2 選択
顔を上げ、目を開くと世界は真っ白だった。何もない世界。そんなところに俺はいた。先ほどまでしがみついていたはずの唯の姿も見えない。身体の感覚もあやふやだ。
―――ここは・・・?
『この子を助けたいですか?』
頭に響く女性の声、とても澄んだ声で心地よい。だが、その余韻に浸る間もなく、叫ぶように声を上げた。
―――助けてくれっ!
『この子の命の灯は消えかかっています』
―――っ
『この子は、もう、この世界で生きていくことはできません。ですが、私の世界ならそれも可能です』
―――助けてくれっ!娘が助かるなら俺はどうなっても構わないから!
頭で考えた言葉ではなく、心の声を高らかに叫ぶ。唯がまた元気になってくれるなら、俺自身は本当にどうなってもいい。結果的に唯を悲しませることになるかもしれないが、それでも強く思った。
『貴方も一緒です。この子を助けますが、貴方は私の世界で“貴方ができること”をなさってください』
―――俺にできること?
『そうです。それが何かは、貴方が私の世界で考えてください』
―――そんなことで・・・
そんなことでいいのか?ようやく頭が働いてきた。しかし、娘を助ける代償が“俺にできること”をするって・・・。
『これは選択です。このままこの世界で貴方は生きていくこともできます。この子は諦めていただかなくてはなりませんが』
ようやく働き始めた頭が、また、この一言で停止した。
―――唯を助けてくれっ!
思いのままに叫ぶ。今の望みは、唯一の望みはそれだけだから。
『・・・・・わかりました。思いは強いようですね』
その言葉に安堵した。これで唯は助かるんだ。何の保証もないにもかかわらず、そう思った。
幸いというか、唯以外の身内と呼べる存在がいないので、唯が一緒のようだし、この世界に心残りはない。職場の仲間もいることはいるのだが、唯の命と引き換えと言われればそうも言ってられない。
そういえば、このところ幸の墓参り行ってないな。まぁ、幸も理解してくれるだろう。唯のためなんだから。墓前に報告できなくて悪いが、仕方ないだろう。
―――それにしても、あなたの世界?
『そうです。こことは別の世界。人が生きる別の世界です』
―――俺ができること?
高校を中退して大衆食堂で働いただけの俺には、できることなんてほとんどないと言っていい。強いてあげるとすれば、料理ぐらいか。仕事でやってたからな。料理人の端くれとして、人並み以上にできることと言えばそれくらいか。異世界で料理屋でも開くか。異世界にもこの世界のような食材ってあるのかな。まぁ、人が生きる世界だから大丈夫か。
『1年後、貴方が何をなさったか確認しましょう』
つらつらと思考に浸っていると、また、頭に声が響いてきた。
そうだ、これは代償・・・。唯の命と引き換えなんだ。適当に考えていいものじゃないんだ。俺ができることを必死に考えないと。
しかし、もし俺が代償を支払えないと唯はどうなるのだろう?引き換えは唯の命。まさか・・・
―――もしも、もしもだ、俺が、その、何もできなかったら?
『・・・・・すべては無かったことになります。今この時点に戻り、この世界で貴方は生き続け、この子の命はここで失われます』
―――っ
やはり、そういうことなのか。身体の感覚がないのに、冷や汗が流れたような感じがする。
考えろ、俺にできること。何ができる?これまで唯に何もしてやれなかったんだ。今、唯の父親として俺にできることを考えるんだ。
―――なぁ、幸。俺って何ができるんだろうな。唯の命がかかっているのに、何もできないのか?
―――なぁ、唯。パパは何ができるかな。唯に何もできなかった俺にもできることがあるかな。
『先ほども言いましたが、何ができるかは私の世界を見て、考えてはいかがでしょうか?』
―――ごもっともです。
示すべき相手に助けられてしまった。ガックリと気を落とす俺に、
『そろそろ時間になります。よろしいですか』
―――ああ。唯を、唯を助けてくれ。
『わかりました』
その言葉とともに真っ白なだけだったこの世界に強い光が差し込む。眩い光に無意識に目を閉じてしまう。
そのあと少し間があった。目を瞑ったままでも、強い光を感じる。
再び、女性の声が響く。
『・・・・・選択はなされました。・・・ようこそ、我が“ディオネシア”へ・・・』
その言葉を最後に俺は意識を失った。
『尊さん、楽しみにしていますね』
尊にそんな言葉が届いていたのだが、意識のない尊は聞くことができなかった。