高慢女王の純愛
昔から、欲しいものはなんでも手に入った。
それが、王女であるオフィーリアにとっての当たり前だった。
だって彼女は、生まれた頃から誰にでも愛される美貌を持っていたからである。
金色のウェービーヘアはつやつやで、少しつり上がった紺碧の瞳は、まるで星が散りばめられた夜空のように輝いている。
肌も透き通るように白く、それなのに肢体は男の理想を詰め込んだような色気を併せ持っていた。
そのためか、男たちはこぞってオフィーリアに求婚した。彼女自身もそれを好んで欲したし、自分が賞賛されることを望んだ。たくさんの贈り物を物色するのも、彼女の楽しみの一つである。
その上オフィーリアは賢明で、ありとあらゆる知識を獲得していく。天は彼女にありとあらゆるものを与えたのだ。
オフィーリアは、あっという間に女王の座についた。
もちろん、その願望に見合うだけの努力はしている。それは当然のことで、苦労しなければならないことではなかった。それほどまでに、オフィーリアという女は優秀だったのである。
そう。だから、手に入れられるのは当たり前のこと。飽きたら捨てるのも、当たり前のことである。
しかしそんなオフィーリアにも、手に入れられないモノが一つだけあるのだ。
手に入れられないモノ、それは――目の前にいるこの男の心である。
オフィーリアは、宰相という肩書きを持つ男をまじまじと見つめた。
艶やかに伸びた白銀の髪に、熟れた柘榴のように輝く真紅の瞳。オフィーリアが今まで見てきた中でも、群を抜いて美しい男だが、彼の顔には感情というものが欠落していた。それは性格にも現れており、周囲からは仕事の鬼として恐れられている。
宰相、ジルベール。
一目見てジルベールのことが気に入ったオフィーリアは、「わたしのものになりなさい」という一言とともに宰相にしたのである。
ただ彼は、この世で唯一オフィーリアに関心を抱かない、まれな男であった。
それが、オフィーリアは気に入らない。なぜ気に入らないのか。心のどこかでは分かっていた。
しかしそれを認めるのは、彼女の中のプライドが許さない。女王オフィーリアが、そんな単純な理由で苛立っているなど。あってはならないのだ。
だからこそオフィーリアは今日も、ジルベールにきつく当たる。
「ジルベール。例の書類は終わっているの?」
「はい、陛下。こちらに」
「……そう。ならもういいわ。下がりなさい。割り振った仕事はちゃんとやってちょうだいね」
「はい。失礼いたします」
オフィーリアは、ジルベールを虫のように扱い、外へ追い出した。それから少しして、大きくため息を吐く。
(ほんと、いけ好かない男。なんでもかんでも完璧に終わらせて……)
宰相としてとても優秀なことは、オフィーリアにだって分かる。というより、だからこそ宰相に選んだのだ。しかしその隙のなさが、オフィーリアを余計に苛立たせる。
「……きっと私のことなんて、どうとも思ってないに違いないわ」
自虐を含めて吐き出した言葉に苦笑しながら。オフィーリアは苛立ちを発散するために、書類整理を始めたのである。
***
カロン王国。
この国では、実力があれば、王女であろうと国の王になれる。
それは、今の流れを作った者が女王だったからだ。それからというもの、むしろ民や貴族たちからは「女の王でなければ、国は治らない」とまで言われる始末。
そんな国で育ったオフィーリアは、彼らの期待以上の美しい女王になった。
気位が高いところもあるが、国王であるならばそれくらいでないと、と皆口を揃えて言う。それは、オフィーリアの性格のためだろう。
口では色々言いながらも、結局何もかもを救ってしまう。そんな彼女は国民にとって、女神のような存在だった。
――その女神は今、一人の男によって翻弄されている。
(……なんでこのわたしが、あんな男一人にイライラしないといけないのよ)
オフィーリアは、寝不足のせいでクマのできた目元を見ながら顔を歪めた。ドレッサーに映る自分の姿があまりにもひどくて、大きくため息を漏らす。
すると、オフィーリアの侍女であるルミナが困った顔をした。
「オフィーリア様……また遅くまで本を読まれていたのですか?」
「……ちょっと、気になるものがあってね」
「オフィーリア様だけのお体ではないのですから、お気をつけくださいませ」
(……良かったわ。ルミナが気づいていないなら、他の誰にもバレてないわね)
オフィーリアはほっとした。
まさか、ジルベールに数日前来ていた見合い話のせいで、イライラして眠れなかったなんて。
侍女にだって言えるわけがない。そんなことで悩むなど、オフィーリアのイメージが変わってしまう。
相手の令嬢に嫌がらせでもしてやりたいが、オフィーリアは女王だ。貴族とて国の民である。その国民を私情でいじめるなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
それに、いじめなど低俗な者がやることだ。オフィーリアにはふさわしくなかった。
だから、彼女は今日も嘘をついて、自分の心を隠す。こんな気持ち、似合わなすぎて誰にも言えそうになかった。
オフィーリアが再度ため息を漏らしていると、ルミナがクマが極力目立たないようになるよう、化粧してくれる。
ルミナの見事な手腕に、オフィーリアは密かに賞賛した。
(ルミナはやはり良い侍女ね。でもそろそろ良い歳だし……良いところの貴族令息と、縁談でも組んでおこうかしら?)
小さな頃から仕えてくれているルミナがいなくなるのは嫌だが、彼女には幸せになってもらいたいのだ。
オフィーリアは、ルミナが髪を結うのをドレッサー越しに眺めつつ言う。
「ねえ、ルミナ」
「はい、なんでしょう?」
「好きな男はいないの?」
「そうですね、おりません」
「……恋愛結婚でなくとも良いなら、わたしが縁談を組むけれど。ほら、あなたも良い歳でしょう? さっさと嫁に行って、幸せになりなさい」
するとルミナは、くすくすと笑った。
「オフィーリア様の申し出、大変嬉しいのですが……わたくし、オフィーリア様に良い伴侶がつくまで、侍女を辞める気はないのです。ですのでせめてそれまでは、おそばに置いてくださいまし」
「何よ、それは……でもまあ、ルミナがそう言うなら良いわ。そばに置いてあげる」
そう胸を張って言ったオフィーリアだったが、ルミナの言葉に安心していた。
(良かった……ルミナがそばにいてくれて)
しかしそんなこと、女王が言うべきではない。国の王は常に、民にことを一番に考えて行動しなければならないのだ。
そこに、オフィーリアの私感などいらない。
だからオフィーリアは、ルミナが幸せになるなら、どんなに悲しくても笑顔で見送るのだ。
(……ルミナに対してはそんな態度を取れるのに。どうしてジルベールにはできないのかしら)
オフィーリアは、内心そう吐き捨てた。
まったくもって迷惑な感情である。消えてしまえばいいのに、と常日頃思っていたが、今日は特にそう思った。
宰相が妻を持つなど、誰がどう見てもめでたい話である。それに、ジルベールは男だ。子を持てば職を辞するしかない女とは違う。
なのに、彼が他の女と会っていると考えるだけで、イライラして夜も眠れなくなるのだ。
(わたしなんて、ジルベールの眼中にも入っていないのだから……こんな感情、さっさと捨ててしまえたら良いのに)
自覚しろと言わんばかりに大きくなる自分の感情に、嫌気が差してきた。
ここ最近の睡眠不足もあり、頭がくらくらしてくる。
オフィーリアは瞼を閉じ、自分を落ち着かせた。
「オフィーリア様。終わりました」
「……そう。ありがとう、ルミナ」
ぱちりと目を開いたオフィーリアは、立ち上がりドレスに着替える。
そして今日もいつもと変わらぬように行動するよう、自分を戒めていた。
なのに。
ジルベールの涼やかな顔を見るともやもやするのは、本当になぜなのだろうか。
(わたしはこんなにもイライラしてるのに、なんにもなかったような顔して……ほんと、腹が立つわ)
そんな気持ちが態度に出ていたらしい。今日の予定を読み上げてくれていたジルベールが、首をかしげた。
「……陛下。どうかいたしましたか?」
「……なんでもないわ。さっさと予定を言ってちょうだい」
「……出すぎたことを言いました。申し訳ありません」
頭を一度下げ、再度口を開くジルベールの態度が気に障り、オフィーリアはかつんかつんと指でリズムを打つ。
(どうして、どうして気づいてくれないのよ……わたしはこんなにも傷ついているのに)
そんな理不尽なことを思うと同時に、察してもらおうとしている自分が嫌になる。でもやはり、自分の中のプライドが邪魔をして、とてもではないが言えそうになかった。
代わりに、嫌味が口からこぼれてしまう。
「ジルベール、あなた、結婚するの?」
「……見合いの話でしょうか? いえ、まだ決めてはおりませんが」
「へえ、そうなの。シェルミーナ侯爵令嬢なんて、これといって悪い噂のない、素敵な令嬢じゃなくて?
あなたの家柄とも釣り合っているし……見目もいいじゃない。深窓の令嬢、といった感じで」
そう言い切ってから、胸がずきりと痛むのが分かった。
深窓の令嬢。それは、オフィーリアと真逆の見た目をした令嬢だ。その事実が、ジルベールの気持ちをすべて表しているようで、つらくなる。
オフィーリアは、そんな気持ちを振り払うために立ち上がった。
「ごめんなさい、変なことを言ったわね。忘れてちょうだい」
「……分かりました」
「今日は朝から会議でしょう? 行くわよ」
「はい」
背を追ってくるジルベールの視線が、物言いたげなことを知りながら。
オフィーリアはそれを無視したのである。
***
それから数日後。
オフィーリアは、ベッドの上に横たわりため息を漏らした。
「まさか……倒れるなんて。アホだわ。アホすぎる」
そう。オフィーリアが昼間なのにこんな場所にいるのは、昨日ぶっ倒れたからだ。
もちろん、原因は睡眠不足。
さほど予定が詰まっていない時期でよかったと思うが、体調管理ができないという点では女王失格である。
ルミナはこういうときに無茶をするととても怖いので、おとなしくベッドにいるしかない。
オフィーリアは、本日何度目かになるため息をこぼした。どこかの国では、ため息をつくと幸せが逃げるというが、本当に幸せが逃げていく気がする。
(……ジルベールはもう、決めたのかしら)
彼も良い年齢である。そろそろ妻を娶ってもおかしくはない。
その一方でオフィーリアは、女性にしては遅い。公爵である弟のところに子どもがいるので、結婚しなくても良いと思っていたりする。臣下たちは産んで欲しそうにしているが、仕方ない。
男たちから愛を囁かれるのは好きだが、その愛を受け入れるかどうかは別の話なのである。
「……わたしも、だいぶアホね」
体が弱っているせいか、弱音がこぼれた。自嘲していると、コンコンコン、とノック音がする。
『陛下、ジルベールです。ご報告したいことがあるので、入ってもよろしいでしょうか?』
「……え、ジルベール? ちょ、ちょっと待ちなさい!」
オフィーリアは慌てた。とてもでないが、男の前に立てる格好をしていない。しかし着替えを手伝ってくれるルミナは不在だ。
オフィーリアは考えた末、ベッドの端に腰掛け天蓋を下ろす。これなら、姿までは見えないはずだ。
満足したオフィーリアは、ジルベールの入室を許可した。
「入っていいわよ、ジルベール」
『はい、失礼いたします』
オフィーリアは、いつもよりドキドキしている自分がいることに気づいた。天蓋越しだからだろうか。妙に音が気になってしまう。
それを隠すために、オフィーリアは早口で言った。
「そこにイスがあるから、勝手に座りなさい。……見せられる格好じゃないから、天蓋を下ろしたままで報告なさい」
「はい」
かたん、とイスが引かれる音がする。
ジルベールは、椅子に座ると同時に今日起こったことを淡々と話してくれた。
それを聞きながら、なんだかおかしくなってくる。
(そうよね……ジルベールだもの。別に、心配とかしていなさそうだわ)
それでも、優しい言葉は欲しかったなと思ってしまうあたり、オフィーリアも疲れているのかもしれない。いや、倒れた後なので、体調が悪いことは事実なのだが。
しかし、普段よりも二倍ほどの勢いで溜まっていく不満に、オフィーリアは唇を噛み締めた。
すると、報告を終えたジルベールが言う。
「お加減はいかがですか? オフィーリア様」
「……え? あ……ええ、もう、だいぶ良くなったから……」
(……待って、待って? あのジルベールが、心配? それに、呼び方!?)
オフィーリアは、驚きのあまりベッドから落ちそうになった。しかしそのすぐ後に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
(この男はどうして、そうやって思わせぶりなことをするのよ……!)
だから、諦めきれなくなるのだ。
色々な憂さが溜まっていたからか。そのときのオフィーリアは珍しく、正気ではなかった。
だから、普段よりも大胆な行動を取ってしまったのである。
すっくと立ち上がったオフィーリアは、天蓋を払いのけジルベールの前に姿を現す。
そして、目を見開く彼の頬を勢い良くつねった。
しかめっ面になりながら、オフィーリアは大声で言う。
「お前という男はどうしてこういうときに、そういう態度を取るのよーー!!」
「ふえ、ふぁ、の……」
「うるさいうるさいうるさい! 静かにしてなさい! ジルベールのバカ!」
そんなことをしてみたが、嫌われる一方な気がしてくる。というより、こんなことをされたら誰だって嫌いになるだろう。
動きを止めたオフィーリアは、涙目になりながらつぶやいた。
「……好き」
そう口にしてみると、驚くくらい口に馴染む。
今まで抑えていた分の想いもあり、オフィーリアはぽろぽろと涙をこぼしながら言い続けた。
「好き、好き、好き好き好き、大好き」
「……オフィーリア、さま?」
「好き、だから……だから……嫌いに、ならないでよお……っ」
自分でも何を言っているのか、よく分からない。
ただ、ジルベールに嫌われたくなくて。
好かれていなくても良いから、嫌われたくなくて。
オフィーリアは、涙を流しながら口にする。
すると、綺麗な指が涙を拭ってくれた。
「オフィーリア様、落ち着いてください。嫌いになんてなっておりませんから」
「うそ、うそ……っ。だってたくさんひどいこと言ったもの……っ!」
「……オフィーリア様」
「嫌いなら嫌いって言いなさい! そしてとっとと綺麗なお嫁さんを迎えて……っ!」
「――オフィーリア」
そう名前を呼ばれ、オフィーリアは固まった。
そのすぐ後に、唇に柔らかい感触が広がる。
何が起きたのか少しして理解したオフィーリアは、勢い良く後ろに下がった。ちょうど良い位置にベッドがあったため、座り込む形でダイブする。
(あ、え……え?)
オフィーリアが顔を真っ赤にして混乱していると、ジルベールがいつの間にか目の前にいた。
その顔は、満面の笑みをたたえていて。オフィーリアはさらに動揺する。
「ジ、ジルベールっ!?」
「オフィーリア……あなたの気持ちを、わたしが気づいていないとでも思っていましたか?」
「……え、」
「何をしてもわたしの態度が変わらないことに腹を立てたり、わたしの縁談話が上がるたびに嫉妬しているのを……知らないと思っていましたか?」
「……えっ!?」
オフィーリアは、自身の立場を忘れて素で驚いてしまった。
そんな彼女を見て、ジルベールはとろけそうなほどの笑みを浮かべる。
「とても可愛らしくて、どうしようかと思っていました」
「ちょ、ちょっと待ちなさい……つまり、何? 確信犯? 確信犯なのっ? お前は本当に性悪ね!?」
「なんとでも。あなた様の視線を独り占めできるのであれば、なんだっていたしますよ」
「独り占めって……っ」
しれっとした顔をしてとんでもないことを言ってのけたジルベールの豹変ぶりに、オフィーリアの頭が混乱する。
そんなオフィーリアの手を握り締めながら、ジルベールは言った。
「どうすればあなた様に忘れられないのか……どうすれば見てもらえるのか、ずっとずっと考えておりました。そして気づいたのです。誰にでも好かれるあなた様に、不遜な態度を取れば良いのではないか、と」
「……性悪」
「ふふふ。あなた様から愛の言葉を囁いてくれるのを待っていたと言ったら、さらに怒られそうですね」
「ちょっと……呆れた男ね、お前は」
「構いませんよ。だって……そんな男がいれば、一生忘れられなくなるでしょう?」
愉しそうにそんなことを言うジルベールの言葉を聞いて、オフィーリアはため息をこぼした。
(ここまで本音を聞いてきたのに……どうしてかしら。まったく嫌いになれない)
恋は盲目というやつだろうか。
いや、違う。オフィーリアは嬉しかったのだ。ジルベールがそこまでして、オフィーリアのことを好いていたことが。
方向性に関してはイラッとくるので後で説教でもするが、今までの経験上最悪の形の告白は、いい意味でも悪い意味でも忘れられそうにない。
それは、山ほどの愛をもらってきたオフィーリアからしてみたら、むしろ心地良くて。
自分もだいぶ歪んでこじれていたのだなーということを悟る。
そんな気持ちを知ってか知らずか、ジルベールは笑みを深めた。
「こんな最低な男ですが、オフィーリア。結婚してくださいませんか?」
ジルベールはそのすぐ後に、手のひらにキスをしてくる。
手のひらへのキス。それは、求婚を意味する。
妙なところでロマンチックなことをするな、と思いつつも、オフィーリアは笑った。
「……今まで冷たくした分、わたしのことを幸せにしなさい。これは命令じゃなくて……お願いよ」
「もちろん」
「そう。なら……あなたからも言っていいんじゃない?」
オフィーリアは口を尖らせる。子どもっぽい態度だが、ジルベールには見せていいと思った。
それを見たジルベールは、ベッドに膝をつき頬に手を添えてくる。
「愛しています、オフィーリア」
二人はどちらからともなくキスをする。
唇が離れてから、オフィーリアは言った。
「バカ……遅いのよ……っ」
最後までお読みいただき、ありがとうございました!