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でも焦っちゃいけない。ここは落ち着いて、にっこり笑顔だ。
こっちが笑顔になれば向こうも多少は表情が和らぐはず。返報性の法則だとかなんとかって、これも昔父さんがしゃべってた。
愛想笑いは結構するけど自分から笑顔をふりまくってほとんどやらないから、ぎこちなくならないように……。
「泉」
名前を呼んでバッチリ目と目を合わせる。
そしてここで笑顔だ。
にこっ。
泉の顔が一瞬硬直。そしてすぐ、
さっ。
思いっきり顔そむけられた……。
なんだよこれ、全然ダメじゃん……。
やってしまった。
もうこれは口を利いてくれなくなるかと思ったら、泉が下を向きながらぼそりとつぶやいた。
「そんなの……反則です、兄さん」
見るとさっきより泉の頬に赤みが増し、声音も柔らかくなっている。今のが時間差で効いてきたのか。
僕のブサイクな笑顔が実は変顔レベルでそれがツボったのかもしれない。確かにこのタイミングで変顔は反則だ。
でもこれでなんとか話を聞いてくれる雰囲気になったっぽい。
「ごめん、さっきは……。僕も余裕なくて、絶対ついて来るなとか、仲間はずれにするようなこと言って」
きっと原因はこれだ。
実はあの時僕は気づいてなかったけど、雫が「泉すごい顔してた」って言ってたから間違いない。
「べっ、別にあんなのなんとも……、あれぐらいでひねくれたりとか……しないです。こっ、子供じゃあるまいし」
えっ、違うの……? そんなバカな。
ヤバイ。完全に見失った。
「いやでもそれで怒ってて……」
「今のは……、うんと、か、勝手に部屋に入ってこられたから、ちょっとおどかしてやろうと思って」
「うん? でもご飯の時からおかしかったような……」
「そ、それは……、さっきのご飯が手抜きだったんでイライラしてたんです!」
「そうなの? 僕が帰って来る前からそんな調子じゃなかった?」
「え? えっとそれは……、し、宿題が多くてムカついてたんです!」
「な~んだ、そうだったのか。やっぱ子供だなあ泉は」
キッとものすごい目つきでにらみつけられた。
やっぱ無理。もうなにがなんだかわからなくなってきた。
「じ、じゃあ宿題手伝ってあげるから……」
「……やっぱり、かわいくないですよね、わたしみたいなの」
また怒るかと思ったら今度は急にテンションダウン。
再度顔を伏せて自嘲気味に語り始めた。
「しずくちゃんみたいな元気な子のほうが妹キャラ的にはかわいいし……」
なんだよ妹キャラ的って……。
どこで入れ知恵されたのか知らないが、すごい偏見だ。
「でもわたしはあんな頭空っぽのバカみたいなマネ、恥ずかしくてできないし……」
さりげに毒舌。
そんな言うほどバカじゃないと思うんだけど……。
「だからせめて口調とか呼び方で差別化を……」
「泉はそのままで十分かわいいんだから、そんな無理してキャラ作ることないよ」
「えっ?」
「そんな変に丁寧語使うことなんてないし。僕のことだって、なんでも好きなふうに呼べばいい」
「す、好きなふうに? ……じゃあ」
泉はむくりと顔をもたげ、
「あなた」
「ごめんそれ以外で」
かなり斜め上から来た。なんでもとは言ったけど最低限兄というニュアンスのある呼び方にして欲しい。
素を出すのが恥ずかしいのか、泉はもじもじしていてなかなか言い出してこない。「あなた」とかはすぐ出てきたくせに。
しばらく間があった後、泉は意を決したようにこちらに顔を向け、伏目がちに小さく口を開いた。
「お……、お兄ちゃん」
言うやいなや、照れ隠しをするように僕の胸元にぼふっと頭を押し付けてきた。
なんだ、結局雫と同じか。雫がそうやって呼んでるから、同じなのが嫌だったのかも。
そういうところ不器用だけど、でもやっぱかわいい。
「お兄ちゃぁん……」
続けて甘えた声を出しながら体を寄せてくる。
「ホントはね、お兄ちゃんが泉のこと気にして来てくれて……うれしかった……」
泉は僕の胸元に顔をうずめながらそうささやく。
しかたなく頭に手をやりなでてやると、泉はさらに体全体を密着させて抱きついてきた。
そして泉の手が僕の股間に伸びてゆっくりと圧力を加え、
「ってなにしてんの!」
この人痴漢です!
片手で体を押しのけ、もう片方の手で泉の手首をつかんで持ち上げた。
「あっ、ご、ごめんなさい! ほんの出来心で……。どうしてもその……、勃起してるかどうか確かめたくて!」
なんか今すごいこと口走ったよこの子。
「お……お前なあ」
「だって、こういうときに男の人はそうなるって……」
妹に欲情などするわけがない。
なんせ顔を見たら一発で萎えるのだ。
「いやいやするわけないって……。まったくどこでそういうの覚えてくるんだか」
「このまえヤ○ー知恵袋で質問したら、親切な方がすぐに回答を」
「お前パソコン使用禁止ね」
「でもお母さんに見せたら『泉ちゃんすごい、IT系!』って褒められましたよ?」
「あの母親!」
あの人ITの意味わかってるのか?
というかそういう問題じゃなくて……。
僕が頭を抱えていると、いきなりガチャっと大きな音を立てて部屋のドアが開いた。
びっくりしてそちらを振り返ると、裸の上にバスタオル一枚を巻きつけた雫の姿があった。髪も濡れたままで、体から湯気がのぼっている。
さっき風呂に入っていたから風呂上りでそのまま来たのだろう。
「あ~っ、部屋間違えちゃったぁ」
最高にわざとらしい言い方。
お前は間違えすぎだ。
「あれぇ~? 泉の部屋にお兄ちゃんがいる~。ふしぎ~、なんでだろ」
「ち、ちょっと兄さんに勉強を教えてもらってて……」
「ふ~ん、勉強ねぇ」
雫はずんずんとこちらに近づいてくると、テーブルの端っこに片足を乗っけて膝に片手をつき、広げてある問題集にちらりと目を落とした。
「プッ、なにこんなのもわかんないの? 超カンタンじゃん」
雫は一つ上なんだから当たり前だ。また嫌な姉だ。
しかし下手するとバスタオルの中が見えるんだけどこれはいったいどこの痴女だ。
「雫、いいからさっさと着替えてきなよ」
「やだ~、お兄ちゃんさっきからどこ見てるのぉ~? 妹のハダカ意識しすぎ~」
雫は胸元を手で押さえておおげさに体をよじる。
胸なんかほとんどないくせに。僕が心配してるのは胸じゃなくて下半身が見えそうになってるってことだ。
「大丈夫。兄さんが興奮するわけないですよね? 妹で」
さっきから泉が僕の股間を監視している。
万が一反応したら引きちぎられそうな予感がして怖い。
「ましてやしずくちゃんのほうがわたしより背も小さいし胸も小さいしおしりも小さいし」
「ふん、雫のほうが体の締まりがいいし、締め付けもいい……」
「はいストップ!」
何を拠りどころに反論する気だこの姉は。
雫はさっきの公園でのことがあってややご機嫌斜めだったが、もうすっかり元通りなようだ。
なので話をずらすのも兼ねて、少し気になっていた事を聞いてみた。
「雫、さっきのことなんだけどさ。そりゃいきなり紹介したのは悪かったけど、あの態度はないんじゃない?」
最初は一応兄の友達っていう体だったわけだし。
「あとせっかくかわいいって言ってくれてるんだからさ、ちょっとは話ぐらい聞いてやればいいのに」
僕がそう言うと雫は決まりが悪そうに視線を横にそらしながら、口をとがらせた。
「……だってゼンゼン、タイプじゃないし。そもそもお兄ちゃんのほうがすべてにおいて上だし」
「すべてって……、僕は見た目からしてダメダメだろ」
「あんなの、お兄ちゃんの足元にも及ばないし」
櫻井はイケメンとまではいえないけど、どう間違えてもブサイクと言われるような容姿じゃない。
当然僕となんか比べ物にならない。
雫もいい子なんだよな。僕にこうやって自信を持たせようとしてくれて。
今回の事も元はといえば僕がヘンにムキになって、見世物みたいに妹と会わせてやるなんて言ったのが悪いんだ。
ブサイクだけど、雫と泉はやっぱり僕にとってはかわいい妹だ。
そう、二人はすごくかわいい。誰に見せてもかわいいってみんな口をそろえて言うはず……。
……あれ? 二人ともこんなにかわいいのになんで僕は……?
いや違う、ブサイクのはず……。そう、二人はブサイクだ。妹はブサイク。僕の妹はブサイクだ。
「なんか、面白そうなことしてたんですね。やっぱりしずくちゃんってウソばっかり」
「な~にが。さっきまで三人組くんでって言われて一人だけ余った子みたいな顔してたくせに」
「そんな顔してません~」
奇妙な感覚に襲われた僕は、再び始まった二人の言い争いをどこか上の空で聞き流していた。