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ズボラめし  作者: 小出 花
20/34

みかんマーマレード

『マーマレードを煮たいから、台所を貸して』

 というメールが妹から来てて、俺の休みに合わせて来ることになった。妹が住んでいる寮は台所が共用だし、煮込むものは作りにくいらしい。時々うちに台所を借りに来る。妹は合鍵を持っているし、俺が仕事の間に台所を使っても構わないんだが、一応別世帯ということで気を使っている。

 その日は午前中にみかんの箱が宅急便で届いた。妹は夜勤明けで、仮眠してからやってきた。

「こんにちは」

 すっぴん、シンプルなカットソー、デニム、裏起毛のパーカーを羽織っていた。家で過ごしてたまんまという服装で、飾り気ゼロ。そりゃ兄の家に来るのに、おしゃれをしても仕方ないが、道中いろんな人に会うだろうに。世の中にはコンビニに行くためだけに、化粧をして、服装を整える女の人もいると聞く。

「おう。みかんが届いてるぞ」

「うん。受け取りしてくれて、ありがとう」

「これ、珍しい箱だな」

「無農薬みかんだって。先輩がおすすめしてたから、買ってみた。マーマレードは皮を使うから、無農薬のほうがいいって」

「へえ」

 そもそもみかんマーマレードを作るようになったのも、ナースの先輩に、皮に含まれる健康成分について聞いたからだ。ビタミンの一種みたいなー、なんか、そんな成分が入ってるらしい。以前に聞いたが、俺は忘れた。

「でも高いわー! セレブの食べ物だわ。こんなの毎回買えない。先輩はよくこんなの買えるわ。次は普通のみかんにする」

 貧乏生活が長かったせいで、妹も俺も高級品とは縁遠い。

 妹は大きな袋を下げていて、中から鍋が出てきた。

「なんだ、それ?」

「ホーロー鍋の大きいの。お兄ちゃんとこ、小さいやつしかないから。ちょっとずつしか煮れなくて、光熱費がもったいないなと思ってたの。これならいっぺんにたくさん作れるでしょ。置いてくから、普段はお兄ちゃんが使って」

「おう…」

 うちの15センチホーロー鍋では、不満だったらしい。というか、俺が使うのも考えて、買ったのかも? 受け取って、すぐ使うために洗った。

「無農薬みかんって、やっぱ見た目が悪いのかなあ?」

 言葉に反して、わくわくした様子で、妹が箱を開け、みかんを取り出した。

「なーんだ、大きさがふぞろいなだけで、普通のみかんだ。まー、ちょっと、そばかす、あばたがあるかな。でも刻んじゃうから、へーき」

 俺も手伝い、みかんを洗い、へたを取る。

 ちなみに無農薬じゃないみかんの場合、皮の表面に農薬が残っている場合があるので、五十度のお湯で、十秒ほどつけてからよく洗う。熱湯と同量の水を合わせると、五十度ちょっとくらいのお湯になるから、水温は大体でいい。

 みかんの皮をむき、五ミリ幅、三センチ長さくらいに切る。サイズは適当でいい。みかんの皮は薄いので、煮崩れるから、多少大き目でも構わない。皮五個分に対して、実一個分を使い、残りの実はラップでぴったり包むか、ビニール袋に入れて空気を抜くようにして、冷蔵庫保存。なるべく早めに食べる。なんならさらにジッパー付きの袋に入れて、冷凍保存でもいい。皮だけで作る人もいるそうだが、実も入れたほうが美味しいと妹は言う。

 実は一、二個の房にわけて、鍋の上で、キッチンばさみを使って、薄皮がなるべく切れるよう、三つか四つ、できればもっと細かく切る。包丁で切ると、実がつぶれて、まな板の上が果汁ですごいことになるので、キッチンばさみがいい。

 実を切り終えたら、砂糖とレモン汁を加え、蓋をして、弱火で加熱し始める。水分が出たら、皮も入れ、火を強めて、水分を飛ばすように煮る。焦げないよう、しゃもじで混ぜる。皮が煮崩れると、マーマレードというより、ジャムの食感になるので、皮の形を残したい場合は、果肉だけで煮詰めてから、皮を入れてもいい。薄皮は煮崩れない。なので、切る段階で細かくしておかないと、食感に影響する。トロトロに煮詰まったら火を止めて、あれば、粉末のクローブを入れるとさわやかな味になる。

 熱湯消毒した瓶に入れて、すぐ蓋をして、冷めてから冷蔵庫保存。涼しいところで長期保存をしたい場合は、砂糖の量を、皮と実の重さの五十パーセントくらい入れて作る。長持ちするけど、ものすごく甘い。なので、妹は冷蔵庫で短期保存する分しか作らない。

 妹は鼻歌を歌いながら、作業していた。

 こういう、マーマレードとか、お菓子作りとかは、趣味の料理なので、毎日のやらねばならない料理と違って楽しいそうだ。特に田舎にいたとき、祖父母に作らされていた料理は、煮物漬け物汁物、煮物和え物汁物、煮物酢の物汁物、の無限ループだったので、苦痛だったそうだ。そりゃそうだ。年寄りは慣れた味がいいんだろうが、無理矢理毎日同じ味のものを作らされている若い人間からすると、それまで慣れてきたカレーもハンバーグもない、新しい料理の工夫もなく、モチベーションが保てない。男は台所に入るものではないと言われていたので、祖父母の目がないときしか手伝えなかったが、田舎の台所のコンロには大きな煮しめの鍋がいつものっていた。俺と二人で暮しだしてからは、金銭的な縛りはきつかったにしろ、自主的にメニューを決められて、工夫や応用ができた分、楽しみがあったと妹は言う。まあ、毎日のことなんで、料理したくない日もあったそうだが。


 煮詰める作業になると、しゃもじでかき混ぜるだけなので、妹に元同僚の失言のことを相談してみた。こういうのは、女性に訊いた方がいいと思って。誰ということとか、岩なんていう具体的なことは伏せて、大体の事情を話して、意見を訊いてみた。俺は台所と部屋の境目に立っていた。

「あのね、その人のご両親がどう育ててくれたかにもよるんだけど」

 と、妹は前置きした。

「たとえ彼女が可愛いと周囲に褒められる女の子じゃなかったとしても、両親が彼女を価値ある存在として扱ってくれてたら、いくらかましだったと思う。その人、勉強を頑張って、資格を取ったんでしょ。きっとご両親は彼女の味方をしてくれてたんじゃないかな。でないと頑張れないもの。でも、女の子が可愛くないって、大人が思うよりずっと過酷だよ。可愛いって育てられた子って、自信を持ってるもの。逆に可愛いって言われなかった子は、自分に価値がないって思っちゃう。勉強ができても、お手伝いをしても、自分に自信が持てないんだ。だって、本当に、可愛い子とそうじゃない子の扱いって、全然違うんだもの。可愛い子は、みんなに微笑みかけられて育つんだよ。可愛くない子は、可哀想に、みたいな顔をされたり、無理にお世辞を言われたり。子供って、敏感だもの。大人はうまく誤魔化したと思ってるかもしれないけど、バレバレなの。子供同士だと、容姿のことでいじめられたりもする。それから、思春期になると、周囲はもっとあからさまでしょ。男の子は可愛い子だけちやほやする。可愛くない子って、普段は、ブス、ブス言われて、勉強ができる子は、ノートを貸せ、とか試験前に利用されるだけ。ブスって言われて育った子って、性格が暗くなって、友達を作れない場合もあるよ」

 男の子だと容姿をとやかく言われる機会は少ない。女の子はその点、大変なんだろうな。第一印象で可愛いとか可愛くないとか判断されて、相手の態度が変わるんだろう。

「きっと、顔をあれこれ言われたのがトラウマになってると思う」

 妹は息をついた。

「今だから言えるけど、私、可愛い服が着れなかったんだ」

「え?」

 急に違う話をされて戸惑う。

「この年になって可愛い服もないけど、十代のころ、もしお金がたくさんあっても、可愛い服が着れなかったと思う」

 しゃもじを鍋に入れ、シンプルなカットソーの袖をさする。

「中学の時。休みの日に、用事で学校に行った帰り、制服姿でスーパーに寄って、クラスの子に会ったんだ。その子、両親と一緒にいて、すごく可愛い服を着てた。レースがついてて、ちょっとずつ濃さが違うピンク色の薄い布が重なってて、動くたびにふわんって揺れるの。ラインストーンがいっぱいついた、キラキラするバレッタで、長い髪を留めてた。それに可愛いラッピングの包みをかかえてた。私をじろじろ見て、すれ違いざま、私だけに聞こえるように、貧乏だから、制服しか着るものがないのね、って言ったの。自分みたいな可愛い服は、貧乏だから、着れないのねって。自分はまた新しい服を買ってもらったって」

 …そんなことを言われたことがあるのか。

「ものすごく悔しかった。制服を着てたのは理由があったけど、確かにお金はなかったからそんな服を買えっこなかった。その子、ちょっと可愛かったし。あとから思うと、服が可愛かっただけで、本人は十人並みほども可愛くなかったけど。でも両親に可愛がられてるのは見ればわかった」

 俺は呆然としながら、妹の手が、何度も何度も袖をさするのを見ている。

「ジジババのとこにいたとき、私の服って、おさがりばっかりだったじゃない。それも、田舎で子供が少ないから、女の子の服なんてほとんどなくて、男の子の服のおさがりとか、大人の古くなったやつとか、とりあえず着れればいいみたいなものばっかり。田舎の家ってなんでも取っておいてあるから、母親が昔着てた服まであったよね。ジジババはとにかく女の子に一円でもお金を使いたくないって、あの人たちの言葉だと、一銭も使いたくないって話だった」

 一銭っていつの時代のお金なのよ、いまどき、使おうにも使えないじゃない、とつぶやく。

 飴っぽい香りがしてきて、手が、またかき混ぜる作業に戻った。

「袖は曲げてたし、ズボンの裾も曲げてたし。学用品はお兄ちゃんがバイトしたお金で買ってくれたけど、服を買ってもらったら、ジジババが、無駄遣いをしたって怒って、お兄ちゃんまで怒られて、バイト代を全部取り上げられたことがあったし。小学校は生徒が少なくて、先生がいい人だったから、目配りしてくれて、服のことであからさまにいじめはなかったけど、周りの人が色々言ってるのは聞こえてた。身体測定の時に、ひどい下着を着てたから、先生がジジババに話をしにきてくれたこともあった。先生の親戚からもらったっていう女の子の服を持ってきてくれたこともあった」

 あの服は覚えてる。白っぽいワンピースだったが、こんな色じゃすぐに汚れがつくと言って、祖母が不満そうだった。

「お兄ちゃんが就職して、私を一緒に田舎から連れ出してくれて、町の中学に通えるようになって、まだお給料が少ないのに、私の服を一そろい買ってくれたの、すごく嬉しかったし、申し訳なかった。お兄ちゃんだって、仕事の作業着以外は、カットソーとデニムくらいしか持ってなかったんだもの」

 俺はそんなのは別に構わなかった。男なんて、おしゃれをしなくてもどうということはない。妹に可愛い服を着せてやれないのは気になっていたが。

「そういう生活をしてるときに、可愛い服を見せびらかされて、貧乏って言われて、悔しくて、そのことがあんまり強い記憶になったから、可愛い服を見るだけでつらくなった。自分がバイトをするようになって、それなりにお金ができても、可愛い服は買えなかった。あのときのいじわるな子を思い出しちゃって」

「悪かったな、気づいてやれなくて」

「お兄ちゃんはちっとも悪くないよ!」

 妹が首をぶんぶん振って否定した。

「いじわるな子がわるいの。あと、すぐに忘れられたらよかったんだけど」

 ため息をついた。

「嫌な思い出が、ずっと残って、どうしようもないこともあるよ」

 だって、あのピンクの服の、重なった布の内側の、花模様の紫と濃いピンクの中に、濃さの違う小さな黄色が入っていたことまで覚えてるもの、と眉をしかめる。

「その人、容姿がコンプレックスで、辛い思いをしてきたと思う。資格を取って、就職してすぐ婚活を始めるって、あんまりないでしょ。自分は悪条件だって思ってるからこその行動でしょ。自分の容姿では、若さを売りにできるうちじゃないと、結婚できない、それも恋愛結婚はできないだろうから、相談所に登録するってなったんだと思う。結婚しようって言ってくれる人が現れて、すごく嬉しかったのに、容姿を貶めることを言われて、コンプレックスをどうしようもなくなってしまったんじゃないかな。多分、容姿を一番ひどく言われたときのことが、フラッシュバックしてると思う」

 目をつむったので、妹もフラッシュバックしてるのかと心配になった。

「たとえ本人の前じゃなくても、実際に、ひどい言葉を言ってたんなら、謝るしかないよ。それも、許してもらえるなんて思わない方がいい。許してもらうために謝るんなら、謝らない方がいい。相手のためにならない。このまま別れることになっても仕方ない。でも、今は絶対、そんなこと思ってないことは言ってあげて。この先も、ひどい言葉を言わないって誓って。一緒にいたい人だって言ってあげて。それで、時間をあげて、彼女がどうしたいか決めさせてあげて」

 目を開けて、きっぱりとした口調で言った。


「みかんマーマレード」

 みかんの皮 十個分

 みかんの実 二個分

 砂糖    カレースプーン三杯分

 レモン汁  コーヒースプーン一杯分

 粉末クローブ(あれば) 三、四振り



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