あたらしい世界
言おう、私にはできる。
うたおう、そのことは未来に可能だと。
絶望的に分断した思考の世界で
アスリートたちは躍動し
彼らのなかに新型コロナウイルスの重症者が
ひとりも出ていないことに驚嘆する
ああ、やはり肉体の健康とは
精神をも担保し、
それは新型コロナウイルスという
絶対的な脅威のなかであろうと
それを鎮めてしまうものなのだと
健康よりも、家族よりも、友人たちよりも
仕事が、お金が、それで得た物質的なステータスが
ものを言っていた時代が完全に壊れて終わるときを
わたしたちは確かに、目にしている
五輪オリンピックの傍らで
パンデミックのあおりを受けて
失業したり、商売がうまくいかなくなったり
そのことで、家庭に暴力を振るうひとびとや
ものいえぬペットたちを傷つけてうさを晴らすひとびとを見て
嘆くひとびともいるけれど
嘆くことを記事だとか、ツイートやブログに放り込むより
ならば、自分の得たお金を
実際に困窮するひとびとへ募金したり
ペットたちの虐待を防ぐための活動者たちに募金したり
その活動に、参加したり
その活動を記事なり、ツイートなり、ブログなりで共有して発信すること
それが大事だということに変容している
お金ももう、ESGやSDGsのように
誰かや自然や生きものたちの喜ぶことに
使われるようになってきている
明日、新型コロナウイルスで
死ぬかもしれないこのときに
お金は、病院の費用や、生活難に陥らない程度は
とても大切だけれど
お金がお金を生み出すだけの
数値の羅列には、何も感動しなくなっていくひとたちも増えている
感動を生み出す
うたや、映画や、絵画や、建築や、コンテンポラリーアート
アートには
これからもニーズはあるだろう
感動を生み出すアスリートたちの躍動も
自粛に疲れ、いい加減にお祭り騒ぎをしたいわたしたちの
こころを潤してくれるだろう
感染者爆発をしながら
オリンピック参加者と
ワクチン接種者には劇的に死者数が少ない
このときを
ひとつの地球に生きる、分断の無いわたしたちは
生きていく