19 異世界の調理事情
その後、隣人の付き合いだとか言って、ディスケスさんとお酒―――といっても赤ワインのようだが―――を酌み交わした。テティスは自分の部屋に引き揚げたのだろうか、居間にはいない。フレイアさんは、お酒を飲まずにつき合ってくれた。
話といってもたいした話はしていない。ディスケスさんがこの家に住み始めたころのこと、譲ってくれた老夫婦のこと、老夫婦が息子夫婦のところに行ってしまってからのこと……ほとんどがこの家に関することだったが、料理に関することも少し聞けた。
「それにしても、小僧には美味い肉を食わしてもらったな」
「そうですね。お肉に、あのように手を加える方法があるとは思い付きませんでした」
フレイアさんに言わせると、肉に関しては、基本的に焼く以外には調理方法がないらしい。公園の屋台でマンガ肉…肉の串焼きがあったが、加工して串に巻きつけているのではなく、肉の塊に木の棒を刺しているそうだ。
「他に小僧は何が作れるんだ?」
興味津々でディスケスさんが聞いてくる。
「そうだな、トンカツ、チキンカツ…何か揚げ物ばかりだな。魚料理もできるか」
「あげるって意味がわからんが、魚料理っていっても串に刺して焼くだけだろうが……って違うのか?」
言っている途中で、俺の肉料理がこの世界の普通とは違うことを思い出したのだろう。
「刺身にもできるしな」
「さしみ?」
「あぁ、新鮮なうちに切り身にして食べるっていうか…」
「生のままですかっ?」
魚は、焼いて食べるものという認識で、刺身が通じなかった。フレイアさんも魚を生で食べられるのかと驚いていた。もっとも、魚を生で食べるのは、日本では当たり前のことでも、海外に行けば忌避されることもあるため、この世界がどうというわけではない。
「おいおい、それは大丈夫なのか?」
「新鮮なままなら大丈夫だ。他の動物は、焼いたりしないで食べているんだろう?」
生で食べることについて、わかりやすい例を挙げて説明できたと思ったのだが、
「他の動物と俺たちは同じなのか?」
「動物という括りでは、一緒だと思うぞ」
人間も動物なのだから、他の動物が食べられて、食べられないことはない…と思う。
「…一理あるな…」
ディスケスさんも納得したらしい。木杯をグビッとあおる。
「フレイアの野菜スープは、美味かったろう?」
その質問の答えに窮した。正直に言うことも憚り、どうしようか迷っているところに、
「小僧、フレイアの料理にケチつけるつもりかっ?」
ディスケスさんからの、怒号? が浴びせられた。
すぐに答えなかったため、ディスケスさんは何かを悟ったのだろう。空になった木杯をこちらに突きつけてくる。
「ディー…」
フレイアさんが止めてくれるが、少し申し訳ない。
「そういうつもりじゃないんだが…、まぁ、俺にはさらに手を加えることできるってことだ」
フレイアさんが俺を見てほほ笑んでくれた。その笑顔がどういう意味なのかは、さっぱりわからない。
「フンっ、小僧の料理もなかなかだが、フレイアの料理が一番だっ」
俺に言われても困るのだが…。
「ディー…ありがとうございます」
「まぁ、フレイアに免じて許してやる」
フレイアさんのおかげで許されたらしい…。ディスケスさんにそっぽを向かれたままそう言われた。
その他にも、野菜についても聞けた。生で食べるか、焼いて食べるか、煮込んで食べるか、肉・魚に比べてバリエーションが多いようだ。今日は見なかったが、焼き野菜の串焼きといった屋台があるとのこと。
「今日は、ずいぶんと飲んじまったな…」
宵も更け、そろそろという時間になった。だいぶ前に“夜更けの鐘”が聞こえたので、俺の感覚では午後の11時をまわったところだろうか。この世界は、“夜更けの鐘”が鳴ると家族の団欒が終わり、就寝するまで思い思いに過ごすらしい。朝は、“夜明けの鐘”で朝を迎える。睡眠時間は、6~8時間といったところだろうか。
「では、タケルさん、今日は美味しいお夕飯ありがとうございました」
ディスケスさんを先に部屋に連れて行ったあと、俺を唯が眠る部屋に送ってくれた。
「いえ、今日も泊めてもらってありがとうございます」
「気になさらず。明日からはお隣さんですから」
ほほ笑みながらそう言ってくれたフレイアさんにもう一度お礼を言い、部屋に入った。
扉を閉めると、薄暗い部屋に壁に付けられたランプがほんのり明かりを照らしていた。フレイアさんが先ほど付けてくれたものだった。ランプの頭を一回叩くと明るくなり、二回たたくと薄暗く照らす。照らした状態で一回叩くと消えるらしい。ランプの中に発光する魔法石が数個入っており、このランプで制御しているとのこと。話だけ聞くと高級品のように聞こえたが、ランプにしても魔法石にしても、庶民でも買える安価なものだそうだ。もちろん、凝った作りのランプはいくらでもあり、それは相応の値段がするらしい。
「ぱぱ…?」
眠っていると思われた唯を起こしてしまったようだ。
「ごめんな、唯。起こしちまったか?」
「ううん…」
俺がベッドに横になると、唯が俺の腕に抱きついてきた。
「唯?」
唯の顔を覗き込むと、スヤスヤと寝ていた。先ほどのも無意識らしい。2人で小さなアパートで暮らしていたときも、こういうことは度々あった。仕事があったためなかなかそばにいてやれず、寂しいのだと解釈している。せっかく、異世界にきてそばにいてやる環境があるのだから、しばらくは唯のそばにいてやろうと心に決めて、目をつむる。
「唯、明日から新しい生活の始まりだな…」
「うん…」
眠っているはずの唯が返事をしてくれた。先ほどと同じく無意識だろうが。
身近に唯を感じながら、俺も眠りについた。




