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両親はやはり車でお出かけ、雫は自転車がないのでたぶん部活か友達と出かけたか。
今この家には、二階の自室にこもった泉と、リビングのソファーに寝転んでぼけっとテレビを眺めている僕しかいない。
しかし頭の中を支配しているのはテレビの内容ではなく、さっきの泉のことだ。
本当におかしい。泉が、なぜあんなにかわいいんだ。夢か、幻か。
やっぱりまだ体調がよくないのかもしれないな。もう一眠りしたほうがいいのかも。
そうして全く眠くもないのに無理やり目を閉じる。
やはり寝るどころか軽く興奮気味でとうてい眠れそうにない。
とそのとき不意に声が頭の中にこだまする。
――妹の顔を見る、と……不快になる……となるように……、暗示をかけるのはもうやめて……
これは……父さんの声か? そうだ、昨日の夜父さんがいつものように話を始めてそれで……。
暗示って、まさかそういう風に暗示をかけたって言うのか……?
いやでも妹の顔を見ると不快になるのは、二人の顔が直視に耐えられないぐらいブサイクだからであって……ってあれ?
違うさっきは普通にかわいくて……、ということは本当に……? でもなんでそんなことを……?
――昔から……心配になるぐらい仲が良かったから……いつ間違いが起こるか……
そ、そりゃ昔は……うぐぅ、反論できない。なんなんだこの声は。
しかしもし本当に……そうだとすると、いろいろつじつまが合うような……? いや、待てよ……、
その時テーブルの上においてある僕の携帯が振動した。
その音でふと我に返った僕は、体を起こし携帯に手を伸ばす。
どうせ母さんあたりが今晩勝手に食べてねとかって連絡だろうと思ったが、着信の相手は櫻井だった。
一応アドレスのわかる櫻井と二宮さんには「本日は申し訳ありませんでした」と丁寧に謝罪メールを送ってはおいたのだけど……。
画面を見ながら一瞬戸惑ったあと通話ボタンを押す。
『よう、どうだ調子は』
てっきりキレてるかと思ったら落ち着いた普通の口調。
意外にも僕を心配して電話をくれたらしい。
「うん、全然大丈夫。ほんと、朝起きた時はヤバかったんだけどさ……」
うれしかったので思わず声も弾む。
こんなんだったら多少無理しても行くべきだったかな、今ホントになんともないからなあ。
「いや~ごめんほんとに。でも今はよくなったから心配はいらないよ」
『あっそ。じゃ今からお前ん家行くから』
「ファっ!?」
い、いきなりなにを言ってるんだこの男は。
「なっ、なんで?」
『いやほら、お見舞いにさ』
「いやいやいいから、だから全然もう大丈夫だし、お見舞いなんてそんな……。大体今って遊んでる最中じゃないの?」
『それもうさっき解散した。ていうかさ、今バス乗ってて、実はもうそこまで来てるんだわ。でもよく考えたらお前の家どこだか知らないから、今からバス停の辺りまで迎えに来いよ。もうなんともないんだろ?』
「えっ、でも……」
『じゃあヨロシク。電話代もったいないから切るわ』
と、そこで反論する前に電話を切られた。有無を言わせないこのやり方。
しかももうそこまで来てるとかなんとか……。なんで、なにが目的なんだ一体。
そもそもまだ四時だしいくらなんでも解散するの早くないか……? もしや女の子をほっぽりだして僕のところに来る……? そんなばかな。
無視してもどうせまた電話かかってくるだろうし、もう全然大丈夫とか言ってしまった手前、不調を理由に断ることもできない。
くそ、あの男やはり策士……まあ僕が勝手に白状したんだけど。
いやいや待て待て、そんな、なにも友達が家に遊びに来るってだけだろう、そこまで身構える事もないのではないかな。数年ぶりレベルだけども。……ははは。
ただ気がかりなのは泉が……、泉が部屋でおとなしくしていてくれればいいのだが……とてつもなく嫌な予感がする。
しかし家に上がるまでは確定したわけではないし、その辺で適当にお茶を濁して追い返すことも不可能ではないはず。
僕はなにかうまい案はないかと考えをめぐらせながら、着替えを済ませてバス停へと迎えに出た。
◆ ◇
「水樹くんってほんとホモだよねー」
再び家に向かう道すがら、背後からとげとげしい恨めしげな文句が飛んでくる。
迎えにいったバス停で待っていたのは二つの人影。
てっきりやってきたのは櫻井一人だと思っていたら、約一名とんでもないおまけがついてきていた。
そのおまけ、二宮さんを後ろに、隣に並んで歩く櫻井に耳打ちする。
「えーと……なんで、いるの?」
「……なんでっつーか、元はと言えば弥生ちゃんが言い出したことだし」
「……そ、そうなんだ。で、なんで不機嫌なの?」
「そりゃあドタキャン野郎が出たからだろうな。今日一日微妙な感じだったが、ここに来ていっそうご機嫌斜めだ」
それでわざわざ僕をいびりに……? ドタキャンってこんなに根に持たれるものなの?
不機嫌オーラが凄まじく後ろに視線を向けられない。
そのまま櫻井とひそひそと話を続ける。
「四人で駅前ブラブラして飯食ったあとカラオケ行ったんだが、異様なまでに盛り上がらなくてな……。さっさと解散する流れになっちまった。解散というか別行動というか。まあ二人きりになれて結果的にお前はよくやったと言うとこだ。これで不機嫌じゃなければ最高だったんだが、まあいいとっとけ」
そう言って櫻井は僕の手に飴玉を二つ握らせてきた。こいついっつも飴玉持ち歩いてるんだろうか……。
するとすかさず後ろから野次が飛んでくる。
「ねー聞いてんの? 言ってるそばからそうやって二人でイチャイチャしてるしー」
櫻井がなんとか弁解しろとばつが悪そうな顔で目配せをしてくる。こいつもかなり辟易してるらしい。
「体調不良とかいって、普通に元気そうだし~。ホントは来たくなかったんじゃないの~?」
たしかにあまり行きたくはなかったけども。
それを正直に言ったらとてもヤバイことぐらい僕にでも分かる。
「ご、ごめん起きた時は、ほんとにどうしても無理で……」
「どうせつくならもうちょっとひねったウソつけばいいのに」
「い、いやウソじゃないって!」
期せずウソつき呼ばわりされた僕は、強く否定すると同時にその勢いでくるりと後ろを振り返った。
思いっきり二宮さんと目が合う。
「うわっ!」
と僕は声を上げてあわてて回れ右をする。
い、今のは……本当にあのブス宮、いや二宮さん?
泉のときと似たような変な感覚が……、また例の暗示? いやまさか、彼女は妹でもなんでもないし……?
第一暗示だなんだって、まだそうと決まったわけじゃない。
もしやこれは、学校以外で会うとなぜかかわいく見えるという謎法則が発動しているということなのか?
私服を着ているから? 軽く化粧をしているっぽいからか?
不機嫌オーラがすさまじいので顔を直視しないようにしていたのだが……。
「なにそれ、なんなの人の顔見てそのリアクション!」
今のでいっそう機嫌を損ねてしまったようだ。
そりゃそうだ、見るなり仰天して顔をそむけるなんて。
すぐ横で櫻井もお前なにしてんだよ……と言わんばかりの呆れた顔を向けてくる。
これはいかん、フォローだ、全力でフォローだ。
「いやあの、今日はいつもと印象がちがくてビックリしちゃって……」
「なぁに? ぶつぶつ聞こえない! どこ見て言ってんの? おいっ」
ばしんと背中を叩かれた。
それはもちろん前方の地面に置いてある石ですが。なかなかいい光沢を放っているもんで。
おいおい本当にこのまま家に来たらどうなる……とネガティブシュミレートをする間もなく、もう自宅は目の前。
「え、えーと今のは……、あっ、そこだよ僕の家」
僕は流れをごまかすようにして家を指差した。
すかさず櫻井もそれに便乗する。
「お、おおー、なかなかいい家住んでるじゃねえか……、まあ俺ん家のほうがちょっとでかいかな、はは……」
背後の一人は無言。
それを気にしてか櫻井もやけにおとなしい。これはものすごく微妙な雰囲気。
やばい、もうここでなんとかしないとなし崩し的に家に……。
追い詰められた僕は勇気を振り絞り、底抜けに明るい声を出した。
「は、はーい、じゃそういうわけで今日はご苦労様でした」
『おいおいそりゃねえだろここまで来て~』
『うふふ、なにそれ~』
「な、なんちゃって、はは……。でも僕の家行ってもしょうがないし、向こうにあるファミレスでも行かない?」
『まあ、それもそうだな。確かにしょうもないしな』
『あ! あたしパフェ食べた~い。よし、今日はそれでチャラにしてあげよー』
「はは、まあそれぐらいなら……」
はは、ちょろいもんだぜ。全て僕の計画通り。
これで全てが丸く収まる。僕のコミュ力も捨てたもんじゃないな。
「おい、なにつっ立ってんだよ早くしろよ」
「え? あ……」
その声ではっと我に返ると、数歩先で二人がこっちを振り返っていた。
あれ? さっきのあのフレンドリーな感じは……。
「ねえ、なんかブツブツ言ってたけど大丈夫なの?」
「だ、大丈夫大丈夫、あいつたまに一人でブツブツやってんじゃん、発作だよ発作」
聞こえる、聞こえるぞ二人の会話が。今度のはやけにリアルに。
本当はわかってたよ。僕が底抜けに明るい声を出すなんてのがとんでもない叙述トリックだ。
妄想が暴走していたらしい。そのくせ自分のセリフだけは口にしているという、はたから見たら超危険な人じゃないか……。
そしてついに玄関の前まで来てしまった。
もう半ばあきらめた僕は、二人の先に立って玄関のドアのとってに手をかける。
しかしこれ家に上げたところでなにもないし……、できれば丁重にお帰りいただきたいんだけど。
「……ほ、ホントに上がってくの?」
「当たり前だろ、わざわざここまで来て「いい。あたしやっぱ帰る」
「「は?」」
僕と櫻井が同時にマヌケな声を出した。
こいつとこれほどまでにシンクロする日がこんな早く来るとは思わなかった。
しばし硬直したあと、あさってのほうを向く二宮さんに櫻井が声をかける。
「そ、それはないでしょう……そもそも弥生ちゃんが行くって言ったんじゃ……、おいお前も引きとめろよ!」
いやいや帰りたいならぜひお帰り願いたいんですけど……。
しかしそれを正直に言ったらとてもヤバイ以下略。
「ま、まあ、せっかく来たんだしね……。ち、ちょっとなら……」
なんで僕がこんな事を……。
でも元をたどれば僕がドタキャンしてしまったのが悪いわけだからな……。
「だってなんか、歓迎されてないみたいだし?」
ああ、そう感じますか。おっしゃる通りですけど、逆になんで歓迎されると思いました?
そんな半グレの態度で。
「……おい、お前はやく歓迎しろよ」
また櫻井が耳打ちしてくる。
どんなフリだよ。
「う、ウエルカム、ようこそ……」
「ふん」
二宮姫に鼻で笑われてそっぽ向かれました。
同じ意味だろそれってつっこめよ櫻井のやつめ。
普段他の人だったら絶対拾うくせに、僕に対してはとことん冷たいよな、厳しいというか。
「てかやっぱここまで来たんだしさ、もう行くしかないっしょ!」
流れ無視でいきなり櫻井が僕の手をつかんで取っ手に手を乗せ、その上から自分の手を乗せてドアを開けた。
結局強硬手段に出やがった。開けて入ってしまえばこっちのものだといわんばかりに。
「あっ!」
僕があっ、と声を上げる前に櫻井に先を越された。
なんでこいつがいきなり驚いて……。
櫻井の視線は三分の一ほど開いたドアの先。ゴキブリでも玄関にいたのか? まさかね……。
観念した僕はもう少しドアを開けると、櫻井の横から家の中を覗き込む。




