映画を見るような生活とは違うよな。少なくとも俺や友人の給料では。奥さんにパートをしてもらって、子供の教育費に備えないと。友人は土日休みに転職したが、もし俺と同じ会社のままだったら、休みが不定期で、拘束時間が長くて、家事をする時間がろくにとれないから、フルタイムの奥さんとはうまくいかないだろうし。パートで仕事時間が短ければ、家事を多めに負担してもらっても、納得してもらいやすい。
ドラッグストアでパートしてた彼女も、そういう生活なのかなあと思った。
ふと、気づいた。
お釣りを渡してくれたときに添えられていた左手に、指輪がなかった。
『ムネ肉とししとうのポン酢煮』
鶏ムネ肉 1枚
ししとう 2つかみくらい
ポン酢 コップ三分の一くらい