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ズボラめし  作者: 小出 花
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卵かけごはん ふりかけとなめたけのせ

三十代男性の日々のズボラ料理。

今朝は卵かけごはん。


 日曜の朝、妹からメールが来た。

『夜勤明けに行ってもいい? 卵かけごはんが食べたくなったんだ』

『OK』

 と、返事を打って、急いで米をとぎ、速炊きコースにした。

 近所のスーパーの土曜のセールで卵を買っているのを、妹は知っている。今日なら卵がないなんてことはない。

 卵かけごはんは一緒に住んでた頃、定番の朝ごはんだった。夜のうちに炊飯器をセットしておけば、あとは何もしなくていい。卵は安いし、家計も助かった。サケの切り身を一切れ買うのと同じ値段で、卵が十個買える。

 今は一人暮らしで、収入は前よりよくなっていて、朝食を値段で決めなくてもいい。妹がいないとつい不摂生をして、食べないこともあるし、パンですませたりもする。

 そういえば卵かけごはんは久しぶりだな。


 別々に暮らすようになったのは、妹が就職して不規則な生活時間が俺とは合わないからというのが建て前で、実際は、独身の兄妹でいつまでも一緒に住んでいては妹が縁遠くなってしまうと思ったからだ。

 妹が住んでいるのは病院隣りの寮で、通勤時間は三分くらい、古いが家賃は安いという好条件だったのもあって、すんなり引っ越していった。

 俺の方は元々の二間のアパートから、一人用のロフトつきに引っ越した。

 のだが、妹がしょっちゅう来る。別々に住んでいる意味がないくらい、しょっちゅう来る。うがい用のカップにはピンクの歯ブラシがさしてあるし、冷蔵庫には化粧水が入っている(なんとか化粧水という、毛穴を引き締めるやつらしい)し、収納スペースの一部に妹の衣類が置いてある(どうせ俺の服は少ないから、場所があいてたんだが)。いい雰囲気になった女性がうちに来たときに、それらを見て、誤解されたので、妹のだと告げたら、それはそれでよく思われなかったらしく、即、帰られたことがある。俺が縁遠いのは別にいいとしても、妹はしょっちゅううちに来てる場合なのか。

 まあ、いそいそとごはんを炊いてる自分もどうかと思うが。


 インターフォンに応えて玄関を開けると、

「おはよー」

 と、言いながら妹が入ってきた。

 ショートヘアで、薄化粧、無地のTシャツ、カーディガン、細身のデニム姿なので、女っぽさに欠ける。兄の欲目はあるだろうが、妹は美人だと思う。もっと可愛い格好をすればいいのに、楽な格好が一番と言う。

「わあ、いい匂い! もうすぐ炊けるところ?」

 玄関からすぐ台所なので、炊飯中の匂いに鼻を動かしている。

「ああ、新米だ」

「やったー! 私、まだ前のお米があって、新米は買ってないんだー」

「俺も昨日から手をつけ始めたところだ。水加減がうまくいってないかもしれない」

「多少柔らかくても、新米はそれだけでごちそうだよ」

 新米、新米と謎の舞いを踊りながら、ユニットバスに手を洗いに行った。あの舞いがどういうときに出るかわかっている俺は複雑な気持ちになる。まあ、夜勤明けに急にメールして来たわけだし。



 炊飯器がピッピッピッと炊き上がりを知らせた。保温ボタンはすぐに消す。節電だ。

 ごはんは新米がやっぱりうまい。昔は備蓄米とか食べていたので、生活に余裕が出たときに新米を炊いたときは、あまりにうまいので、何もつけずに、白米だけで食べてしまった。ごはんってすごいな。そういえば適度な硬水で米を炊くと古米でもうまくなると言ってた人がいたが、水道水で炊いているので、硬水とかわざわざ買うなんてとんでもない。水に金を払うなんて。しかもその人によると、硬水のミネラル分の量によるとかで、そんな微妙なミネラル量の水を買うなんて、古米を食べている人間にはありえないことだ。

 さて、卵かけごはんは、先に卵をといてご飯を加えるか、あとでかけるか、と言う人がいるが、うちでは、先に卵、一択だ。茶碗に卵を割り入れ、溶いて、醤油を入れてからご飯を加える。洗い物が少なくてすむ。別の茶碗で卵をといてからごはんにかけると、茶碗が二個汚れる。結局卵をごはんにからめるのだから、洗い物が少ない方法が一番だ。

 その点で、100円ショップのミニボウルが便利だ。卵をといたあとにご飯を加えて混ぜるのに、普通の茶碗だと小さくてやりにくい。

「お兄ちゃん、卵いくつ?」

「いや、自分でやるから、先に食え。仕事のあとなんだから。お疲れさん」

「うん。ありがとうー!」

 夜勤明けで空腹の妹は、卵を二個ミニボウルに割り入れた。卵二個の贅沢ができるようになったのが感慨深い。

 卵に昆布だしを耳かき二杯分くらい、しょうゆを一たらし入れ、混ぜる。炊飯器を開けると、炊き立てごはんのいい香りが部屋に広がる。目をつむって香りを楽しんでから、しゃもじで結構な量をすくう。卵二個にふさわしいよりちょっと少ないくらい。茶碗では無理で、ミニボウルじゃないと入らない。木のスプーンを使って混ぜ、ふわっふわにするのが妹の好みだ。 棚からおかかとわかめのふりかけ、冷蔵庫からなめたけの瓶を出して、卵かけごはんの半分ずつにかける。

 ミニボウルを持って、ニコニコしながらローテーブルにつく。

「お先に。いただきまーす!」

 とか言いながら、俺が自分の分を用意するまで律儀に待ってた。

 朝食なんで、俺は卵一個、調味料は同じで、ふりかけあり、なめたけはなしにした。朝からこんだけ、旨み旨み旨みを食うのもなんだ。

「いただきます」

「はー、新米新米」

 最初の一口はふりかけもなめたけもかかっていないところを、少しだけすくって、全感覚を口に集中させるため、目をつむって味わっている。しばし間があり、

「んっまーーー!」

 どこかのおじさんが仕事のあとのビールか熱燗でも口にしたかというような、満足そうな顔で言う。

「美味しいねえ。やっぱ新米いいわー! 水加減もちょうどいいよ」

 続いて、ふりかけのかかったところ、なめたけのかかったところ、互い違いに食べる。

「そうか、よかった」

 俺も食べ始める。確かに、新米、旨い。

「ごはんに生卵をかけて、こんなに美味しいなんて、日本人でよかったー!」

 うん。妹のは、こんぶの旨みに、かつおの旨みに、その上、きのこの旨みまで加わって、旨みの三重奏やあ、状態なんで、旨みのわかる日本人で更によかった。

「毎日食べても飽きないんだから、卵かけごはんってすごいよな」

「うんー! やっぱ朝ごはんに卵かけご飯は最強だね」

「夜勤明けだから夕飯じゃないのか」

「朝の光、スズメの鳴き声、卵かけご飯。最高だー!」

「・・・寝る前に食べすぎると太るぞ」

 妹は聞いちゃいない。

 半分くらい食べたあたりで、ふりかけとなめたけを両方混ぜて、ふわふわにし直して、はふはふ言いながら食べてる。夜中働いて、疲れて、お腹が空いてたんだろう。我が妹ながら、頑張ってる。こんなささやかなごほうびでいいのかと思うが、変に高級食材のものより、定番で、わかりきった、旨いもののほうがいいこともある。

 職業病の早食いで、俺も妹もあっという間に完食した。満足のため息をつくだけで、腹をポンポン叩かないのがせめてものたしなみだ。

「美味しかったー! ごちそうさまー!」

「うん、ごちそうさま」

 二人とも、ぱしっと手を合わせる。いただきますとごちそうさまをちゃんと言うのがうちのルール。ごはんを食べられるのはありがたい。感謝してるから、自然と手を合わせる。

「洗い物、私がするね」

 妹がミニボウルを重ね、スプーンをまとめて立ち上がったので、

「ありがとう。じゃ、俺は茶をいれる」

 俺は電気ポットに水を汲み、コンセントを入れた。それから、炊飯器の残りご飯を、小分けにしてラップで包む。粗熱が取れたら、冷凍しておくために、ジッパー付きの袋に更に入れる。冷凍室で水分を逃さないのが、美味しさを失わない、ご飯の保存法だ。ふりかけを混ぜて、おにぎりにすることもあるが、その時もラップで握って、ジッパー付きの袋に入れるのは同じ。レンチンが早く、まんべんなくすむよう、少し平たい形に握るのがコツだ。

「内釜もちょうだい」

 妹が、手を出すので、しゃもじごと渡す。炊いた直後で、ご飯が乾きこびりついていないうちだと、洗うのもラクだ。

「すまんな」

「いえいえ。卵かけご飯のお礼だし」

 妹は勝手知ったる様子で、たたんであった水切り用のシリコンマットを広げ、洗ったミニボウルをのせている。そもそも、シリコンマットをくれたのは妹だ。俺はふきんを出して、ミニボウルを拭き、スプーンを拭き、片づける。二人だとあっという間に洗い物と片づけが終わる。妹は食後にいつまでも汚れ物を放っておかない。俺だと、後でやろうと思っているうちに時間がたってしまうこともあるのだが。

 ポットが沸騰を知らせた。男の一人暮らしには珍しいそうだが、うちにはちゃんと急須がある。棚から棒茶を出して、目分量で入れてから、湯を注ぎ、マグカップ二つとローテーブルに運んだ。ちなみに、マグカップはお揃いではない。

 妹が棚からハンドクリームを出してつけ、指先を軽くマッサージしている。仕事柄、手が荒れるので、ハンドクリームをつけられるときはつけるようにしている。

 俺が使っているのではない。だからうちにあるのは妹専用なのだが、人にこれを見られて引かれたこともある。男の部屋にハンドクリームで一引き、それが妹用で、妹用のものが兄宅に置いてあることに二引き。うんうん、わかってる。俺だってどうかと思う。あと、俺が冬にがさがさになった手につけることがあるのは、三引きになるだろうから黙っている。

 もらいもののソファがあるが、そこに寄りかかって、妹は床に座った。俺はローテーブルを挟んで座って、壁に寄りかかってる。二人の時は大体これが定位置だ。

 三分ほどたってから、茶を注ぐ。熱湯でいいし、時間も適当でいいから、棒茶は楽だ。カフェインが少ないから、寝る前に飲んでもあんまり影響がない。もっとも、妹はカフェインの摂り過ぎで、すっかり慣れてしまって、コーヒーを飲んだ後でも眠れるそうだが。

「熱いぞ」

「うんー、ありがと」

 マグカップ本体は持てないくらい熱いので、取っ手を持って、ふうふう冷ましている。

 無言になった。

 兄妹なので、別に無言でも居心地悪いとかはない。

 スズメの声なんて聞こえないなー、もうそんな時間じゃないし。もう少し早い時間だと、結構チュンチュン言ってるけど。あ、洗濯がもう終わる時間かな。曇ってるから、ジーンズは乾かないかな。スーパーの特売に行ってこなきゃ。今日はキャベツと厚揚げが安かったっけ。妹がキャベツを半分持ってくかな。図書館で本を返さなきゃ。借りたいし。スーパーと反対方向だから、本を持ったまま行くのは重いな。図書館、家、本を置く、それからスーパーか。あ、空き缶を回収ボックスに入れなきゃ。たまる前に持っていかないと。

 ぼやーっと考えてた。ようやく冷めてきた棒茶を一口飲む。

「明け方に、病棟の人気者のおばあちゃんが逝ったんだ」

 ぽそっと妹が言う。両手で抱えたマグカップで口元が見えないから、すごくくぐもった声で。

「すごく可愛くて、優しくて、ナースたちもみんなおばあちゃんが好きで。私も大好きだった」

 妹は落ち込んでるときほど、空元気を出して、明るく振る舞う。謎の舞いもその一つ。

「小児科の子の点滴袋にアンパンマンが描いてあるのを見て、自分のはドラえもんを描いてって言ったり。子供みたい。小児科のナースは描きなれてるから上手いけど、私たちは下手くそなの。おばあちゃん、個性的なドラえもんやなあって、笑ってた」

 ドラえもんが個性的じゃだめじゃん、とつぶやく。

「元々小柄なんだけど、最近はすっごく小さくなってしまって。前はよく散歩して、他の患者さんとしゃべってて、『はー、たまげた!』っていうのが口癖だった」

 俺は声を出さずにうなずいた。

「旦那さんに先立たれて、息子さんは仕事で遠くに住んでるから、お見舞いに来る人がいないんだって言ってた。入院の手続きだって、民生委員がしたくらい。入院してすぐ、一度だけ息子さんがお見舞いに来て、すごく腰が低くて、ぺこぺこ頭を下げてたらしいけど、それっきり。ほんとに一度だけ。容体がどんどん悪くなってて、何度も電話したけど、来てくれなかった。昨夜電話したときは、奥さんらしい人が出て、すっごく迷惑そうだったって」

 なんか事情が察せるな。息をついてしまう。

「なんであんないい人が、最後、一人で、病気で苦しんで、痛い思いをして死ぬんだろう。もっと長生きして、百歳まで生きて、おうちの布団で、老衰で眠るように逝けたらいいのに」

 理想的な死に方だなあ。うなずいた。

「人が死ぬのも、赤ちゃんが生まれるのも、明け方が多いんだ。だから明け方の時間が怖い。何か起こりそうで。その時間って、夜勤してても、ふっと眠くなるの。夜明けの頃って、カラスが鳴くんだよ。その声でギクッとする。なんでカラスは夜明け早々に鳴くんだろう。まだちゃんとお日様がのぼってなくて、薄暗いのに。ただ早起きなだけかもしれないけど、でも怖い。だから明るくなって、スズメの声が聞こえるとほっとするの」

 うん。スズメの声はいいな。平和って感じがする。あんな小さな鳥が鳴けるのは、周りが安全じゃないと無理だ。

「辛かったな」

 かける言葉がみつからない。妹の職場は人の死を見ることが多い。慣れてしまう人もいるというけど、実際は慣れるというより、慣れたふりをしてるだけなんだろうな。慣れるなんて無理だ。

 でも妹は泣かなくなった。

 今だってマグカップを握りしめているけど、涙は流していない。

「うんー、辛かった」

 辛かった、辛かった、って小さな声でつぶやいて、過去にしようとする。時間という薬が効いてくれるように、過去にしようとする。

 それから、思い切ったように、マグカップのお茶をごくごく飲み干した。ちょっと困ったような顔をしてる。

「ぬるくなっちゃってた。もう一杯いれようっと。お兄ちゃんは?」

「いや、俺はいいよ」

 妹が勢いつけて立ち上がったところで、洗濯機がぴーっと終了を告げた。なんだよ、このタイミング。いいんだか、悪いんだか。

「…干さなきゃ」

 俺も立ち上がる。

 妹がポットに新たに水を注いでいる間に、洗濯機から服を取り出す。

「…なあ」

「うん」

「いや…。なんだ、新米少し持ってくか?」

「いーよ。うちももう少しで前のを食べきるし、そしたら新米を買う」

「そうか」

「それまでは新米を食べたくなったら、お兄ちゃんとこに来る」

「…なんだそりゃ」

 まあ、妹が笑ったからよし。

 俺は洗濯物が入った籠を持って、ベランダに干しに出た。


 部屋に戻ってきたら、ソファで妹が寝てた。夜勤明けだから、眠かったのは仕方ないが、毛布くらいかければいいのに。俺はロフトの手すりにかけてあった毛布をおろして、かけてやった。

「食べてすぐ寝ると太るぞ」

 小さな声で言った。






『たまごかけごはん おかかとわかめのふりかけと、なめたけのせ』 

 白いご飯(炊きたて。新米ならなおよし)  しゃもじ2~3杯くらい

 卵  2個 

 しょうゆ  2、3たらし

 こんぶだし  耳かき2杯くらい

 おかかとわかめのふりかけ お好みの量

 なめたけ   お好みの量


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