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兄弟

 ギルモアが言葉を発した次の瞬間、ダレルの太い腕が彼の胸倉を掴み上げた。


 ローブの前立てが音を立てて裂ける。衰え知らない膂力で引き寄せられた先には、赤紫に血走るダレルの双眸。



「なぜ、姫様が王位継承権を放棄しなくてはならんのだ。ギルモア、お前…… 一体なにをやっている」


「兄上、私はこのアルタイルの弥栄いやさかに寄与すべく、身命を賭して王家にお仕え申し上げているのです」


しかり。されど、我らローガン一族がする主上は、ラーズ殿下のみにあらず。それを努々(ゆめゆめ)、履き違えるな。翻って、昨今のお前の言動、家長として承服しかねるぞ」



 至近距離で睨み合う、血を分けた兄弟。


 アルタイル建国以前から王家の側に常にあり、権門勢家の要を担ってきたローガン一族。その当代として、それぞれ華々しい道を歩いてきた二人。


 だが、その気性の違いにより、幼少期から衝突する場面も少なくなかった。特にラーズ王子がフィオナ王女を疎む姿勢を露わにするようになって以降は、彼らローガン兄弟間のいさかいもその頻度と深刻さを増している。


 一方で、当のフィオナ自身は、そういった事柄をどこか醒めた眼差しで俯瞰していた。酒精を一口含んで喉を滑らかにしてから、独り言の様に言葉を漏らす。



「ラーズ兄様がご健勝なのだから、私の王位継承権などはなから有って無きが如きもの。そうは思わないか、二人とも」


「フィオナ様はそうお考えでも、王国の行く末に異なる眺望を抱く方がおられるやも知れません」


「誰だ、それは。私が直接話して、その無為な眺望を放擲させよう」


「……フィオナ様のその無辜むこなるご気性、時に恨めしくございます」



 過ぎた言葉と認識しながらも、口に出さずにはいられなかった。途端、眼前にあった兄の相貌が弾ける。顎骨にじんわりとした衝撃が広がり、平手で打たれたのだと気付いた。兄が本気だったなら、ギルモアは壁まで吹っ飛んでいただろう。抑制された殴打が逆に、彼の心を揺すぶった。


 生来、頑健であったはずの現国王が病床に伏してから、一年が巡ろうとしている。


 この間、ラーズは自身が玉座へ至るにあたって障害となり得そうな存在を、執拗かつ徹底的に排斥してきた。それが些細な事象であっても、彼の手管には容赦がない。王位継承を盤石の物とする為、ラーズの謀略によって中央から遠ざけられた人物達の顔が浮かぶ。


 その筆頭が、まさにフィオナだった。

 ギルモア自身、倦んでいるのは否定できない。だが……



「イライザのことは、どうなるのです」



 不意に口を突いて出たその言葉からは、ギルモア自身の意に反して、呪詛の響きが濃く匂った。


 政権の中枢で采配を振るい、清濁併せ呑む日々。いつしか汚れ仕事を一手に担うようになったギルモアの臓腑は絶えず鈍痛に軋り、胎内で無言の苦渋に悶えている。


 だが、その懊悩も全て彼女の為。



「よせ、ギルモア。いまは家中の些事にかかずらわう時ではない」



 眉を顰めるダレルを前にしても、一度口火を切った言葉は留めようがない。



「兄上の目は、主上にしか向いておりませぬ。ローガン家の領地で我らを待つ末妹のことなど一顧だにしない」


「……父上が気紛れで下女に生ませた病弱児など、家名を汚すだけだとなぜわからんのだ」


「兄上! 血を分けた妹に何という言い草か。それも、いまだ年端もいかぬ娘だというのに」


「儂には家長としての責務がある。お前の様に、情に目を曇らせていては勤まらんのだ」


「目を曇らせているのは、兄上ではないのですか。少なくとも、ラーズ殿下はイライザの身をいつも案じてくださっています。いずれは王都に呼び寄せ、側に召すことも……」


「馬鹿な。その様な戯れ言、よもや真に受けているのではないだろうな、ギルモア」



 絶えて久しかった弟を思う色が、ダレルの髭面に浮かぼうとした瞬間。


 扉を叩く入室の合図もそこそこに、フィオナ付きの近衛兵が足早に三人へ近寄り、膝をついた。いささか性急に過ぎる所作を咎める間もなく、やや上擦った早口が告げる。



「ギルモア様に申し上げます。ヴィーゴ砦から伝令の早馬。一昨日の未明、突如として現れた正体不明の武装勢力による襲撃を受け、現在交戦中とのことです」


「……なに?」


「集団の構成員の中には、ヴェスコニア人のテロリストらしき姿も見受けられたそうです」



 フィオナとダレルの脳裏に、ヴェスク山を抜けた草原での血生臭い出来事が浮かんだ。


 ヴィーゴ砦は王都から一路東へ、早馬で昼夜駆け通せば二日程の距離にある。ヴェスコニア自治州の草原地帯を望む尾根に築かれた中規模の山砦で、かつては防衛戦の要衝として多くの警護兵が常駐していた時代もあった。


 だが、その役割も薄れた近年は、アルタイル王国軍の演習地として、中隊や大隊が年に数回逗留する程度にしか活用されていない。


 現地をよく知るダレルが、即座に応じる。

 その口調には、先刻までの言い争いの影は一切窺えない。



「あの様な辺鄙な砦を何故いまさら…… ヴィーゴ砦の現存兵力は? 防衛に徹すれば、どれくらい持ちこたえる見込みだ」


「現在、ヴィーゴ砦の常駐兵は半数以上が王都に帰還、建国式典の警護に当たっております。残された最小限の兵力では、陥落も時間の問題ではないかと……」



 近衛兵の言葉を黙して傾聴していたギルモアが、ローブの裾を翻して部屋の入口へ足を向ける。



「ラーズ殿下に報告する。その方、ついて参れ」



 ギルモアの後を慌てて追う、近衛兵。


 突如として静けさを取り戻した室内に、フィオナとダレルが取り残された。どちらからともなく交錯させる視線。所在なさを誤魔化そうと、フィオナはバルコニーに足を向ける。


 その耳が、夜闇を裂く金属音を捉えた。


 鋭く鳴るその音色は、剣戟とは少し違う。だが、間違いなく何者かが争う気配が、夜の空気を震わせている。


 その正体を探ろうと、バルコニーから内苑に身を乗り出すフィオナ。噴水を挟んで対峙する二つの影を認めた瞬間、彼女は身を翻して駆け出していた。



「ダレル! 私に続け!」


「はっ…… いかがされました、姫様」



 二つの影の内、一つは見知った痩躯の剣士。


 そして、いま一つはフィオナがこれまでついぞ目にしたことがない、禍々しいまでに黒くしなやかな体躯を誇る、四つ足の獣だった。

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