第一話 破滅ルートは回避しません! 面倒なので!
「んー」
私――遊里友梨は、どうやら異世界転生というものを果たしてしまったらしい。
生まれ変わったのは、かつて前世でドハマリしていた乙女ゲームの世界。確か、悪役令嬢モノのタイトルだったはずだ。
――“はず”とぼかしてしまうのは理由がある。
どうにも転生した拍子に記憶が混濁してしまったらしく、あちこちの記憶がスッポリと抜け落ちているのだ。しかも意地悪なことに、抜け落ちているのは大抵その乙女ゲームに関する重要なネタバレばかり。
覚えていることと言えば唯一つ。私という存在が、最終的に「破滅する」という最悪の未来だけだった。
婚約破棄されて? 国外追放されて? ……だっけ。
でも、んー、ぶっちゃけ面倒だし、わざわざ破滅ルートを回避する努力なんてしなくて良くない?
そんな迂遠なことにリソースを割くくらいならさ! 鍛えて鍛えて鍛えまくって! 冒険者になった方が百倍マシじゃない?
記憶も曖昧なことだし、それが良い、そうしよう!
◆
……という、大雑把極まりない結論に至ってから、早数年。
現在の私は、自分の部屋の豪華なベッドの上で大の字になって横たわっていた。
鍛錬を決意した瞬間こそ産声を上げた直後だったものの、現実は甘くない。
何もしていなかったわけではなく、正しくは「何もできなかった」のだ。なにせこの世界、武術や魔術の基礎教育が許可されるのは、基本的に5歳の誕生日を迎えてから。
幸いにも私の生まれは王族の城なので環境は充実しているのだが……ここで一つ、大きな問題にぶち当たった。
「なんでできないの!」
「ですから! 無理なものは無理なのです!」
自室の床を蹴らんばかりに抗議してみても、目の前のメイド――使用人の女性は首を縦に振ってくれない。
何回このやり取りを繰り返しただろう。今日だけでもう7回目だ。王家に生まれた女性は優雅に守られるのが務めであり、剣や魔術など物騒なものは嗜む必要がない、というのがこの国の古い慣習らしい。
……こういう時は、別のアプローチに切り替えるに限る。
――城の裏庭、噴水前。
「イース! 話があるの!」
「お嬢様、またお勉強をサボったんですか?」
水煙の向こうで振り返ったのは、イース。
この城には珍しい男性の使用人だ。私が見上げているせいもあるだろうけれど、背が高く、銀糸のような長髪をなびかせている。一見すると細身の優男に見えるが、衣服の上からでも分かる無駄のない筋肉――確かゲームの設定では「異常なほど強い男」だったはずだ。
ゲーム内において、彼とまともに会話ができるようになるのは序盤のイベントからだったが、なぜか親愛度を稼げる隠しパラメーターだけは幼少期から開放されていた。攻略対象の恋愛ルートとは別枠だった記憶があるけれど、実写化(?)したこの世界ではどうなんだろう。
まあいいや。今はそんなことより!
「そんなことはどうでも良いの! イース! 私のマイスターになって!」
「マイスター? 師匠ということですか? 一体何の……ああ、剣術と魔術ですか」
「女性は守られるのが主だからって! 王族は剣術と魔術教えてくれないって……けど! あなたが個人的に教えるなら!」
「……まあ、できなくはないですね。ですが」
ふぎゃ!
視界がふわりと浮き上がり、浮遊感に包まれる。
イースは私の身体を軽々と持ち上げていた。おいおい、高い高いをされて喜ぶ年齢じゃないぞ!
……って、なんかすごく見つめられてない? 私の顔、何か付いてる?
「……本気、なんですね?」
「あ……っと、えっと」
え? 何その鋭い眼光? 急に雰囲気が変わってなんか怖いんですけど。
本気かって? そりゃ……本気、なのかな。冒険者になりたいというのは。
でも、破滅ルートに足を踏み入れたら、待っているのはほぼ確実な「死」だ。それだけは魂に刻まれた本能が理解している。
「……本気、本気! 私に魔術と剣術を教えて!」
本気に決まっている。私は強くなりたいのだ。冒険者になることなんて、生き残るための手段に過ぎない。
神様からチート能力を貰ったわけでもないし、そもそも神様に会ってもいない。面倒と言いつつも、本当に前世の記憶が思い出せないのだ。だからこそ、追放されて放り出されても一人で外の世界を生きていけるように――。
「その目は……。分かりました。他の者からも大人びていると聞いていましたが、やはり何か特別な何かがあるのかもしれませんね。分かりました、明日の朝またここに来てください」
前世の怠惰な私が今の私を見たら、こんな悲壮な覚悟を決めているなんて信じてもらえないだろうな……。
イースは私をそっと地面に下ろすと、くるりと背を向けて歩き出した。あ、れ? 急に足を止めて振り向いたぞ。
「それはそうと、お勉強は終わらせてくださいね? 明日の朝までに」
チラリと見上げた影踏み時計が指し示す刻限は、現在16時。
「……」
泣く泣く、死ぬ気で机に向かうしかなかった。
◆
翌朝。朝靄が立ち込める裏庭。
「あれ? 居ない?」
指定された噴水前をぐるりと見渡すが、人影はない。
あんなに苦労して出された課題を終わらせたというのに、すっぽかされたってこと?
「おはようございます」
「きゃっ!」
突然、鼓膜のすぐ近くで声がした。
驚いて跳び上がる。後ろ!? いつの間に背後に回られたの!? 気配はおろか、足音一つ聞こえなかった。
ゲームのテキストだけで設定を見た時は「乙女ゲームなのにスペック盛りすぎでしょ」と半ば呆れていたけれど……まさか、本当にこれほどの超絶技巧を持っているのだろうか。纏っている空気の密度が明らかに普通じゃない。
けれど、改めて間近で観察してみても不思議な男だ。銀髪や背の高さは異世界ファンタジーだし納得するとして、彼の着ている服は使用人の仕立てでありながら、どこか王族の礼装に近い気品を漂わせている。
色合いはチャコールグレーとミッドナイトブルーのグラデーションだろうか。高級感のあるスーツのようでありつつ、どこか未知の様式美を感じさせる――駄目だ、私の前世の乏しい言語化能力じゃ上手く表現しきれない!
「イースって強いんだよね?」
「? ええ、勿論」
「ふ〜ん」
んー。完璧に使用人のスタンスを崩さないから仕方ないけれど、この丁寧な敬語ってなんとなく話しづらい。
一応、私の方が立場的には王族なんだし、命令すれば態度を変えてくれたりするのかな? ちょっと試してみよう。
「イース」
「なんでしょう」
「タメ口にして」
「はい?」
「だからタメ口で話して」
「……」
見事に「鳩が豆鉄砲を食らったような顔」とはこのことだ。イース、目が点になってるよ。
……そんなに驚くことかな?
「分かった、ミラ」
「んっ」
切り替え早っ!
それまで貼り付けられていた完璧な従者の表情が一瞬にして霧散し、一気に親戚のお兄さんのような柔らかい笑みが浮かんだ。……うん、たぶん例えとしては合っているはず。
「俺はこう見えて12歳だからな、かなり無理をしてたんだよ」
「12歳? また御冗談を……」
「いや、本当だってば。それを言うならミラ、お前の方こそ5歳には見えん」
「えっ」
あ。確かにサラッと受け答えていたけれど、幼子らしい演技なんて微塵も挟んでいなかった。もしかしてこれ、精神年齢がバレかけててマズかったりする? アウト?
けれど、一気に年相応の少年の雰囲気を漂わせ始めたイースの瞳には、先ほどまでの威圧感はかけらもなかった。不思議そうに私を見つめるその視線は、ただただ温かい。印象って、言葉使い一つでここまで劇的に変わるものなんだと実感させられる。
「まあ良いけどな、俺の役目は今日からミラを強くすることだけだ」
うーん、やっぱりどこか怪しい。それに、イースが快諾してくれたとしても、城の他の人間がそう簡単に私への武術指導を許してくれるだろうか? 昨日まであれほど固く拒否されていたというのに。
「イース、本当に? 他の使用人は確か……」
本来なら他の使用人じゃ話にならないから、可能性のありそうなイースに極秘で教えてもらおうという腹づもりだったのだ。けれど、イースが周囲に何も言っていないという確証はどこにもないわけで……。
「俺が全部面倒見るって説得したよ、骨が折れたけどな。物理的に」
「へえ〜……って、え!?」
物理的に骨が折れた!?
涼しい顔をしているけれどとても怪我人には見えない。もしかして、もう治したの?
「魔術で直したとか?」
「まあ、そうなるな」
「じゃあ早速教えてよ魔術!」
「駄目だ、まずは剣術からだ!」
「ええ〜」
――こんな、嵐のように騒がしくも愛おしい毎日が続いていく。
15歳という運命の節目を迎えるまでは、少なくとも……。
けれど。
あんな破滅の足音が忍び寄っていたなんて、この時の私は知る由もなかったのだ。




