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 ガチガチ歩きのまま、僕は軽く意味のない遠回りをした後若菜さんの席の前に立った。

 すると、本に落ちていた若菜さんの目線がかすかに上がる。

 不審者扱いされる前に僕はすかさずあらかじめ用意しておいたワード、「何の本読んでるの?」をごく自然な感じで口に出した。


「な、何の本おんどぅるの?」


 いきなり舌が暴走した。

 オンドゥルってなんだよ何語だよ。何をする動詞だよ。


「えっ、あっ……」


 急に目の前に現れた謎の言語を操る男に驚いたのか、若菜さんは本から顔を上げうろたえながら言葉にならない声を発する。

 どうやら僕の存在を認識してはくれたようで、何らかのリアクションを返すつもりはあるようだ。

 よかった、無視されないで。本を読んだままシカトされたら泣いてたかも。

 

「こ、これは……あの、し、小説です」


 彼女は眼鏡の奥の瞳を宙に泳がせながら、小さな声でつぶやくように答えた。

 信じられないことに僕の質問は伝わっていたようだ。


「そ、そうなんだ……」


 会話終了。

 緊張で頭がまわらないし言葉も出てこない。

 近くで見ると彼女の目鼻立ちは思った以上に整っていた。ふちのついたメガネがよく似合っていて、さらに気後れしてしまう。


 それに気のせいか周りから視線をあびてる気が……。

 若菜さんに話しかけるやつなんて珍しいからみんな注目してるんじゃないか……?

 と、得意の被害妄想が始まってしまって思考停止に拍車がかかる。

 小説だ。小説らしい。彼女は小説を読んでいた。うん、もうそれで十分。満足した。


「あっあの……」


 小説を読んでいるという、そんなもん見ればわかる情報だけを得て逃げ帰ろうとした僕に、意外にも彼女の方から声がかけられた。


「は、はい?」

「し、失礼かとは思いますが……、ええと、さっき他の人が話してるのが聞こえたんですけど、長瀬さんってその……本当に、ホ……」

「……ほ?」 

「いっ、いえなんでもないです!」


 若菜さんはさっと顔を伏せて、体を縮こまらせた。

 

 あえてとぼけてみせたけど……、絶対「ホモなんですか」って言おうとしたよね今……。

 なんてことだ……。まさかこんなところにまで僕の雷名がとどろきわたっているなんて……。

 いや別に雷名ではないんだけど、完全に事実無根なんだけど……、でも、なんかホモだと思われてるって考えたらなぜか気が楽になってきた。

 というかいろいろどうでもよくなってきた。

 

「え、えーと……それ、小説って……どんな話の?」

「……えっ、こ、これですか! えと、な、なんか恥ずかしいですね……、たいした内容じゃないので説明するのもアレなんですが」

「なんていうタイトル?」

「た、タイトルですか? ……あ、あのー、どんなの読んでるか知られるって、結構恥ずかしいものですね……」


 若菜さんはいつのまにか本を閉じて、大切そうに胸元に抱えている。

 そうやって恥ずかしがっている姿はとてもかわいらしかった。


 恥ずかしがり屋で人付き合いが苦手な文学少女っていうのがやっぱり当たってたな。

 きっとこうやって男子としゃべったりすることもあんまりないんだろう。

 ホモになって開き直った僕は、さらに調子に乗って追いうちをかけた。


「そう? 別に恥ずかしくはないでしょ? もしかしたら僕も知ってるヤツかもしれないし」

「そ、そうですかね……」


 彼女はためらうように視線を右往左往させていたが、観念したのか花柄の模様がついたブックカバーを外した。

 そうしてあらわになった表紙には漫画調のイラスト、やけに丸っこい字体のタイトル。


 『男の子同士だって問題ありません! ~男の子になっちゃったワタシの場合~』

 

「ってこれ本当に恥ずかしい本じゃん!」

「あ、読んだ事ありました?」

「あるか! なんてもの見せてくれるんだ!」

「だ、だってしつこく聞いてくるから……」

「いやそこまでしつこくなかったでしょ、まだ粘れたよね!? ていうかここは絶対に拒否するとこでしょ! かたくなに拒絶して欲しかったよ!」

「な、長瀬さんなら別に大丈夫かなって思って……」

「同類だと思ったってか! 『男の子同士だって問題ありません!』じゃないよ問題あるわ!」

「そ、そんな怒らないで下さいよ」


 ……はっ、いかん僕としたことが取り乱してしまった。

 落ち着け落ち着け……、なにをそんな興奮してるんだ、なにも怒る事ないじゃないか。

 女子が昼休みにBL本を読むぐらい別に普通だろう……。

 普通……。あれやっぱ普通じゃないのかな……? よくわからなくなってきた。


「き、きみは学校でいつもこんな本を……」

「ご、誤解しないで下さいね、私だっていつもこんなのばっかり読んでるわけじゃないですよ?」

「……あ、ああ~、だよね。今日はたま~たま、ほんの気まぐれで、いや何かの間違いでそういう本だったわけだ。あ、あるよね~、そういうときに限って事が起こるなんて」

「ほんとそうですよ、普段はBLじゃなくてもっぱら百合ですから。あ、それはそうと私、小説書いたりもするんですけど、今度長瀬さんをモチーフにしたものを……長瀬さんが実は女の子だったみたいな設定でですね……」



 ◆  ◇




「なんかえらく楽しそうに話してたじゃん。どうだった?」

「うん、変態だった」


 あの後も若菜さんにさんざん妄想を聞かされた。

 恥ずかしがり屋どころかいったん話し出したら止まらなかったので、強引に切り上げて席に戻ってきてしまった。

 さっきの話は忘れよう。そしてあの人にはもう関わらないようにしよう。


「は? なんだよそれ……、おい、なんかあいつちらちらこっち見てんぞ……めっちゃメガネ光ってるし」

「いや、あっち見ないほうがいいよ」

「おいどんだけだよ……。なんか知らんが合わなかったみたいだな。でもおまえら結構注目されてたぞ。あのホモ王子が自分から女子に……? みたいな空気を感じたね」

「だからもうホモ言うのは絶対やめてくれって……。……あれ、富田君は?」

「さあ? さっき教室出てったけど便所行ったんじゃね?」


 富田君に彼女の事を話すべきか……、いや、ここは夢を壊さないでおいてあげよう。

 僕は窓側に背中を向けて再び二宮さんの席に着席した。


「これでもう満足したでしょ?」

「うーん、まあ……、ただまだ腑に落ちないことがある。牧野伊織……」

「が、どうしたって」

「オレ昨日初めて至近距離で見たわ。思わず二度見、いや三度見しちまった。あれはヤバイ」

「……確かにあれはヤバイけど、でもそういうのあんまり言うなよ」

「はあ? なんでだよ。でさ、長瀬水樹くんとの関係は? ってふざけて聞こうかと思ったけどそんな雰囲気じゃなかったわ。たぶんオレがいきなり話しかけたら、睨みつけられて無視されて終わると思う」

「いやそんなことないと思うけどな……」


 とは言ったけど、伊織って確かにそういうところあるかもな……。急に不機嫌になったりするし。

 でも今はかなり外面はいいはず。まあ昔はちょっとアレで、男子からしょっちゅうちょっかい出されるからうざいうざい言ってたっけな。


「あれは相当性格キツそうだな。まああんだけかわいけりゃそうなるのも無理ないか」

「は? 誰がかわいいって……」


 ああ、さっきヤバイってそういう意味か。

 しかし……、ちょっと前までなら即座に否定してたその言葉だけど、今はなんだか僕もよくわからなくなって言いよどんでしまった。

 もう一回伊織に直接会って、間近で見ればはっきりする気がするんだけど……。

 でも会いたくないような、それをやったらなにかが変わってしまいそうな恐怖みたいなものが。


 櫻井は僕の言わんとした事を読み取ったらしく、あからさまに不機嫌な顔になった。


「お前さあ……。弥生ちゃんの事もそうだけど、なんでそのへんだけおかしいわけ? なんか個人的な恨みでもあんのか? まー好みっていうのがあるのかもしれんがどうもねー」


 櫻井が机の上の弁当を片付けて立ち上がった。

 その時ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴る。


「弥生ちゃんがダメってなると……、ってことはお前、雫ちゃんのこともかわいくないとか思ってんの? あ、むしろあれか、妹に似てるからイヤだってことか」


 と櫻井に勝手な解釈をされるが、何も言い返すことができない。

 そうか、やっぱり雫に似ているから……? でもなんでそもそも僕は雫のことを……と考え込んでいると。


「どーん!」


 いきなり誰かに両手で背中を押された。

 振り向くと二宮さんがにっこりしながら後ろに立っていた。

 

「お客さん、終点ですよ」

「あ、ご、ごめん」

 

 あわてて立ち退く。

 そうだった、ここは僕の席じゃないんだった。


「ねえねえ、さっき若菜さんと何話してたの?」

「……見てたんだ」

「だって珍しいじゃん。長瀬くんから女子のところに行くなんて。それになんかすごい楽しそうにしてたし。あたしのときと全然違う」

「い、いや楽しくはなかったよ、断じて。うん、全然楽しくない」

「そうやって~ウソ。あ~あ、あたし嫌われてるのかなぁ……」

「べ、別にそんな、嫌ってるってわけじゃないよ」

「……じゃ好き?」

「……えっ?」


 二宮さんは上目遣いでこちらを見つめてくる。


 な、なんだいきなり、公衆の面前で。

 うん、とか軽く言っちゃったらヤバイやつじゃないのかこれ。

 しかも……普通にすごくかわいいじゃないか。 あれ? なんだ?

 

「なーんちゃって。いま意識した? 意識した?」

「しっ、してないよ!」

「おおっとキョドってますよぉ。いつもの三割増しでキョドってます」

「き、キョドってないし!」

「赤くなっちゃってかわい~」


 こっ、この女……。

 初めてですよ……ここまで私をコケにしたおバカさんは。

 やっぱ違う、かわいくない。急にイライラしてきた。

 この腹立つ顔で憎たらしさが倍増だ。


「おいこらこら、そこなにイチャついてんだよ! おじさんも混ぜなさい!」


 こちらに気がついた櫻井が僕を押しのけて間に入ってきた。

 よかった、助かった。

 さっきみたいな心臓に悪いやつより櫻井のいじりのほうがまだマシだ。

 

 しかし今のは……、まるっきり昨日の妹達と同じ感覚じゃないのか……?

 一体なんなんだろうこの奇妙な現象は。

 櫻井の言うとおり僕が……おかしいのだろうか。でもなんでこんな……?

 

 すぐ隣で始まった二人の会話。またなにか櫻井がバカな事を吹き込んでいるのだろう。

 しかしすでにこの謎の違和感に思考をとらわれていた僕は、ただその声を上の空で聞き流していた。

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