18
「しかし見事に広まったな」
「櫻井さんよ、アンタさすがにやりすぎっしょ」
富田君が弁当箱を片手に、つぶらな瞳でなじるような視線を櫻井に向けた。
一方の櫻井は、机に片肘をつきながら箸をゆっくり動かし弁当をつついている。
昼休みになり僕が購買でパンを買って教室に戻ってくると、すでにこんな状態だった。
僕の席は櫻井によって占領されていて、僕が近づくなり櫻井は「そこあいてるじゃん」と言って隣の二宮さんの席を指差した。
「いやそこ僕の席だし、お前がこっち座れよ」とかやりだすと「なにそんな小っせえこと気にしてんの? うっわ小さいわー。マジ小さいわー」とか返してくるに違いないので仕方なしに二宮さんの席に座った。
今教室内に二宮さんの姿は見えないから、食堂にでも行ったのかもしれない。
本当は女子の席に勝手に座るようなことはしたくなんだけど……、まあ来たらさっとどけばいいだけだ。
いや、でもスマートにできるかどうか……と内心ビクビクしていた。
ていうかコイツ、なんで勝手に僕のところに……。実は櫻井って友達いないのかもしれないな。
一人でいるときはわりとおとなしい、というかヒマさえあればひたすらスマホをいじっている。
このクラスの男子は大人しめなのが多いから微妙に浮いてるんだよね。どっかのグループに所属しているというわけでもないし。
あ、もしかしてここで変なグループができてしまっているのか……。
なんだかんだ言ってこの二人は仲良さそうに見えなくもないし。
と僕はパンをほおばりながら二人のやり取りを眺める。
「いや、オレもほんの冗談のつもりで言ってたんだぜ? たった四、五人だし。どんだけここの女子ホモ好きなんだよ」
僕の知らないところで、クラスの女子に長瀬ホモ疑惑が広まっているらしい。最悪だ。
昨日は櫻井が絡んでこなくなったと思ったら、密かにそんな事を吹聴して回っていたようだ。
「にしてもどこからホモっていう発想が出たん?」
「そりゃお前昨日の……」
櫻井がちらっとこちらに視線を送ってくる。
そんな風にやられても、僕にはなんも身に覚えがない。
「なんだよ、昨日のって」
「い、いやあ昨日ね。そう、そういえば昨日、お前らが言ってたアニメ、弥生ちゃんも知ってるとなると押さえておくべきだろって思ってさ。ちょっとスマホで調べたんだが、なんかけっこう話題になったヤツなのな」
露骨に話題をそらされた。
「富田さんよ、あんたどうせDVDとか持ってるんだろ? とりあえず一式貸してくれよ」
「円盤とかバイトもしてない高校生にそうそう買えないから。俺今はとりあえずレンタルで済ましてるし。ていうかお前ってアニメとかそういうの見るん?」
「いや全然見ねえけど、ネットとかゲームとか基本的にそういうの禁止だったから」
「うわマジかよ、今どきそんなヤツいんの?」
「親が異常に厳しいんだよ。オレ一人っ子だし。高校上がる時になってやっと携帯買ってもらえてさ、ネットちょー面白えんだけど」
「……櫻井ってもしかして高校デビューなん?」
「ん? なにそれどういうイミよ?」
「……いや、なんでもね」
「なんだよググっちゃうよ? なんでもわかんだかんな。……あっ、やべもう電池ねえじゃん!」
そうして櫻井がしぶしぶスマホをいじるのをあきらめた時、
「あー、座られてるー」
教室の入り口付近で大きな声がかかった。
二宮さんが女子数人と一緒に教室に戻ってきたのだ。
しまった、飲み物を買いに行っていただけだったのか。
「ご、ごめんすぐどくから」
「うん? 別に座ってていいよ?」
「こいつ弥生ちゃんの椅子まだあったかいなりぃとか言ってたよ」
「言ってないから!」
櫻井のヤツ……。
もしかしてこれがやりたいがために僕をこの席にけしかけたんじゃないだろうな。
「いえいえ、王子に使っていただけてあたしの椅子ちゃんも光栄でございます」
二宮さんはわざとらしくおじぎをすると、そのまま自分の席を素通りして他の女子と一緒に別の席に固まり始めた。
やっぱり彼女は……、苦手だ。
あの顔がなんか……腹立つ。いや腹が立つって言うのとは違うのかな、なんとも言い表しようのない感覚。
昨日の朝まではそんなことなかったのに。雫に似てるって思い始めてから急におかしく……。
するとそこで女子が去ったのを確認した富田君がぼそっとこぼした。
「あの女……、やはりあざとい」
「はあ? なにがだよ、かわいいだろ。あざといのはお前の顔だろ?」
「富田君の言うとおり確かにあれはあざとい。いや、あざといを超えて憎たらしい」
そう僕が口を出すと、櫻井が目を細めてこちらに顔を向けてきた。
「うーわ、出た出た」
……しまった。完全に余計な事を口走った。今なんであんなこと言ってしまったんだろう。
こういう陰口みたいのは普段絶対言わないようにしてるのに。
富田君が僕と似たような感想を漏らしたものだから、ついうれしくなってしまって……。
「あ、いや今のはちが……」
「弥生ちゃんのことといい、あの牧野伊織のことといい、納得いったわ。ガチのやつなんだろ? そうなんだろ? このホモ野郎!」
やたらヒートアップする櫻井を、富田君がなだめる。
「お、落ち着けよ櫻井、ホモに親でも殺されたか?」
「ああ、わりい取り乱した……、けどこいつにガチで女装されたらイケちまう気がして怖いんだよ」
「そりゃ怖ーわ。俺はお前の発言が一番怖いわ」
富田君のおかげで櫻井もどうにか落ち着いたようだ。
やっぱりいらないこと言うもんじゃないな。
「とにかく、僕はそういうのじゃないから」
「じゃあホモじゃないって証明してみろ」
「し、証明もなにも……」
「そうだな……、今気になってる子の名前言ってみろ。女子、の名前だからな。男子じゃねえぞ。もしそんなん言われた日にはブリザードが吹き荒れて死人が出るからな。それと、また二次元に逃げられないように、このクラスの女子限定で」
昨日よりさらにハードルが上がってしまった。
困るんだよなあ、下手にそういうの言ったら絶対こいつ言い触らしそうでイヤだ。
ここはなんとか冗談っぽくかわして……。
「……いきなりクラスの気になってる子言えって、修学旅行の夜かよ」
「うるせえ、くだらねえこと言ってないで早く言え」
ダメだった。
これきっと二宮さんあたりが同じこと言ったらアホみたいにマジウケル~とかってやってるはず。
僕のときは超真顔で返しやがって。
「だ、だいいち気になってる子とかって別にいないし」
「じゃかわいいと思う子でいいから」
それってあんまり変わんなくないか?
しかしこれはもうさすがにごまかしようがない。完全無視という手もあるがそれだとまたホモ扱いされそうだ。
仕方ない、ここは適当に……。候補としては三人ぐらいいるんだけど、これもあえて挙げるならこの辺かなという程度。
観念した僕は、万一にも周りに聞こえないようできるだけ声をひそめる。
「えーと、た、たとえば……伊藤さんとか」
審議中。
「伊藤~? まあ~、なぁ。いいけど……、化粧でかなり盛ってる感はあるよな。ああいうタイプがいいわけ? オレとは好みが合わないな」
なにか気に入らないみたいだが、割と受け入れられたっぽい。
ていうか声でかい! と注意しようとすると、
「櫻井~、今なんかあたしの名前聞こえた気がしたんだけど~?」
こういうときに限って近くにいてご本人を召喚してしまう。
短いスカートを翻して伊藤さんがこちらに近寄ってきた。
ウチの校則はそんなきつくないらしいけど、それでもまずアウトだろうなというぐらいの茶髪に化粧。
やっぱりかなり目立つ。
「い、いや~なんか長瀬がお前のことかわいいって言うからさ」
「おい、ちょっと!」
やっぱり言いやがったこいつ!
「うん知ってる~。あたし超かわいいし~、キャハハハ。てゆうかなにいきなり~、ウケるんだけど」
ものっすごいこっちをジロジロ見られている。
これは……ヤバイ。とても目を合わせられない。普通の女子でもきついのに、かわいい子となると余計だ。
「エ~、でもやっぱ長瀬ってキョドっててキモいし、あり得なくない? つかあたし彼氏いるしー。ま、そのキモい感じどうにかしたら考えてやらなくなくもないかも」
キャハハハっと盛大に笑うと、伊藤さんは女子グループの輪に戻り談笑を始めた。
そしてまたすぐに耳につく笑い声が聞こえてくる。
あれきっと今のネタにされてるな……。
さすがに悪いと思ったのか、櫻井が困惑した笑い顔をこちらに向けてきた。
「は、はは……な、なんか悪かったな。悪気はなかったんだよ、いい方向に行くかと思って」
「……いいんだよわかってるよ。僕が挙動不審の根暗なキモオタだってことぐらい」
「いや誰もそこまで言ってないだろ……」
そもそも僕みたいなのにかわいいって言われたところで、うわキモッで終わりだろうに。
僕と櫻井が黙ってしまうと、富田君がややふくよかな体を揺らしてうなる。
「……しかしあんなのが同じ学校っていうのが驚きですわ。あれでも頭のデキは同じくらいってのは自分が情けなくなるね」
「まあオレもアレは苦手だなー。つか言っとくけど、オレこの学校は第一希望第二希望も落ちた後の滑り止めだかんな」
「またまたご冗談を」
「マジだって。まあ~だけどあれをお姫様に選ぶとは、王子のシュミもたいがいだな」
「いやだから、今のはあくまで見た目だけっていう話で」
今のは読みを誤った。
ああいう系こそ櫻井が好きそうだと思ったのに。
「うわでたよ、そうやってまた。じゃいいよ、総合得点一位を発表してもらおうか」
「そうやって僕ばっかり言わせてずるくない?」
「だってオレ弥生ちゃん一択だし。じゃ富田」
「俺そういうのパス。のちのち禍根が残るから。まあ俺の主観という意味ではなく、あくまで客観的に見た意見というのであれば、ここは若菜さんを推しておこう」
「ごちゃごちゃ言ってっけど思いっきり主観だろ。……ていうかそれ誰?」
「あっ、そうそう。実は僕も若菜さんって言おうとしてた……」
「うわずりー、汚いなお前。そういうの卑怯だわ~。……だからそれ誰だよ」
「ほら、あの窓際の席のメガネかけた」
窓際の後ろから三番目、若菜さんの席へと目線を向ける。
昼休みの喧騒の中、彼女はいつものように一人静かに読書をしていた。
ショートヘアの黒髪に日の光が当たって、白いうなじが襟元からのぞいている。
櫻井は僕の目線をたどった後、しばらく彼女を観察していたがやがて納得の声を上げた。
「あれかぁ……。存在感がなさ過ぎて全然眼中になかったわ。あんま顔よく見えないけど、まあ確かに悪くはなさそうだな。あーなるほどね、ああいうおとなしそうなのって、いかにもオタクが好きそうだもんな」
そう言うと思った。
恥ずかしがり屋で人付き合いが苦手な文学少女、もしくは他人に無関心な無口キャラってアニメとかにもよくいるもんな。
彼女がどっちなのかはわからないけど、いずれにせよかなり雰囲気はある。
「よし、じゃあお前話かけて来いよ」
「は? なんで、イヤだよ」
若菜さんにはこれまで当然話しかけたこともないし話しかけられたこともない。
というかそもそも彼女が誰かとしゃべっているところをほとんど見たことがない。
「だいたいな、お前がもうちょっと女子と話さないのが悪いんだよ。そらホモ言われても仕方ないわ。だからここで女子に話しかけに行けばみんなも、『ああ、やっぱりホモじゃなかったんだ』ってなるだろ」
「やっぱりも何もないからね」
「まあ両方いけるって思われるかもしれないけどな」
「最悪だ!」
「まそれは冗談だから、とりあえず行って来いよ。なに読んでんの~とかって行けば楽勝じゃん。今お前行かなかったらお前のあだ名ヘタレホモ王子にすっからな」
くそ、なんで僕がこんな目に……。
でも確かに女子のこと露骨に避けまくってるからなあ。最低限はコミュニケーションできるようにならないとこの先つらいかもしれない。
若菜さんなら、いきなりいじってくることもないだろうし大丈夫かも……多分だけど。
「わ、わかったよ行けばいいんだろ、行けば」
と僕は強がってみせて立ち上がったはいいが、すでに軽く足が震えている。
富田君が「え、マジで行くの?」みたいな顔でこっちを見ていて早くも後悔しかけたが、櫻井の手前今さら後には引けない。
結局僕はおぼつかない足取りで若菜さんの席に近づいていった。