13 異世界の厨房
戻るとフレイアさんが出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「おぅ、帰ったぞ」
ディスケスさんがフレイアさんの声に答える。おそらく、普段からそうしているのだろう。自然な流れを感じた。
「フレイアさん…ただいま?」
唯も答えようとするが、最後は疑問形になってしまっていた。唯にはここが自分の家という認識がないからだろう。実際そうなのだが、おかえりなさい、と言われれば、ただいまと答えるように教えてきたので、そう答えてしまったようだった。
「材料は揃いましたか?」
「はい。あとはこの家にあるもので何とかなりそうです」
「そうですか。それは楽しみです」
本当に楽しみなのだろう、フレイアさんの笑顔が眩しかった。
「台所借りますね」
フレイアさんに一言断って、台所に入る。入って思ったのだが、そこは台所というよりも、作業台やコンロらしきものがある厨房に近い環境だった。
フレイアさんにその厨房の説明を受けながら、水や火の使い方を学ぶ。
まず、水は木の桶に入っていた。その桶の中に石のようなものが入れてあり、それが浄化の魔法具らしい。水が必要なときは、そこから汲んで使用するようで、水道のような施設は家庭には無かった。
大元の水は、水場に水を汲みに行くらしい。
また、コンロ口は3つあるが、点火装置らしきものが見当たらず、火をどのようにつけるのか不思議に思っていたら、コンロ口の手前に付いている取っ手をひねると魔法で火がつくらしい。これも魔法具を利用したもののようだった。
魔法具の火で、どうやって火力調整するのか気になり
「これって、強火にしたり、弱火にしたりはどうすればいいんですか?」
フレイアさん聞いてみたが、けげんな表情をされた。
「こちらから強火、中火、弱火ですよ?」
そう言って、コンロ口を左側から指差す。
なるほど、この魔法具とやらには火力調整の機能までは無いということか。
あらかじめ、火力の違う魔法具を仕込んでおき、必要に応じて使い分けるらしい。
火力調整ができると便利ではないかと尋ねたが、
「そんな魔法具があれば便利ですね」
…と、笑顔で返された。
俺がフレイアさんの説明を受けている間、ディスケスさんと唯が買ってきたものを厨房に運び込んでいる。唯は時々立ち止まって、俺とフレイアさんの話を聞いていたが。
説明と運び込みが終わると、フレイアさんが布切れを持ってきた。
「私が前に使っていた前掛けなのですが、使ってください」
「何で小僧がフレイアの…」
隣でディスケスさんがブツブツ言っているが、フレイアさんが気にした様子もなく白い前掛けを渡してくる。
「ありがとうございます」
渡された前掛けは、いわゆるウエスト・エプロンと呼ばれる種類で、ソムリエやギャルソンが使うような、ウエストから膝丈まで覆う腰巻タイプだった。
以前、俺が料理人として厨房で使っていたのは、コックコートと呼ばれる白衣だったが、家ではそのタイプのエプロンを使っていたので、何ら問題ない。
「ぱぱ、ゆいも、てつだう」
俺が渡されたエプロンを付けていると、唯がエプロンの端を握ってきた。
「あー、そうだな…」
これまで、家では唯にも料理するときに簡単な手伝いをさせていた。葉物を千切ったり、卵をかき混ぜたり。時には、包丁を持たせ、野菜の皮をむいたり、みじん切りをさせたりしたこともある。
包丁を持たせるのは早すぎる気もしたが、包丁が危険なものであることを理解させるには、ちょうどいいかとやらせてみたのだ。もちろん、初めに十分練習させてから握らせた。その甲斐もあってかどうか、指を大きく切るようなことはこれまでなかった。
「ユイちゃん。ユイちゃんのエプロンもありますよ」
ちょっと待っててくださいね、と言って一度厨房から離れると、フレイアさんはもう一枚のエプロンを持ってきた。
「これを使ってくださいね」
笑顔で唯に渡したものは、胸まであるビブ・エプロンと呼ばれるタイプのものだった。
「えへへっ、ありがとう…」
桃色のそれは、少し唯には大きい気もするが、裾を少し折り畳んで止めると、何とか唯の身体に収まった。
「ぱぱ、ゆいの、あたらしいエプロン」
嬉しそうに見上げる唯の頭を撫でると、えへへっ、と笑った。
ひとしきり唯の頭を撫でたところで、フレイアさんに肉を切るものを用意してもらおうと、包丁はどこか聞いてみたが、“包丁”が通じなかった。
「お肉を切るのは、このナイフを使ってください」
そう言って渡されたのは、反りの大きいナイフだった。テティスがいた店で肉を切ったときと同じようなものだ。この世界では洋包丁―――牛刀が一般的なのかもしれない。俺は、三徳包丁―――万能包丁を使っていたが、当然、牛刀でも問題ない。
もう1つ、ペティナイフもあった。野菜の皮むき用にちょうどいい。
「さて、それじゃ、始めるか」
買ってきたもも肉を取り出し、作業台の上に置く。唯には卵を割ってかき混ぜる作業をしてもらうので、フレイアさんに木製のボウルを用意してもらった。
こうして、この世界での初めての料理が始まった。