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その一 プロローグ

『 ブエン・ビアッヘ 』


一日目 五月九日(日曜日)

 「おはようございます」

 簡単な挨拶を交わした後、三池正和は山本香織を車に乗せて、ホテルに向かった。

 五月の空はよく晴れ、スィエリート・リンドでも唄いたいような気分だな、と三池は思った。

 「スカイライナーは混んでましたか?」

 三池は香織に訊ねた。

 「いいえ、それほど混んでませんでした」

 「上野から京成成田まで、一時間足らずで来れるんですねえ。速くていい」

 「三池部長は、車でどれくらいかかりました?」

 「ああ、部長はやめてください。ただの三池で結構です。そう、・・・、大体二時間半といったところでした」

 三池は半年前までは香織の上司であった。

 「もう、退職されて半年になるんですねえ」

 「香織さんこそ、急な退職で僕は驚いているんです」

 「早いもので、もう一ヶ月になります」

 「お母さん、心配しなかった?」

 「母は心配症ですから、勤めていても、いつも心配しています」

 「そう言えば、山本さんもいつも言っていました。うちの女房は心配症で、俺の体をいつも心配している、飲み過ぎは駄目とか、少しは運動をしなさいよとか言ってね、と昔おっしゃっていましたねえ」

 香織が少し眩しそうな顔をした。

 会話が少し途切れた。

 三池は香織の父親の山本健一の顔を思い浮かべていた。三池が新入社員で入社し、本社での研修を終え、実習先として静岡にある工場に配属されたのは三十五年ほど前になる。

 総務の人間に連れられて、労働組合の事務所に行き、組合に挨拶した時、迎えてくれたのが当時の組合の委員長・山本健一であった。

 山本は机に座り、何か書きものをしていたが、ふと目を上げて、三池を見た。

 学卒新入社員の三池正和さんです、と総務担当から紹介された三池は、山本に促され、ソファーに座った。山本は当時四十歳であったが、若々しく精悍な顔をしていた。

 年齢を訊かれ、三池はもうじき二十五歳になります、と答えた。

 十五歳も違うのか、羨ましいな、俺も二十五歳の頃に戻りたいな、と笑った。

 委員長はその頃、北海道の工場でオートバイをぶん回していたんでしょう、と総務担当が冷やかした。その後、山本は組合の活動に関する説明を十分ほど行なった。

 昔はともかく、今は労使協調の時代だから、学卒社員と雖も組合員であることを念頭に、部下、同僚と分け隔て無く接して欲しい、と三池は山本に釘を押された。

 別れ際に、近い内に連絡するから、うちに遊びに来い、と山本から言われた。

 組合の事務所を出た時、総務担当が三池に囁いた。

 委員長から気に入られたようだけど、あまり仲良くならないように、学卒が組合のペースで動くようになるのは、会社としてプラスではないから、と言われた。

 三池は傍らで真っ直ぐ前方を見ている香織の端整な横顔を見ながら、あの時の五歳の女の子が今こうして隣に座っている、と思った。

 数日して、山本に呼ばれ、三池は新築したばかりの山本の家を訪れた。

 山本は機嫌よく飲みながら、三池と雑談を交わした。

 その山本の膝にまとわりつく女の子がいた。笑窪の可愛い、目がくりっとした、色の白い女の子だった。この娘は三十五歳の時にできた娘で、お兄ちゃんとは十歳ほど違う、三池君は分からんだろうが、齢を取ってから生まれた子であり、しかも女の子が欲しかった自分には、どうにも可愛くて仕方がない、と山本はその女の子の頭を優しく撫でながら三池に言った。その女の子が香織であった。


 「三池、さん。私、ヨーロッパは初めてなので、明日からの旅行はとても楽しみなんです」

 「僕も、これまでヨーロッパには行く機会が無く、初めてのヨーロッパになります。それに、今回のように長期間の旅も初めてということで、初ものづくしの旅行となります」

 「でも、三池さんは言葉がおできになられるから、私は安心していますわ」

 「香織さん、それは買いかぶりです。ただ、今回はスペインに限定してまわりますから、僕のメキシコ訛りのスペイン語でも何とか通用するかとたかをくくってはいますけれど」

 「あの、・・・、英語は通用しないんですか?」

 「英語は国際語としては代表的な言葉ですけど、案外英語圏を除けば通用しないもんなんです。通用するのは大きなホテルとか免税店、或いは、ブランドショップ程度に限定されます。一般のホテル、小さな店あたりではほとんどと言っていいほど、通じませんね。まして、ヨーロッパは自国の言葉にプライドを持っていますし、今回行くスペインではものの本に依れば、英語教育には熱心ではない国らしいですから、なおさらだと思います」

 「残念。英語ならば、学校時代とか、ノバで勉強した成果を出せるのに」

 「でも、スペインを旅行している外国人は一般的に英語は話せると思いますよ。普段は僕のメキシコ訛りのスペイン語で間に合わせ、旅行している外国人との応対は、香織さん、貴女にお任せします」

 香織は三池の顔を見て、ニコリと微笑んだ。

 「それはともかく、アイスランドの火山噴火による飛行機の欠航が気になるところですね。先程、ルフトハンザ航空に電話をかけて、確認しましたが、実際のところは現地でないと判らない、という返事でした。まあ、今のところは何とか小康状態を保っているようですが。最悪の場合は、成田からフランクフルト空港までは行けても、フランクフルトからバルセロナまでの飛行機は欠航するということも無きにしもあらず、といった事態に陥るかも知れません。その時は、その時で、香織さんも一応覚悟しておいて下さいね」


 やがて、車はホテルに着き、駐車場に入れた。

 ドアを開け、荷物を下ろそうとしたところに、制服姿の若い女性が現われた。

 その女性はホテルの駐車場担当の女性であった。

 駐車券らしい紙片を何枚か持っていた。

 三池に、いらっしゃいませ、と挨拶し、いつまでご滞在ですか、と訊ねた。

 今夜と六月五日に泊まることとしており、四週間ほど車を駐車させて戴きます、と答えた。

 お車の駐車は一泊につき二週間ということで、前泊と後泊、合わせて四週間の駐車ということでございますね、承知致しました。では、この紙をダッシュボードに載せて戴き、ホテル脇の丘の上にございます駐車場までお車を移動してください、と三池に言った。

 三池は車を運転し、ホテルの玄関に香織を降ろし、且つスーツケースも下ろした上で、少し離れた丘の上の駐車場に車を運んだ。

 ホテルの玄関から入り、車の鍵を駐車場係の担当に渡した。

 車のバッテリーがあがってしまうかも知れないので、途中で一度、車の空運転をしておいてください、と頼むと、畏まりました、万一の場合に備え、充電装置も持っておりますのでご安心下さい、という快い返事が返ってきた。

 香織をロビーのソファーに座らせた上で、三池はチェックイン・カウンターに行った。

 明日のご出発は何時のご予定でございますか、と訊かれ、空港までのホテルのシャトル・バス・サービスの時刻を確認した上で、七時にします、と答えた。

 香織を伴って、部屋に入った。

 「いよいよ、四週間の旅が始まるのですね。何だか、わくわくしますわ」

 と言いながら、香織は部屋に備え付けられているポットからお湯を出して、お茶を入れ始めた。

 三池はお茶を飲みながら、窓の外を眺めた。

 ここは、成田空港に一番近いホテルとの触れ込みでインターネット検索には書かれているホテルであり、すぐ近くに成田空港のターミナル・ビルが見えた。

 時折、飛び立って行く飛行機の機影が大きく見えた。

 果たして、無事何事も無く、この四週間いくのだろうか、と三池は思った。

 自分は六十歳の還暦を迎え、三十五年勤めた会社を定年退職したとは言え、独身の男であり、一方、香織は四十歳の未婚の女性なのだ。

 性的には危うい関係だ。

 三池は思い出していた。

 一ヶ月ほど前、香織からeメールが届いた。

 退職した、と云う。

 てっきり、香織ちゃんも目出たく寿退職とあいなったか、良かった、と三池は喜んだ。

 でも、それは早合点であった。

 結婚退職では無く、早期退職だった。

 管理職はともかく、組合員は組合に守られ、六十歳までは安穏と会社に居られる。

 この就職難の折、自分から辞める必要はないのだ、勿体ないじゃないか、と三池は一瞬怒りにも似た思いで香織からのメールを見詰めた。

 退職した理由はどこにも書いてなかった。

 ただ、どこか海外の旅に一緒に出かけませんか、と書いてあった。

 旅、と言っても、この俺と?

 初めは、信じられなかった。

 何で、俺と旅に出るんだ。

 どうにも、訳が判らなかった。

 どこの世界に、未婚の女が独身の男と、あっけらかんと、旅に出るなんて話がある?

 俺をからかっているのか、と思った。

 それから、メールが頻繁に交わされた。

 メールというものは便利な通信手段だ。

 口では到底言えないことも、メールでならば、どんなことでも言えてしまう。

 だんだん、香織の本心というか本音が分かってきた。

 日本のビジネスホテルならいざ知らず、外国の普通のホテルならば、シングル料金とツイン料金はほぼ同じ料金に設定されている。

 一人ずつで二部屋借りるより、二人で一部屋借りる方が割安なのは子供でも分かる算数だ。

 つまり、俺は香織ちゃんにとっては、亡くなった父親みたいな存在で、不埒なことを働くような男ではない、ということか。

 女一人で旅に出るよりは、男の連れがあった方がいいし、何かと心強く都合が良い。

 がっかりすると同時に、そこまで信頼されていることに関して、嬉しいという気持ちにもなった。

 複雑な気持ちが入り混じったまま、メールを交わし続け、いつしか、ヨーロッパがいいだろうということになり、それなら、いっそスペイン語が通じるスペインがいいだろうということになった。

 そして、どうせ、出かけるなら、集団行動で縛られるツアーは止しにして、個人旅行をしよう、それも、中途半端な期間にせず、一ヶ月程度の長期旅行としよう、ということになった。

 飛行機の手配、ホテルの手配、コースの段取り、などは三池が全て行なった。

 暇ですから、僕に任せてください、但し、お互い無職の身ですから、少し経済的な旅行になりますよ、覚悟しておいてください、という三池の言葉に、とりたてて、香織は何も言わなかった。

 その結果、今、僕たちはここに居る。


 窓の外はいつの間にか、すっかり暮れていた。

成田空港ターミナルはオレンジ色の照明に彩られて、夜の闇の中にくっきりと浮かび上がっていた。

少し前に、三池は或る旅行会社が企画した上海四泊のツアーに参加した。

それから、早いものだ、三ヶ月にもなるのか、と三池は思った。

中国も随分と刺激的だったが、今度のスペイン旅行もまた刺激的なものになるだろう、とりわけ、二十歳も若い女性と一緒に寝泊まりする旅なんて、刺激的でないはずがない。

三池は香織を誘って、夕食を摂ることとした。

ホテルには洋食レストランも和食レストランもあったが、何となく中華が食べたくなり、中華レストランに入った。

中華ならば、紹興酒にしましょうということになり、紹興酒をグラスでもらって、乾杯した。

「こうして、香織さんと飲むなんて、本当に久しぶりだ」

「三池さんの送別会以来です」

「ああ、そうか。そうだったね。で、一応、確認しておきたいんだけれど、今回の旅行に関して、お母さんにはどういう風に話してきましたか?」

「男の人と一緒とはさすがに言えなくて、短大時代のお友達の名前を借りて、その人と一緒の旅、ということにしてきました」

こう言って、香織は三池の顔を覗き込むようにして、悪戯っぽく笑った。

「安心しました。じゃあ、僕も男の友達と気楽な旅を楽しむためにスペインに行く、ということにしましょう」

友達と一緒に旅をする、今回はその友達がたまたま女であり、婚期を逃した知り合いの娘であった、という程度の認識でいいのだ、と三池も考えることとした。

こうして、三池正和と山本香織の奇妙な旅は始まった。

 夕食後、部屋に戻って、簡単に風呂に入り、ベッドに潜りこんだ三池はそのまま、寝ついてしまった。

 久し振りに飲んだアルコールが効いたのかも知れない。

 明日は朝早いから、香織さんも早めに寝ておいた方がいいですよ、と言ったまでの記憶しか残っていなかった。


二日目 五月十日(月曜日)

 六時に目が覚めた。

 セットしておいた携帯電話の目覚まし機能は正確に作動していた。

 あたりを見渡すと、香織の姿は無かった。

 半覚醒のまま、ベッドから起き上がり、着替えていると、バス・ルームのドアが開き、中からジーパン姿の香織が現われた。

 既に、化粧も済ませ、身支度も整えていた。

 「おはよう、香織さん」

 「おはようございます」

 「昨夜は何だか早めに寝てしまった。紹興酒が効いたのかな。で、僕、鼾をかかなかった?」

 「いいえ、全然。父とは違うなあ、と思いました」

 「山本さんは、鼾をかいていたの?」

 「ええ、盛大に、大威張りでかいていました。父が亡くなった後、母は暫く不眠症になりました。父の鼾が聞こえない夜は何だか淋しく、しっくりとこなかったのでしょう」

 「そんなものなんでしょうかねえ」

 「母にとって、父の鼾はきっと子守唄だったんでしょう」

 六時半、三池と香織はホテルの洋食レストランでビュッフェ・スタイルの朝食を摂っていた。

 「どうも、ビュッフェとなると、僕は貧乏症なのか、つい普段より食べてしまいます。この間も、上海にツアーで行った時もそうでした。ランクとしては四つ星程度のホテルでしたが、なかなかビュッフェの内容が良く、つまり、種類も多く、味もなかなかだったので、ついお皿に取り過ぎてしまい、また、取ってしまった以上は食べないと悪いと思い、つい食べ過ぎてしまったという次第です。四泊五日程度のツアーでしたが、二キロほど肥ってしまいました」

 「でも、美味しいものを満足するまで食べるというのは悪くはありませんわ。肥ったら、その後頑張って、元の体重に戻せばいいんですから。我慢して、欲求不満になるよりはいいかも知れませんよ」

 「ああ、なるほど、そういう考え方もいいですねえ。がんじがらめに、自分を律してつまらなく暮らすより、時には羽目を外しても、あとできちっとリカバリーすればいいんですから。でも、凡人の常で、なかなかきちっとリカバリーできずに、肥ったままになってしまうケースも結構多いですよ」

 「でも、三池さんはそれほど肥ってはいらっしゃらないように見えます。むしろ、スマートですわ。うちの父は、五十過ぎてから、完璧なメタボになりましたけど」

 「それは、香織さん、仕事柄なんですよ。山本さんは五十歳の頃、工場の委員長から中央の労連の副委員長になり、その後、労連の委員長にまでなった方です。労働組合という組織の世界は何と言うか、想像以上に付き合いの多い世界です。まして、中央の委員長ともなると、会社の社長とも対等に話すことができる役職です。接待される宴席も多くなり、ついついメタボにもなってしまいます。言わば、職業病です」

 香織は、職業病と言った三池の言葉がおかしかったのか、噴き出しそうになった。

 チェックアウトして、七時にホテルの玄関からシャトルバスに乗って、成田空港に向かった。

 七時十五分、第一ターミナルに到着した。

 七時三十五分、第一ターミナル・南ウイング四階にあるルフトハンザドイツ航空のチェックイン・カウンターで搭乗手続きを行なった。

 香織のパスポートを見た受付の女性は、三池と苗字が異なることに気付き、チラリと彼女に視線を走らせた。

 香織は平静な様子でその視線を無視した。

 三池は、機内預けの手荷物はバルセロナまでのバゲージ・スルーにしてください、と依頼した。

 また、フランクフルト空港での飛行機乗り継ぎに関しても、スルー・チェックインが可能かどうか、訊ねた。

 eチケットですから、大丈夫ですという返事に、帰りの便に対しても、リコンファメーションは必要ないかと更に訊ねてみた。

 笑顔と共に、リコンファメーションも必要ありません、という返事が返ってきた。

 念のため、アイスランドの火山活動に関することも訊いてみた。

 現在のところは、フランクフルトからバルセロナまでの飛行機は順調に飛び立っているようです、といった返事が返ってきた。

 その返事を聞いて、香織はにっこりと笑顔で頷いた。

 チェックインを済ませた二人は近くのカフェテリアでお茶を飲んで時間を調整することとした。

 「搭乗時間の一時間ほど前に、出発ロビーに向かえば大丈夫です」

 三池はコーヒーを頼み、香織はハーブ・ティーを注文した。

 「嫌なことを一つ訊いていいかなあ」

 三池の言葉に香織は目を上げた。

 「どうして、急に会社を辞めたのか、どうにも気になってねえ。だって、今は就職難だし、再就職はなかなか困難だよ。香織さんがどうして退職する気になったのか、気になって仕方がないんだ」

 「ご心配いただいて、済みません。・・・、何か、潮時かなと思ったんです。短大を出て、言わば、縁故採用の形で父が勤務している会社に入って、いつの間にか、二十年ほど経ってしまい、このままでいいのか、という気分にふいに襲われたんです。このまま勤めていて、何となく月日が過ぎて、それで満足なの、という問いかけが自分の心の中で湧きあがったんです。つまり、上手には言えませんが、マンネリ化した暮らしが急に嫌になったんです。そう思うと、毎日が本当に憂鬱になって。三池さん、退職する前の私の暮らしはこんなものだったんです。朝、六時に起きて、七時にご飯を食べて、八時に茗荷谷駅から丸の内線に乗って、九時から仕事を始め、五時半に会社を出て、六時半に家に帰り、七時にNHKのニュースを見ながら夕ご飯を食べて、母と少し話をして、八時にお風呂に入り、九時から十一時頃まで衛星放送で録画しておいた映画を観て、十二時ちょっと前にベッドに入る。翌朝、六時に起きて、また、決まりきった一日が始まる」

 香織は、ハーブ・ティーをひと口飲んで、話を続けた。

 「休日の話をしましょうか。土・日の休みの過ごし方はこんなところです。朝は少し遅く起きます。仕事の日は六時起床ですが、八時まで朝寝坊をします。十時頃、お昼ご飯を兼ねて、いわゆるブランチをゆっくりと食べて、のんびりと過ごします。そして、午後は渋谷に行って、習い事、今、ステンドグラスを習っているんですが、ステンドグラスの教室で勉強します。教室の後、渋谷で映画を観たり、ウインドウ・ショッピングをしながら、ぶらぶらとし、六時頃に家に帰り、七時に夕食、八時にお風呂に入って、本を読んで、いつもと同じ、十二時ちょっと前に就寝する、といった過ごし方をするんです。こんな暮らしを十年ばかりしているんです」

 「でも、それは誰でも似たようなものだよ。僕も、会社に居た頃、出張に行かない時とかゴルフに行かない時は、いつも香織さんと同様、規則的に暮らしていたものだ。退職してからは、前よりもっと、規則的になっているよ。前と違っていることと言えば、朝・晩のウォーキングの時間が増えたことくらいだ。今、二万歩は歩いているよ」

 「規則的に暮らす、ということに飽きてしまったのかも知れません。実は、退職する時、私、少し鬱になっていたんです。それも、動機の一つだったかも、・・・」

 そう言って、香織は目を伏せた。


 でも、三池さん、本音は違います、と香織は思っていた。

 婚期を逃し、いわゆる「お局さま」と皆から思われながら、会社に居続けるのは耐えられない、私のプライドが許さない、私といういい女がどうして独身でいなきゃならないの、という腹立たしい気持ちをいつも抱えていた、本当は寿退社したかったのに。

 三池部長が居た頃はまだ良かった、父のお友達が上司というのは私にとって最高だった、何と言っても、私の小さい頃を知っており、私が一番綺麗だった頃も知っている人なんだ、大袈裟に言えば、私のことをリスペクトしてくれる人だという安心感があったから、でも、三池部長が定年で退職してから、新しく部長になった人は私にとって感じが悪い人だった、何かと言えば、本人は無意識にしても、部長風を吹かす人であり、飲み会が大好きな人でもあり、酔うと高飛車になり説教を始める人だった、父だったら恐らく嫌いな範疇に入る人だと私は思っている、と香織は思っていた。


 二人は出発ロビーに入り、機内持ち込みの手荷物検査、出国審査を受けた後、搭乗ゲート前の待合座席に座って、搭乗案内を待った。

 「さあ、今回のスペイン旅行の予定を確認しましょう」

 三池は纏めた資料を見ながら、香織に言った。

 「昨日から、日本に戻って来るまで、二十八日間の旅です。スペインでバスの車中泊が一回あり、スペインから成田までで日付変更線がある関係で機内泊が一日ありますので、ホテルに泊まるのは二十六泊となります。スペインで訪問する都市は八ヶ所です。成田で一泊、バルセロナで四泊、バレンシアで二泊、バレンシアからグラナダまでの夜行バスで一泊、グラナダで三泊、マラガを経由してトレモリーノス、というか、コスタ・デル・ソルで三泊、セビーリャで二泊、コルドバで二泊、マドリッドを経由してトレドで三泊、マドリッドで五泊、機内泊で一泊という予定です。乗り物としては、バルセロナからバレンシアまではバス、バレンシアからグラナダまでもバス、グラナダからマラガまでバス、マラガからトレモリーノスまでは電車、トレモリーノスからマラガまではやはり電車で戻り、マラガからセビーリャまではバス、セビーリャからコルドバまでもバス、コルドバからマドリッドまではアベというスペインの新幹線、マドリッドからトレドまではバス、戻りは電車でトレドからマドリッドに戻るという旅程になっています」

 「バス、電車、それに新幹線にも乗れるんですね」

 「経済的な旅行ということで、どうしてもバスがメインになります。飛行機もスペイン国内は安いという話もありますが、市内から空港まではどうしてもタクシーを使う関係上、結局は高いものにつきます。バスに関しては、僕はメキシコ旅行ではいつもバスを使いますが、長距離バスは一般的にベンツ製の豪華バスで安全も然ることながら、乗り心地も結構いいですよ。何と言っても、料金が安い」

 三池の率直な物言いに、香織は思わず笑ってしまった。


 九時十分頃に機内に入った。

 中央の四列席の通路側に香織を座らせ、三池はその隣に座った。

 定刻より少し遅れたが、二人を乗せたLH711便は十時ちょっと過ぎに成田を飛び立った。

 「先ほど、バスの話をしましたが、僕が新入社員で入ったその年の秋に社員旅行がありましてね」

 「あら、社員旅行なんて、昔はあったんですか」

 「ありましたとも。しかも、盛大にね。バスを何台か、貸し切って、長野とか伊豆に行くんです。丁度、同じバスに貴女のお父さんが乗っていましてね」

 香織は微笑みながら聴いていた。

 「工場から出発し、道すがら、参加する従業員をピックアップしてバスに乗せていくんですが、バスに乗った瞬間から酒盛りが始まるんです。缶ビールとか、日本酒が入った酒カップとかおつまみが渡され、飲めや歌えの宴会ですよ。バスが目的地に着く頃には、もう皆が既にできあがっています。中には、バスから降りずに、そのまま眠り込んでしまった人も居ましたね。しかし、山本さんはお酒に強かったですねえ。相当飲んでいるはずなのに、悪酔いはせず、しっかりしていました。僕は、それほど酒に強いわけではないんですが、山本さんの振る舞いを見て、酒はこのように飲まなければならないのだなあ、と思いました。山本さんは僕のお酒の師匠でもありましたよ」

 「でも、父はそのお酒が命取りになりました。肝硬変になってしまい、六十五歳で亡くなりましたから」

 三池は香織の言葉を聞いて、香織に悪いことをした、亡くなった父のことを改めて思い出させてしまった、これから注意しなければならない、と思った。

 その内、キャビン・アテンダントがドリンク・サービスにまわり始めた。

 香織はオレンジ・ジュースを頼んだが、三池はビールを貰った。

 ヴァルシュタイナーというドイツの缶ビールが渡された。

 缶に印刷されている文字を読んだら、ビールの王様、とかいう意味の言葉が記載されていた。

 三池にとっては、久し振りに見るドイツ語であった。

 大学院修士課程の入学試験では英語の他、第二外国語の問題も出題される。

 三池を含め、多くの理工系学生はドイツ語を第二外国語としていた。

 そして、第二外国語が出来ずに、大学院入試に不合格となった仲間も何名か居た。

 今度、ビールを頼む時は、プリーズの代わりに、ビテ、というドイツ語を使ってみようかと思った。


 三池はその缶ビールをプラスチック・コップに入れ、飲みながら山本健一のことを思った。

 人には相性というものがある。

 相性の良し悪しには理屈がない。

 何となく、お互い分かるものなのだ。

 山本健一とは相性が良かった。

 三池は新入社員当時、勤務した工場を離れ、何回か転勤し、山本も中央の労連の執行部に出て、疎遠にはなったものの、山本が亡くなるまでの間に山本の家には何回か訪れ、ざっくばらんな付き合いをした。

 訪れる毎に、香織は女性として成熟していった。

 三池君がもう少し若く、香織ももう少し大きかったら、三池君に香織を貰ってもらうんだが、と或る時、山本が言ったことがある。

 二十歳も違っては、そうは行きませんよ、冗談は止めてください、と言いながら山本の顔を見たら、山本は結構真面目な顔をしていた。

 あれは、俺が三十五歳で、香織が十五歳の頃のことだったか、と三池は思った。


 父は、結局、お酒で身を滅ぼした、と香織はテーブルに置かれたオレンジ・ジュースを見ながら思った。

 父が亡くなった頃、私は三十歳だった。

 一番、結婚したかった頃だった。

 母は兄嫁と仲が良くなかった。

 きっと、相性が悪かったのだろう。

 母は私と暮らすことになった。

 母を置いて、お嫁に行く気には到底なれなかった。

 結局、縁が遠くなってしまった。

 父は、年齢差はあるけど、三池君ならば香織を幸せにしてくれる、とよく言っていた。

 でも、言うだけで、私と三池さんを結び付けてはくれなかった。

 私に、異存は無かったのに。

 これも、縁が無かった、ということかしら。


 「ビールって、不思議なものでね、香織さん」

 香織は三池を見た。

 「ビールほど、その土地、土地に合うお酒は無いんです。つまり、ビールに関しては、お土産として持ち出さずに、そのビールをその現地で飲むのが何と言っても一番美味しい。 

日本のビールで言えば、昔、沖縄に出張してオリオンビールを飲みました。美味しかったので、何缶か買ってきて、家で飲んだら、これが美味しくないのです。沖縄ではあれほど美味しかったビールが、本土というか本州では美味しくは感じられませんでした。国際的なビールはともかく、地方のビール、言わば、地ビールはその土地で飲むのが一番です。つまり、そのビールが作られたその地方の風土、気候のもとで飲むのが一番美味いと思ったわけです。そういうわけで、ドイツに行ったら、ドイツビールをたっぷり、スペインに行ったら、スペインビールをたっぷりと飲むことにしましょう」

 「お酒をあまり召しあがらない三池さんにしては、随分と気合いが入っていますね」

 と言い、私もビールを頼もうかしら、と笑いながら言った。

 「社内では、結構、飲み会がありましたねえ」

 「うちの会社って、古い会社でしたし、かつては鉱山部門を持っていた関係で労使関係を順調に保つためにも飲み会という手段もそれなりに必要だったんでしょうか」

 「香織さんの言う通りだと思います。僕も新入社員で入った時、昭和で言えば、四十九年かな、本社で集合教育があり、その時、総務の教育担当から言われた言葉が今でも記憶に残っています。それは、君たちは学卒社員で係員として入社した、係員の役割の一つに、まあ大きな役割なんだが、職長さん、班長さんと仲良くすること、つまり人間関係を円滑にすることがある。君たちは、入社したてで仕事なんかできないんだから、せめて、職長さんといっぱい酒を飲んで、人間関係向上に努めよ、と言われた言葉です。労務管理に尽きる、という感じで僕たちは受け止めたものでした。それで、傑作だったのは、実習を終えた一年後の本社研修で、大学院の博士課程を終えた理学博士の社員が研修後の懇親会で、俺は現場で作業員の手袋の管理までしている、どうだ、まさに労務管理を実践しているぞ、と酔っぱらいながら、周囲に言っていたことですね。みんなで爆笑して、その博士を偉い、偉いと持ち上げていました」

 三池の懐古談を聴きながら、香織は、でも私は飲み会は嫌いだった、と思っていた。

 飲み会で楽しかった思い出なんか、ほとんど無い。

 いつだったか、出張した時なんか、こういうことがあった。

 本社の女子事務員が工場に出張するなんて、年に一度あるかないかの機会だ。

 生産集計システムが変わり、その説明に私とコンピュータ・システム室の担当者が工場に行った時のことだった。

 工場の担当部署は私たちを歓迎してくれ、夜、美味しいという評判の小料理屋で歓迎会を開いてくれた。

 本社の女子事務員に過ぎない私にとって、嬉しい飲み会となるはずだった。

 でも、一人酒癖の良くない男が居た。

 酔った勢いで私の隣に座り、やたら私の体に触りたがったのだ。

 父が労連の委員長を辞めて会社も退職して一年ほど経った頃だった。

 父の名前を出し、いろいろお世話になりました、などと言いながら、執拗に私の手を握ったり、背中に手を回したりしてきたのだ。

 幸い、そこの担当部署の課長さんが私の迷惑そうな顔に気付き、私とその酔った男の間に割り込むようにして座り、私からその男を遠ざけてくれたが、何とも言えない不愉快な気分にさせられたものだった。

 それほど、潔癖なたちでは無く、父がよく家に人を呼んで、飲んでいたこともあり、酔っぱらいには慣れてはいたが、酔った勢いで女の体に触れたがる人間は許し難く嫌いだった。

 三池部長の酔っぱらった姿は見たことが無いが、酔って、私のベッドに来たら、どうしよう。

 香織はそんなことを思いながら、何となく胸がときめいていくのを感じた。


 離陸後、二時間ほどして、ランチ・サービスがあった。

 牛肉のバーベキュー風煮込みを食べながら、また、ヴァルシュタイナー・ビールを飲んだ。

 ビール・ビテ、と言った三池に大柄のキャビン・アテンダントのドイツ娘は大きく頷き、愛想良く、缶ビールを渡してくれた。

 飛行機は十二時間ばかりの飛行を終えて、フランクフルト空港に着陸した。

 現地時間では午後二時半頃であったが、日本時間では午後九時半となる。

 シェンゲン協定に基づき、ここでヨーロッパEUへの入国手続きを行なうこととなる。

 二人はあっけないほど簡単な入国手続き、セキュリティ・チェックを経て、搭乗時間が来るまで、お茶を飲んだり、免税店を覗いたりして、のんびりと時間を過ごした。

 「ここは空港の中ですから大丈夫ですが、ヨーロッパの街、一般的に言えば、首都、例えば、パリとかローマとか、今回行くマドリッドといった首都は治安が悪くぶっそうだと言う話です。街中で「掏り」とか「ひったくり」、「首絞め強盗」が結構横行しているという話を耳にしますから。街を歩く時の一番の防犯対策は何だと思います?」

 「ええーと、バッグは斜めがけにしてお腹の前に持つようにするとか、コートで隠すようにするとか、・・・、ですか」

 「ブッ、ブー、違います。一番いいのは、バッグなぞ持たずに、身軽な服装で歩くことだそうです。パスポートは高額取引の対象物となりますから、特に狙われやすい。持ち歩くのはカラー・コピーだけで十分という話です。それに、お金もなるべく持たず、前ポケットなどにできるだけ分散して持つのがいいらしいですよ」

 「はい、三池先生、分かりました。気を付けますわ」

 「先生の言う通り、お願いしますよ。とにかく、お互い十分気を付けて、楽しい旅にしましょう。時に、ビールはどうですか、ドイツビールは。あそこのカフェで飲んでみましょうか。少し、待ち時間も長いようだし」

 二人は、搭乗ゲート近くのカフェに入り、ソーセージの盛り合わせとビールを注文した。

 「この間、ツアーで上海に行きましてね。もう、万博は始まっていますが、その時はまだ建設の真っ最中でした。まあ、元気な街で、人口二千万人が万博の建設ラッシュで三千万人に膨れ上がったという話をツアーのガイドさんは話していました。東京は今、千二百万人で、あのメキシコシティですら、二千万人ですから、いかに上海の三千万人がべらぼうな数字か、分かりますね。僕はそれほど物騒な印象は持ちませんでしたが、付さんというガイドの人はバスから降りる度に僕たちに「掏り」には十分注意してくださいとそれこそ口を酸っぱくして言ってました。何でも、上海の「掏り」は背後とか脇から長い「箸」で財布を掏るのだそうです。手指ならともかく、箸を使って掏られると全然判らないらしいということでした。まさに、芸術的な掏りといったところですな」

 「スペインはどうなんです。まさか、箸という高等技術は・・・」

 「インターネット情報では、箸で掏るといった話は無く、数人がかりで周りを囲んで強盗まがいの掏りを働くとか、後ろからバッグを開けてとか、尻ポケットから財布を抜き取るといった単純な手法の掏りだそうです。でも、掏りならまだしも、恐いのは強盗まがいの首絞め強奪です。二、三人がかりで一人が背後から襲い、首を絞め、別な一人がバッグの吊皮を切断して、まるごと、バッグを奪うということです。この状況になったら、最悪で、抵抗しようものなら、ナイフで一刺しといった事態もあるとか。まあ、そうなったら、無抵抗であきらめるしかないですね。そんな危険なところに行った自分の軽率さを恨むしかないでしょう」

 「三池さん、私を守ってくれます?」

 「いいですよ。ベストを尽くしますよ。で、ないと、天国のお父さんから僕は叱られてしまう。まあ、ベストは、君子危うきに近寄らず、とやらで危ないところには近づかないようにしましょうね」

 二人は屈託なく笑い、旅の無事を祈念して乾杯した。


午後五時四十分、最終目的地であるスペイン・バルセロナに向けて、二人を乗せたルフトハンザ機は定刻通り、フランクフルト空港を飛び立った。

成田からフランクフルトまでの飛行機は、三・四・三列というシート配置であったが、このフランクフルトからバルセロナまでの飛行機は三・三列という座席配置だった。

香織は窓際の席に、三池は彼女の隣に座った。

離陸後、一時間ほどして、軽食サービスがあり、三池はハム・サンドを食べた。

香織はチーズ・サンドを食べた。

「あらっ、これって、炭酸入りなの?」

頼んだミネラル・ウォーターを一口、口に含んだ香織が意外そうに呟いた。

「炭酸入りのミネラル・ウォーターでしたか。外国人って、結構、炭酸入りのミネラル・ウォーターを飲みますからね。アグア・ミネラル(ミネラル・ウォーター)の後に、シン・ガスを付け加えて言えば、炭酸無しのミネラル・ウォーターが渡されますよ」

飛行機はまだ明るい空を飛び続けた。

初めてのヨーロッパの大地を眼下に見て、香織は時々無邪気な嘆声を上げていた。

「香織さん、まだ夜にはなっていませんが、飛行機から見る夜景はなかなかのものですよ。僕は昔、入社して三年ほど経った頃、会社の指名で日墨交換研修生としてメキシコで十ヶ月ほど暮らした経験があります。メキシコシティの夜景は大変綺麗でした。成田からロスまではJAL、ロスからメキシコシティまではメキシコ国営のアエロ・メヒコ航空の飛行機で行ったのですが、メキシコシティの国際空港に着いたのが夜となりました。すぐ、飛行場に着陸するのかな、と思ったんですが、なかなか着陸しようとはしないのです。大きく旋回しながらグルグルと廻っていました。乗客にメキシコシティの夜景を少しでも長く楽しませようとしたのだと、今でも思っています。粋なはからいだと思っています。あの当時で、東京が人口第一の都市で、メキシコシティが第二番目の都市だと言われていました。メキシコシティは大きな盆地の中にあり、周辺の山裾まで民家が建ち並んでいます。その広大な盆地を駆け巡るように飛行機は旋回していくのです。まるで、大きな光の渦の中に居るような錯覚すら僕たち乗客は感じたものです。いつしか、機内のどこからか、拍手が聞こえてきました。誘われるように、僕も拍手をしたものです。あの時の大きな拍手、これは忘れられない思い出となっています」

「入社して三年とおっしゃいますと、三池さん、二十八歳の時ですわねえ」

「ええ、生産技術の仕事を担当して、二年といった新米技術者でした」

「メキシコから帰られて、うちに何かお土産を持って来てくださいませんでした?」

「ああ、確か、『鳩の血』と呼ばれる紅いガラスのコップでした。いや、懐かしい。今でもお宅にありますか?」

「ええ、ございます。父愛用のコップでした。こんな割れやすいものを三池君はわざわざお土産に持って来てくれた、大事にしないと、と言っておりました。ウイスキーを飲む時、そのコップにミネラルウォーターと氷を入れ、時々、電球の光にかざして、赤い器の中で泳ぐように動く氷を眺めて楽しんでおりました」


香織の話を聴きながら、三池はあの頃のことを思い出していた。

人には人生の中でいくつか「旬」と呼ばれる時期、瞬間がある。

俺にとって、あの二十八歳から二十九歳の、あの十ヶ月が「旬」だったのかも知れない。

日墨交換研修生としてメキシコ、ユカタン半島のメリダという街に着いたのが、千九百七十七年の七月という真夏で、研修期間を終え、日本に帰って来たのが翌年、千九百七十八年の四月だった。

帰りの日本航空の機内のイアホンで聞いたジュデイ・オングの「魅せられて」という歌がその年の暮れのレコード大賞に選ばれた。

この歌を聴きながら、今帰って行こうとしている日本に強い愛情を感じていた。

人は外国で暮らしている時に、例外無く、愛国者となる。

団塊の世代と呼ばれる俺たちの世代は、ビートルズ世代であり、サイモン&ガーファンクル世代でもあり、全共闘エイジでもあり、高度成長下での企業戦士でもあった。

日本という国、そのものに強い愛情なんて感じたことは無い世代と思っていたが、メキシコで暮らした十ヶ月はそんな自分を愛国者に仕立て上げた。

何かにつけ、日本と比べてしまい、日本の良さを再認識する機会が多かった。

でも、皮肉なものだ。

日本に帰ってくると、今度は、メキシコが懐かしくなる。

メキシコ関係ニュースには無関心でいられなくなる。

今では、メキシコを第二の祖国と思っているほどだ。


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