1 灯火
プロローグです。とっても暗いです。
白のパイプベッド、白の布団、白のカーテン。室内をほぼ白に統一されたこの病室でベッドに娘が横たわっていた。病室のカーテンは閉めているのだが、照明とカーテン越しの秋の日差しで明るい。
俺は、病院に入院している娘に会うため、仕事の合間に抜け出してきたのだ。
「ぱぱ・・・」
時々、うなされたように俺を呼ぶ。
「唯・・・」
俺は、娘をただ見ていることしかできない。
鈴野 唯。
今年、幼稚園の年長になった娘。生まれてすぐに母親を失ったため、母親を知らない。非情な運命のもとに生まれた娘だけど、本当に良い子に育ってくれた。男手一つ育てた・・・と言えればカッコいいのだけれど、残念だが違う。娘を良い子に育てたのは、妻の母親、娘の祖母だ。祖母は学校の先生をしていたこともあるそうで、本当に厳しく、優しく、愛情をもって育ててくれたと思う。
その祖母もいない。昨年、唯の幼稚園入園を見届けると、まもなく亡くなった。もともと、心臓が悪かったらしく、体調を崩してからあっという間だった。
唯もその悲しみからようやく立ち直り、元気な娘の笑顔が見られたと思ったら、1年も経たずに高熱を出して倒れた。
―――原因不明
医者から聞かされた言葉はそれだった。突然、幼児が高熱を出すということは、知識として知っていたが、原因がわからないとなるとそうとも言っていられない。
自宅療養1カ月、入院が5カ月にも及ぶ闘病生活で、ゆっくりと衰弱していく娘をただ見ていることしかできなかった。
思えば、俺の妻、幸も生まれつき体が弱く、子供の頃から高熱を出しては寝込んでいたという。妻と出会ってからも、何度か熱を出して寝込んでいたことがあった。
しかし、これまで風邪をこじらせることもなく元気だった娘が突然高熱を出した時、不覚にも妻の姿をダブらせてしまった。それがいけなかったのか・・・。
俺は娘のために働くことしかできなかった。親もなく、孤児だった俺に頼れる親戚はいなかった。本当はいるのかもしれないが、産みの親を知らない俺には分からない。妻の幸も父親を早くに亡くし、母子家庭だったという。そちらの親戚もなく、天涯孤独に近い。
働いて入院費を稼ぐ。
高校を中退した俺が町の大衆食堂の厨房で働きはじめ、今はその食堂で料理人として朝から晩まで働いた。医学の知識もなく、他に娘に何もしてやれない今の俺に出来ることを必死にやった。娘が元気になることを信じて、娘の元気な笑顔が見られることを信じて―――
「ぱぱ・・・」
唯の目がうっすらと開いた。
「唯、パパはここにいるぞ」
唯の手をとり、声をかける。
「ぱぱ・・・。ここ、・・・夜なの?・・・まっくら・・・」
今はまだ昼過ぎ、カーテンは閉めているものの日差しで明るいにもかかわらず。
―――目が
「―――っ」
唯の言葉に奥歯をグッと噛みしめ、
「唯、そうなんだ。今は真夜中なんだよ。パパのこと、わかるか?」
声が震えないように、そっと、そっと声をかける。
「・・・うん」
焦点の合っていない目でこちらを向こうとする。声のする方を向いたという感じだ。
「ぱぱ・・・あのね・・・、ぱぱと・・・もっと・・・おはなししたかった・・・。ぱぱと・・・あそびたかった・・・」
―――唯
考えてみれば、唯は産まれてすぐに母親を失い、親は俺だけだった。幸の母親が母親代わりだったが、代わりだ。親じゃない。俺だけだったのに。唯と顔を合わせるのは、朝から幼稚園に送るまでと幼稚園のお迎え、夜の少しの時間だけだった。休日もほとんど仕事だった。
俺は、生活のためと仕事に明け暮れ、満足に遊んであげられなかった。構ってあげられなかった。
唯の手を両手で握りしめ、唯に声をかける。
「それじゃ、唯。元気になったら動物園行こうか。唯、行きたがってたよな。暖かくなった海でもいいぞ、唯」
そっと声をかけているつもりだったが、後のほうは懇願に近いものだった。
―――唯はわかっているんだ。俺と過ごせる日が、もう長くないことを
「ぱぱ・・・あのね・・・」
弱い呼吸で唯は言葉を続ける。
「・・・だいすき・・・」
弱弱しい言葉でもはっきりと俺の耳に届く。
「唯っ」
―――神様
「唯、パパも大好きだぞ」
その言葉に唯がかすかに微笑んだ。
「えへへ・・・」
微笑みが消えると、ゆっくりと唯の目が閉じられる。わずかに保っていた唯の頭や手の力も抜けていく。
―――神様、この世界にいるのなら、いや、この世界じゃなくても。
―――神様、助けてくれ。唯を、唯を助けてください。
『助けたいですか?その子を』
ベッドの唯にしがみつき、声なき声をあげていた俺に響いてきた言葉だった。
はじめまして、そら と申します。
拙い文章にもかかわらず、ここまでお読みいただきありがとうございます。