10
翌朝。
今日も妹たちとひと悶着やった伊織と共にバス停まで歩く。
実は今、なんとなく気まずい。
朝から何かあったというわけではなく、僕が勝手に気まずくなってるだけなんだけど。
なぜかというと、昨日の朝櫻井にお前ら付き合ってんだろとかなんとか言われたせいだ。変に意識してしまっている。
家を出てから特に会話もなく、お互い無言。
これぐらいの間はいつもだってあるけど、今日はその間がヤケに長く感じられる。
落ち着け、平常心だ。相手はあの伊織だぞ。ブサイクの伊織だ。
いやでも、もしかしたらブサイク同士、僕たちってけっこうお似合いなんじゃ……。
ああ、だけどブサイク度で言ったら僕のほうが上かもな……、やっぱ伊織はイヤだろうな……。
なんて事を考えていると余計ドツボにはまってきた。
ついに沈黙に耐えられなくなった僕は、無理やり適当な言葉を吐き出した。
「き、今日はいい天気だね……」
「はあ? なにそれ」
なにそれって……。
確かに伊織にこんなわざとらしい発言したことないけど、「そうね、いい天気ね」ぐらい返すのが普通でしょ。
ああ、やっぱりあれだ。今日あの日だ。周期的に来る、伊織が特に理由もなく不機嫌な日。
さっきも家の前でつっかかってきた雫の胸倉をつかみそうになってたし。
僕は密かにこれをブスがさらに加速する「ブーストの日」と呼んでいる。
ブーストモード・伊織。行動パターンが変化し、攻撃力・暴力性が増す。かなりの強敵だ。
しかしこんなこと考えてるのがバレたらマジで殺されるだろうな。
伊織は歩きながらふぅ、とわざと僕に聞こえるようにため息をついた後、ダルそうに口を開いた。
「あぁ~あ、にしてもつまんないわね~ほんと」
「な、何が?」
「高校生になったらなんか変わるかと思ったけど全然だし」
「あ、ああ~、今ちょうど学校も落ち着いてきてみると案外拍子抜けだったり?」
適当にうまく話をつないだつもりが、一拍置いて返ってきたのは完全にあきれ返った声。
「……バカ? あんたのこと言ってるのよ?」
「え、それはどういう……」
「べっつに~……」
伊織はそこでまた黙りこんだ。
自分で振ってきて人をけなした挙句、投げっぱなしにするというドSっぷり。
「な、なんだよ気になるな、教えてよ、せめてヒントだけでも」
伊織が「なにあんたも黙ってんのよ、もっと食いついてきなさいよ」的な雰囲気をかもし出してくるので、仕方なく話題をひっぱる。
僕も櫻井のことドMとか言えないなこれじゃ。
「ヒント~? そうね~、じゃあなんか面白い事言ったら教えてあげる」
「い、いやそんないきなり無茶振りされても……」
「チッ」
これみよがしに舌打ちされた。
えっ、僕なんか悪いことした? この人本当に怖いんですけど。
僕は早々に来るべき対話をあきらめ、そのまま無言で歩き続ける事にした。
漂う謎の緊張感。
しかししばらくそうしていると、本当は言いたかったのか伊織の方から勝手にしゃべりだした。
「……あー、例えば昨日の事とかさぁ、あの後一日考えてみてなんか思ったこととかないわけ?」
一日考えて……?
僕は昨日のことに関してはあの後すぐ思考停止したから思ったこともなにもないんだけど。
なんだ? これ、何を言えばいいんだ? 虚言癖が前よりよくなったねとか言えばいいのか?
僕が言葉に詰まっていると、伊織が「早くなんとか言いなさいよ」という顔でちら、とこちらに視線を送ってきた。
目が合ったのは切れ長の二重に大きな黒い瞳。
その瞬間、はっ、と息が止まりそうになった。
なんだ今の……? 伊織って……こんなにかわいかったっけ……?
いや伊織はいつも通りだ。それは間違いない。でも今一瞬確かに……。
それにこれは……、この違和感は昨日妹たちに感じたものと似ている。
しかもそれよりはるかに強烈なもの。
いや、そんなわけない。あの伊織がかわいいだなんて、僕はいったい何を血迷ったことを。
伊織はブスのはずだ。それも超がつくほどの。そうでないとおかしい。
そうだ、伊織はブサイク、伊織はブサイク……。
「……伊織はブサイク」
「は? あんた今なんつった?」
「えっ」
しまった! まさか今の、声に出してた!?
一日考えてみて思ったことが伊織はブサイク、だなんてことになったら……。
「いやっ、違う今のは喉の調子が……」
「伊織は超ブスとか言わなかった?」
「いや言ってないよ! それは断じて言ってない! むしろなんでそんなこと僕が言うと思ったか逆に聞きたい!」
「なんかあんたからそういうオーラを感じたんだけど」
伊織の第六感恐るべし。
僕のうろたえように、伊織は疑わしそうな目でじっとこっちを見ている。
これはシャレにならない、ただでさえヤバイのに今日はブーストモードだぞ?
ここは取り急ぎ話題をすりかえないと……。
でもどうすれば……。
あっ、そうだ!
「あ、そ、それ! や、やっぱその髪型いいね」
「な、なによいきなり。……昨日は微妙な反応したくせに」
伊織の口調は相変わらず固い。
しかし僕は死に物狂いで全力の観察力を発揮し、その頬がかすかに緩んだのを見逃さなかった。
大丈夫だ、これは効いてる。
伊織の髪型は昨日と同じポニーテールだった。
昨日も髪型に言及したらうれしそうにしていたし、とりあえず頭をほめとけば機嫌が取れるみたいだ。
そこに気づいた僕はやっぱり冴えてる。ふっ、ブースト伊織恐るるに足らず。
調子づいてもう一声かけてみる。
「その髪飾りもかわいいね」
「髪飾り? そんなのつけてないわよ」
「え、だって……」
あっ、違うあれは……。
よく見ると伊織の頭に引っ付いていたのは、するめいかのゲソだった。
なんだあれ……、なんであんなのつけてるんだ……? やっぱ美的感覚がイカレてるのか……?
僕は吹き出すのも忘れ真剣に心配になったが、すぐに原因が思い当たった。
あ、そうか、あれはまた雫の仕業か。さっきやりあってた時に……。にしてもいつの間に。
僕が言いよどんだのを見て、何か気づいたのか伊織は僕の視線の先に手をやりすぐに異物をとりのぞいた。
ゲソをつかんだ自分の手を見下ろす伊織の体が、わなわなと怒りで震えている。
「あ、あの小娘……! 今度こそ絶対シメる!」
そう言って伊織はするめいかを噛みちぎった。
また食ってるし……。
「それから水樹……」
「はい?」
「こんなのがかわいいとか、さっきから適当なこと言ってんじゃないでしょうね?」
「いやあ、あはは……」
もう笑うしかないよね。
「笑ってんじゃないわよ!」
「いたっ!」
伊織は僕の左足ふくろはぎを思いっきり蹴り飛ばした。
すかさず僕は追撃をためらわせるため、おおげさに足を押さえて地面にうずくまる。
伊織はこっち見下ろしてふん、と鼻を鳴らすと、そのまま僕を置いて先に行ってしまった。
ふう、なんとかやりすごした。これこそが対ブースト伊織用の奥義。めっちゃ痛いことには変わりないけど。
でもこの程度で済んでよかった。
と僕は伊織の後姿を見てこっそり安堵していた。