牛肉のしぐれ煮
妹が常備菜を作りに来てくれた。
年末の俺の職場はメチャクチャ忙しくて、料理をする時間も気力がなくなる。朝パン、昼ビニ弁、夜ホカ弁、ならまだよくて、疲れて食べる元気がなくなって、ゼリー食で終わり、みたいなこともある。転職して結婚した元同僚は正しい。この生活で共働きなんかしたら、家事の分担なんてできずに、奥さんに捨てられる。
俺は休みで、朝寝坊して、朝昼兼用の食事をみかんですませて、夜勤明けの妹に叱られた。
「体を使うんだから、タンパク質も摂らないと!」
言いながら、牛肉のしぐれ煮を作ってくれた。
鍋に日本酒、みじん切りのしょうが、キッチンばさみで切った塩昆布を入れて、沸騰したら、三センチほどの長さに切った牛の小間切れ肉を入れて煮る。牛肉の色が変わってきたら、しょうゆ、ごまを入れて、水分を飛ばして出来上がり。火はずっと強火。炒り煮みたいな感じで、最終的に水分がなるべく少なくなるようにすると、日持ちする。水で戻して絞り、ちぎった麩を入れて、水分を吸わせてから火を止めてもいいし、甘いのが好きな人はみりんか砂糖を最初に入れてもいい。塩昆布に甘みがあるので、俺は入れない。牛肉は安いやつで十分で、日本酒で煮ると値段以上に美味しくなる。
洗ったレタス、サラダ菜と、茹でた人参スティック、アスパラと一緒に渡されて、包んで食べた。濃いめの味つけにしておくと、野菜で巻いても美味しいし、ごはんのお供にもいい。多めに作って、冷蔵庫で三日くらいは大丈夫。
妹を手伝おうとしたら、座って食べてて、と言われた。手伝う気はあるんだ。自分でやりだす気が起こらないだけで。重い荷物を運ぶとき、最初に持ち上げるまでが一番大変で、持ち上げてしまえばなんとか運べるのと同じで、何を作ろうとか材料のやりくりとか考えつかなくて、買い物に行く気もしなくて、料理もおっくうになるんだ。妹がメニューを決めてくれて、材料を書き出してくれたら買い物に行くし、料理もやる。やる。きっと。多分。
きのこミックスと、洗って三センチの長さに切った小松菜を冷凍してくれた。小松菜は自然解凍で軽く絞ってそのまま食べることもできるが、冬なので、大抵はレンチンで解凍、温かく食べる。冷凍すると食感は今いちになるが、忙しいときには助かる。薄切りピーマンと人参、ざく切りキャベツをビニール袋にひとまとめにして、冷蔵庫に入れてくれた。これをレンチンか、炒めて、肉を混ぜて食べろということらしい。リンゴ酢ドリンクを麦茶のピッチャーにたくさん作ってくれた。寝る前にレンチンして温めて飲む、回復アイテムだ。
妹はほんとに料理まめだ。元々母親の手伝いをしていたのだが、祖父母の家に住むことになったあとは、毎日の食事作りをやらされたから、すごく手際がいい。
「お茶飲むか?」
「うん」
せめてものお礼に棒茶を入れ、昨日の帰りにコンビニで買った大福を出すと、妹は料理の手を止めて、ハンドクリームを塗りながら、ソファの前に座った。
「なあ」
「なあに?」
「母親のこと、どう思ってる?」
読書友達の話を聞いてから、気になっていた。妹は、「ジジババ」とか「クソ父」とか言うが、母親のことはほとんど口にしない。
「わたしたちに、ひどいことしたよね」
妹はため息ついた。
俺の高校受験が終わった直後、子供抜きで離婚の話し合いをするからという理由で、俺と妹は母に言われて、週末に母の実家に行かされた。父の度重なる浮気、家にお金を入れないこと、母は掛け持ちパートで俺たちを育てていたから、いつ離婚を言いだしてもおかしくなかったのを知っていたし、いよいよか、と思っただけだった。しかしそのあと、母は失踪した。帰宅した父が、無人のアパートに残された書き置きを見て電話してきて、母が姿を消したことがわかった。
「お母さんがしたことってひどいけど、ジジババのところで暮らしてみて、お母さんがああなった理由がわかった気がする。小学生の孫娘をこき使うんだもの、ジジババが実の娘をどんな扱いしてたか想像つくよ。あの家、叔父さんの子供時代の古着はいっぱいあったけど、お母さんのはすごく少なかった。私はお兄ちゃんが庇ってくれたけど、叔父さんはお母さんを庇わなかったんでしょ。親にも夫にも与えてもらえなかったから、自分が持っているわずかなものを、絶対失わないように必死になる。お母さんは自分で手いっぱいで、子供を大事にするだけの余裕がなかったんだよ」
父は子供の面倒を見れないと言って、俺たちを祖父母宅に置いたまま、迎えに来なかった。中学生の俺と小学三年生の妹は、母がいなくても過ごせると言ったのだが、父は断固として引き取りを拒否した。なんなら孤児院にやればいい、まで言ったらしい。外面を気にする祖父母がそんなことをするはずないのを見越してたのだろうし、実際施設にやってもいいと思ってたのだろう。
「嘘ついて、ジジババのところに私たちを置き去りにして、まさかジジババが孫を全然大事にしないとは思わなかったんだろうけど。私はともかく、お兄ちゃんは大事にされると思いこんでたよね。ジジババにとっては、孫って、叔父さんのところに生まれた子供に限る、ってこと知ったら、お母さんは余計にショックを受けたろうな。当時は叔父さんに子供はいなかったし」
母からは失踪後一週間ほどして、父と祖父母宅に電話があった。罵詈雑言を浴びせられた母は、「苦しめばいい」と言い返したそうだ。電話はすぐ切れた。大人が自分の意思で失踪した場合、警察は捜してくれない。
「正直、今でもお母さんのことを許せないけど、お母さんも被害者だったって思う。お母さんより、クソ父とか、ジジババのほうがもっと許せない。お母さんはお金も物も持ってなかったけど、クソ父とジジババは持ってても、自分たちのためにしか使わなかった。クソ父なんて、アパートの家賃しか払ってなかったくせに、俺の家に住まわせてやってる、っていつも言ってたよね。お母さんが買った食材で、お母さんが作った料理を文句つけながら食べてたくせに」
俺の受験を待っただけ、母は配慮したのかもしれないが、突然祖父母宅で暮らすことになってしまった子供たちにとっては、戸惑うことばかりだった。中学卒業前でたいして授業のなかった俺はともかく、妹は三学期の途中で、父が勝手に転校の手続きをしてしまい、元の学校の友達にお別れを言うこともできないまま、田舎の小学校に通うことになってしまった。
祖父母と同居していた叔父夫婦、特に、叔父の奥さんについては気の毒としかいいようがない。面倒くさい舅姑だけでも苦労していたのに、甥姪の面倒まで見なくてはならなかったのだから。何か月か我慢したのち、叔父の奥さんは実家に帰ってしまった。叔父が慌てて後を追いかけ、結局叔父夫婦は奥さんの実家近くにアパートを借りた。祖父母は激怒したが、叔父は離婚するのは嫌だと、祖父母との別居を選んだ。
叔母が出て行ったあとの家事は、ほとんど妹がやらされた。母がパートで忙しかったから、アパートにいたころもお手伝いはしていたが、祖父母の家で初めて二槽式洗濯機を見て、使い方がわからなかった妹は、洗濯もできない役立たず呼ばわりされた。小学三年生なんて、全自動洗濯機すら使ったことがない同級生のほうが多かったのに。
父は最初のころはいくらかお金を送ってよこしたが、その後はなんだかんだ理由をつけて養育費を拒んだ。元々父は給料を自分一人で好きなように使っていたので、祖父母の手前とはいえいくらか送ってきただけでも驚きだ。数か月後にまた電話があったときは、母が一方的に罵り、また「苦しめばいい」と言って切ったそうだ。母が行方不明の宙ぶらりんの状態で、浮気相手にせかされた父は離婚しようとしたが、時々母から電話があるのがネックになって、離婚が成立するのに時間がかかった。行方がわからないだけで、死んだわけではないので、離婚するにも手続きと時間が必要らしい。どうやら、それが母の復讐らしかった。母が父に復讐するのは勝手だが、巻き込まれた周囲はたまらなかった。母が苦しめたかった父より、周囲のほうが苦しんだ。
「たださー、お母さんも大変だった、って思えるようになったのは、就職して、一人暮らしをするようになってからだなあ。仕事から帰って、くたくたで、家事をして、やっと寝て、ってしてたら、さらに育児までしてたお母さんって、大変すぎたなあって。何もかも捨てて逃げたくなったのは仕方ないかも。ジジババのとこにいたときは、すっごくお母さんを恨んだけど。なんで一緒に連れてってくれなかったのって。まだ子供だったから、お金のこととか考えてなかったんだよね。お母さんはパートの収入しかなかったし」
「うん。きっと経済的に無理だったんだろうな」
「でも、やっぱ捨てるなら、クソ父だけにしてほしかったな。理性ではお母さんのいろんな事情は理解できるけど、感情がついてこないもん」
「それは同じだな」
読書友達の話を聞いたときにそう思ったが、妹もそうか。
「お母さんが一緒に連れてってくれたら、貧乏な生活で文句を言ったのかもしれないけど。クソ父といたころだって貧乏だったよね、お母さんとわたしたちだけ。クソ父がいきなりギターを始めるとか言って、たっかいのを買ってきたときとか、わたしは小さすぎてよくわかってなかったけど、ティッシュもシャンプーも、なにもかもお母さんのパート代で買わせておいて、よくギターなんて買ってきたよ。ほんとクソだったよね、あの男。ジジババ、あんな男をよくお母さんの結婚相手に選んだよ。やっぱお母さんは被害者か。でも今でも許せないや。フクザツ。一人で出て行った事情はわかるけど、生活が落ち着いたら、迎えに来てほしかった。そのせいでいつまでも許せないんだと思う。結局わたしたちには一度も連絡をくれなかったし」
実は、一度だけ電話があった。俺が就職して妹と暮していたアパートに。妹はたまたまいなくて、俺が電話に出たんだが、『どうして家を出たの。あの家はあんたが継ぐのよ。弟のとこは女の子しかいないんだから。わたししか男の子を産んでないんだから』と言われた。
「あんな家、いらないよ」もっと他のことを言えばよかったんだろうが、元気にやっているか、とか、気遣う言葉もなく、いきなりそんなことを言われたら、口に出てしまった。
『あんな家……』母はそれだけで電話を切ってしまった。その後電話はかかってこなかった。
妹には電話があったことは話せなかった。内容が内容だったし。
あとから考えたら、母には実家への執着があって、だから俺と妹を田舎に置いていったんだとか、代替わりして俺が跡を継いだら帰ってくるつもりだったのかとか、色々思ったけど、久しぶりに電話してきて、俺たちの様子をたずねるでなし、家がどうとか言われてショックだった。俺たちにとっては嫌な思い出しかない家なのに。
『あんな家』という言葉は、母にとって、コーヒーを叩き落とされるくらいのことだったんだろうか。『男の子を産んだのはわたしだけ』という価値観を持たされたという点で、母も被害者なのは確かだけれど。
俺の答えで、母は俺たちを完全に捨てたのかもしれない。
「牛肉のしぐれ煮」
牛小間切れ肉 200gくらい
しょうが 一かけ(三センチ四方くらい)
塩昆布 十本くらい
日本酒 コップ三分の一くらい
しょうゆ カレースプーン二杯くらい
ごま(白でも黒でも) カレースプーン一杯くらい
(甘い味が好きな場合は、砂糖かみりんをコーヒースプーン一杯弱くらい)




