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「な、えっ、み、水樹?」
僕の姿を見てあわてふためく伊織。
伊織はパジャマのままマンガ片手にベッドの上に寝転がっていたが、ぱっと上半身を起こしていずまいを正した。
……あんな格好と体勢でよく香織さんに反論してたなあ。
やはり伊織は家にいるのは香織さんだけだと思っていたようで、急な第三者の出現に面食らっている。
ただテンパり具合で言えば、なぜここにいるのかいまだにわかっていない僕も負けてはいない。
今伊織とはとにかく気まずい感じなので、一対一で会うよりはまだマシか。
「お、お邪魔してます……」
伊織は無言で本当に邪魔といわんばかりの一瞥を返した後、なんでこいつ入れたの的な恨みのこもった視線を香織さんに浴びせる。
もうそれだけで機嫌が悪いというのがわかる。
しかし香織さんはそんな圧力を受けようがどこ吹く風で、腕を組んで立ったまま伊織を見下ろしている。
「それで、誰とデートだって?」
「別にデートってわけじゃ……。だいいち、そこの人は関係ないから」
どうも、そこの人です。
直接僕に対しては特に言葉をかける気はないようだ。
「やっぱ水樹君は違うの。じゃ誰に誘われてるって?」
「えー……? 中学時代の先輩。学校で声かけられて、牧野さんもこの学校入ったんだねみたいな話をして。その人は女の人だけど、他に男の先輩もいて一緒にってことになって」
「ふ~ん……その男がその女に伊織を紹介しろみたいな話?」
「え、それは……わからないけどたぶん」
香織さんはそれ以上特に追求はしなかったが、どこか腑に落ちないような顔をした。
「水樹君、本当っぽいけどどうする?」
「え、そう言われても……」
僕にどうするって言われてもどうしようもないんですが。
どういう流れなのかよくわからないけど、伊織ぐらいかわいければそうやって声をかけられてって言うのは全然ありえるだろう。
そういえばこの前もラブレターをもらったという話をしてたけど、あれも本当だとすると純粋にすごいな。
もしかしてそれと一緒の人かな? いや、あれはやっぱもらってないとかって言ってたんだっけ? 忘れた。
二宮さんにはなんか冴えないとか言われてたけど、あれも半分女子目線のやっかみみたいなところもあるのかもしれないし、やっぱ伊織はモテるんだな。
ブサイク同士お似合いかもとか思っていた僕のなんと恥ずかしいことか。
僕の煮えきらない反応にしびれを切らしたのか、香織さんは自分で自分の質問に答えた。
「いいわ、じゃああたしが代わりに今日水樹君とデートするわ」
「え?」
マジすか。
いやマジすか。
いいわ、って僕何も言ってないですけど。
「いいでしょう伊織?」
香織さんは僕ではなくベッドに座りなおしてマンガを読み始めた伊織に向かって言った。
伊織はマンガから目を離すことなくめんどくさそうに答える。
「……なにが? なんで私に聞くの」
「ああ、それもそうよね」
それでなんで僕には聞かないんですかねえ……。
これはあれか、ペットと散歩に行くみたいなノリか。
いやペットと散歩するときでも、お散歩行く? とかって聞く人は聞くだろう。
このまま何も言われなかった場合、ペット≧僕ということになるわけだが。
「ところで伊織、その髪どうしたの?」
と、ところで? 僕に了承を求めるのかと思いきやまさかの次の話題?
この重要案件がすでに確定事項に。僕のペット以下も確定に。
「ああこれ? いろいろめんどくさいから切った」
僕もついさっき気づいたのだけど、伊織の髪がだいぶ短くなっている。
これまでが結構な長さだったので、この状況の僕でもさすがに気づく。
ただ短くなったとはいえ、肩にぎりぎりつく程度の長さはある。今までが長過ぎたので特別ショートというわけではない。
「そりゃそうよ。そんな長い髪なんていまどき美少女ゲームのメインヒロインでもしないわ」
「いいでしょ別に。人の勝手でしょ」
「それ切ったってことはなんかあったのよね。どうせしょうもないことでしょうけど」
それについては触れたくないといわんばかりに黙り込む伊織。
知らん顔をしてマンガを読んでいるポーズをとってはいるが、表情がこわばっていて煽りが効いているのがはた目にもわかる。
そういえば去年、たまたま学校の帰り道に行きあって久しぶりに長話したときだっけか。
伊織にどんな髪形がかわいいのかなって聞かれて、いやそんなん知らんがなと思いつつ適当にそのとき好きだったアニメキャラの髪型言ったら、伸ばし始めたような。
そのときも今よりすでに長かったし、伸ばした後もぶっちゃけそこまで似合っているというわけでもなくてコメントしづらかった。
もしかして僕の好みに合わせようとしてくれていた……? いや、たまたまか。
好みに合わせたというか、一意見として聞いただけで、そういうのもありかと自分でそう思っただけかもしれないし。
「あ、あーでもそれって昔の伊織はそんな髪型だったよね。伊織はやっぱそれが似合うね。懐かしいっていうか……」
なんで切ったのかってそんなこと知る由もないけど、それでもなんとなく罪悪感を感じた僕は、とりあえずフォローを入れる。
でも案外、今言ったのはフォローというより本心だ。
伊織は一瞬ちらっと僕のほうを見たが、それだけだった。
おそらく何かしら僕の言葉に噛み付いてやろうと思っていたのかもしれないが、それが予想と違ったので反応に困ったというとこか。
「よかったわねー伊織ちゃん」
「あー、うるさいうるさい」
そしてさらに香織さんに追いうちされて決まりが悪そうにしている。
それで満足したのか、香織さんはぐるっと部屋を見回した後、
「じゃあたし荷物とか片付けて出かける準備してくるから。伊織はこの汚い部屋ちゃんと掃除しなさいよ」
部屋入り口付近に棒立ちしている僕を押しのけて、すれ違いざま僕の腰の辺りを軽く叩いていった。
なにそのファイト、みたいなのは……。もう面倒は見ないとか言ってたくせに。
そんなもの僕に言わせてもらえば余計なお世話……でもないのかなあ。すべて自力で伊織との関係を修復するのは至難の業としか言いようがないし。
残された僕は、一度改めて伊織の部屋を見回してみる。
香織さんの言うとおり汚い。なんか汚いとしか言いようがない。
テーブルの上にはお菓子のゴミが散乱していて空のペットボトルが転がっているし、床にはマンガが積まれてたり雑誌がぶんながっていてよく見ると教科書とかノートも混じっている。
それにベッドの上に服がまるまって置いてあったり靴下が脱ぎっぱなしだったり。
男だったらまだしも、女子の部屋でコレは……。
僕としてはとりあえず部屋かわいいねとかって言おうと思っていたけど、これを見てそれもどうかと思う。
かといって二人きりになってこのかた無言が続くのはきつい。
「あぁー、こ、この部屋……久しぶりで、なんか、い、いいっすねえ~」
沈黙に耐えられなくなった僕は、謎の共感を口にしていた。
肝心の伊織は聞こえてないのか無反応なのか、微動だにせず同じポジションに陣取ったままマンガを広げている。
しかも心なしかマンガで顔を隠すように壁を作っている気もする。
うーん早くも積んだ。
これは仲のいい友達がいなくなってあまり仲よくない友達と残されたときみたいなアレだ。
それまでしゃべってたのにしゃべらなくなってしまうという、気まずいパターンの上位に入ってくるやつ。
まあ本当なら仲がよくないわけではないんだけどね。
というか同年代の女子の中で伊織ほど気楽に、普通に話せる相手はいない。はずだった。
だけどおかしいだろう、伊織の中身は何も変わってないはずなのに、それだけで会話ができなくなってしまうというのは。
今までどおり普通に接すればいいんだ。何もビビることはない。
僕は今度こそ声をかけるタイミングをはかろうと、ちらっと伊織の様子を伺う。
すると、なぜかマンガを見ていたはずの伊織とバッチリ視線があった。
すぐに視線は落とされてしまったが、今の一瞬、向こうもちょうど目線だけ上げてこっちを盗み見た、ということだ。
今のは……、なんかいい。伊織のしまった、みたいな感じのしぐさが。今のだけでドキっとしてしまった。
かわいい。さすが僕の妹認定されただけのことはある。
くそ、これだけ散らかっていればパンツの一枚や二枚落ちていてもおかしくは……って誰だお前やめろ。
変なやつが出てこないうちにどうにかしたいところだけど、なにをどうすればいいのかさっぱりだ。
でも会話がないことにはどうしようもない。
とりあえず、このまま立っていても仕方ないので座ろう。
僕は一歩、二歩、雑誌をまたいで三歩目のところ、テーブルをはさんで伊織と向かい合う位置に座った。
伊織は特に何も反応なし。下手に動くとなんか言われるかと思ったので、かなりの前進だ。
ここまではよかったものの、ただ、話題がなんもない。それだけならいいんだけど、やはり雰囲気が重い。
その一因は僕にあるんだろうけど、謝ってどうこうという話でもない気がする。
とにかくなんでもいいから適当に話を……。
「い、いやぁ~参ったねえ~香織さんには」
ホントそうよね、なんつって返してくることもなく、伊織はこっちに目もくれずマンガを読んでいる。
いや、マンガ読んでますのスタンスをとっているけど実は読んでいないんじゃないかという疑惑が僕の中で浮上している。
僕としゃべりたくないがために。
そこでふと、僕は意外なところで話題を発見した。
「……あ、ああそれ、伊織の今その読んでるやつ、前に泉に読まされたなあ。新しいの出たんだ」
伊織が読んでいたのは有名どころの少女マンガだった。伊織が今手に持っているのは最新刊か。
僕は妹たちの影響で、実は結構少女マンガも読んでいる。
どうせまた無視かなと、ダメもとでややひとり言っぽく口にしたのだが、
「うそマジで? これ面白くない?」
「え? あ、ああ、うん」
普通に食い気味に返してきたのでこっちがちょっと引き気味になった。
よほどお気に入りなのか、うってかわってフレンドリーに話しかけてくる。
「特にさぁ、このユキって子がウケるんだよね。でもやっぱあの……」
とそこまで言いかけて伊織は急に真顔に戻り、マンガをバンと閉じてぽいっと脇にほうった。
我に返ったらしい。
表情こそむすっとしているが、ちょっと恥ずかしそうにしている。
それを隠すように、さっきとは別人のように低いトーンで口を開いた。
「……なんでうちにいんの?」




