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雫はなにを言われたのかわからない、という顔で固まった。
……あれ、これもしかしてヤバイ? いやでもこのぐらい、アリでしょ? それとももっとオブラートに包むべきだったか……?
そりゃ多少の反発は覚悟してたけど……、「お兄ちゃんひどーい、そんな、ここであえて言うことないでしょ~」ぐらいに言ってもらって僕もそれで満足のはずだったのに。
……いや、よく考えたらそんなリアクションもおかしいな。あえてって……。
僕がどうしようか迷っていると、硬直していた雫の体が小刻みに震えだした。
そしてみるみるうちに顔が赤くなって……。
あ! やっぱこれダメだ噴火するぞ、早くフォローを!
「あ、ち、違う違う、ブ、ブスとまではいかないけど、かわいいかかわいくないかで言うと、かわいい部類じゃない……」
「お、……お兄ちゃんの」
雫はそこで息を吸い込みながら、僕の顔に向かって大きく目を見開き、
「ばかぁぁぁああああああっっ!!!!」
家中に響き渡りそうな大音量で叫んだ。
僕はとっさに耳を押さえてすくみあがってしまう。
「もうやだ! 雫がまじめに話してたのにそうやってふざけて!! 信じらんない!!」
さらに追いうちをかけるキンキンとした高音が、僕の耳をつんざく。
雫はそう怒鳴り散らすと、ずんずんとおおまたで部屋を出ていこうとした。
「ち、ちょっと待っ……」
僕はあわてて雫の背中を追う。
僕の制止を無視した雫が乱暴にドアノブを引くと、部屋のすぐ前に泉が立っていた。
おそらく雫のばかでかい声が聞こえて、何事かとやってきたんだろう。
「し、しずくちゃん?」
「あっ、泉ちょっと聞いてよ! お兄ちゃんひどいんだよ!」
雫が泉の腕にかじりついて泣きつく。
そんな姉を泉は優しく受け止めた。
「ど、どうしたの?」
「あのね、お兄ちゃんがね、雫のことブスだって!」
「えっ、そんな……」
驚きの表情を見せる泉。
まずい、これは二人から集中非難を受ける……かと思いきや、泉はふっと軽く口の端をつり上げて薄笑いを浮かべた。
「……はっ、ざまあ」
「な、なんだとぉ!」
「あらごめんなさい、わたしったらつい……。でも兄さんに言われたんでしょ? あ~あ、もう終わりですね」
「ち、違うもん! 雫は……」
泉は勝ち誇った顔で、今にも食らいつきそうな雫の肩にぽんと手を置いた。
「しずくちゃん? この期に及んで見苦しいですよ?」
「な、なんだよぉ泉のくせに!」
「あのすみません、ちょっとブスの人はどいててください」
泉はぐいっと雫の頭を横に押しのけて部屋に入ってきた。
見えたわけではないが、よほどすごい力だったのか雫はバランスを崩してびたんと通路の床に転がったようだ。
自分の姉をそんな……、なんという雑な扱い方だ。
そして僕の前に立った泉は、両手を祈るようにして胸の前で組み、キラキラした目でこちらを見上げてきた。
「兄さん、やっぱりわたしを選んでくれたんですね」
「な、なんでそうなるんだよ、だから違くて……」
「直接わたしに言えなかったんですよね? わかってます、兄さんすっかり恥ずかしがり屋さんになっちゃったこと。昨日の夜だって本当は、泉の部屋の前まで来たんだけど恥ずかしくなって引き返したんですよね?」
炸裂する超解釈。
恥ずかしがりやというか、僕はただ理性ある人間に成長しただけだ。
「ち、違うって、今雫に言ったのは単純に確認を……」
「違くないですよ、つまりしずくちゃん……、いえ、そこのブスなんかじゃなくて、わたしのほうがかわいいってことですもんね」
「いや、そこのブスっていうかお前もブスじゃん」
「そうそう、わたしもブスで………………え?」
……あ。
つい流れでさらりと言ってしまった。
泉の顔が一瞬にして凍りつく。
口を半開きにしたまま微動だにせず、完全に体が石化した。
そのあまりに見事な凍結っぷりが不気味て、軽く恐怖を覚えた僕は思わず絶句してしまう。
そして、時の流れが止まった。
◆ ◇
夕食はまるでお通夜だった。
雫も泉もひたすら無言で箸を動かしては食べ物を口に運んでいる。
食卓はテレビの音と、かちゃかちゃと食器がぶつかる音しかしない。
あとは母さんが一人能天気にテレビを見ながら、ときおりうふふふっと笑い声を漏らすぐらい。
あの後僕は何度か弁解を試みたが無視。ひたすら無視。二人とも、僕に視線をくれようともしない。
まさか僕がちょっとブスとか言ったぐらいでこんな風になってしまうなんて、完全に想定外だ。
「うるさいよこのブス」「なによそっちこそブサイクのくせに」みたいなやりとりならどこの兄妹でもやってそうなもんだと思ったんだけどなあ。
とにかく今はもうなにを言っても無駄だろうから、ちょっと落ち着くまでこれ以上刺激しない方が良さそうだ。
きっと明日になれば元通り……、とまではいかないかもしれないけど、いくぶんマシになるはず。
「ごちそうさま」
雫、泉の順に早々に夕食を終え、二人はさっさと二階に上がり自分の部屋に行ってしまった。
残されたのは僕と母さんの二人。
「今日はなんだか二人とも機嫌が悪いみたいねぇ」
テレビがCMに入ると、思い出したように母さんが口を開いた。
さすがにそのぐらいは察していたか。
「さっきなんか二階で騒いでたみたいだけど、水樹なんかあったの? ケンカ?」
「うるさいなぁ、なんでもないよ」
どうせなに言っても父さんが父さんがってなるくせに。
母さんの無神経な物言いに、普段の細かな恨みも重なり僕は相当イライラしていた。
「あら、水樹、反抗期? いいのよ、どんどん反抗しなさい。パパが反抗期があるっていうのは信頼されてる証だって言ってたから」
ほらまた父さんだ。
別に反抗とか、この人にしてもしょうもない。
いや待てよ。ここはいっそ反抗期を装って日ごろの鬱憤を晴らしてやろうか。
「なにか言いたい事があるなら言ってみなさい?」
「……ふーん、じゃなに言ってもいいの?」
「もちろんいいわよぉ」
このほわほわっとした笑顔。これがまた腹立つ。
なんでもいいってことは、もうあれしかないよな。
なかばヤケになっていた僕は、まったくためらうことなく暴言を吐いた。
「今までずっと黙ってたけどさ、母さんってブスだよね」
母さんが微笑を浮かべたまま固まった。
僕はおかまいなしに、立て続けに口を開く。
「僕らみんな母さんによく似てるって言われるけど、そうすると母さんってハイブリッドなブサイクだよね」
「は、はいぶりっど……?」
母さんはよくわかっていないようで、笑顔を維持したまま目だけぱちぱちさせている。
これだけ言ったらさすがにぶち切れるかと思ったけど、さすがにそこは母親、年の功。あくまで微笑を崩さない。
「何を言い出すかと思ったらそんなこと……」
「あれ、怒らないの?」
「うふふ、言ったでしょ? なに言ってもいいって。ただしパパの前でも同じ事言ったら」
「言ったら?」
「殺す」
母さんは最後までそのとても美しい笑顔を絶やさなかった。
夕食を終えた僕は食器の後片付けもそこそこに、美人の母さんを一人置いて自室に引っ込んだ。




