キーマカレートースト
平日休みだったので、ちょっと朝寝坊して、朝昼兼用の食事にした。
食パン二枚に、レトルトのキーマカレーをのせて、オーブントースターで焼いただけの、キーマカレートースト。とろけるチーズをのせるとさらに美味しい。
家事をすませてから、お気に入りの美術館に行った。有料の特別展はあまり興味が持てる企画じゃなかったので、無料ゾーンだけをぶらぶらして、のんびり鑑賞した。平日の美術館はすいていて、せいぜい観光客がいるくらい。静かすぎず、小声の会話が少しあって、落ち着く。休憩スペースに座って、庭を見ながらぼーっとした。風が吹くたびに木の葉が揺れて、ざわざわ音をたて、日差しがちらちら踊る。耳も目も楽しませてくれる。
不定休のせいで、休みに一緒に出掛ける相手を見つけるのが難しい。その積み重ねで、疎遠になった友人も多い。婚活のために転職した元同僚は正しいと思う。俺は、一人でのんびりに、すっかり慣れてしまってヤバイのかもしれない。
四十になったとき一人だと後悔するぞー、早めに結婚しとけばよかったって、とは言われる。そうかもなとは思う。インフルエンザにかかったときは、一人暮らしの不便さを感じたが、妹が薬と食べ物を持ってきてくれて、看病してくれた。とはいえ、妹にいつまでも頼っていられないのはわかってる。それと、一人暮らしが不便だと感じる機会はあっても、寂しいと思わないのが問題じゃないかな。他の人と感覚がずれているのかも。
妹ほどじゃないにしろ、俺も結婚に前向きになれない。
覚えている限り、いつも両親は喧嘩していた。父親はろくに家に金を入れず、浮気をして、母親が怒って、喧嘩して、なあなあになって、しばらくするとまた父親が浮気をした。そんな場面ばかり見てた。
身近にあんな例を見ていたら、積極的に結婚しようと思わない。
確かに、先輩のところみたいに、夫婦仲がいい例を知ってからは、結婚が必ずしも悪いものばかりじゃないとは思えるようになったけれど。先輩の場合、先輩のご両親がそもそも仲がいい。よい例を身近に見て育って、結婚したから、仲良くいられるような気がする。
美術館から帰ると、銭湯に行った。普段は狭いユニットバスのシャワーだけで済ませてしまうことが多いから、時間に余裕があるときは、銭湯の大きな湯船で手足を伸ばす。幸い、徒歩圏内に銭湯がある。時々行っているから、番台のおばあちゃんとは顔見知り。不定休のせいで、変な時間に行くから、記憶に残りやすいようだ。のんびり湯船につかって、ラッコ並みにリラックスして、風呂上がりに牛乳を飲む。腰に手を当てるのはちょっと恥ずかしいので、普通に飲む。
先輩から「笑えそうな本リスト」というタイトルでメールが来た。お礼の電話をかけると、
『いや、奥さんがネットで調べただけ』
「あ、そうですね、ネットで調べたらよかったんだ…。すみません、手間をおかけしました」
『面白そうだから自分でも読むってさ。だから別に手間じゃないよ。あと、泣ける本リストとか、色んなのがあったって言ってた。それと、ジュースセットはお前に渡しておくから、会ったときに一緒に飲むなりなんなりしてくれ。何もお礼をしないというのは申し訳ないし。大したことしてないと言われても、こっちは助かったわけだから』
「あ、メル友なので、直接会うことは滅多にないんです。休みが合わなくて」
『そうか。じゃ、ジュースセットはなしにして、次に会ったとき、お前からコーヒーでも飯でもおごってくれ。その分、俺からお前におごるから』
思わず笑ってしまった。
「はい。わかりました」
これから夜勤だという妹から電話がかかってきた。
『お兄ちゃん、つきあってる人いる?』
「え? な、なんだ、急に」
思わず挙動不審になってしまった。一日お一人様を満喫してしまったあとだけに。
『あ、いるんだ』
「いないいないいない」
『いや、いるならいるでいいんだ』
「ほんとにいない」
『あ、そうなの』
「な、なんだよ、急にそんな」
妹がため息ついた。
『別の病棟のナースなんだけど、彼氏と別れて、次を探すってなって、お兄ちゃんのことを聞いたみたいなんだ』
「は? なんで俺?」
『妹を養って、看護大学の費用を出して…って話が伝わっちゃってるみたい』
「は? お前が中学高校のときは養ったかもしれないが、家事をしてもらってたし、俺も助けられたし、何より看護大学は奨学金をもらっただろ。給料から天引き返済されてるのは、職場の人間なら知ってるだろうに」
『そうなんだけど。経済的に苦労してナースになった人って割といて、そういう中で、親のいない兄妹が助け合って、みたいな、お涙頂戴ストーリーが好まれて、独り歩きしてるみたいなんだよね。多分、色々盛った話になってる。一部真実が混じってるだけに余計に悪い感じ。そんな優しいお兄さんなら、つきあいたいっていう』
「なんだ、そりゃ」
呆れる。伝聞情報なんてあてにならないのに。
『ナースって、変に経済力があるから、だめんずを捕まえちゃう人が結構いるんだ。その人も無職のパチ好き男を部屋に住まわせて、世話を焼いていたんだけど、なんだかんだで別れたみたい。だから次はちゃんとした人とつきあいたいって。妹を看護大学にやるような、できた兄、紹介して、って流れ。でもその人の話を聞いてると、歴代の彼氏がみんなだめんずなの。つきあいだしたら、相手が仕事を辞めちゃって、パチンコとかスロットとか競馬とか、かけ事にお金を使っちゃう、でなければゲームの課金とか。歴代彼氏がみんなそうって、いくらなんでもおかしくない? だめんずを捕まえるんじゃなくて、だめんずを製造しちゃう人なんじゃないかって思っちゃう。お兄ちゃんをだめんずにされたらかなわないから、一応断っといたけど、よかったよね?』
「よかったよかった。一応じゃなく、完全に断っておいてくれ。俺の知らない俺像が勝手に作られて、それに期待されても困る」
『だよね。夜勤でその人の友達と一緒になるんだー。しつこく言われたら嫌だから、お兄ちゃんにちゃんと訊いたし、ちゃんと断っとこうっと』
妹はほっとした様子で電話を切った。
女の人ばかりの職場だから、彼氏の話題になって、なんとなくノリで紹介してってことになっただけかもしれない。
彼女が欲しくないわけではないけれど、伝聞情報からの優しい男という思い込みでつきあってくれと言われても嬉しくない。
夕飯を食べて、翌日の弁当の下ごしらえをして、本を読みながら寝た。
こんなふうに、一人の休日を特に不満もなく過ごしてしまう。
うーん、本当に四十歳になったとき、俺は後悔するのかなあ。
「キーマカレートースト」
食パン 2枚
キーマカレー(レトルト) 一人前