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一騒動が終わり、時刻は夜九時を回ろうとしているころ。
夕食を終えた僕は、自室でひとり悶々とした時を過ごしていた。
学校の宿題をこなすため、一応机にノートを広げているが全く手につかない。
結論から言うと、あの後なぜか僕だけ携帯を取り上げられた。
まず父さんにどういうことか説明しろと言われて、僕らはそれぞれの主張をした。
僕は伊織と付き合うことになったが妹達がそれを気に食わないらしくジャマしてくる、という趣旨のことを、なんでこんなことをいちいち親に話さなければならんのだと思いつつも話した。
かたや妹達(主に雫)は、友達に手を出そうとしたクソ兄貴を制裁しようとした、という謎ストーリーをでっちあげてきた。
だがそれがまた堂々とした話ぶりで、グダグダな説明になっていた僕とは大違い。
泉もこれはいけると思ったのか、雫に便乗して二人してあることないこと言い立てる始末だ。
もう完全に僕のほうがウソを言っているような流れだった。
「全然言い分が違うじゃないか。ダメだな、どっちも信用できない。本当のことを言うまで携帯没収」
携帯を没収すると言われた時は心臓が止まりかけた。
携帯の中の妹達へのキチガイメッセを見られたら、これは隔離間違いなし。
アレを見られるぐらいなら破壊しろー! 状態だったが、僕の携帯は雫の手にあったため、あっさりと父さんの手に渡った。
僕がガクブルしていると、父さんは早々に電源を切ってポケットにしまった。
別に中をチェックするというわけではなく、単純にごたごたもめて騒いでいる罰、ということらしい。
雫はあっさり僕の携帯を渡したくせに、自分のものはプライベートがなんだと言い張って結局渡さなかった。
「没収するだけとかいってこっそり携帯見るんでしょ?」と言われて、父さんは言い返せなくなり断念するという。
というか、それなら僕のほうがはるかに見られてヤバイものが入っているというのに。
だがあんまり言うと、そんなに見られたらまずいものでもあるのか? どれどれなんてなったら死ねるのであえて黙っていた。
なんだかんだで父さんは妹たちには甘い。
最初は怒るぞオーラを出していたくせに、いざ抵抗されると腰が引けてくる。
特に泉に「お父さんはたまに帰ってきてえらそうなことを言うのはずるいです」なんて言われてガチでヘコんでいた。
父さんの仕事は半分自営のようなもので、休みも不定期になるのは仕方ないのだが、泉はその辺まだよく理解していない。
このままではしまらないと思ったのか、父さんは最後に「い、いいから少し頭を冷やしなさい」とか言い残して僕の携帯だけを取り上げて去って行った。
おかげで全く伊織と連絡が取れん。
いつもの僕なら、携帯なんて取られてもゲームができなくなるぐらいで特に支障はないのだが、今はそういうわけにもいかない。
携帯になにかしら連絡が来ているだろうし、一度しっかり話して確認しないといけないこともあるし。
いやまあ、家が近いんだから直接会いに行けばいいんじゃないか、と言われればそれもそうだが、僕にそんな度胸はない。
いきなり家をたずねて、万が一香織さんとかが出てきたらと考えるとちょっと。
夜中にピンポンダッシュを行う不審者になってしまう。
電話するにしても、伊織の携帯番号なんて覚えてるわけがない。
家の電話番号は調べればわかるかもしれないが、かけた時に誰が出るかわからないという同様の危険が付きまとう。
第一リビングの電話機で、母さんがテレビを見ている横で話すのも嫌だ。
というか、夜の九時過ぎにいきなり家におしかけたり家電に電話するのは常識はずれだろう。
これは手詰まりだ。携帯がないだけでこうも不便だとは。
どうする、父さんにもう一度直訴して返してもらうか。
だが現状、父さんを納得させられるいい案というか、証拠がない。
僕の携帯を見せればいけそうなんだけど、同時に見られるとやばいものも入っているのでうかつなことはできないし。
とりあえず伊織に電話だけさせてもらって、伊織に説明してもらう?
しかし伊織が、付き合う? どういうこと? ってなったりしたら終わる。
僕自身いまだに百パーセント信じられていないというフシもある。
もしくは、妹達をなんとか説得する。
いやこれは無理だな。ちょっと考えただけで無理だとわかる。
説得どころか妹達が嫌がらせをしにくるのではと思っていたが、いきなり部屋に乗り込んでくるようなことはないようだ。
どうやら父さんも二階の自室にいるらしく、それが抑止力になっているのだと思われる。
とにかく父さんがいるときはおとなしい。
と言ってもやはり妹達の説得は、今後避けては通れない道だ。
まあ全く手がかりがないわけでもない。
二人は僕を伊織に取られたくないがために、こうやって邪魔をしてくるわけだ。
なぜこれほどまでに伊織を毛嫌いしているかがわかったのは、大きな収穫だ。
しかし、そんなにまで二人は僕のことが好きなのか。
予期せずそんな本音を聞き出せたわけだけど……、これは思わず顔がにやけてしまうぞ。
雫はかわいいし、泉もかわいいし、二人とも可愛いし……。
あれ、かわいいしか言ってないな。まあ仕方ないな、実際かわいいしな。
それに加えて伊織まで、となるともはやこれは僕の時代が来たとしか言いようがないな。
しかし思い返すと、こんな状況って昔にもあったような。
あまり記憶が定かではないけども、その時の僕は、なんとかうまいこと三人のバランスをとっていた気がする。
どうやっていたんだっけなぁ……。
そこらへんを思い出せば、なんとか妹達の説得もいけそうな気がしないでもない。
などと考えてるうちにも無駄に時間が過ぎていく。
とりあえず今日は携帯はあきらめて、その代わり明日の朝一で、伊織の家に迎えに行こう。
素の状態ではまだ二の足を踏みそうになるが、まあ今日も行ったんだし、行けるだろう。
そう決めた僕は、ほとんど手付かずの机の上の宿題に一度視線を送ると、ベッドの上に体を投げ出しぼんやりと天井を見つめた。
◆ ◇
翌日。僕はいつもより十分ぐらい早めに起きて、リビングに入っていった。
誰もいないかと思いきや珍しく雫も泉もすでに起きていて、二人とも無言で食パンをかじっていた。
なんだこの妙な雰囲気は。
ここのところ、僕がやらかしてからは二人ともそっけない感じだったけど、それとも少し違う、変な緊張感がある。
でもきっと、またいつもの不機嫌アンド無視パターンだろうな……。
そんなことを思っていると、僕に気づいた二人が、急に立ち上がってこちらに駆け寄ってきた。
「おはようお兄ちゃん!」
「兄さんおはようございます」
いきなり元気いっぱいの笑顔でそう言われた。
なんだこれは……夢か幻か? 二人揃ってこんなご機嫌だなんて。
不吉な予感がしながらも、なんとか返事をする。
「お、おはよう、ふたりとも早いね」
「兄さんこそ、少し早いですね」
「え? あ、ああ……そう? 雫も起きてるなんて珍しいね」
「は? 悪い?」
「いえ悪くはないです」
「あっ、そのー、ちょっとはやく目が覚めちゃってぇー、えへっ」
……雫のヤツ、今一瞬早くも素が出なかったか?
やっぱり怪しい。
「兄さん、ご飯がいいですか? パンがいいですか?」
「お兄ちゃんなんか飲む~?」
僕に考える隙を与えまいとしているのか、次々に話しかけてくる。
そうやってやたら距離をつめられて見上げられると、非常にやりづらい。
「えぇっと、僕もトーストにしようかなぁ……」
僕がそう言うなり、泉がいそいそとパンを焼きだした。
それを見て雫も台所のほうにいなくなったので、僕は警戒しながらもテーブルの席に着く。
するとすぐに、頼んでもいないのにコップになみなみにつがれた牛乳が、ゴトっと僕の目の前に置かれた。
雫が隣で気が利くでしょう、みたいな顔をしてくるが、ぶっちゃけ朝からこんなに飲みたくない。
泉が用意してくれたトーストを食べている間も、二人がニコニコ顔で僕の挙動をじーっと見つめてくる。
すごく食べづらい。
たまりかねて二人に向かって疑問を口にする。
「き、今日は二人とも、どうしたのかな……?」
「どうしたって、べつに、普通でしょ?」
「妹ですからこれぐらい当然です」
普通? 当然……?
これは僕がブサイク発言をする以前のように戻った……いやいや、そのころでもこんな扱いはされてなかったぞ。
普通どころか明らかに異常だ。
昨日はあれ以来、特に会話といった会話はしてないので、てっきりそれについて追求してくると思っていたのだが、そんな素振りはない。
ならこの謎の接待プレイはなんなんだろう。
何かウラがあると考えるのが自然だが……。
「そんなことよりお兄ちゃん、明日ヒマだよね! 明日出かけるから買い物つき合ってね!」
「兄さん、この前好きなもの買ってくれるって言ってましたよね。あのとき買ってもらいそびれたんで、明日行きましょう」
案の定だった。
このぐらいでもういいだろう、とでも思ったのだろうか、二人とも遠慮なく身を乗り出してきた。
やはりそう来るわけだ。
「……僕は一人しかいないんだけど、そうやって別々に話しかけてくれるのはやめてくれないかな」
ほぼ同時に誘ってくるというね。
この妹達はお互いが見えていないのではないかとすら思う。
妹達はおのおの顔を見合わせた後、
「しずくちゃんは、お姉ちゃんなんだから妹にゆずるべきです」
「はいでたー、こういう時だけ姉扱いするー」
「はぁ。もういいです、しずくちゃんにもとからそういうのは期待してないですから」
「ふん、だったらお姉ちゃんってちゃんと呼びなよ。泉ってぜったいそうやって呼ばないじゃん」
「ふっ、気づいてましたか」
「なにその笑い、むかつくんだけど」
言われてみると確かにそうだ。
要するに姉として認めていないということか。
まあ、僕もどっちが姉だったかなって思ってしまうときもあるぐらいだし……。
とはいえこれは結構根が深い問題の気もする。
「じゃあいいよもう、3Pで」
「3P言うな」
「お兄ちゃんテクに自信がないのかな」
「なんのテクだよ……」
そういうことばっかり言ってるからダメなんだよ。
しかしこのままでは、なんやかんやで流されて本当に3Pになってしまう怖れがある。
確かに明日から再び連休にはなるが、そして予定も全くないが、それはあくまで現時点での話である。
「あの、明日はもしかするとちょっと用が……」
「なんの用ですか?」「用って、家でアニメ見るだけでしょ」
「と、友達とちょっと……」
「友達って誰ですか?」「お兄ちゃん友達なんていたっけ?」
二対一は卑怯じゃないですかね……。
約一名的確に心をえぐってくるし……。
あながち間違いじゃないんだけど、それだけけなされると、僕だって少し抵抗もしたくなるわけだ。
「そ、その、い、伊織が……」
そこまで言いかけると、二人の顔色が変わった。
「イオリ? 誰ですかそれは? ああ、アニメキャラですか」
「お兄ちゃんまた~? フィギュアで我慢しなよ」
伊織はいつの間にかフィギュアになってたのか……。
「いや、すぐ近くに住んでる牧野伊織という人なんだけど……」
「そんな人、知りませんけど?」
「やだお兄ちゃん、二次元とリアルがごっちゃになってるよ?」
かたくなに伊織の存在を認めようとしない二人。
これはお話にならない。
おそらく昨日のことはなかったことにして、そういう話にすらもっていかせない気なのだろう。
会話する気が失せた後も、明日あさってと、どうせ母さんは父さんと出かけるだろうから、その代わり小遣いをせしめてどっか行こうかとか話している。
完全に拘束する気だ。
一方的な話をされながらも、朝食を終える。
その後僕が着替えなど学校に行く用意をするかたわら、二人は特に準備をするでもなく、手持ち無沙汰にしている。
それもそのはず、二人にしてみたらまだ時間が早い。
しかしその割には、どこか妙に落ち着かない様子だ。まるで何かを待ってるような。
そもそもなんでこんな早く起きてるんだろう……?
大体雫なんかは、僕が出るぐらいに起きても間に合っているぐらいだから、明らかに早い。
母さんはまだ寝てるみたいだけど、起きてくるのを待っているのではないだろうし、すると父さん?
いや、それこそありえないだろう。待つ理由なんてない。
それに父さんは、朝は結構早く起きて体を動かしているから、もしかしたらすでにジョギングにでも出かけたのかもしれない。
となると……。
はっ、と気づいたときには遅かった。
――ピンポーン。
家のベルが鳴った。
すると、二人が同時に僕をソファーの上に突き飛ばして、ダダダっと、玄関向かって駆けていった。
僕は面食らいながら身を起こすと、慌てて後を追う。




