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ふたたび・・・

 あれから11年の月日が流れた。


 今の僕はと言うと数年前にリーマンショックの煽りを受けリストラにあい、その後再就職する努力もせずに今はフリーターの身。それでもバイトのリーダー的な役割を与えられてはいるが手当も付かない。様は社員の負担を減らしたいが為の都合のいい存在だ。最近はそう感じる事が多々ある。だけど今まで仕事に追われて出来ない様な事も、今はある程度自由にさせて貰える現状に満足していて中々そこから抜け出せないと言うのが本音でもある。


 今年は戦後70年と言う事もあり、連日の様に新聞やテレビ番組で大東亜戦争の事が報道されている。衝撃的だったのは、あの有名な戦艦武蔵がフィリピン ルソン島南部に位置するシブヤン海の海底で見つかった事だ。発見者はアメリカの富豪ポールアレン氏。この方はエボラ出血熱に対しても多額の援助を行っている。武蔵についても引き上げて日本に譲渡したいとか、お金持ちの考えることは違うなと思いながらも、こういった仁の心が多くの人の心を引き寄せ彼を大きな成功へと導いてくれるのだろう。


 僕はと言うと3月に入ってから仕事でストレスを感じまくっていた。今まで頑張ってきた事も理解を得られず、現場を見ない上司に協力を仰いでもいつも肩透かしばかり。同情してくれるのは同僚の人達だけだ。どうしてもイライラを抑える事ができず仕事を休んだ。


 3月8日。うやむやする気分もあったんだけど、最近は墓参りも年に2、3回ほどで先祖大事にしてないなと思い久々に出掛ける事にした。母親も行くと言っていたが、珍しく父親も楽しみしている日曜の競馬中継を蹴って行くと言った。母親に説得されたって理由も多いにあるのだけれども。


 車に乗って出掛ける道中、梅の花が咲きほころびポカポカ陽気も重なって気分が良かった。国宝の犬山城も天気が良いせいかたくさんの人で賑わいを見せている。


「桜が咲く頃は鬱陶しい程の人になるんだよなぁ」


 混んでる時期に来もしないのに余計な心配もしてみたり。


 そうこうしている内に墓地へと到着した。皆で掃除を済ませ花を生け水を遣り手を合わせる。その時、母が父に言う。


「お義父さんが亡くなったの2月だったよね?もう少し早く来れたら良かったね?」


「そうだったっけ?」


 僕は一応確認の為にまたあの墓標を見た。


武志 命日 平成4年2月21日


 毎度の事だけど母親の記憶力には感心するが、父親はと言うと祖父の命日を記憶してなかったのを憂んで僕にスマホでメモして欲しいと頼んできた。僕は祖父母はもちろん全員分をメモした。


 その時、忘れかけていたあの人の名前も飛び込んできた。


義弘 命日 昭和19年6月16日


 11年前の事を少し思い出し、メモを取る。


「大叔父さんは戦争で亡くなってたよな。何処でどう亡くなったんだろ?」


 今年に入ってから太平洋戦争の事がテレビや新聞などで良く目や耳に入ってきていたので、気になってスマホで検索を掛けた。


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