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視点が水樹に戻って、少し時間が巻き戻ります。
はっ、と意識が戻る。
授業中だ。どうやら居眠りしていたようだ。
五時限目の古典とか、マジで殺しにかかってる。
しかし久しぶりになかなかよい夢を見たような。
……夢じゃないな。
それこそ朝は、頭が半分ボーっとしたまま過ごして、あまり記憶がないんだけど。
ちょうど子供のころの夢を見たおかげか、そのままなりきったわけだ。
そう、ノリで。ノリきった。
だけど昼ごろには、ほぼ素に戻っていた。
伊織と一緒に昼食を食べたり、その割には意外にいけるじゃないか。ははは。
なんて言っている場合ではない。
今日一日、なんか携帯にメッセージがいっぱい来ている。
いつもは動かざること山の如しの僕の携帯が、立て続けにブルブル震えている。
これはもはやなんらかの超常現象、ここまで来るともう軽くホラーだね。
なぜそんなことになっているかというと、まあその分こっちからもいっぱい送ってるわけだ。
ほとんどが朝。
その時は半分、いや九割がたボケていた状態だから、もうかなり好き勝手やってくれちゃってる。
「勉強ぐらい、いくらでも教えてあげるよ(意味深」
「今日はいっぱいなでなでしてあげよう(意味深」
などと意味深というか意味不明な供述をラインで妹に送る兄。
もうね、マジキチとしか言いようがない。
それになつみさんからもライン来てるんですけど?
なに勝手に登録してんだよ。そして送ってんだよ。「また家に遊びに来なよ~」じゃねーよ。
もう朝のヤツを投げコマンドで捕まえてパンチボタン連打したい。
怖くなった僕は、アカウント乗っ取られた! とか二秒でバレるふざけた文言をプロフィールに入れて携帯の電源を切った。
こんなもん、もうある種の乗っ取りだね。
とにかくクソ眠い。なれないことをしたせいで、ひどく疲れている。
今日はさっさと帰って寝よう。
と決心した授業終わり。
僕が早々に帰る準備をしていると、櫻井が逃がすかとばかりに僕の席にやってきて、べらべらとしゃべりだした。
「いやあのチャラ女ね、マジでしつこかったのよ」
昼休みの時の女子がどうこううるさい。
正直どうでもいいのでさっさと帰らせてほしいんだが。
富田君なんて速攻で帰ったぞ。オンカツ! の実況に間に合わなくなるからって。
これは長くなる。すでにその予感がする。
こいつがやってくると、隣の二宮さんも俄然調子づいて絡みだすわけだ。
「アレでしょ? 廊下でなんかうるさかったの」
「そうそう、マジでデリカシーのカケラもないね」
「でもお似合いなんじゃない、似たもの同士」
「うわ弥生ちゃんひどっ、いやいや、あれと同類とか、ないっしょそれは~」
「方向性はあってると思うけど。あっ、音楽性の違い? よくあるやつ」
「じゃ僕はこれで」
「いやいや待てよ」
二人の会話の中にさらりと差し込んだが、櫻井は目ざとく引き止めてきた。
「それじゃなくてアレだよ、牧野伊織だよ。オレ、睨まれて殺されるかと思ったんだが?」
「殺されるって、そんなおおげさな」
「え? 牧野さんってそんなキャラじゃないでしょ」
「いや~そんなキャラでしょあれは。おまえも言ってやれよ、いくら可愛くてもそんなんじゃダメだってな」
伊織はずいぶん丸くなったとは思うけど、敵とみなしたらとことん敵視する、みたいなところは変わってないのかなあ。
そもそも櫻井にダメとか言われようと別に……って感じもするし。
しかし伊織伊織って、ここでウワサされてるなんて、本人も夢にも思ってない……。
「水樹」
とか考えていたら、まるで伊織が僕の名前を呼ぶような幻聴がした。
なんとなく振り向くと、今度は僕に笑いかける伊織の幻覚が見えた。
「あ、あれっ、伊織?」
「そうだけど、なにその顔」
伊織は僕を見てくすくすと笑う。
幻聴でも幻覚でもないようだ。
伊織が僕のクラスに、僕の席にまでやってくるなんてそんな……。
だいいち教室まで突貫してくるのはルール違反だろう。多分。
いやまあ、昼休みにこっちもやっておいてなんだけど。
「おい、ちょっと、ちょい、来い」
いきなり櫻井に腕をつかまれ、窓のほうに連れて行かれる。
櫻井は伊織を警戒しながら、こそこそと耳打ちしてくる。
「どういうことだよ、オレの時と全然違うじゃねーか。ありゃ完全にメスの顔だろ」
「……なんだよそれ、どういう顔だよ。別に普通……」
でもないかもなあ……。
伊織が僕に向かっていきなり笑顔っていう時は、たいてい裏があるときなんだよなあ。
なんだ、なにを要求される? もしや昼の仕返しか?
たしかに調子こいてたのは認めるけど、あれは半分は僕だけど半分は僕じゃないんだって。
びくびくしながら戻ると、伊織は微笑を崩さずに言った。
「一緒に帰ろっか」
(意訳 昼はよくもやってくれたわね、逃がさないわよ? ちょっと人通りが少ない道通って帰りましょうか)
超訳伊織の言葉、翻訳長瀬水樹。
いや、そんなことはないとは思うんだけど。純粋に一緒に帰るだけなんだと、そう思いたい。
それを見た櫻井と二宮さんが、そろって茶々を入れてくる。
「うわ出た出た、リア充爆発しろ」
「バクハツしろー」
囲まれた。
もはや爆弾に囲まれたボン○ーマンだ。
これは絶対死ぬやつだ。
「じゃあ弥生ちゃん、オレらはオレらで一緒に……」
「だが断る」
「早いな、断るの早いな! いやそこをなんとか一声」
「断る」
「普通に断られちゃったよ、フハハ! じゃあさ、」
だが、櫻井は意外にもそれ以上いじってくる気配はない。
こっちは放置して、二宮さんとしゃべる方向にシフトしたようだ。
たぶん伊織にビビってるんだろう。櫻井もうかつに手を出せないようだ。
伊織はしばらく黙って二人のやり取りを見ていたが、どうでもよくなったのか僕のほうに視線を戻した。
「じゃ行こっか?」
そうやってニコってやられると、「うん」って返すしかなくなる。
クソ可愛いじゃねえかクソがぁ。とかって心の中でごまかしてかないとヤバい。
ヤバいぐらいに可愛い。
すでにだいぶ前から帰る準備万端だった僕は、荷物を持って立ち上がり、その促しに応じた。
かなりゆったりペースの帰り道。
その途中、伊織は妙にテンションが高く、いつもよりずっと口数も多かった。
だがぶっちゃけ僕は、携帯が気がかりで、伊織の話はほとんど右から左に抜けていた。
『兄さん、帰ってくるの何時ごろですか?(キラキラ)』
『なつみが連絡来たっつってんだけど?(怒り文字)』
みたいなのが来てるわけだ。携帯がブルブルっとするたびこっちはガクガクですわ。
ようやく家の近くまでやってきて、さてどう言い訳するか、と頭を悩ませていると、いきなり伊織が公園に行きたいと言いだした。
僕はなんで今? という疑問が浮かびまくっていたが、とりあえず従っておく。
公園に入るなり伊織がぶつぶつ一人で語りだすが、急にそんな遠い目されても。
まるでギャルゲーのヒロインが、忘れていた過去を振り返るみたいな。
いやいや、言ってもそんなたいしたイベントなんてなかっただろう。
懐かしいわね~、なんて言ってるけど、ほぼ毎日公園の横通ってるやん。
ていうかそんなこと言ってる場合なのかと思う。
あれは、結局どうなったんだ。告白の返事うんぬんっていうのは。
もやもやしたまま伊織劇場につき合わされてもかなわないので、思い切って聞いてみることにした。
「そういえば、あれ……、朝のあれってどうなったの?」
「あれって?」
「その……こ、告白されて、どうこうっていうの」
「あ、ああ~、あれ? あれは……別に大丈夫になったから。もう終わったし」
「え、そうなの?」
終わったって、断ったってことか? こんなあっさりな終わり方?
僕が昨日グダグダ悩んでたのは一体なんだったんだ。
結局いつもの告白されたどうしよう詐欺かよ。
それでなぜか僕のほうが窮地に追い込まれているというこの状況。
どうしてくれるんだこの携帯。こんなに動くなんて故障だぞ。
そんなん知りませんとばかりに、伊織は勝手に一人で先を歩いていく。
かと思ったら、今度はボロいベンチを見つめながら固まっていた。
急にどうしたんだ。何か見えているのだろうか、霊的なものが。
もしかして座ろうとしているのだろうか。
なにをそんな長いこと迷ってるんだ?
くっそ汚いんだけど、どう見てもやめたほうがいいだろう。
「初めて会った時のこと、覚えてる?」
「え? あー……」
いきなりなにを言い出すのかと思えば。
覚えてない。ガチで覚えてない。
けど覚えてないって言ったらボコられるやつでしょどうせ。
「覚えてる、かも…………しれないけど覚えてないかも」
最後のほうは小声にしてごまかした。
「やっぱり? お互い結構……インパクトあったよね。私、その時はなにこいつ、頭おかしいんじゃないのって思ってたけど……」
やべっ、また携帯が震えだした。
しかも振動が止まる気配がない。
あれ、これなんか着信してないか?
雫か? どうしよう、出ないと……いや出たらヤバイか。
「好きになってたみたい」
「……え? なにが?」
ごめん聞いてなかった。
って言おうとしたら、そんなことを言える雰囲気じゃなかった。
伊織の顔がぴくっと引きつったのを見てしまったからだ。
「……いま私の話、聞いてた?」
「え、ああ、もちろん。聞いてた聞いてた」
だってこれもあれでしょ? 聞いてなかったって言ったら絶対ボコられるやつじゃん。
ホントにもう、ボコられチェックポイント多過ぎィ。
「あ、そうよね。ごめんね、なんか。そう……なんか、別にその……なんて言ったらいいんだろう。だからどうこうするってわけじゃないんだけど、やっぱり、言っておこうと思って」
「うんうん、そうだよね。実際口にするのって、大事だよね」
なんかよくわからんけどとりあえず肯定しておけ。
いきなりそんな悟ったような顔されてもねって感じだけど、こういうときはたとえ相手が間違ってようと否定してはいけないのだ。
「そ、それで、どうかな? あ、どうかなって言うのも変……だよね、やだ、なに言ってるんだろう私」
「いや変じゃないよ。全然、大丈夫大丈夫」
「それって、……オッケー、ってこと?」
「うんうん、全然オッケーオッケー」
まあオッケーでしょ。
こういうとき割とオッケーなことが多いよね。
なにがオッケーなのかは知らんけど。
「は~~、よかった~」
伊織も安心したように、大きく息を吐き出している。
やはり僕の対応は正解だったみたいだ。
「ホントに、私の思い違いだったらどうしようって思って、……見てこれ、私すっごい手震えてる」
「はは、僕もだよ」
結局電話出なかったし、家に帰ったときのこと考えるとガクブルですわ。
ふと伊織のほうを見ると、顔が赤いと思ったら目も赤くなっている。
「あれ、伊織どうしたの、なんか泣いてない?」
「ち、ちょっと見ないで、恥ずかしいから!」
そう言って伊織は僕から体をそむける。
そのとたん、またもや携帯がブルブルしだした。
ヤバイ、怒りの連続コールか。これはもう電話じゃなくて、帰って直接話したほうがいいな。
「あ、あのさ、とりあえず、今日のところはこれで、お互い落ち着いてからってことで……」
「……うん、私もそのほうがいい。……あとで電話するから」
伊織は顔を伏せたままくぐもった声で答える。
電話? わざわざ電話は別にいらないと思うけど……なんで電話とか言い出すんだ?
僕は浮かんだ疑問よりも、妹達への弁解を頭で考えつつ、家へと急ぎ足で向かった。




