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「ちょっと待って、あの…………僕って」


 そこまで言いかけて言葉に詰まる。

 ここまでは他人のことだったのである程度冷静に話ができていたが、やはり自分のこととなるとそうはいかない。

 立ち上がりかけた父さんが、驚いた様子で僕の顔を見て動きを止める。

 頭の切れる父さんのことだ。この流れからいって、僕が何を言いかけたのかみなまで言わずとも察してくれたみたいだ。


「まさかお前……」


 昼間、ナッツァーンの猛攻をしのいだ後のことだ。

 限界の膀胱で公園のトイレにかけこんで、用を足して、手を洗って。

 そして普段なら鏡なんて見ないんだけど、ふと気になってちらっと鏡を見て。

 僕は思わず「えっ」と一人で声をあげてしまっていた。

 ……自分の顔に、不快感がない。

 あの嫌な感じが、きれいさっぱり消えていた。

 このときまさかとは思っていたが……、妹たちのあれと同じ、そのまさかだった。

 その後僕はこれまで五秒と直視したくなかった顔を、鏡ごしに見たまま五分ほどぼーっと立ちつくしていた。


「そんなことになってたとはなあ~。もともとこっちとしては妹の顔を見たら萎えるぐらいのつもりだったが、これはこれでなかなか面白い発見だ」

「発見とか、そんな悠長な話じゃないでしょ!」

「だってお前言わないんだもん」

「そんなこといちいち言わないよ! 僕ってブサイクになったよねとか言うわけないでしょ! それにしょっちゅう仕事でいなくなるくせに!」

「妙におとなしくなってきたなとは思っていたが……まあでも、お前は調子乗りすぎだったから丁度いいんじゃないか」

 

 今思い返すとのたうち回りそうな言動をしていたのは確かではあるけど……。

 さすがにこれはそう簡単に納得できる問題ではない。

 なんせその張本人でさえも予想外のことが起きていたのだ。


「ちょうどいいってそんな……」

「あら、また水樹ったらブサイクだのなんだの言ってるの?」


 このタイミングで母親がまた入ってきた。

 今度こそ洗い物が終わったらしく話に混ざりたくてしょうがないらしい。


「そうそう聞いてくれ母さん、水樹が急に自分の顔が気に入らないとか言い出して」

「あ! ちょっとなにを……」

「また新手の反抗? なにが嫌なのかしらねえ、水樹かわいいわよぉ。昔はそれこそよくかわいいかわいい言ってたけど、男の子だしそういう年じゃないかと思ってめっきり言わなくなっちゃったものね。それですねちゃったの?」

「いやちげえし、全然ちげえし」

「こらなにその口のきき方は」


 そりゃここであまりにも的外れなことを言われると僕ですら本当に反抗期っぽくもなる。


「今はアレかしら? イケメンとか言われたほうがうれしいのかしら。よっ、このイケメン!」


 うーんこれはうざいぞ。全然ほめられている感じがしない。


「急にそんなの言われてもね、実感がないというか……」


 昨日駅周辺まで遠征して駅近くの大きいトイレに入ったときも、鏡の前でまた「おっ」と声を上げそうになった。

 思わず鏡に映った自分と背後に映った他人を見比べてしまったり。しかしどうも自分の顔の違和感がすごいので冷静に比較なんてできなかったが。

 とりあえずイケメンかどうかとかそういう話は置いておいて、不快感がなくなっただけで僕には十分すぎるぐらいすばらしいことだ。


「うーん、イケてるわよねえ、大樹さん」

「まあ俺の息子だから当然だな、見た目だけはな」

「見た目だけって……。そりゃあ自分の顔が不快なら中身もすさんでくるでしょう」

「わかってるって、それは悪かったと思うけど、どうもお前の話を聞くと俺の暗示というよりかお前自身の思い込みのほうの影響が大きかったようにも思うが」

「だからもともとの原因は!」

「まあまあ落ち着け。とりあえず鏡に向かってお前は超イケメンって言い続けてみるのはどうだ」

「それ頭おかしい人じゃん」

「バカ、コレほんとに効果あるんだぞ? じゃあ、三週間で身も心も美しくなって自信強化っていう自己催眠プログラムがあるがどうだ?」

「いやもうそういうのはいいから!」


 はっきり言ってうさんくさいとしかいいようがない。

 今回この件で僕の中の父さんへの信頼度が下がったのは言うまでもない。

 だけどこれ以上ここで父さんに文句を言ったところでもうどうしようもないことも確かだ。

 僕自身、必要以上に思い込みと言うか、自分を貶めていって泥沼にはまっていたフシもなきにしもあらずだし。

 それに実のところ今の気分はというと決して悪くはない。むしろいいほうだ。なにしろ自分の顔をまともに見れるようになったのだから。

 ただそうとなると今度はこれまでの出来事でいくつも頭にひっかかることがでてきてしまうのだが……、もう疲れた。

 今日はこれ以上細かいことを考えるのはやめて、早めに寝て休もう。

 僕はさらに続く父さんの自己啓発談義を聞き流しながら、そんなことを考えていた。


 ◆ ◇


 その翌日の朝。

 昨日、いろいろと問題が解決したこともあり、寝つき、目覚めともにとてもよかった。

 もちろん悩みの種は他にいくらでもあるけど、ここのところ頭を悩ませていた謎だけは解けた。

 本当になにがなんだかわからない状態が続いていたからなあ……。

 といっても、僕がブサイクではないことに気がついた(気がついたというのも変だけど)からといっていきなり何かが変わるわけでもなく。

 周りの人にとっては、そんなこと知ったことではない。


 起きて部屋を出て、ぼやっとしている頭を覚ますため洗面台で顔を洗った。

 いつもならここで、というか今日も無意識に鏡を避けていこうとしたが、ふと思い出し鏡をのぞきこんでみる。

 昨日もさんざん見たのだが、それを除くとこうしてまじまじと顔を見つめるのはもう久しくないことだった。

 そしてこれも昨日見たとき思ったのだが、やっぱり兄妹なんだな、顔のパーツのあちこちに妹たちの面影がある。

 ちょっと角度をつけてみたり、表情を変えてみたりと無心になって鏡と格闘していると、鏡越しに視線を感じた。

 あわてて振り返る。

 背後にはパジャマ姿の雫が無言のまま立っていた。珍しいものでも見たような顔。

 確かに僕がこうして鏡を見ている姿なんていつぶりなんだろう。

 

「あ、お、おはよう」


 なにかものすごい恥ずかしい所を見られた気がして、ごまかすようにあいさつをしてみる。

 雫はあいさつを返す代わりに小さくうなずいてそれに答えた。まだまだ絶賛不機嫌中なのか、それっきり僕の顔からやや下のほうに視線を外す。

 僕と同じで起きたばかりなのだろう。これは洗面台使うからどけよっていうことなのかね。

 ここでなにかご機嫌を伺う一言がいるかと思ったけど、僕は昨日父さんと話したとおり、あせって関係を修復する必要もないというスタンスに決めたのでそのまま邪魔にならないようどこうとする。

 すると意外にも雫のほうから声をかけてきた。

 

「き、昨日は……」

「ん?」

「あ、ありがと」


 一瞬耳を疑った。

 が、どうやら幻聴ではないらしい。

 照れくさいのか雫の顔はあさっての方角を向いたままではあるが、本当に小さい声で、ありがとう、と言った。確かに。

 これは……、なんというすさまじい破壊力。今ので眠気がすっかり吹き飛んだ。

 朝イチの低いテンションのときだからまだ落ち着いているけど、本来なら心の中で「イエス! イエス!」と外人バリに叫んでただろう。

 やっぱそもそもが僕が悪いんじゃないんだよ。妹がかわいすぎるから悪いんだよ。

 そりゃ親にガチで警戒されて暗示とかかけられちゃうぐらいのシスコンにだってなるよ。

 ああ、惜しむらくは今の一言、録音しておきたかった。そしてプレーヤーに入れて持ち歩きたかった。

 いやCDに焼いて売ったら売れるな。僕が買う。

 ただのありがとうではない、あの恥ずかしがっている感じが雫にしてみてはかなりレアな一言なわけで。

 これ相当課金しないと出てこないやつだぞ。

 

 しかしお礼を言われるなんて夢にも思ってなかったから、いや妄想では思ってたけど、とにかく実際には想定外だ。

 ここでどう対応するかなんだけど、言ってみれば僕はもうブサイクではない、そうイケメンなわけだから(と信じたい)、ここはイケメンらしくクールにいきたいところだ。

 でもイケメンてこんなときなんて返すんだろう。

 多分イケメンは無意識に人を助けちゃうみたいなところがあるから、そんなこと全然身に覚えがない感じを出したほうがいいのかも。

 とすると、「ん? なんのこと?」とかがいいのかな。

 

 いやいや待て。僕のこの場合、昨日は彼女とデートとかって大嘘ぶっこいたわけだから、それを覚えてないとかただの虚言ブサイク野郎になってしまう。

 あ、ブサイクは関係ないか。

 ということは……「いや別に?」とかそのへんか?

 でもなんかこれもキザっぽいな。もうちょっとこうさわやかな感じに……。

 うーん。考えつかん。ここでこうして不自然な間が空いてしまっている今この時にも、徐々にイケメンから遠ざかっている。

 イケメンはとにかく間がすごいんだよ。つっこみとか返しも早いし。これほんと重要。

 間にせかされた僕は、その時点で頭に浮かんだ第一候補を口走った。

   

「い、いいってことよ」


 ……江戸っ子か。僕の中でイケメンって江戸っ子のことなのか。


「……あ、うん」


 江戸っ子で返されたらまあそんな感じになるわな。

 僕は変な空気になったのをなんとかしようと、戸惑っている雫に無理やり質問をした。


「あっと、でも、なんで僕に彼女がいるとかそんなウソついてたの?」

「……あ、あれは、その……ね? いろいろめんどくさいかと思って。ほかの友達にも、お兄さんってどうなのみたいにけっこう聞かれるから……」

「そ、そう……」

 

 なんか妙によそよそしくなってしまう僕。

 正直なにがどうめんどくさいのかもよくわかってない。

 僕の事を結構聞かれるとか、大体こんなブサイクのことなんてどうでもいいだろう。

 ……あ、別にブサイクではないんだっけ。 

 あれ、となると……。

 

「で、なつみと連絡取ったの?」

「え、それは……」

「知ってるよ。あいつ、連絡先交換したとかぬかしてたから」


 あいつって言うな。

 まったく、前からそんな扱いなのか、今回の件でそうなったのか……。

 連絡先といえば、交換したというか一方的に渡されただけだけど、これ、決して忘れていたわけじゃない。

 ていうかどうするかめちゃくちゃ迷っていた。

 あやふやになってしまったが、今になって思うとあれは罰ゲームではなくマジなやつだったのか……?

 もしやこれはフラグが立っているどころか、もうすさまじい勢いでそそり立っているのでは……?

 とかなんとかやっていたが、そこは安定の僕なので、結局何も連絡はしていない。

 でもあれって、もし今度会ったりしたらめちゃくちゃ気まずいような。

 こっちの連絡先は教えないってことになるし。

 

「えーっと……、してないんだけど、やっぱしたほうがいいかな?」

「しなくていいに決まってるじゃん」


 決まってるのか……。

 本当にそんな気がしてしまうぐらいあまりにも当然のように言われた。


「大体なつみなんて昔から眼中にないでしょ?」

 

 なつみちゃんか……。ちょっとおっかないところもあるけど、普通にかわいいとは思う。

 それに昨日のトイレでの出来事、あの時はヤバイという感情しか浮かばかなったが、あの映像は今思い返すと正直かなりぐっと来るものがある。

 あんなもん即右クリックで画像を保存余裕ですわ。


「えー、まあ……」

「ないでしょ?」


 僕のにぶい反応が気に入らなかったのか、やや強めの口調で二回目の念押しを重ねてきた。

 ここでそんな断言もしづらいので、なんとか話をすり替えようと試みる。

 

「いや、ていうか……なつみちゃん? のなにがそんなに気に入らないの」

「なんか、むかつくから」

「さ、さようで……」

 

 それ言われたらなんも言えないよね。

 もっとオブラートにつつむとかそういう妥協は一切しないようだ。


「だから、なつみなんかムシしとけばいいの」

「だから、と言われてもね……」

「で、なつみはそれでいいとして、おとといの女ってなんなの」


 おとといの女……とは、まあ、二宮さんのことだろうな。

 これはその時にも聞かれて、ただのクラスメイトって答えたような。

 実際そうとしか答えようがないし。


「だから、あれはただのクラスメイト……」

「ただのクラスメイトを家に連れてきたりしなくない?」

「……じゃあ、と、友達? になるのかな?」

「友達なんてめったに連れてこないよね?」


 なんだこれは、じゃあ僕は一体誰を連れてくればいいんだ。

  

「ましてや女の友達とか……」


 めちゃくちゃ疑いのまなざしを向けてくる。

 いくつもの偶然が重なったとはいえ、僕の部屋に女子が訪れたのは、そして短い間だが二人きりになったのは奇跡だ。

 

「でもあれ、はっきり言ってブスだよね」


 さすがの辛口。

 しかし、ブスしか言うことないんかい。


「いや、そんなことはないと思うけど……」

「なに? 好きなの?」

「え、いやそういうわけでは……」


 いきなり極端だなあ。

 雫は僕とケンカをしているのをすっかり忘れているのか、かなり食い気味に質問を重ねてくる。

 というかこれはもう普通にしゃべっていると言える。話す内容にやや問題はあるが。

 ただ僕にしてみると、この状況はちょっとよろしくない。

 僕はあのブス発言からの仲たがいを利用して、このまましばらくは妹たちとは距離を置くと決めたばかりなのだ。

 やはりその判断は正解だと思う。

 なんせさっきのありがとう発言でさえ早くも我を失いそうになったのだから。

 これ以上会話しているだけでもなにか危険な香りがする。ここはボロが出ないうちに、わざと突き放してさっさと切り上げよう。

 

「まあ、あまり関係ないことでしょう、雫には……。じ、じゃ」


 どうぞ、と洗面台を譲るようにして雫とすれ違おうとする。

 

「あ、ま、待って!」

「は、はい?」


 慌てて呼び止められた。

 なんかこの前までと完全に立場が逆になっているような……。

 無視するわけにもいかず立ち止まる。


「そっ、それでね……えっと、」


 雫はその先がよほど言いづらいのか、何度かためらうようなそぶりをして体をもぞもぞさせた。

 一体なんだ。かわいい。何を言うつもりなんだ。かわいい。なにか嫌な予感がする。かわいい。


「昨日の、そういうこともあったし、そろそろ、ゆ、ゆるしてあげようかな~、なんて……」

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