Crônica #2:「当たり前」とは何なのか
「交通システムを改善する」、19時のニュースのインタビューで市長がそう宣っていた。ソファーにもたれながら私はテレビに視線を向ける。心地よい冷たさを纏ったビールのすっきりとした苦味と爽やかな泡は、命懸けの帰宅で疲れた体と心に染み渡るようだ。何を大袈裟な、と思われるかもしれない。確かに、私もこの家へ引っ越してくるまで、ものの30kmの内に何度も肝を冷やす羽目になるとは微塵にも思っていなかった。道はアスファルトによって然るべき舗装はされているのだが、自転車と車との距離が余りにも近すぎる。マナーの良い運転手は半メートルほど離れてくれるが、そうでない者は遠慮なく詰めてくる。この間もすんでの所でサイドミラーが私に当たらなかった。自転車乗りが車に轢かれる事件も決して少なくない。どうも一部のドライバーは、まるで車道にある障害物のごとく我々を疎ましく思っているようだ。自転車乗りも自転車乗りの方で不届きな輩は沢山居るから、両者の間の溝を埋めるのには骨が折れるだろう。自転車通勤が可能になるという利点を期待して引っ越したのだが、少し早まってしまっただろうか…。
ふと、口寂しさに気づいた。そういえば缶を持っている右手も妙に軽い。どうやら中身を全て飲み干してしまっていたらしい。また新しいビールを取りに行かなければ、そう思って立ち上がったとき、モニターの中の人物が、「自転車」という単語を発したのが聞こえた。聞き間違いでなければ、「改善」とも言っていた様な。交通システムを改善するとは確かにインタビューの最初のほうで明かされていたが、まさか自転車の交通事情にまで手が入れられるのだろうか。もしそうだとすれば願ってもいない展開なのだが。とりあえず酒は後で取りに行くとしよう、それよりもこの男が何を言うつもりなのかが気になる。
私は特に政治に明るいわけではないが、我等が市長が日和見主義で当たり障りの無い政治を行っている、ということぐらいは知っている。もっと積極的にニュースなどを読んでいれば更に辛口な評価を下していたかもしれない。(余談だが、日々の忙しさは私の、ひいては似た境遇の他の人々の、この無知に対する言い訳と成り得るのだろうか。それとも無責任だと誹られるべきなのだろうか。)ただ、もし彼が我々の快適な暮らしに貢献するのであれば、相応の評価をするのが尤もだろう。具体的には、市長は自転車専用のレーンを車道に設ける事を発表した。それは自転車一台分、歩道側にひかれるようである。たかがレーン一つで何が変わるのか、と考える者もいるだろう。ただ、視覚的効果以上に、そういった構造があればそれありきの新たなルールを課する事が出来る、という利点がある。例えば、横断歩道の上と外では、同じ交通事故でも大分意味合いが異なってくる。横断歩道というシンボルはそれに基づいたルールが有ってこそなのだ。そう考えれば市長のこの改善案は妥当かもしれない。…勿論、何も解決しない可能性も孕んでいる訳だが。
我々が少なからず期待していることはディスプレイの中の男も理解しているようで、「以下に自分達が考えたこの案が素晴らしいか」を力説していた。あくまでも「素晴らしさ」を強調しており、「合理性」に対する言及は控えめだった。インタビュアーも一々同意、ないし賞賛し、市長の既に満ち溢れていた自信を更に増徴させていた。もはやニュース番組においてそれはお約束と化していたので、特に気にも留めなかった。政治家とは須らくそういうもの。経験から得られた私の数少ない政治関連の知識だ。少なくとも、目の前で繰り広げられていたこのある種様式美とも言える展開は、この安い缶ビールにうってつけの安っぽい肴ぐらいの用途はありそうだ。期待半分、不安半分。それぐらい懐疑的に物事を構えたほうが楽だと気づくまでに、随分顔に皺を増やしてしまった。工事は速ければ来週に完了するらしい。プラス2週間の誤差を加えれば(なんてポジティブな予想だろうか!)、今月末にはお目にかかれるだろう。これで私を付け狙う死神共を落胆させる事が出来ればいいのだが。あとは医療機関や教育機関に工事費の皺寄せが行かないことを祈ろう。
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私の予想を裏切って、工事は予定されていた日から2ヶ月遅れて終了した。やはりポジティブ思考過ぎたか。しかし、市長が豪語していた通り、確かに町は「先進的な交通機関のお手本」として有名になった―――「悪いお手本」として、だが。事実、フェイスブックなどで大いに話題になった。というのも、件のレーンのある部分を写した写真が大いにウケたからだ。
件の写真には、レーンのど真ん中に堂々と電柱が鎮座している様が写されていた。要するに、電信柱の存在を無視して車線を引いたのだ。このいやにコミカルな絵面は、「便器の所為で内開きのドアが開けない公衆トイレ」の画像とともに、多くのインターネット利用者の笑いをかっさらって行った。
■「小説家になろう!」2作目。前回に引き続き今回もCrônicaを執筆しました。前回は心理描写に拘ったのに対し、今回は少しユーモアと風刺を混ぜてみました。元よりCrônicaは、ユーモラス且つ社会に対する露骨では無い皮肉が込められている作風が好まれる傾向にあります。「文体が堅苦しくなく」、「日常的なテーマ」を扱い、更に「作者の社会や習慣に対する皮肉」を透けさせ、その上で「読者の笑いを誘う」。一般論では、これが理想のCrônicaだと言われています。勿論、Crônica自身は結構自由なスタイルであり、この条件に当てはまらずとも、名作と称される作品は沢山あります。作者の匙加減一つで多種多様な作風で書ける、これがCrônicaの一つの利点でもあるでしょう。
■最後に、ここまで読んで下さりありがとうございました。ご意見・ご感想など、常に歓迎しております。