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 物音が聞こえ、意識が戻る。

 椅子に座って上半身をテーブルの上に突っ伏した体勢。

 いつのまにか寝てしまっていたようだ。やや遅れて思考が始まる。

 今日は香織さんと出かけて帰ってきて、香織さんが寝てしまって……いけない、ここは自分の家じゃなくて伊織の家だった。

 さあ体を起こそう、とするところに、同じリビングの仕切りをまたいだ側、香織さんがいるであろうほうから話し声が聞こえる。

 

「お母さん、今日は泊まってくるって」


 伊織も帰ってきているらしい。声が聞こえる。


「あ、そ。最近結構多いの?」

「うん、でももう慣れたし。今日はお姉ちゃんいるから大丈夫でしょって」

「また勝手なことを……」


 僕が眠っていると思って起こさないようになのか、万一僕に聞かれたらまずいからなのかわからないが声は小さめだ。

 だが話し声以外は全くの無音なので結構聞こえてしまう。

 本当はその場ですぐ起きればよかったのだが、二人の会話にどうも重苦しい感があってためらってしまった。

 そういえば伊織の母親は……小さいころ何度か顔を合わせて話したことはあるが、それほど交流があるというわけではない。

 僕の中の記憶では伊織の母親は優しくて綺麗な人という印象だったけど、伊織いわく外面がいいだけとかなんとか。

 かなり、放任するタイプらしい。それでその分香織さんが色々と伊織のことを気にかけるようになったのだろう。


「ご飯、買って食べたりしてるんでしょ? お金ちゃんとあるの?」

「うん、お小遣いとは別にもらってるし……。むしろだいぶ余ってるかも。お父さんが別で私あてに振り込んでくれるんだって」

「ふーん。うまくいってて、お金有り余ってるのかしらね」


 伊織の父親は、僕が伊織と出会ったころにはすでに一緒に住んでいなかったと思う。僕は伊織の父親に会ったことがない。

 なにか小さい規模だが会社を経営している人らしい。

 今はもう離婚したという話を聞いているが、あまり触れてはいけない話題みたいなので詳しいことまでは聞いてない。


 なんかヤバイ。これ聞いてしまってはいけないやつじゃないのか? 

 なぜかこういうとき無駄に地獄耳になって聞こえてしまう。

 僕がさっさと起きればいい話なんだけど、完全に起きるタイミングを見失ったというか。

 学校の休み時間に寝たフリをしているとこれまたタイミングが難しいのと似たような感じで。

 下手にやると起きてて聞いてたんじゃないのとか言われそう。

 伊織たちがいる側は電気がついて明るくなっていて、僕がいるところは暗い。それに仕切りがあるので多少動いたところで気づかれることはない。

 かなりわざとらしくアクションをしないと、起きたことにすら気づかれないパターンだ。椅子をガタっと鳴らすとかやらないと。

 なんて考えている間にも、二人の話はとめどなく続く。

 なんらアクションを起こないままいぜんとして寝ているという体で、できるだけ会話を聞かないようにつとめていたが、


「……マジ? 告られたの?」


 という香織さんの一声に否が応でも耳が反応してしまう。

 コ、コクられた? 僕の辞書にはない単語だが……きっとファルシのルシがパージでコクられるみたいな謎の略語の一種だろう。

 

「うん、途中で別行動になって二人だけになって……」

「初日でそれはまた気が早いわねえ」

「初日って言っても初対面じゃなくて知ってる人だし、向こうは中学のときからずっと気になってたらしいんだけど……。でもそんなにしゃべったりしてたわけじゃないかな」

「ふ~ん、それでどうしたの?」

「とりあえず、後で返事をって感じで……」


 僕が告白されたわけでもないのに、やたら心臓の鼓動が早まっていく。

 伊織は言葉を濁しているが、これは……これ以上は……気になるけど、聞きたくない。

 聞きたくなければもう今すぐにでも立ち上がって、起きたということをアピールすればいいのだが……。

 今度は体が金縛りにあったように動こうとしない。


「実際どうなの? その人」

「別に嫌な感じではないけど…………でも」

「でも?」

「う、ううん……ねえ、お姉ちゃん……私、どうしたらいいかな」

「……なにそれ」

「だって……」

「だってじゃないわよもう……、自分で考えなさい? あたしがOKすれば? って言ったらそうするの?」 


 そこで黙りこんでしまう伊織。

 実際に様子を見たわけじゃないけど、そうなっているのは想像に難くない。

 その後しばらく無言が続く。

 もう起きるのは今しかないんじゃないか、と思ったが今の沈黙、逆にこれこそタイミングをはかっていたようでかなり不自然な感じがする。

 もっと……もっと自然なタイミングがあるはず。

 と、そうやってさっきから自分に言い訳をしている。本当は、単純に動けないだけだ。

 もういっそのこと耳をふさいでしまおうか。

 

「だって……つは……もうなに考えてるか……わかんなくて」


 沈黙を破ったのは、伊織だった。

 しかしその声は途切れ途切れで弱々しく、震えている。


「なんか、もう私……、なに……だろうって……本当は今日だって……」


 ぐすっと軽くすすり泣く音が聞こえてきた。これも間違いなく伊織のものだろう。

 何を言っているのかほとんど聞き取れないが、それでもここまでで一番心臓に突き刺さってくる。

 ただ告白されて迷っている、というのはわかるけど、泣くというのは……。

 香織さんに冷たい反応をされて悲しかったのか。

 香織さんとしてはもういい年なんだから自分で考えろっていうスタンスなんだろうけど……。

 

 ああ、やっぱもうダメだ。伊織の泣き声に体が拒否反応を起こしている。

 僕が昔から苦手で、嫌だったもの。これもある種のトラウマか。

 僕は耐え切れなくなり、ついに体を動かした。自分から動いたというか、動かされたといったほうが正しい。

 わざとらしくガタガタっといすを動かして立ち上がり、大きく伸びをする。


「あ、ああ~もうこんな時間かぁ~」


 そして超絶わざとらしい一言。

 実際この時点では時間を把握していないという。

 すぐに壁にかかった時計を見たら七時半を回ったところだった。意外に時間はたってなかったようだが。

 しかし驚くべきことに、ここまでやったのになんらリアクションが返って来ないということだ。

 僕はあせってリビングの明るいほうへ出て行くとやっと、

 

「おはよう水樹君。よ~く寝てたね」


 ソファにだらしなく座った香織さんが声をかけてきた。伊織もそのすぐ隣に座っている。

 伊織は僕に顔を見られたくないのか見たくないのか、少しうつむいたまま両手で顔を隠すようにしている。

 袖で顔をぬぐっているのだろうか? できるだけ見ないように、しかし全スルーするわけにもいかず、あまり触れるわけにもいかず。


「すいません、いつの間にか……。い、伊織、帰ってきてたんだ」


 起きたら起きたで気まずい。

 この場をどうにかしようとして起きたわけじゃなく、限界に達して体が勝手に行動を起こしただけだ。

 僕は今この場に必要なのか、なぜここにいるのか、そもそもなぜ生きているのか。謎だ。

 伊織の代わりに香織さんが答えた。

 

「伊織もさっき帰ってきたばっかよ。でなんだっけ、伊織なんかあったんだっけ?」

「…………別に」

「あっそう」


 香織さんがわざとらしく話の続きをうながしたが、伊織は僕がいるからその話はしたくないということだろう。

 僕はある程度聞いてしまっているのだが。

 香織さんは伊織のそっけない反応にイラっとしたのかわからないが、急におどけた口調になって、

  

「あらあら、今日のお出かけ伊織ちゃんはなんか微妙だったのかな~? あたしたちは超楽しかったけど」


 煽っていくスタイル。

 どうやっても超楽しくはないと思う……。むしろ僕らのほうこそ微妙という言葉がぴったりだ。


「ねー水樹君、楽しかったわよね?」

「え、……はあ、まあ」

「なにその間は。なんかあたしが言わせてるみたい」


 言わせてるじゃん。

  

「出た、言わされてる顔。泉ちゃんに会ってウキウキだったくせに」

「ち、違いますよあれは……」


 ウキウキとかもはや死語で表現するのやめてくれませんかね。

 香織さんはくすくすっと思い出すようにして笑ってから、


「しつれ~い、ちょっとお手洗い」


 そう言って席を立つ。

 うわ逃げやがった。絶対逃げた。

 ここで僕ら二人を残すとかありえん。伊織を煽るだけ煽ってそのままとか。

 二人にして話をさせようって魂胆なのかも知れないけど、これはムリだろう。

 僕は呆然と突っ立っていたが、仕方なくわざと時間をかけてゆっくりソファの端に座った。

 伊織は無言のまま。だが一瞬ちらっと僕のほうを見た。

 きっと僕のこの太極拳的な見事な座り方に見とれたのだろう。

 このまま時が止まるのを避けようと、僕はなんとか一言声をかけた。


「ど、どうだったの今日?」

「…………別に~」


 うわ、なんだこのほとばしるあんたには関係ないでしょオーラは。

 なんというふてぶてしさ。さっき本当に泣いてたのか?


「あ、や、やっぱ微妙な感じ?」

「は? 超楽しかったし? 先輩は気使ってくれて優しかったし」

「……そ、そう」


 超楽しかったとか言われたらこっちはもう言えねえ、何も言えねえ。

 めっちゃ強気じゃないか。泣いてたっていうのは僕の気のせいだったか。

 逆にある種いつもどおりなので、僕はちょっと胸をなでおろして伊織の顔を見た。

 

「あれ、目が赤い……」

 

 目が、というか顔全体がやや赤みを帯びている。

 思わず口走ってしまったが、伊織は知らん顔をする。


「なにが? 私たいてい赤いし」


 それはそれで怖いわ。

 

「そっちだって、楽しかったんでしょ? お姉ちゃんと。よかったわね」

「い、いやぁどうかな……」


 ……これあれか、香織さんが超楽しかったとか言ったからそれに対抗してるのか?

 うわぁ、なんてわかりやすいキャラなんだ。ラノベとかの三番手ぐらいのヒロインでももうちょいひねりあるぞ。

 

「私もね~今度またって誘われちゃって」

「そ、そう……」

 

 僕はなんとか相槌を返しながらも別のことを考えていた。

 さっきの話が本当なら、告白された、とかって言ってこないのはなんでだろう。

 まあ、告白されてそれをどうしようが僕には関係のないことだっていうことなんだろうけど。

 それでも……。

 どうすれば、何を言えばいいんだろう。さっぱりわからない。

 いや……わかってはいるんだけど、勇気がない。

 昔の僕だったらこんなときもっと簡単に、できたはずなのに。

 でも昔ならできたなんて……こんなの言い訳にもならない。本当は昔とか今とか、関係ないはずだ。


「あ、あのさ……」

「どうしよっかな~って思ってるんだけど……」

 

 絞り出すような小さい声しか出ない。

 さらに伊織の声にかぶったため、かき消されてしまった。

 それでも伊織は僕が何か言いかけたのに気づいて、話すのをやめた。


「なに?」

「あ、いや……」


 伊織はまっすぐ僕を見ていた。うってかわって、急に真剣な表情。

 まるでなにかを期待するような……。

 綺麗な瞳だ。まるで瞳に捕らえられ、二度と視線を外せなくなるような。

 僕はその瞳に射抜かれて、圧倒されて、しり込みしてしまった。

 

「じ、時間が……あれだし、僕はもう帰ろうかと。そ、それじゃあ」


 僕はその視線を振り切るように、座るときとは間逆の勢いで立ち上がった。

 そしてそのまま香織さんが再び現れて引き止めてくる前に、そそくさと玄関口へ。

 しかし、待ち構えていたかのようにちょうどその先のトイレから出てくる香織さん。

 僕の様子を見てすぐ察したらしい。


「帰るんだ。ふーん」

「あ、ああ、はい、今日はどうも……」

「うん。じゃね」


 特に引き止めることもなく、表情も変えずにあっさり一言。

 どうやらまた、失望させてしまったか。でもやっぱりしょうがない、これが僕の限界なんだから。

 それに第一、香織さんの意に沿うように、僕が動かなければならないなんて決まりもないんだ。

 僕は逃げるようにして伊織の家を後にした。

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